そんな王国のお城の中・4
「まず。わたしのお給料、返して下さい」
は? と網の中の誰かが聞き返した。
「わたしはこれでもちゃんと仕事しているんですよ。あなた方が着服したお給料、ちゃんと支払って下さい。迷惑料も上乗せして」
当然の権利である。堂々と手のひらを上に向けて差し出し、宣言する。
あーそれは大事だな、と実家は貧乏貴族だというサフィアス・イオルが同意すれば。
庶民の出であるバドル・ジェッドも無言で頷いた。
「わ、わたしは違う、関係ない!」
誰かが慌てたように喚く。
すると、元・上司以外の誰もが「そうだそうだ、こいつだけだ」と騒ぎ出した。仲間であったはずの男を小突く者までいる。
「もちろんほかの職員の分もです。それから国庫から着服した分もありますよね? あとは不当な言いがかりで他家から巻き上げた財産とか」
それこそ言いがかりだ! と元気に怒鳴った男に、彼女はにっこりと笑みを返した。
ただし、目はまったく笑っていない。
「証拠、あるんですよ」
こんなこともあろうかと、割の合わない中級以下役人たちで結託し、不審な書類やら怪しいお金の流れやら、事細かに記録し残してあるのだ。直属の部下や関係者による証言もある。
というか、裏でもなんでもない帳簿を見ても、国庫から出た人件費の額と、実際に職員に支払われた給料の額が明らかに違うのだから、どれだけいい加減なのかと呆れてしまう。
それらの証拠はそっくりそのままサヴィア王国軍に提出済みであり、だからこそ今だってサヴィア側の誰も口を挟んでこないのだろう。
フローライドの高官たちの中で、不正をしていない者などいないといっても過言ではない。
不正でもしなければ出世できないような仕組みだった、とも言える。
「金額をざっと計算しても、全財産没収だな。まだ足りないかもしれんが。………で?」
暫定宰相様の「もちろんそれだけじゃないよな」という無言の圧力を受けて、木乃香はうーんと考える。
やがて。
「じゃあ……“極刑”でどうですか」
酒場で「とりあえず麦酒」と注文するのと何ら変わらない軽い口調で、木乃香は言った。
あまりに無慈悲なその響きに、ぎゃあぎゃあと騒いでいた網の中が静まり返る。
網の外にいる人々もまた、息を飲んだ。
暫定宰相の眉間にしわが寄る。
「極刑って、あれか。前・国王にやったやつ」
「はい。それです」
「メンドクサイぞあれ」
「簡単になんて死なせてあげませんよ。腐ってもフローライド王国の中枢を担ってきた魔法使いの方々ですから。きっちりお国の役に立っていただきましょう」
「賠償金が足りねーんだから、身体で返せってわけか」
「……そういう感じになりますかね」
「同じ身体はるなら、さらし者にして民衆に石でも投げてもらったほうがよっぽど役に立てると思うけどな。鬱憤晴らしで」
ひいっと誰かが悲鳴を上げた。
なにより恐ろしいのは、彼らのあっさりとした口調とあっさりとした顔つきである。
それこそ酒場でおつまみは何を注文しようか、だしまきか、いやまず枝豆でしょう、とでも言うような。
「そうかもしれませんけど―――」
「みっミアゼ・オーカ!」
元・上司に呼ばれた。
最初のやたらと高圧的で無駄に偉そうなものと違い、少しばかり泣きが入っているようだった。
「き、貴様、こんな事をしてただで済むと思っているのか!」
少し気弱ながらも大音声を保っているのだから、大したものである。
ただし耳障りには違いない。
現に、玉座におわします魔王様の笑みはより一層凶悪なものになったし、背後のナナリィゼ王女からもただならぬ殺気と魔法力が漂ってくる。そろそろ“花守り”ふたりくらいでは抑えられないかもしれない。
どんどん重苦しく剣呑になる魔法力の気配に気付かないのか、それとも気付きたくないのか。元・上司は大きな身体を震わせて怒鳴った。
「どこの馬の骨とも知らぬお前を雇ってやった恩も忘れて、この仕打ちは何だ!」
「雇って下さったのは、あなたではなくて採用担当官です」
というか、あまりの人手不足とあまりの希望者の少なさに、採用試験などあってないようなモノだった。 あの担当者、きっとろくに木乃香の書類など見ていない。
「むしろ使えないとか、どうしてこんなの雇ったんだとか散々言ってましたよね?」
濃厚な魔法力に、魔法探知機の二郎が反応しないわけがない。
きゅーん、と弱々しく鳴きながら、黒い子犬は不安げに主のブーツにまとわりついてくる。
使役魔獣にだって分かるのに、仮にも上級魔法使いならちゃんと今この場の空気を読め、と言いたい。
「わ、わたしは上級魔法使いだぞ! この国の………っ」
「因果応報ってわかります?」
木乃香は努めて静かに言った。
自分が冷静を保っていないと、自分ではなく周囲が暴走しそうだからだ。
「わたしの……生まれ故郷の、言葉なんですけどね。自分がやったことは必ず自分に返って来ると、簡単に言えばそんな感じの意味です」
言いながら、まさにこの状況にぴったりの言葉だなと思う。
他者のお金を横領したから、財産を取り上げられる。
他者を蔑むから、相手にされなくなる。
魔法を使って無理やり抑え込もうとしたから、より強い魔法で抑え込まれる。
「わ……っわたしが何をしたというのだ! 死ななければならないほどの、何を!」
「むしろ何もしなかったから、ですかね?」
「なにを馬鹿な! わたしは―――」
「国民のために、何もしていないでしょう」
元・国王をはじめとした彼らの行動は、そのほとんどが自身のため。
そのために、他者が迷惑を被ることになってもまるで気にしない。
「自分が不幸になってまで人に尽くせとは言いません。でも国を治める立場の人々がそれじゃあ駄目ですよ」
たとえば。
お師匠様の言うように「石を投げてもいいよ」とフロルの広場ど真ん中に彼らを縛り付けたとする。
そこに喜んで罵倒し石を投げる庶民の皆様は、たくさんいるだろう。
木乃香だって、勧められればちょっと彼らを的にして何か投げつけてみたいような気がする。
そういうことだ。
先ほどの反応を見るに、いちおう石を投げられるような事をしていた自覚はあるらしい。
それさえなかったらどうしようかと思ったが。
「だから、ちょっとは人のお役に立ってください。あなた方は、“極刑”です」
木乃香がそう言った直後だった。
青白い格子から、ぬっと無駄に太く無駄に装飾品がじゃらついた腕が突き出される。
所狭しとはめられた指輪のひとつが破魔の特性を持つものだった、と気付いたのは後の話である。
無駄に肉感的な手をこれでもかとめいいっぱいに広げ。
元・長官である男はにやりと口元をゆがめた。
「静かに聞いていれば馬の骨ふぜいが無礼な。貴様がまず死ね」
低い声とともに、手のひらに魔法力が集まる。
オーカ、と誰かが叫んだがすでに遅い。
ごく近い距離で魔法使いの手から魔法が放たれ、ふわりと木乃香の黒髪が後ろに流れた。
きい、と小さな使役魔獣の声が聞こえ。
そして木乃香は、その場にがくりと膝をつく。
「オーカ!?」
悲鳴じみた声が謁見の間に響き渡る。
しかし呼ばれた木乃香は、気だるげながらもしっかりと顔を上げた。外傷はない。
「……大丈夫ですよ。ナナリィゼさま」
サヴィア王国の王女様は安堵してほうと息をつく。
むしろ、ここで王女様が反撃しようものなら、そちらのほうがきつい。
攻撃魔法を放った元・フローライドの高官は、驚愕の表情を浮かべていた。
相手の頭を吹き飛ばすほどの気持ちで力を放ったのだ。
しかし実際ははるかに階級の劣る元・部下の命を奪うどころか、かすり傷ひとつ負わせることができない。
周囲を落ち着かせるために顔を上げてみせた木乃香だが、しかし強烈なめまいを感じてその場にへたりと尻餅をついた。
やり過ごそうときつく目を閉じるも、今度はほとんど強制的な睡魔が襲って来る。
ああ、だめだこれ。
思わず額に手を当てると、近くで衣擦れの音と風を感じた。
次いで砂袋か何かに刃物を突き刺すような、くぐもった音が響く。
「いい加減にしろてめえ」
そして、地を這うようなおどろおどろしい声が続いた。
ひいいいっと今まで以上の恐怖を含んだ悲鳴を上げたのは、光の網に拘束されている男たちである。
奥の玉座に座っていたはずのラディアル・ガイルが、至近距離でじろりと網の中をにらんでいた。
一体いつの間にどこから取り出したのか、装いと同じ漆黒の剣の刀身を鼻先数センチの距離で突きつけながら。
見た目だけならば木炭のようにただ黒い剣には、幅広の刀身に幾何学模様が彫り込まれている以外の装飾は一切見当たらない。表面はなめらかだが艶もない。
ただし切れ味は抜群のようで、切っ先は大理石の床にざっくりとめり込んでいた。
「防魔の力が付加された拘束魔法の内側から、それをかい潜るだけの技量は褒めてやる」
片手で剣の柄を握り、もう片手で傾きかけた木乃香の肩を支えて彼は言う。
「お師匠、さ……」
「おれの目の前で、平気でうちのムスメに手出しするその度胸もな。大したもんだ」
魔法を打った瞬間の得意げな顔つきから一転、元・上司の顔色は、すでに死人のようだった。
「ここで八つ裂きにしてやりたいが……ってコラ王女、魔法を抑えろ。オーカが倒れたのはあんたにも原因があるんだ」
「………っ」
ナナリィゼは、はっと息を飲む。
見れば、木乃香はすでに意識を失ってぐったりとしていた。
彼女の症状は、典型的な魔法力の使い過ぎによるものだった。
国内屈指の魔法使いたちが、サヴィア王国から自国の権力を取り戻そうと襲撃をかけ。
世界でも屈指の魔法使いと称されるサヴィア王国の王女が迎え撃った。
大きな魔法と魔法がぶつかり合った広間がこの程度の損傷で済んでいるのは、強力な防御魔法が建物に施されているからではない。
あるにはあるが、それらのほとんどは広間の玉座を解体したときに失われてしまっていた。
木乃香の使役魔獣、“絶対防御”を特性として持つ“五郎”が防いだのだ。
この能力、魔法だけでなく物理的な攻撃でさえ防ぎ、力を吸収し、そのまま相手に跳ね返すことすらできる。
ずっとナナリィゼの傍に張り付いていた小さなハムスターは、襲撃者たちの魔法攻撃のことごとくを吸収し無効化した。そして、王女の反撃もその威力をかなり削いでいたのだ。
「能天気なものだな。お前ら、オーカのおかげで命拾いしたようなものなのに」
周囲に被害が及ぶので、五郎はそれらのことごとくを跳ね返さずに吸収した。
そうでなければ、いまごろ謁見の間は単なる瓦礫と屍の山である。
だが、そうして吸収した力は、どこかで処理しなければならない。
他人の魔法力は、木乃香の魔法力で生かされている五郎には糧にもならない、まったくの異物なのだ。それを外に吐き出さず小さな体内で消化するにもまた、力を必要とする。
使役魔獣の力は、主である魔法使いの魔法力が源である。力を使うためにそれが消費されれば、主からもらうしかない。
つまり、木乃香は五郎経由で間接的に魔法力を大量に使ってしまい、回復のための半強制的な眠りに入ってしまったのだった。
彼女の場合、使役魔獣へ魔法力を供給するその過程はほとんど無意識なので、調節ができないのだ。実は以前にも気が付けば倒れていた、ということがある。
玉座に座り傍観を装いつつ、両者の魔法を適当に打ち消しながら五郎の負担を減らしていたラディアルだが、そろそろ限界だろうな、とは思っていた。むしろよくもったほうだ。
息遣いをみれば、どうやら昏倒ではなくただ寝ているだけのようである。
ほっとかすかに息を吐きだし、ラディアルはあらためて光の格子の中を睥睨する。
「ほんと、細切れにしたいわお前ら。……だがコレが決めたからな。お前らは“極刑”だ。安心しろ、すぐには殺さん」
死んだほうがマシな目に合わせてやるから覚悟しておけ。
そんな続きが聞こえてきそうな、剣呑な口調だった。
くつくつと困ったように笑う姿は、向けられた相手でなくとも背筋が凍りそうな代物である。
極刑とは、もっとも重い刑罰、つまりほとんどの場合は死刑を意味する。
なので、元・フローライドの国王もおそらく処刑されたのだろうと一般には思われていることだろう。
しかし元・国王が受けた“極刑”は、少々内容が異なる。
実は国王様、どっこい生きているのだ。
世界屈指の魔法使いである彼は、かなり無茶苦茶な魔法の使い方をしていた。
たとえば王都フロルの石畳。もはや最初がどんな色だったか誰も思い出せないくらい頻繁に変えられたそれは、すでに変えた本人でさえもとの色に戻せないほど本質が変わってしまっていた。
こんな風に、魔法によって不自然かつ迷惑極まりなくゆがめられたものが、この国にはいくつも残っているのだ。
国王と重臣たちに課した刑罰とは、それらをきっちりしっかり元に戻せ、というものだ。その難易度を考えると、終身刑に近い。
全てを元通り直し終われば恩赦も与えるという飴付きではあるが、もともと不可能と思われている作業であるのに加え、行動も魔法の行使も著しく制限された、これまでと比べて――あくまで王様生活と比べて、の話だが――質素で面白味のない生活を強要される。
それを死んだほうがマシと取るか死ぬよりマシと取るか、それは本人次第だろう。
今回の襲撃者たちがそれに加わったことで、果たして効率が上がるのかどうか。
「まだわからねえって顔してるな。なんで自分がこんな目に合うのか」
苦味を含んだ顔で、彼は言った。
「分からないから、そんな目にあってるんだ。さんざんうちの弟子を馬鹿にしてくれた程だ。そのお利口な頭で考えてみやがれ」
なぜ、フローライドがサヴィアの侵攻を許してしまったのか。
なぜ彼らが無様にも追いやられたのか。
なぜ市井の者たちが、彼らに石を投げたいのか。
なぜ、ミアゼ・オーカが“下級”魔法使いであるのかさえ。
彼らには、わからないのだ。
更新が遅くて申し訳ありません。
これからもこんな感じの鈍亀更新かと思います。