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こんなに青い空の下

三号登場です。


 この世界に迷い込んで数年。


 受験だ就職だと資料や参考書を片手に呻いていたあの頃、まさか将来自分が海外どころか地球ですらない、見たことも聞いたこともないような土地で暮らす羽目になろうとは、思わなかった。


しかも魔法使いなどという、名乗るのも恥ずかしいような怪しげな職業を得て。




「き、きびし……」


 軌道のないジェットコースターだこれ。

 はじめて“馬”に乗せられた木乃香は、ぐったりとその場にへたり込んで思った。

 上からバドル・ジェッドの困ったような視線を感じるが、彼女だって好きで土埃が舞う馬の足元に座り込んでいるわけではない。

 鹿だったのかと疑いたくなるほど高く跳躍できるこちらの“馬”は、とにかく揺れる。大きく揺れる。そして乗馬初心者の身体に容赦なく響く。背後にバドル・ジェッドがいなければ、確実に途中で振り落とされていただろう。

 文字通り飛ぶように丘を駆け上がり王城へ到着する頃には、彼女の足腰はすっかり使い物にならなくなっていた。馬の鞍に散々ぶつけたお尻も痛い。

 

 これなら、独特の感覚に多少気分が悪くなっても一瞬で済む“転送結界”のほうが何倍もマシである。


「このか?」


 とす、と力の入らない右膝に、使役魔獣のもみじの様な両手が乗せられる。左膝には、同じく黒いぽってりとした前足が。

 それにいくらか癒され慰められて感じて顔を上げれば、心配そうな馬の鼻面がそこにある。

 

「ひん」

「……うわっ!」

「だいじょぶ? って」

「ひひん」


 一郎の通訳に、そうだと言いたげな馬。

 同時に聞けば、強面の馬面がほんとうに心配そうなものに見えてくるから不思議だ。

 もちろん馬に気遣われるなどはじめての木乃香は、おっかなびっくりで差し出された頭に手をのばした。


「あ、ああうん大丈夫だよ。ええと……」

「ギガンテ」

「はい、ギガンテ、さん? 乗せてくれてありがとう」

「ぶひん」

「おやすいごよう、だって」


 よしよしとごわついたたてがみを撫でれば、馬は満足したように鼻を鳴らし、今度は得意そうに胸を張る。

 その向こうには、馬の名前を教えてくれた馬の主が呆れたような顔つきで立っていた。


「……ギガンテ」


 低い声でたしなめるようにバドルが呼ぶ。

すると馬は渋々といった様子で馬首を返しぱこぱこと戻っていった。またね、と言いたげに竹箒のような尻尾がばさっばさっと左右に揺れている。

 自力で厩舎に戻っていくあたり、実に賢いというか、人間くさい馬である。


「人懐こい馬ですね」


 そういえば、広場でも大人しく静かに主を待っていた。

 馬にここまで近づいたことがなかった木乃香は、こちらの世界の“馬”は少々見た目が怖くてもあんな感じなのかな、と思ったのだが。

 降ってきたのは苦虫を噛み潰したような声だった。


「いや。いまさら、あなたに驚くこともないと思うんですがね……」


 あれは簡単には人を寄せ付けない(やつ)なのに。

 困惑気味に呟くのを聞いてしまい、思いっきり懐かれ鼻面を押し付けられていた木乃香は思わず「え」と聞き返す。

 あとで聞いた話だが、こちらの“馬”は草食だが性格は非常に好戦的で、不用意に近づけば比喩ではなく蹴散らされることも珍しくないのだという。人の多い場所で手綱を放しても大人しくできるくらい躾けるには、なかなか大変なのだそうだ。

 そして、サヴィア産の軍馬はより体格が大きく気性が荒く、そして気位の高さも一級品。ギガンテはその中でもさらに取扱い要注意の馬と、世話係の間でさえ警戒されていた。

 戦場ならば頼もしい限りなのだろうが、そんな物騒な馬で善良な一般人が多い広場に乗り付けて来るなと言いたい。


「それで。まだ動けませんか」


 質問というより確認するようにバドルが言う。

 それに木乃香はう、と詰まった。

 動けない。いやむしろ動けなくていい。しかしそうは思っても、正直に話したところで彼女の希望を聞いてくれるほどこの軍人は親切ではない。

 良くも悪くも融通が利かないのがバドル・ジェッドなのだ。


 そのとき、ずしんと地面が、いや建物全体が揺れた。


 木乃香は頭を抱えたくなる。

 そうしなかったのは、両膝でびくんと身体を強張らせた小さな使役魔獣たちを抱き寄せるので精一杯だったからだ。

ただの地震でないことは、魔法探知機・二郎の様子を見ていればわかる。

 上階で、誰かが大規模な魔法を使っているのだ。

 そもそも代々力が強い魔法使いたちが治めてきたフローライド王国のこの城は、ちょっとやそっとではびくともしない魔法結界が何重にも張られている。

 にもかかわらず、城が震えるほどの衝撃がくるということは、かなり強力な魔法の応酬があったということだ。

 そしてそれは、まず間違いなくこの国のもと重鎮である“馬鹿ども”と、サヴィア王国のナナリィゼ王女だ。


 サヴィア王国のナナリィゼ王女。

 彼女こそ、世界屈指の魔法使いと呼ばれたフローライド国王を打ち倒した、世界最強、あるいは最凶と称される魔法使いであった。

 とはいっても前国王以上のワガママであるとか、鬼畜な性格をしているとか、そういうわけではない。

 ただ、正義感が強いだけなのだ。人よりも、少しだけ。


 この王女様、曲がったことが大嫌いだ。

 勧善懲悪、ならぬ“完全”懲悪。許せないものは許せない。例外はない。

 自軍でさえ、誰か一人でも軍律を破れば「規則っていうのは守るためにあるの。破るためにあるんじゃないの。しかも民を守るための軍が民に迷惑をかけるなんて、勘違いも甚だしい。存在意義もなくなっちゃったわね。こんな迷惑集団、いらなくない? いっそいらないわよね?」とほんとうに跡形もなく潰そうとする。

 間違ってはいないが、とにかく真っ直ぐで過激、つまりやり過ぎなのだ。

 厄介なことに、それを可能にする苛烈な性格と確かな実力を、彼女はばっちり持っていた。

 そのおかげというべきか、サヴィア王国軍はたいへん品行方正な集団として、その名を世界に知られている。


 “なな、きけん”


 先ほど一郎から受け取った伝言も、おそらくナナリィゼの身を心配してのことではない。

 ナナリィゼによって周囲が危険にさらされている、という意味に違いない。

 そして、そんな彼女の暴走から周囲を守るためにいるのが“花守り”なのだ。

 刺客の類から王女を守ることも彼らの役目ではあるのだが、その理由は「ナナリィゼ王女がやり返すと大惨事になるから」。王女自身はあまり心配されていない。

 そんな真相を知っているから、木乃香は“花守り”を見て同情することはあっても、市井の皆のようにうっとりする気にはとてもなれないのだった。


 ところで、なぜサヴィア王国側の上層部とフローライド王国の下級魔法使いで下級役人のはずの木乃香がお近づきになったのかというと、彼女の癒し系使役魔獣がナナリィゼ姫の目に止まり、気に入られたからだ。

 この王女様、少々過激ではあっても素直で裏表のない、とてもいい子だ。小さな使役魔獣たちと美少女が無邪気に戯れる様子を見ていると、木乃香も大変癒された。

 もとの世界であれば女子高校生の年齢なのに、こんな隣国に乗り込んでダルマなおやじ国王相手に先陣を切って戦争などをしている少女である。自分の使役魔獣で荒んだ心が少しでも癒されるのなら、いくらでもお貸出ししますと申し出たのは木乃香だった。例の“花守り”たちから、立場上、孤独になりがちな彼女の話し相手になってやってほしいと懇願もされた。

 同じ魔法使いたちには「役立たず」と嘲笑か苦笑されることも多い彼女の使役魔獣を王女が気に入ってくれたのも、単純に嬉しかった。



 ため息とともにバドル・ジェッドの腕が伸びてくる。

 “花守り”随一の力持ちである偉丈夫は、ご苦労なことにまた木乃香をその頑丈な腕に抱える気でいるらしい。

 お互いに相当こっ恥ずかしいはずのその行為は、しかし一刻も早く目的地に着くためにはもっとも有効な手段のひとつではある。

 が、最初はともかく、いま胃を圧迫されるとまずい気がする。そう彼女が口を開こうとした、そのときだった。


 ぴぴい、と小さな鳴き声が聞こえた。


 はっとして空を見上げる。

 どこかの窓から飛び出してきたらしい黄色い翼に、彼女は嬉々として叫んだ。


「みっちゃん!」


 彼女の使役魔獣その三、“三郎”である。

 呼ばれた黄色い小鳥はぴぴぴ、と返事をしながらくるくるぱたぱたと彼女の頭上を旋廻し、少しずつ降りてきた。

 スズメよりも大きくハトよりも小さいくらいの、ふっくらと丸い身体。その両側に付く少しオレンジがかった黄色の艶やかな羽に、茶褐色とオレンジ色の長めの尾羽。木の実のような赤いくちばしと丸い目。

 小鳥は、しかしただ飛んでいるわけではない。

 羽を動かすたび、きらきらと火の粉に似た“何か”が木乃香の上にぱらぱらと降る。そして彼女の身体に落ちては淡雪のようにすっと消えていった。


 “三郎”は、火の属性を持つ使役魔獣だ。何もない場所で火をおこしたり元の炎の勢いを変えたりすることができる。

 そしてもうひとつおまけに、火の鳥というイメージそのまま、治癒能力が付いていた。

 さすがに死人を生き返らせる、あるいは重症患者を瞬時に治してしまうような本家の超絶能力はないが、例えば抜けた腰を治すくらいは朝飯前である。

 ふだん机仕事が主な木乃香は、残業の疲れや肩こりの治療をお願いしていた。これが下手な栄養剤やマッサージよりよく効くと、同僚たちにも好評なのだ。



「おおー」


 頭の上にぽすんと小鳥が着地するころには、生まれたての小鹿のようだった彼女の足腰は、見事に回復していた。いつもながら、実に便利だ。

 

「ありがとう、みっちゃん」


 木乃香の頭の上で「どういたしまして〜」とでも言いたげにぴぴぴっと小鳥が歌う。

 黄色い小鳥は、この場所が大のお気に入りである。放っておくと髪をくしゃくしゃにして遊び出すので、ふわふわの羽毛に覆われた身体をそっとつかんで肩へと乗せた。

 ぴぴい、と鳴く声はどことなく不服そうだ。それでも大人しくまるっとうずくまる姿は、遠目には大きなヒヨコのようにも見えた。


「――さて、お待たせしました。バドルさま、行きましょうか?」


 中途半端に手を差し出したままで中途半端に固まっていたバドルが、はっと我に返った。


「私、もう歩けますよ」

「あ……ああ」

「じろちゃん、さっきのあれ、どこか分かる?」


 黒い子犬が、上を向いてわんと吠える。

 どうやら、あれだけ嫌がっていた二郎も覚悟を決めたらしい。とてとてっと数歩前へ行くとまた吠えた。道案内をしてくれるらしい。


「……うん。やっぱり謁見の間だよねえ」


 そうだよ、と言いたげに「わおん」と黒犬。

 襲撃を考えるなら、まあおそらくそこだろう。

 やれやれ、とため息をつきながらも木乃香は使役魔獣たちの後ろをついて行く。


 そしてその後ろ。

 義務感で彼らに続きながらも、深い深いため息をついたのはバドル・ジェッドだった。


 話には、聞いていた。“治癒能力”を持つ使役魔獣。

 だがそんなもの、あの黄色い小鳥以外この世界のどこにも存在しない。

作ろうと思えば作れるのかもしれない。が、いまのところ少なくともサヴィアとフローライドでは確認されていない代物だった。

 彼女は「腰が抜けたのが治った程度でなにを大げさな」と眉をひそめるだろうが、そもそもその程度の治癒魔法を使える魔法使いだってかなり希少なのだ。

 魔法の才にまったく恵まれなかったバドル・ジェッドも、それくらいは知っている。


 だから彼は首をかしげるのだ。


 なぜミアゼ・オーカが“下級”魔法使いなのかと。






6/27文章を訂正いたしました。話の内容に変更はありません。

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