こんな異世界の王都には・4
「も、もしかして、副官のバドル・ジェッド……さま? 」
呆然とした呟きに振り返れば、子犬の可愛い鳴き声にうっとりとしていたはずの露店の女主人がぽかんと口を開けていた。
「は、“花守り”の……?」
売り物の揚げ菓子が三個は入るだろうか、見事な開けっぷりである。
そりゃあびっくりもするだろう。
下っ端も下っ端、雑用魔法使いなどと呼ばれている木乃香なぞに、サヴィア王国の将校様が丁寧な口を利いているのだ。
ただし彼は誰に対してもほとんどこんな堅苦しい言葉遣いをするのだが、そんなことまでカナッツ屋台のおばさんは知る由もない。
世界屈指の魔法使いと称された前フローライド国王を打ち倒したのは、やはり世界屈指、あるいは一部に世界最強とまでうたわれるサヴィア王国王女のナナリィゼである。
そして彼女の護衛を務める者たちが“花守り”と呼ばれている。
周囲が勝手にそう呼び出しただけであって、正式な名称ではない。そんな肩書も部署もない。
しかし例えばバドル・ジェッドの“サヴィア王国軍第四軍副長”という堅苦しい肩書きよりは、よほど市井に浸透している役職名でもあった。
ちなみに実力はもちろんのこと、見目麗しく将来有望な若者たちで構成されていることでも有名だ。
ここが、若いお嬢様方の重要ポイントである。
公務員の大幅な人員削減もあってやたら狭き門となったこともあり、フローライドの王宮勤めがかつてないほどの競争倍率に跳ね上がった原因ともなっているのだが、採用に関わる部署ではない木乃香はそんなことは全然知らない。
ただ、彼女も“花守り”という名前と、それが誰を指すのかは知っていた。もちろん、目の前の将校様がそれであることも。
たしかに騒がれるだけのことはある、軍人らしい立派な体躯と精悍な顔立ちをしているとは思う。
もっと離れた場所から他人事のように眺めていられたら、見惚れてもいいと思う。
そう。遠くから観賞するだけならば。
「あれだけ外出は控えて下さるようにと言ったはずですが?」
頭ふたつ分は余裕で高い鋼のような体躯の男に至近距離からじっとりと見下ろされれば、どれだけ言葉遣いが丁寧でも怖い。
居たたまれない木乃香はふい、と視線を逸らした。
なまじ顔の造作が誠実そうに整っているぶん、そして実際誠実なぶん、こちらが悪者のような気分にさせられてしまうので、この男は苦手だ。
「……ちょっと休憩に出ただけじゃないですか」
「ちょっとの休憩で、まさか城下に出るとは思いませんよ!」
「いや、えっと………」
ところが、ちょっとの休憩で城から少し離れた街にまで出てしまうのが、フローライドの下級及び中級役人の常識である。
移動は“転送結界”という非常に便利な魔法手段があり、城から町くらいなら一瞬でできてしまう。 なにかと気苦労と仕事量が無駄に多い職場なので、休憩くらいは現場を離れてちゃんと取ろうというのが同僚たちの間では暗黙の了解になっているのだ。
どうやら、サヴィア王国の魔法が使えない将校様はそれを知らなかったらしい。
当たり前すぎて、あえて彼に教える者もいなかったのだろう。フローライドでは、彼のように魔法の資質を持たない人間は城で働くことができないのだから。
木乃香も、あえてそれを口にすることはしなかった。“転送結界”の使用を禁止するとか言い出されては、非常に都合が悪いからだ。
「それで、何かご用でしたか」
聞きたくないが聞いてみた。
移動手段に関する追及をかわすためだったが、あまり聞きたくない事柄ではある。
そこでバドル卿の精悍な顔は深刻な、から鬼のような、という形容に変わった。
同じ角つきでも、木乃香の可愛い使役魔獣とは雲泥の差である。
「ご用も何も、馬鹿どもがまたうちのナナリィゼ様にちょっかいかけてきたんですよ! とにかく至急お戻りください!」
「………ああー」
木乃香は少し遠い目になる。またか。
「なな、きけん」の理由も、人前で滅多に表情を動かさない将校様のイラつきも納得できた。
それで、どうして木乃香をわざわざ呼びつけるのかは、理解できないのだが。
「このか」
呼ばれて視線を戻せば、赤髪の使役魔獣が不安げにこちらを見上げている。
どんぐり眼の上目づかいが、どうしようもなく可愛い。
ほんのりと赤いふくふくのほっぺたの誘惑に負けて、つんと軽くついてみる。
「大丈夫だよ、いっちゃん。ちゃんと帰るから」
されるがままの一郎は、彼女の言葉に安心したように「にぱっ」笑った。
つられて木乃香もへらっと笑う。それに少しだけ苦いものが混じるのは、仕方ない。
自分の使役魔獣にお願いされれば断れないことを、彼女の師匠は非常によくご存じであった。
それに、ほんとうに危険な場所であれば、けっきょくお人よしで面倒見の良い師匠が「帰れ」と言ってくるはずもない。
ない、と思いたい。
しかし足にまとわりつく黒犬の使役魔獣第二号は、「だめだめー」と言いたげに彼女の長い灰色マントの裾を咥えて引っ張ってくる。
小さいながら、必死である。
「じ、じろちゃん……」
物理的には痛くもかゆくもないのだが、心理的に非常にぐらつく抵抗であった。
おそらく魔法至上主義のこの国の“馬鹿ども”が魔法で何かやらかしているに違いない王城に、魔法探知機である黒犬は何かイヤなものを感じ取っているのだろう。
自分の使役魔獣ほども魔法を探知できない木乃香だが、気持ちはわかる。わかる上に、黒いつぶらな瞳で必死に見上げてくるその子犬を振り払えるかといえば、絶対に無理だ。
どうしたものかと考えていると、横から丸太のような腕が伸びてきた。
無表情のバドル・ジェッドが子犬を片手で拾い上げたのだ。ばたばたと四肢を動かして暴れる子犬をものともしない。
大柄の騎士と彼に摘み上げられる小動物に、周囲からは「あら」「まあ」と微笑ましげな歓声と生暖かい視線が向けられる。
だが、彼の行動はそれだけで終わらなかった。
「失礼」
短い謝罪の直後。
彼は黒犬を捕獲した屈んだ姿勢のまま、反対側の腕を木乃香に伸ばした。
彼女の両膝を、屈強な腕ががしっと拘束する。
「へっ?」
抗議の声も、悲鳴すら上げる暇がなかった。
それくらい軽々と滑らかに、それこそ小動物を扱っているかのようにひょいっと、気が付けば木乃香は彼の肩に担ぎ上げられていたのだ。
「わあ」
抱っこしたままの一郎から、驚くような、喜ぶような声が上がる。
ついでに周囲からは驚嘆の声やらどよめきやら、若干色のついた悲鳴のようなものが上がっていた。
片方に、子犬。
もう片方に、木乃香と木乃香が抱えたカナッツと子鬼。
左右でかなり重量差があり、とくに右はそれなりにけっこう重いはずなのだが、サヴィア王国軍の剣豪様の利き腕はものともしない。
「ちょっ……」
「この二郎が騒ぐということは、急がなければなりません」
魔法を使う才能には恵まれなかったが、いろいろな要因から木乃香の使役魔獣たちの傾向と対策はちゃんと把握しているバドル・ジェッドである。
問答無用でスタスタと歩き始めた彼の肩の上、木乃香は短く悲鳴を上げた。
いつもより目線がかなり高い。そして揺れる。
しかも現在彼女の身体を支えているのは、両膝に巻き付いた腕一本と肩だけなのだ。
一郎とカナッツで手がふさがっていて、相手にしがみつくこともできない。
品行方正で有名なサヴィア王国軍の軍服が板についた生真面目な偉丈夫は、極悪な人さらいには見えない。が。
「悪いようにはしませんから、大人しくしていて下さい」
丁寧な言葉遣いでも、言葉の内容は悪党のそれだった。
木乃香はいっそう顔をひきつらせる。さすがに落とされはしないだろうが、動きを封じるためにわざとぞんざいに扱われているような気はする。
つまり、どうあっても彼は木乃香を捕獲連行するつもりのようだ。
「こっ……こんなことしなくても、ちゃんと戻りますよ!」
「あなたを信用していないわけではありませんが」
淡々と返しながら、自らが乗ってきたらしい馬に木乃香をぺいっと乗せる。
「急ぐと言ったはずです」
ちなみにこの世界の“馬”は、姿形はまあ木乃香がもといた世界と大差はない。
ただしそれよりもふた回りは大きく、足に蹄が進化したような棘がびっしりとついていた。顔つきもなんとなく恐い。
木乃香はこれまで乗馬の経験がまるでなかった。こちらの世界ではもちろん、もとの世界でも。
バドル・ジェッドの肩よりもさらに目線が上がり、木乃香は思わず短く悲鳴を上げる。
すると、ぶるる、と馬が控えめに身体を震わせた。
「ひえっ」
「だいじょぶ、おとさないよ、って」
腕の中の一郎が、小さな手で馬の首をよしよしと撫でながら言う。
「あれ、いっちゃん馬の言葉わかるの?」
「うん」
「ひひん」
こっくりとうなずく使役魔獣第一号と、そうだよとでも言いたげな馬。
人だけでなく、唸り声や雄叫びくらいしか聞いたことがない他人の使役魔獣ともどうやら意志疎通ができるらしい一郎は、馬の言葉までわかるらしい。
「へえーすごいね」
「ふふ」
素直に感心する木乃香と、褒められてくすぐったそうに笑う使役魔獣。
そしてもう一体の子犬型使役魔獣も、彼女の懐に押し付けるように差し出された。
「なんで主のあなたが僕の能力を把握してないんですか」
呆れたようにバドルは言い、自身もひらりと騎乗する。
当たり前のように腰に回された屈強な腕に、木乃香は身体を強張らせた。
「急ぎます、つかまっていて下さい」
「ええっ手がふさがってますよ!」
「邪魔な僕を消せばいいでしょう」
「うちの子は簡単に消えない仕様なんです!」
生まれて初めて馬の背に乗せられて、きゃっきゃっとはしゃぐ一郎に、びくつく二郎。
そして固まる木乃香を見て、バドルははあ、とため息を落とした。
「では、その紙包みをこちらへ」
「う。いやでもこれは」
「……捨てたりしませんよ、いくらなんでも」
邪魔だの消すだの物騒なことを口にする相手から揚げ菓子の袋を守るべく背中を丸める彼女に、彼は少しだけ穏やかな口調で言った。
「カナッツでしょう、それ。ナナリィゼ様が食べたいとあなたにねだっていた。それを持ち帰らなければ、わたしが姫に叱られます」
「はあ」
「あの方の機嫌を損ねたら、後々が大変なのです」
「………そうですね」
庶民の味が珍しいのだろう。治安が安定したことでぽつぽつと再開しはじめた露店グルメの話をしたところ、見事に件のお姫様ははまってしまったのだった。
しかしこれはむしろ自分と自分の使役魔獣にと買った揚げ菓子だったのだが。それは言わないでおく。たくさんおまけしてもらえたことだし、皆で広げればいいだろう。
そういえば、この堅物“花守り”も甘いものは嫌いではなかったはずだ。
「菓子が崩れない程度に、加減しますから」
彼は有無を言わさず紙袋を彼女から取り上げて荷物袋に詰めると、馬の腹を蹴る。
「えっ…ちょ、ここ人が……っ」
居合わせた人々も心得たもので、行く手の邪魔にならないようにと脇へ避けていく。
心無い魔法使いたちによる気まぐれ無差別魔法攻撃に耐えて来た都の人々にしてみれば、馬の進行方向から素早く退くことぐらい朝飯前なのだ。
「はりきってる」
使役魔獣第一号が余計な言葉を嬉しそうに告げた。
こうなると、木乃香には考え事をしている暇などなかった。
慣れない振動と速さに、舌を噛まないようにしがみつくだけで精一杯だったのだ。
風変わりな魔法使いと話題のサヴィア王国の将校様が去ったあと。
「ほ、本物見ちゃった」
評判の大道芸がとっくに終わったというのに、広場はそれ以上の人だかりと興奮に包まれていた。主に、若い女性や子供たちのそれで。
「サヴィア王国“花守り”の騎士バドル様!」
「あのにこりともしないストイックさがいいのよね!」
「ああ、あの方から不器用に微笑まれてみたい……っ」
「イチローくんとジロくん見られただけでも幸せ癒されるーって思ったのに」
「同時に見られるって…今日はなんの日!?」
実は木乃香の小さな使役魔獣たちは、その愛くるしさとたまにしかお目にかかれない希少さで市井の皆様に非常に人気があった。親しみやすさでは、むしろ“花守り”より上だ。
とはいえ、魔法使いの“使役魔獣”の中には問答無用で無抵抗な人間にさえ襲いかかって来るような凶暴かつ見境のないモノもいるので、不用意に近寄って行く者はまれだ。
そのため遠目に愛でる人が大多数なのだが、主である木乃香はその視線に気付いてはいても「見かけたら今日はいい事あるかも」とラッキーアイテム扱いされていることまでは知らない。
「ねえ、“花守り”様とぷち使役魔獣の魔法使いさんって、知り合いなの?」
「同じ城にいるんでしょう? 知ってるんじゃないの?」
「でも城にメイドで入った友達だって、滅多にあの人たちには会えないって……」
しばらく呆然と彼らを見送っていたカナッツ露店の女主人は、野次馬の声にはっと我に返る。
そして声を張り上げ、商売を再開させた。
「さあさあ、救国の姫サヴィア王国のナナリィゼ姫と“花守り”の皆様もご賞味下さったフローライド名物、我らが“小さな使役魔獣”も大好きなカナッツはいかが!?」
密かな王都名物となっている癒し系使役魔獣とその主が現れたことに加え、“花守り”の将校様まで間近で拝むことができた周囲は、話のタネにとカナッツを買い求めていく。
女主人は、今すぐにでも家に帰って娘に自慢したい欲求と戦いながらも、本日の売り上げを概算しつつほくそ笑んだ。
もし木乃香がこの場に残っていたら、なんとも商魂たくましいと苦笑したことだろう。
しかし真っ当な商売人には非常に厳しかった前国王の時代、それを乗り切るにはわずかな商機も逃さない、その気概こそが重要なのだった。