お嬢様が殿下に断罪されるですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!
「お嬢様が、殿下に断罪される……?」
公爵家の洗濯場で、侍女マリベルの手がぴたりと止まった。
手元には、白いレースのハンカチ。
公爵令嬢エレノアが愛用している、雪のように清らかな一枚である。
それを丁寧に畳んでいたマリベルの耳に、庭師と下働きのひそひそ話が飛び込んできたのだ。
「え、ええ。王城から戻った馬丁が聞いたそうです。明日の王宮夜会で、アルベルト殿下がエレノアお嬢様を皆の前で断罪なさるとか」
「理由は?」
「男爵令嬢リリアーヌ様を虐げた、とか……」
ぱきん。
洗濯場に、何かが折れるような音が響いた。
下働きが恐る恐る視線を向ける。
マリベルの手元で、洗濯ばさみが粉になっていた。
「……マリベルさん?」
「お嬢様が」
マリベルはゆっくり顔を上げた。
笑っていた。
とても、きれいに。
「殿下に、断罪される?」
庭師が剪定ばさみを落とした。
下働きが洗濯籠を抱えて一歩下がった。
かつて騎士団を鉄扇一本で正座させた侍女が、この顔をしている。
屋敷に勤める者なら、誰でも分かる。
これは、戦である。
「お嬢様は?」
「本日は温室で読書を……」
「そうですか」
マリベルは静かに頷いた。
「では、お嬢様のお耳に入る前に、私が少々、確認してまいります」
「どちらへ?」
「王城でございます」
次の瞬間、マリベルは洗濯場を飛び出した。
「お嬢様が殿下に断罪されるですって!?」
廊下に絶叫が響く。
銀盆を持った下働きが壁際に避難した。
料理長が鍋蓋を盾のように構えた。
老執事は、紅茶を飲もうとしていた手を止め、静かに目を閉じた。
聞き覚えがありすぎる声である。
「ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」
マリベルは叫びながら、廊下を駆け抜けた。
老執事は沈黙した。
それから、そばに控えていた従僕へ告げる。
「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」
「止めなくてよろしいのですか?」
「止められると思うかね?」
「無理ですね」
「ならば、被害を最小限に抑えるのが我々の仕事だ」
従僕は深く頷いた。
「今回は王城ですから、前回より被害が大きくなりませんか?」
老執事は遠ざかっていく絶叫を聞きながら、重々しく答えた。
「……祈りなさい」
「何にですか?」
「城壁の強度に」
公爵家の使用人たちは、即座に動き出した。
***
その頃、王城では。
アルベルト王太子殿下が、執務室で震えていた。
「来る、だと?」
豪奢な執務机の向こうで、金髪の王太子は顔色を失っていた。
彼の前に膝をついている近衛兵は、深刻な表情で報告を続ける。
「はい。公爵家の侍女マリベルが、王城へ向かっております」
「侍女マリベル……」
アルベルトの喉が鳴った。
王都で、今もっとも恐れられている侍女の名である。
公爵令嬢エレノアを泣かせた騎士がいた。
その騎士は、騎士団詰所ごと正座させられた。
止めに入った騎士は柱に括られた。
なぜかズボンを押さえていた者もいた。
詳細は不明だが、とにかく侍女が勝った。
王都では今もなお、こう囁かれている。
――公爵令嬢エレノアを泣かせてはならない。
――泣かせたら、侍女が来る。
「なぜだ! なぜ侍女が来る!」
「殿下が、明日の夜会でエレノア様を断罪するとお決めになったからでは?」
側近のユリウスが冷静に言った。
眼鏡をかけた、いかにも有能そうな青年である。
アルベルトは机を叩いた。
「まだ決めただけだ! 実行していない!」
「実行前に止めに来るあたり、むしろ大変優秀な侍女かと」
「感心している場合か!」
「では、断罪を取りやめますか?」
「それはできん!」
アルベルトは立ち上がった。
「リリアーヌが泣いていたのだぞ! エレノア嬢に意地悪をされたと! 公爵令嬢だからといって、弱き令嬢を虐げるなど許されん!」
「証拠は?」
「涙だ!」
「それは証拠ではなく、ただの水分ですよ」
「うるさい!」
ユリウスは無表情のまま、書類を一枚めくった。
「ちなみに、エレノア様が実際に何をなさったのかは?」
「リリアーヌが言っていた。睨まれた、と」
「それだけですか?」
「昨日、廊下で挨拶を無視された、と」
「エレノア様は昨日、王城にいらしておりません」
「……そうなのか?」
「そうです」
沈黙。
アルベルトは目を逸らした。
「と、とにかくだ。ここまで来たら王太子の威厳がある。侍女一人に怯えて断罪を取りやめたなどと知られたら、私の立場がない」
「噂程度で公爵令嬢を断罪しようとしている時点で、すでに立場は危ういのでは?」
「うるさい! 早く始末しろ!」
「始末」
「足止めだ! 足止めと言ったのだ!」
「今、明確に始末とおっしゃいましたが」
「言葉のあやだ!」
アルベルトは近衛兵を指差した。
「兵を出せ! 王城に侍女を入れるな!」
「はっ!」
近衛兵は走って出ていった。
ユリウスはため息をつく。
「殿下」
「何だ!」
「相手はただの侍女です」
「そうだ。ただの侍女だ」
「ですので、ただの侍女に対して兵を出す王太子というのも、なかなか見栄えが悪いかと」
アルベルトは震えながら叫んだ。
「ただの侍女なら騎士団を正座させないだろうが!」
***
王城正門。
そこにはすでに、兵たちがずらりと並んでいた。
槍兵。
剣兵。
盾兵。
そして、城壁の上には弓兵。
相手は一人。
黒い侍女服に白いエプロンをつけた、小柄な女性である。
ただし、その右手には黒塗りの鉄扇が握られていた。
マリベルは王城の門前で足を止め、実に優雅に一礼した。
「公爵家侍女、マリベルと申します。アルベルト殿下にお取次ぎ願います」
門番隊長は槍を構えた。
「ここから先は通せん!」
「なぜでございますか?」
「命令だ!」
「殿下の?」
「そうだ!」
マリベルは微笑んだ。
「なるほど。つまり殿下は、私がお話を伺う前から、やましいところがおありなのですね」
「そういう話ではない!」
「では、どういう話でございますか?」
「ええい、構え!」
槍兵たちが一斉に槍を向ける。
マリベルは目を伏せた。
「王城の兵士様方が、侍女一人に槍を」
「うっ」
「か弱い侍女に」
「か弱い……?」
「お嬢様を断罪されると聞き、心を痛め、今にも倒れてしまいそうな、この私に」
兵たちは、マリベルの鉄扇を見た。
誰一人、今にも倒れそうだとは思わなかった。
隊長が叫ぶ。
「押し返せ!」
兵たちが踏み出す。
次の瞬間、黒い影が舞った。
鉄扇が開く。
ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。
乾いた音が連続した。
槍が飛んだ。
剣が飛んだ。
盾が回転しながら空を舞い、城壁にきれいに立てかけられた。
先頭の兵が膝裏を払われ、なぜか正座した。
二人目も正座した。
三人目も正座した。
四人目は逃げようとしたが、エプロンの紐で足を絡め取られ、やはり正座した。
「なぜ全員正座になるんだ!?」
「反省の姿勢でございます」
マリベルは涼しい顔で言った。
「次の方」
「次の方ではない!」
隊長は顔を青くした。
「弓兵! 放て!」
城壁の上で、弓兵たちが弦を引く。
無数の矢が空を覆った。
王城の訓練を積んだ弓兵たちの一斉射撃である。
普通の侍女なら、逃げる。
震える。
悲鳴を上げる。
だが、マリベルは顔色ひとつ変えなかった。
「まあ」
鉄扇を開く。
「埃が舞いますわ」
矢の雨が降る。
マリベルは一歩踏み出した。
鉄扇が、優雅に舞う。
右へ。
左へ。
上へ。
斜めへ。
矢は一本残らず弾かれた。
弾かれた矢はなぜか向きを変え、城壁の上の弓兵たちの足元に突き刺さる。
誰にも当たらない。
ただし、全員の靴紐だけが綺麗に切れていた。
「ひっ」
弓兵たちは一斉に座り込んだ。
「命までは取りません」
マリベルはにこりと微笑む。
「侍女ですので」
城壁の上の兵士たちは、全員、無言で正座した。
執務室で様子を見ていたアルベルトは、窓辺から飛び退いた。
「な、何だあれは!」
「侍女です」
ユリウスが答えた。
「ただの侍女です」
「ただの侍女が矢を全部弾くか!」
「私もそう思います」
「どうすれば戦闘不能にできるのだ!」
アルベルトは机に手をつき、荒く息を吐いた。
そのとき、何かを思い出したように顔を上げる。
「そ、そうだ! 異国から取り寄せたあれがあるだろう!? あれを使え!」
ユリウスの表情がわずかに曇った。
「殿下。あれはまだ試作段階です。大変危険ですが」
「いいからやれ! 命令だ!」
「相手は侍女です」
「侍女ではない! あれは侍女の形をした災害だ!」
「その災害を招いたのは殿下ですが」
「うるさい!」
アルベルトの命令は、すぐに兵たちへ伝えられた。
王城の奥から運び出されたのは、異国製の雷鳴銃。
長い銃身を持つ、まだこの国では珍しい武器である。
兵たちは青ざめながら、それを構えた。
正門前では、マリベルがちょうど正座した兵たちの列を整えていた。
「膝を揃えてくださいませ」
「は、はい」
「背筋が曲がっております」
「はい!」
「よろしい。王城の兵士様ですもの。正座も美しくあるべきです」
「何の指導だ、これは……」
隊長が涙目で呟いた。
そのとき、雷鳴銃を構えた兵たちが現れる。
マリベルは振り返った。
「まあ」
兵たちは震えていた。
引き金に指をかける。
「撃て!」
轟音。
煙。
火花。
弾丸がマリベルへ向かって走る。
だが、次の瞬間。
マリベルは、そこにいなかった。
「え」
兵が瞬きする。
マリベルは弾丸の間を縫うように進んでいた。
まるで雨の中、濡れない場所だけを選んで歩いているかのように。
鉄扇が弾丸を弾く。
ぱん。
ぱん。
ぱん。
弾かれた弾丸は壁に当たり、綺麗に跳ね返り、なぜか兵士たちの兜だけを落としていく。
兜が、からん、からん、と音を立てて地面に転がった。
兵たちは武器を構えたまま、硬直した。
「危ない道具でございますね」
いつの間にか目の前にいたマリベルが、微笑む。
「お子様の手の届かないところに保管してくださいませ」
「う、うわああああ!」
雷鳴銃部隊は、武器を置いて正座した。
自主的に。
「よろしい」
マリベルは満足そうに頷いた。
執務室で見ていたアルベルトは、椅子からずり落ちた。
「雷鳴銃が……効かない……」
「効いてはいましたよ。兜が落ちました」
「敵の兜を落とせ!」
「相手は侍女ですので、兜をかぶっておりません」
「なぜだ!」
「侍女だからでは?」
ユリウスは淡々と答えた。
アルベルトは頭を抱える。
「最後の手段だ」
「まさか」
「対魔獣用の爆裂玉を使え!」
「殿下。王城の正門前です」
「構わん!」
「構います」
「私が構わんと言っている!」
「後で修繕費の書類に署名していただきます」
「今はそれどころではない!」
ユリウスは無言で天井を仰いだ。
主君選びを間違えたかもしれない。
だが、今さらである。
命令は出されたのだ。
対魔獣用の爆裂玉が、城壁の上へ運ばれる。
兵たちは泣きそうな顔で、それを抱えた。
「本当に投げるのか……?」
「命令だ……」
「相手、侍女だぞ……」
「でも、あの侍女だぞ……」
全員が納得した。
爆裂玉が投げられる。
赤い光を帯びた球体が、マリベルの足元で跳ねた。
マリベルはそれを見下ろす。
「まあ」
爆発。
轟音が王城の空に響いた。
白煙が正門前を包み込む。
兵たちは耳を押さえ、目をつむった。
アルベルトは執務室の窓に飛びつく。
「やったか!?」
ユリウスが静かに言った。
「殿下」
「何だ!」
「今の台詞は、基本的にやっておりません」
煙が晴れる。
そこに、マリベルは立っていた。
無傷である。
侍女服に煤ひとつついていない。
むしろ、爆風でエプロンの皺が綺麗に伸びていた。
「まあ」
マリベルはエプロンを軽く撫でた。
「アイロンの手間が省けました」
兵たちは全員、武器を捨てた。
そして、正座した。
もう誰も命令を待たなかった。
その方が早いと悟ったからである。
「どうすれば戦闘不能にできるのだ……」
アルベルトは、机に突っ伏した。
王太子の威厳は、すでに机の下に落ちていた。
ユリウスは窓の外を見た。
正門前には、見事な正座の列ができている。
槍兵。
剣兵。
弓兵。
雷鳴銃部隊。
爆裂玉担当。
全員が背筋を伸ばして正座していた。
謎に統率が取れている。
「ある意味、王城史上もっとも整列していますね」
「黙れ」
「はい」
そのとき、執務室の扉が静かに叩かれた。
こん、こん。
控えめで、礼儀正しい音だった。
アルベルトは顔を上げる。
「誰だ」
扉の向こうから、穏やかな声がした。
「失礼いたします」
アルベルトの顔から血の気が引いた。
ユリウスが眼鏡を押し上げる。
「おや」
扉が開く。
そこには、黒い侍女服に白いエプロンの女性が立っていた。
右手には黒塗りの鉄扇。
髪は一筋も乱れていない。
表情は穏やか。
どこからどう見ても、ただの侍女である。
ただし、王城の兵を全員正座させてきた、ただの侍女である。
「公爵家侍女、マリベルでございます」
マリベルは完璧に一礼した。
「なっ……いつの間に!」
アルベルトは椅子から転げ落ちそうになった。
「城内の兵たちはどうした!」
「皆様、正座しております」
「城内もか!?」
「はい。大変素直でいらっしゃいました」
「素直にしたのはお前だろう!」
「恐れ入ります」
マリベルは丁寧に頭を下げた。
アルベルトは机の裏に半分隠れた。
「ち、近寄るな! 私は王太子だぞ!」
「存じております」
「ならば控えろ!」
「控えたいのは山々でございますが」
マリベルは一歩、前へ出た。
「お嬢様が断罪されると伺いましたので」
室内の温度が下がった。
ユリウスが、ほんのわずかに姿勢を正す。
アルベルトは唾を飲み込んだ。
「それは、その……」
「それでは殿下」
マリベルは鉄扇をゆっくり開いた。
黒い扇面には、金文字でこう書かれている。
『お嬢様第一』
「すべて吐いていただきましょうか」
「吐く!?」
「なぜお嬢様が断罪されるのか、根掘り葉掘り、毛根の一本に至るまで教えていただきます」
「毛根は関係ないだろう!」
「関係のないことまで調べるのが事実確認でございます」
「横暴だ!」
「噂だけで公爵令嬢を断罪しようとなさるよりは、控えめかと」
ユリウスが小さく頷いた。
「正論です」
「ユリウス!?」
アルベルトは裏切られたような顔で側近を見た。
ユリウスは表情を変えない。
「殿下。ここは正直にお話しされた方がよろしいかと」
「なぜだ!」
「王城の兵力が、すでに正座しております」
「……」
「次はおそらく、殿下です」
アルベルトは震えた。
マリベルは微笑んでいる。
とても、美しく。
「殿下」
「は、はい」
「リリアーヌ男爵令嬢が、お嬢様に虐げられたと訴えたのですね?」
「そ、そうだ」
「具体的には?」
「睨まれたと」
「お嬢様は目つきが涼やかでいらっしゃいます。見惚れたの間違いでは?」
「知らん!」
「他には?」
「挨拶を無視されたと」
「その日は?」
「昨日だ」
「昨日、お嬢様は公爵家の温室で一日中読書をされておりました」
「なぜ分かる!」
「私がお茶をお淹れしておりましたので」
「くっ」
「他には?」
「ドレスに紅茶をかけられたと」
「お嬢様は紅茶をかけるくらいなら、まず相手の品性に静かに失望なさいます」
「それはそれで怖いな!」
「褒め言葉として承ります」
マリベルは鉄扇を閉じた。
その音に、アルベルトがびくりと肩を揺らす。
「つまり、殿下は証拠も確認せず、相手の言葉だけを信じ、お嬢様を公衆の面前で断罪しようとなさった」
「……」
「王太子ともあろう御方が」
「……」
「涙を証拠と勘違いなさった」
「……」
「まあ」
マリベルは口元に手を添えた。
「赤子でございますか?」
「赤子!?」
「失礼いたしました。大変純粋でいらっしゃる」
「意味が同じだ!」
ユリウスが横から言った。
「いえ、赤子の方がまだ確認を取ります」
「ユリウス!?」
「失礼いたしました。言い過ぎました」
「そうだろう!」
「赤子に」
「私にではないのか!?」
マリベルはにっこり微笑んだ。
「殿下」
「な、何だ」
「正座を」
「嫌だ!」
「正座を」
「私は王太子だ!」
「正座を」
「……はい」
アルベルトは、机の前に正座した。
ユリウスはそれを見て、静かに書類へ何かを書き込んだ。
「何を書いている!」
「本日の記録です。王太子殿下、侍女に論破され正座、と」
「消せ!」
「公文書ではありません。個人的な覚書です」
「なお悪い!」
そのとき、廊下の向こうが少し騒がしくなった。
マリベルの耳がぴくりと動く。
続いて、扉の外から老執事の声がした。
「失礼いたします。公爵令嬢エレノア様がお見えです」
「お嬢様!?」
マリベルは、本日初めて動揺した。
扉が開く。
そこに立っていたのは、公爵令嬢エレノアだった。
淡い青のドレスをまとい、背筋を伸ばし、静かな表情をしている。
だが、その目には、わずかな不安があった。
マリベルは鉄扇を背後に隠した。
隠しきれていなかった。
「マリベル」
「はい、お嬢様」
「これは何?」
エレノアは室内を見た。
机の前で正座する王太子。
横で記録を取る側近。
鉄扇を背中に隠そうとしている侍女。
窓の外には、正座する兵たちの列。
「お話を伺っておりました」
「また?」
「はい」
「王城で?」
「はい」
「殿下を正座させて?」
「結果的に」
エレノアは片手で額を押さえた。
「帰ったらお説教です」
「はい」
「長いお説教です」
「はい」
「今回は王城なので、前回より長いです」
「はい」
「反省している?」
「お嬢様を守りに来たことについては、反省いたしかねます」
「マリベル」
「ですが、爆裂玉でエプロンの皺が伸びた点については、少々得をした気がしております」
「そこではありません」
エレノアは深く息を吐いた。
そして、正座しているアルベルトへ向き直る。
「アルベルト殿下」
「エ、エレノア嬢……」
「私がリリアーヌ様を虐げたというお話について、直接お伺いしてもよろしいでしょうか」
アルベルトは、先ほどまでの勢いを完全に失っていた。
正座したまま、視線を泳がせる。
「その……リリアーヌが泣いていて……」
「はい」
「君に睨まれたと」
「睨んだ覚えはありません」
「……はい」
「昨日、私が挨拶を無視したとも聞きましたが?」
「……はい」
「昨日、私は公爵家におりました」
「……はい」
「紅茶をかけられたとも?」
「……はい」
「私は、紅茶を粗末にする趣味はありません」
マリベルが深く頷いた。
「お嬢様は紅茶にも礼儀を尽くされる御方ですので」
「マリベル」
「失礼いたしました」
エレノアは静かにアルベルトを見た。
「殿下、私は自分が間違えたときは謝罪いたします。身分が上だからといって、誰かを傷つけてよいとは思っておりません」
「……」
「ですが、していないことを認めることはできません」
その声は大きくなかった。
けれど、執務室にまっすぐ響いた。
「もし私に罪があるとお考えなら、証拠をお示しください。証人をお呼びください。事実を確認してください」
アルベルトはうつむいた。
「……すまなかった」
小さな声だった。
だが、確かにそう言った。
エレノアは目を伏せる。
「謝罪は、私だけでなく、リリアーヌ様にもなさってください」
「リリアーヌに?」
「はい。彼女が嘘をついたのなら、その理由を確認すべきです。誰かに言わされた可能性もあります。泣いていたなら、なおさらです」
ユリウスが少しだけ目を見開いた。
マリベルも、胸の前で手を握る。
お嬢様。
なんとお優しい。
そして、なんと強い。
マリベルは今すぐ王城の床にひれ伏したくなった。
だが耐えた。
侍女なので。
アルベルトは苦い顔で頷いた。
「分かった。正式に調査する。君を断罪する話は取りやめる。公爵家にも謝罪する」
「ありがとうございます」
エレノアは丁寧に頭を下げた。
マリベルは鉄扇を握ったまま、にっこり微笑む。
「殿下」
「何だ」
「もし次に、証拠もなくお嬢様を断罪しようとなさった場合」
「場合?」
「次は、城ごと正座させます」
「城ごと!?」
「マリベル」
「冗談でございます、お嬢様」
エレノアは疑わしげにマリベルを見た。
マリベルは完璧な笑顔で返す。
侍女なので。
***
その日の夕方。
王城には、新たな通達が出された。
一つ。
噂のみを根拠に貴族令嬢を断罪してはならない。
一つ。
涙は証拠ではない。
一つ。
公爵令嬢エレノアに関する案件は、必ず事実確認を行うこと。
そして、誰が書き足したのか分からない、小さな一文が最後に添えられていた。
『なお、公爵家侍女マリベルを怒らせてはならない』
ユリウスはその通達を見て、しばらく考えた。
削除しようか。
いや。
残そう。
王国の安全保障上、必要な注意書きである。
***
一方、公爵家へ戻ったマリベルは、エレノアから宣告通り長い説教を受けていた。
「マリベル。王城で暴れてはいけません」
「はい」
「兵士の方々を正座させてもいけません」
「はい」
「殿下を正座させてもいけません」
「はい」
「爆裂玉をアイロン代わりにしてもいけません」
「はい」
「分かった?」
「はい、お嬢様」
「本当に?」
「お嬢様を断罪しようとする者が現れない限りは」
「マリベル」
「善処いたします」
「絶対しない顔ね」
エレノアは呆れたようにため息をついた。
けれど、その口元は少しだけ緩んでいた。
マリベルは胸の奥が温かくなる。
お嬢様が笑っている。
ならば、今日の戦も勝利である。
***
翌朝。
公爵家に、王城から正式な謝罪状が届いた。
差出人はアルベルト王太子殿下。
内容は、公爵令嬢エレノアへの謝罪と、事実確認不足への反省。
そして、別紙としてもう一枚。
王城兵士訓練計画。
講師欄には、こう書かれていた。
『公爵家侍女マリベル殿』
エレノアが紅茶を吹きそうになった。
「またあなたなの!?」
「光栄でございます」
「受けないでね!」
「ですが、お嬢様。王城の皆様は正座の姿勢に少々難がございました」
「そこを鍛えなくていいの!」
マリベルは真剣な顔で答えた。
「正座は心を映します」
「騎士にも兵士にも必要ないわ!」
「反省には必要でございます」
「何を教えるつもりなの?」
「礼儀作法と危機管理でございます」
「危機とは?」
「お嬢様を泣かせることです」
エレノアは額を押さえた。
老執事はそっと視線を逸らした。
公爵は静かに頷いた。
「必要な講義かもしれんな」
「お父様まで!?」
その日から王都では、また新しい噂が流れ始めた。
公爵令嬢エレノアを断罪しようとすると、侍女が来る。
弓も効かない。
雷鳴銃も効かない。
爆裂玉は、エプロンの皺を伸ばすだけ。
その名は、マリベル。
職業は、侍女。
ただの侍女である。
本人も、周囲も、そう言い張っている。
武器は忠誠心。
防具はエプロン。
必殺技は、完璧な礼儀作法。
そして今日も、公爵家のどこかで彼女の声が響く。
「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」
屋敷中の使用人が、一斉に手を止めた。
老執事は何も聞かず、ただ静かに頷く。
「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」
公爵家の者たちは、もう誰も理由を尋ねない。
お嬢様が呼ばれた。
ならば、戦である。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
お嬢様第一侍女マリベルのお話は、他にもあります。
気に入っていただけましたら、前作「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」もぜひ読んでみてくださいね。
また、次作の
「お嬢様が聖女様に濡れ衣を着せられたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」もよろしくお願いします!
今度の相手は聖女様。
舞台は大神殿です。
面白かった、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマーク・評価・いいね・感想などで応援していただけると嬉しいです。
星をいただけると、作者が飛んで喜びます!




