あんな彼女とそこの彼女・6
「あっ、シローちゃん!」
同じく宿泊客の使役魔獣である白猫・四郎は、無遠慮に伸びてきた手をするりとかわし、とことこ歩いてくる。
そしてとんと椅子のひとつに飛び乗ると、そこでさっさと丸くなって寛ぎだした。
ここが自分の定位置ですとでも言わんばかりだが、図々しいと怒り出す者はこの場に誰もいなかった。
となりに座っていたベテラン客室係がそうっと優しく白い背中を撫でてやると、垂れていた尻尾がゆらんと気持ち良さげに揺れる。
「にああー」
そうそう優しくー。そのまま撫でといてー。
そんな副音声が聞こえてきそうな鳴き声と尻尾だった。
「ううう。なんでー?」
「勢い付けて向かってったら、そりゃ逃げるでしょう」
「にあー」
そのとおりー。と言いたげな白猫。
使役魔獣たちは、一郎以外ヒトの言葉はしゃべらないものの、けっこう表現豊かだ。
「シローのおやつは、新鮮なミルクを持って行こうなー」
「……」
「ぱ、パンケーキがいいのかな……?」
「にあー」
この使役魔獣たちの食事に関しては、「どうぞお構いなく」と召喚主である宿泊客から言われている。
使役魔獣は、普通の生き物とは違う。ヒトと同じ食事は必要ではないから、と。
食べようと思えば食べられるが、別に食べなくても何の問題もないので、と。
珍しいとはいえ、これまで使役魔獣を連れた魔法使いの宿泊客が居なかったわけではない。その際も食事を頼まれたことはなかったように思う。
領から払われている食事費も一人分だ。
従業員たちだって、最初はそのつもりだった。
なにしろ、食材だって余裕があるわけではない。
それでもここは領都ジラノスでも一、二を争う高級宿。いつも通りとはいかないまでも、毎食の品数と量はそこらの料理宿より多く準備されていた。
で。ひとりでは食べきれない料理を、お客が使役魔獣たちと分け合って和気あいあいと食べている食事風景を見てしまったのが運の尽き。
小さなふわもこたちがテーブルに集まって、きれいに盛り付けられた皿をきらきらと眺め、わいわいと楽し気に食べている姿を見てしまえば、まずは給仕係が、次に様子を見に来た厨房係が、そして噂を聞きつけた他の従業員たちが、次々に落ちた。
彼らはあくまでさりげなく失礼のない様に見ていた“つもり”だったが、たぶん気になったのだろう。食堂ではなく客室で食べることが多くなり、そこはちょっと残念であるが。
アレは構うなというのが無理だ。
構いたい。構って、自分も癒されたい。ほのぼのしたい!
……というわけで、ついいろいろ食べさせてしまう従業員たちである。
なに。どうせ一人分作るのだから、二人分も三人分も一緒だ。
煮込み料理なんかは一度にたくさん作ったほうが美味しいし!
そんな事を、言い訳にしながら。
☆ ☆ ☆
なんとも複雑な気分で、木乃香は本日のおやつ“蜂蜜たっぷりふわふわパンケーキ”をもそもそと口に入れた。
「……美味しいねえ」
「ん……」
「…、…、」
「ぴっぴぃ」
「にああー」
テーブルの向かい側に腰かけた一郎のほっぺたは、大きなパンケーキのかけらを頬張ってぷっくり膨れている。
その横で、黄色い小鳥が同じ皿からくちばしで器用につついて食べていた。狙いすましたように蜂蜜のたっぷりかかった部分である。
テーブルの下では、黒い子犬と白い子猫が、添えられたクリームで顔を真っ白にしながらはくはくと同じものを食べている。四郎はむしろ、クリームだけなめているようだ。
「きぅぅ」
テーブルの上のピンクのハムスターがおねだりするように小さく鳴いたので、木乃香は自分の前に置かれた皿のパンケーキをフォークで小さく崩してやる。
小さな前足でそれを器用に口に運ぶ五番目の使役魔獣は、汚れるのが嫌なのだろうか、こちらは蜂蜜やクリームが付いていない部分を好んで食べているようだった。
それぞれにそれぞれの好みでおやつを食べている使役魔獣たちにほっこりしつつ、木乃香はほんの少しのため息をこぼす。
さすがは領主ご用達の高級宿。
頼んでいないのに、三食の食事どころかおやつまで出て来る。
しかも、木乃香だけでなく使役魔獣たちのぶんまでちゃんと用意されている。
薄給のヒラ官吏としては、逆に追加の支払いが発生しないかちょっとヒヤヒヤしているところだ。
発生しなかったら発生しないで、シルベル領側の負担――つまりもしかして税金で支払われるのかと思うと、それもちょっと居たたまれない木乃香である。
いろいろと物が足りないかもしれないと言われていたのに、拍子抜けもいいところだ。
ここに来るまで同行していたヴィーロニーナ商会の皆さんからも勧められて道中買いだめしてきた保存食の出番は、今のところまったく無い。
使わせてもらっている客室は、王城の敷地内にある職員寮の自室よりも三倍は広い。
彼女は未だに落ち着かないのだが、使役魔獣たちは広いのが嬉しいのか、従業員たちに構ってもらえて楽しいのか、王都よりもむしろのびのびと過ごしているようだった。
客室から外に一歩でも出れば木乃香の服の中に隠れて絶対に出てこようとしない――だから従業員たちには認識されてもいない――五郎だって、室内では窓辺で日向ぼっこをしていたり他の使役魔獣たちと一緒になって走り回っていたりするので、それなりに宿屋暮らしに馴染んでいるようだ。
……シルベル領都ジラノスに来て、はや一週間。
ここから地方都市のリュベクに行き仕事をしているはずなのに、どうして豪華な食事三食プラスおやつに昼寝付きの確実に太る、いやすでに太っているに違いない生活をだらだらと続けているのか。
木乃香は、ひたすら首をかしげていた。
木乃香のリュベク行きについて、シルベル領側からは何も言って来ないし、こちらから問い合わせても「もうしばらくお待ちください」と繰り返されるばかりだ。
王都と各領都には手紙をやりとりできる転送の魔法陣が整備されているので、官吏の移動の確認などすぐに出来るはずなのに、だ。
それができないということは、シルベル領側が仕事をしていないか、王都側が仕事をしていないか、あるいは誰かが邪魔をしているかのどれかである。
まあ、下っ端中央官ひとりの邪魔したところで誰も得しないし時間の無駄だと思うので、最後の可能性だけはほぼ無いだろうが。
それにだ。
「ぴっぴっ」
「……ああ、はいはい蜂蜜ね」
三郎にせがまれ、追加用に置かれた蜂蜜を向かいの皿に垂らしてあげてから、木乃香は自分の口にもパンケーキを入れた。
この“蜂蜜たっぷりふわふわパンケーキ”である。
表面が黄金色に焼かれた香ばしいパンケーキは、しかしフォークよりもスプーンですくったほうがいいような柔らかさで、口に入れればふわりと溶けてしまう。
甘さ控えめな生地の上にはホイップクリームが形よく盛られ、数種類のベリーとナッツがちりばめられ、さらにその上から雪のように白い粉糖とたっぷりの蜂蜜がかけられていた。お好みで、とピッチャーに入った蜂蜜まで準備されている。
「蜂蜜。それに白砂糖とナッツ……」
文字通り様々な部署を取りまとめる統括局に所属している木乃香は、新人の下っ端ゆえにいろんな部署の書類を回され、任され、押し付けられ、確認してきた。
なので、各地域の特色とか、主要産業とか、名産品とか、何が足りていて何が足りないかとか、書類上のことのみではあるが、先輩方からそれなりに教わり自分でも勉強したので知ってはいるつもりだ。
そんな下っ端中央官ミアゼ・オーカの記憶が確かならば、それらは隣国からの輸入品だ。
パンケーキ生地の小麦も、品種によっては隣国産かもしれない。製菓用の小麦は隣国のオブギ地方産がいちばん、と王都の揚げ菓子屋台で聞いたことがあるので、むしろその可能性が高い。
そして今日のおやつだけではない。宿の食事にも、ときどき首を傾げたくなるような食材が使われていることがあった。
多国籍料理が評判の宿らしいが、どれも大変美味しくいただいているのだが、食材の調達経路は謎だ。
領から多少の援助は受けているらしいが、それにしてもこのご時世に合っていない輸入品が多いような気がする。
シルベル領自体にこれといった特産品はない。
ただし、街道を行き来する国内外の品物は容易に手に入る。それを目当てにさらに人が集まる。お金も集まる。それがこの領の特色であり強みだった。
しかし、サヴィア王国の侵攻からすでに半年。
人の流れも物の流れも滞って半年である。
蜂蜜も砂糖もナッツ類も、日持ちがする食材である。それ以前に仕入れたものだと言われればそうかもしれないが、こんなにたっぷりと惜しげもなく使えるほど残っているものだろうか。
別経由で食材が運ばれてきている可能性はあるが、サヴィア王国軍がいつ攻めて来るか分からない状況で、治安が悪化し通行料まで上がったシルベル領に積極的に来たいと思う商人は少ないだろう。
木乃香がここまで来る道中、同じようにシルベル領へと向かう商人はほとんど見かけなかったし、彼女がここまで同行させてもらったヴィーロニーナ商会だって、国の要請があったから前線の王国軍へ荷物を運んでいたに過ぎない。
現地調達が難しくなってきたから、という理由で。
「……なんか、変なんだよなあ」
テーブルの上に乗せられた数枚の紙片を眺めてみる。
小さなそれは、一郎が書いたメモ書きだ。
紙には、絵のような文字のような歪な線と曲線――こちらの言葉ではなく、日本語の平仮名が書かれている。
とある辺境の研究所に引きこもっているような“流れ者”研究者と“流れ者”本人くらいしか解読できない異世界の文字を、たとえば地方都市の宿屋の従業員が読めるはずがない。
まあ、読めたところで「おやつ」「はちみつ」「ふわふわ」といった単語くらいしか書かれていないのだが。
中には「すくない」「たりない」「こまった」という単語も見つかる。
ここの宿も、そしておそらくは領都ジラノス全体でも、物資が不足していて調達に苦労しているのは本当なのだろう。
ただし、思ったほど深刻な感じはしない。
郊外の牧場や農場、自家菜園が多いあたりならともかく、領都のど真ん中で高かろうがちゃんと食糧が売られていて手に入る、というのが意外だ。しかも輸入食材まで。
以前とくらべて入って来る量が少なく、値上がりもしているのだから、少なからず生活に影響は出ているのだろうが。
食べ物は、なにより重要なものである。
ちゃんと食べられるなら、それに越したことはないのかもしれない。
が。
「引っかかるんだよねえ……」
この半年。木乃香のように違和感を覚えた人は居なかったのだろうか。
魔法なんて当たり前のように存在する世界だ。そもそもの常識が違うのだろうか。
「ぴっ、ぴっ、ぴぃー」
蜂蜜に満足したのか、皿から顔を上げた三郎がぴよぴよと囀りだした。
この黄色い小鳥には広い客室でもまだ窮屈に感じるらしく、よくお空の散歩に出かけている。
おかげで、木乃香は街中をほとんど歩いてもいないのに街中の様子をよく知っていた。
他の使役魔獣たちも、適当に出歩いてはそれなりの情報を拾って木乃香に報告してくる。
宿暮らしものんびりするのは二、三日で飽きたようで、彼らは現在“探偵ごっこ”にはまっているらしかった。
で、空からの偵察を得意とする三号が言うのだ。
「街はずれに露店が並んでた……?」
「ぴぃぴっ」
しかも、たいそう賑わっていたと。
王都フロルの広場でさえ、現在は市場がほとんど機能していないというのに。
闇市のような非合法なものだろうか。
いやしかし、外れといってもさほど治安が悪くない、きちんと整備された区画のようだし、訪れている客も普通の住民から魔法使いの外套をまとった地方官までいるようだし、なにより制服を着た警備兵が随時見回りをしている。
……少なくとも領都では、戦の影響は深刻ではないのだろうか。
国境へ中央から派遣された王国軍からはアレがないコレが欲しいソレを送れ、と毎日のように軍務局経由で統括局まで書簡が届いていたのだが、そう言えば同じく国境にいるはずの地方軍からも、シルベル領領主からも、そういった要望はあまりなかった。
単に木乃香がその書類を見ていないだけ、という可能性もあるが。
違和感はある。情報も、たぶんそれなりにある。
しかしだ。
そこから導き出される答えは何なのか。
それは自分が考えなければならない事なのか。
リュベクへの出張はどうなったのか。そっちの仕事はしなくていいのか。
そもそも、仕事で来たはずなのに自分の懐を痛めずのんびりまったり宿暮らしな現状ってどうなんだろうか。
「本職の探偵じゃあるまいし……わたしに何が分かるっていうのよ……」
木乃香はぱったりとテーブルに突っ伏した。
何かを探るにしろ、動くにしろ、彼女にはさまざまな経験が圧倒的に足りない。
中央官ミアゼ・オーカ。
この時点でもまだ、彼女は自分の出張先であるシルベル領リュベクがサヴィア王国軍の統治下に置かれたことを知らされていなかった。
―――そして、中央にも。
お付き合いいただきありがとうございます^^




