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お嬢様第一侍女マリベル短編集

お嬢様が殿下に断罪されるですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!

作者: 月宮 かすみ
掲載日:2026/06/27

「お嬢様が、殿下に断罪される……?」


 公爵家の洗濯場で、侍女マリベルの手がぴたりと止まった。


 手元には、白いレースのハンカチ。

 公爵令嬢エレノアが愛用している、雪のように清らかな一枚である。

 それを丁寧に畳んでいたマリベルの耳に、庭師と下働きのひそひそ話が飛び込んできたのだ。


「え、ええ。王城から戻った馬丁が聞いたそうです。明日の王宮夜会で、アルベルト殿下がエレノアお嬢様を皆の前で断罪なさるとか」


「理由は?」


「男爵令嬢リリアーヌ様を虐げた、とか……」


 ぱきん。


 洗濯場に、何かが折れるような音が響いた。


 下働きが恐る恐る視線を向ける。


 マリベルの手元で、洗濯ばさみが粉になっていた。


「……マリベルさん?」


「お嬢様が」


 マリベルはゆっくり顔を上げた。


 笑っていた。

 とても、きれいに。


「殿下に、断罪される?」


 庭師が剪定ばさみを落とした。

 下働きが洗濯籠を抱えて一歩下がった。


 かつて騎士団を鉄扇一本で正座させた侍女が、この顔をしている。


 屋敷に勤める者なら、誰でも分かる。

 これは、戦である。


「お嬢様は?」


「本日は温室で読書を……」


「そうですか」


 マリベルは静かに頷いた。


「では、お嬢様のお耳に入る前に、私が少々、確認してまいります」


「どちらへ?」


「王城でございます」


 次の瞬間、マリベルは洗濯場を飛び出した。


「お嬢様が殿下に断罪されるですって!?」


 廊下に絶叫が響く。


 銀盆を持った下働きが壁際に避難した。

 料理長が鍋蓋を盾のように構えた。

 老執事は、紅茶を飲もうとしていた手を止め、静かに目を閉じた。


 聞き覚えがありすぎる声である。


「ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」


 マリベルは叫びながら、廊下を駆け抜けた。


 老執事は沈黙した。

 それから、そばに控えていた従僕へ告げる。


「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」


「止めなくてよろしいのですか?」


「止められると思うかね?」


「無理ですね」


「ならば、被害を最小限に抑えるのが我々の仕事だ」


 従僕は深く頷いた。


「今回は王城ですから、前回より被害が大きくなりませんか?」


 老執事は遠ざかっていく絶叫を聞きながら、重々しく答えた。


「……祈りなさい」


「何にですか?」


「城壁の強度に」


 公爵家の使用人たちは、即座に動き出した。



 ***



 その頃、王城では。

 アルベルト王太子殿下が、執務室で震えていた。


「来る、だと?」


 豪奢な執務机の向こうで、金髪の王太子は顔色を失っていた。

 彼の前に膝をついている近衛兵は、深刻な表情で報告を続ける。


「はい。公爵家の侍女マリベルが、王城へ向かっております」


「侍女マリベル……」


 アルベルトの喉が鳴った。

 王都で、今もっとも恐れられている侍女の名である。


 公爵令嬢エレノアを泣かせた騎士がいた。

 その騎士は、騎士団詰所ごと正座させられた。

 止めに入った騎士は柱に括られた。

 なぜかズボンを押さえていた者もいた。

 詳細は不明だが、とにかく侍女が勝った。


 王都では今もなお、こう囁かれている。


 ――公爵令嬢エレノアを泣かせてはならない。

 ――泣かせたら、侍女が来る。


「なぜだ! なぜ侍女が来る!」


「殿下が、明日の夜会でエレノア様を断罪するとお決めになったからでは?」


 側近のユリウスが冷静に言った。

 眼鏡をかけた、いかにも有能そうな青年である。


 アルベルトは机を叩いた。


「まだ決めただけだ! 実行していない!」


「実行前に止めに来るあたり、むしろ大変優秀な侍女かと」


「感心している場合か!」


「では、断罪を取りやめますか?」


「それはできん!」


 アルベルトは立ち上がった。


「リリアーヌが泣いていたのだぞ! エレノア嬢に意地悪をされたと! 公爵令嬢だからといって、弱き令嬢を虐げるなど許されん!」


「証拠は?」


「涙だ!」


「それは証拠ではなく、ただの水分ですよ」


「うるさい!」


 ユリウスは無表情のまま、書類を一枚めくった。


「ちなみに、エレノア様が実際に何をなさったのかは?」


「リリアーヌが言っていた。睨まれた、と」


「それだけですか?」


「昨日、廊下で挨拶を無視された、と」


「エレノア様は昨日、王城にいらしておりません」


「……そうなのか?」


「そうです」


 沈黙。


 アルベルトは目を逸らした。


「と、とにかくだ。ここまで来たら王太子の威厳がある。侍女一人に怯えて断罪を取りやめたなどと知られたら、私の立場がない」


「噂程度で公爵令嬢を断罪しようとしている時点で、すでに立場は危ういのでは?」


「うるさい! 早く始末しろ!」


「始末」


「足止めだ! 足止めと言ったのだ!」


「今、明確に始末とおっしゃいましたが」


「言葉のあやだ!」


 アルベルトは近衛兵を指差した。


「兵を出せ! 王城に侍女を入れるな!」


「はっ!」


 近衛兵は走って出ていった。


 ユリウスはため息をつく。


「殿下」


「何だ!」


「相手はただの侍女です」


「そうだ。ただの侍女だ」


「ですので、ただの侍女に対して兵を出す王太子というのも、なかなか見栄えが悪いかと」


 アルベルトは震えながら叫んだ。


「ただの侍女なら騎士団を正座させないだろうが!」



 ***



 王城正門。

 そこにはすでに、兵たちがずらりと並んでいた。


 槍兵。

 剣兵。

 盾兵。

 そして、城壁の上には弓兵。


 相手は一人。

 黒い侍女服に白いエプロンをつけた、小柄な女性である。

 ただし、その右手には黒塗りの鉄扇が握られていた。


 マリベルは王城の門前で足を止め、実に優雅に一礼した。


「公爵家侍女、マリベルと申します。アルベルト殿下にお取次ぎ願います」


 門番隊長は槍を構えた。


「ここから先は通せん!」


「なぜでございますか?」


「命令だ!」


「殿下の?」


「そうだ!」


 マリベルは微笑んだ。


「なるほど。つまり殿下は、私がお話を伺う前から、やましいところがおありなのですね」


「そういう話ではない!」


「では、どういう話でございますか?」


「ええい、構え!」


 槍兵たちが一斉に槍を向ける。

 マリベルは目を伏せた。


「王城の兵士様方が、侍女一人に槍を」


「うっ」


「か弱い侍女に」


「か弱い……?」


「お嬢様を断罪されると聞き、心を痛め、今にも倒れてしまいそうな、この私に」


 兵たちは、マリベルの鉄扇を見た。

 誰一人、今にも倒れそうだとは思わなかった。


 隊長が叫ぶ。


「押し返せ!」


 兵たちが踏み出す。

 次の瞬間、黒い影が舞った。


 鉄扇が開く。


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。


 乾いた音が連続した。


 槍が飛んだ。

 剣が飛んだ。

 盾が回転しながら空を舞い、城壁にきれいに立てかけられた。


 先頭の兵が膝裏を払われ、なぜか正座した。


 二人目も正座した。


 三人目も正座した。


 四人目は逃げようとしたが、エプロンの紐で足を絡め取られ、やはり正座した。


「なぜ全員正座になるんだ!?」


「反省の姿勢でございます」


 マリベルは涼しい顔で言った。


「次の方」


「次の方ではない!」


 隊長は顔を青くした。


「弓兵! 放て!」


 城壁の上で、弓兵たちが弦を引く。


 無数の矢が空を覆った。

 王城の訓練を積んだ弓兵たちの一斉射撃である。


 普通の侍女なら、逃げる。

 震える。

 悲鳴を上げる。


 だが、マリベルは顔色ひとつ変えなかった。


「まあ」


 鉄扇を開く。


「埃が舞いますわ」


 矢の雨が降る。


 マリベルは一歩踏み出した。

 鉄扇が、優雅に舞う。


 右へ。

 左へ。

 上へ。

 斜めへ。


 矢は一本残らず弾かれた。

 弾かれた矢はなぜか向きを変え、城壁の上の弓兵たちの足元に突き刺さる。

 誰にも当たらない。


 ただし、全員の靴紐だけが綺麗に切れていた。


「ひっ」


 弓兵たちは一斉に座り込んだ。


「命までは取りません」


 マリベルはにこりと微笑む。


「侍女ですので」


 城壁の上の兵士たちは、全員、無言で正座した。


 執務室で様子を見ていたアルベルトは、窓辺から飛び退いた。


「な、何だあれは!」


「侍女です」


 ユリウスが答えた。


「ただの侍女です」


「ただの侍女が矢を全部弾くか!」


「私もそう思います」


「どうすれば戦闘不能にできるのだ!」


 アルベルトは机に手をつき、荒く息を吐いた。

 そのとき、何かを思い出したように顔を上げる。


「そ、そうだ! 異国から取り寄せたあれがあるだろう!? あれを使え!」


 ユリウスの表情がわずかに曇った。


「殿下。あれはまだ試作段階です。大変危険ですが」


「いいからやれ! 命令だ!」


「相手は侍女です」


「侍女ではない! あれは侍女の形をした災害だ!」


「その災害を招いたのは殿下ですが」


「うるさい!」


 アルベルトの命令は、すぐに兵たちへ伝えられた。


 王城の奥から運び出されたのは、異国製の雷鳴銃。

 長い銃身を持つ、まだこの国では珍しい武器である。


 兵たちは青ざめながら、それを構えた。

 正門前では、マリベルがちょうど正座した兵たちの列を整えていた。


「膝を揃えてくださいませ」


「は、はい」


「背筋が曲がっております」


「はい!」


「よろしい。王城の兵士様ですもの。正座も美しくあるべきです」


「何の指導だ、これは……」


 隊長が涙目で呟いた。

 そのとき、雷鳴銃を構えた兵たちが現れる。


 マリベルは振り返った。


「まあ」


 兵たちは震えていた。


 引き金に指をかける。


「撃て!」


 轟音。

 煙。

 火花。


 弾丸がマリベルへ向かって走る。


 だが、次の瞬間。


 マリベルは、そこにいなかった。


「え」


 兵が瞬きする。


 マリベルは弾丸の間を縫うように進んでいた。

 まるで雨の中、濡れない場所だけを選んで歩いているかのように。


 鉄扇が弾丸を弾く。


 ぱん。

 ぱん。

 ぱん。


 弾かれた弾丸は壁に当たり、綺麗に跳ね返り、なぜか兵士たちの兜だけを落としていく。


 兜が、からん、からん、と音を立てて地面に転がった。


 兵たちは武器を構えたまま、硬直した。


「危ない道具でございますね」


 いつの間にか目の前にいたマリベルが、微笑む。


「お子様の手の届かないところに保管してくださいませ」


「う、うわああああ!」


 雷鳴銃部隊は、武器を置いて正座した。


 自主的に。


「よろしい」


 マリベルは満足そうに頷いた。

 執務室で見ていたアルベルトは、椅子からずり落ちた。


「雷鳴銃が……効かない……」


「効いてはいましたよ。兜が落ちました」


「敵の兜を落とせ!」


「相手は侍女ですので、兜をかぶっておりません」


「なぜだ!」


「侍女だからでは?」


 ユリウスは淡々と答えた。

 アルベルトは頭を抱える。


「最後の手段だ」


「まさか」


「対魔獣用の爆裂玉を使え!」


「殿下。王城の正門前です」


「構わん!」


「構います」


「私が構わんと言っている!」


「後で修繕費の書類に署名していただきます」


「今はそれどころではない!」


 ユリウスは無言で天井を仰いだ。


 主君選びを間違えたかもしれない。


 だが、今さらである。

 命令は出されたのだ。


 対魔獣用の爆裂玉が、城壁の上へ運ばれる。

 兵たちは泣きそうな顔で、それを抱えた。


「本当に投げるのか……?」


「命令だ……」


「相手、侍女だぞ……」


「でも、あの侍女だぞ……」


 全員が納得した。


 爆裂玉が投げられる。

 赤い光を帯びた球体が、マリベルの足元で跳ねた。


 マリベルはそれを見下ろす。


「まあ」


 爆発。


 轟音が王城の空に響いた。

 白煙が正門前を包み込む。

 兵たちは耳を押さえ、目をつむった。


 アルベルトは執務室の窓に飛びつく。


「やったか!?」


 ユリウスが静かに言った。


「殿下」


「何だ!」


「今の台詞は、基本的にやっておりません」


 煙が晴れる。


 そこに、マリベルは立っていた。


 無傷である。

 侍女服に煤ひとつついていない。

 むしろ、爆風でエプロンの皺が綺麗に伸びていた。


「まあ」


 マリベルはエプロンを軽く撫でた。


「アイロンの手間が省けました」


 兵たちは全員、武器を捨てた。

 そして、正座した。


 もう誰も命令を待たなかった。

 その方が早いと悟ったからである。


「どうすれば戦闘不能にできるのだ……」


 アルベルトは、机に突っ伏した。

 王太子の威厳は、すでに机の下に落ちていた。


 ユリウスは窓の外を見た。

 正門前には、見事な正座の列ができている。


 槍兵。

 剣兵。

 弓兵。

 雷鳴銃部隊。

 爆裂玉担当。


 全員が背筋を伸ばして正座していた。

 謎に統率が取れている。


「ある意味、王城史上もっとも整列していますね」


「黙れ」


「はい」


 そのとき、執務室の扉が静かに叩かれた。


 こん、こん。


 控えめで、礼儀正しい音だった。


 アルベルトは顔を上げる。


「誰だ」


 扉の向こうから、穏やかな声がした。


「失礼いたします」


 アルベルトの顔から血の気が引いた。

 ユリウスが眼鏡を押し上げる。


「おや」


 扉が開く。


 そこには、黒い侍女服に白いエプロンの女性が立っていた。


 右手には黒塗りの鉄扇。

 髪は一筋も乱れていない。

 表情は穏やか。

 どこからどう見ても、ただの侍女である。


 ただし、王城の兵を全員正座させてきた、ただの侍女である。


「公爵家侍女、マリベルでございます」


 マリベルは完璧に一礼した。


「なっ……いつの間に!」


 アルベルトは椅子から転げ落ちそうになった。


「城内の兵たちはどうした!」


「皆様、正座しております」


「城内もか!?」


「はい。大変素直でいらっしゃいました」


「素直にしたのはお前だろう!」


「恐れ入ります」


 マリベルは丁寧に頭を下げた。

 アルベルトは机の裏に半分隠れた。


「ち、近寄るな! 私は王太子だぞ!」


「存じております」


「ならば控えろ!」


「控えたいのは山々でございますが」


 マリベルは一歩、前へ出た。


「お嬢様が断罪されると伺いましたので」


 室内の温度が下がった。


 ユリウスが、ほんのわずかに姿勢を正す。

 アルベルトは唾を飲み込んだ。


「それは、その……」


「それでは殿下」


 マリベルは鉄扇をゆっくり開いた。

 黒い扇面には、金文字でこう書かれている。


『お嬢様第一』


「すべて吐いていただきましょうか」


「吐く!?」


「なぜお嬢様が断罪されるのか、根掘り葉掘り、毛根の一本に至るまで教えていただきます」


「毛根は関係ないだろう!」


「関係のないことまで調べるのが事実確認でございます」


「横暴だ!」


「噂だけで公爵令嬢を断罪しようとなさるよりは、控えめかと」


 ユリウスが小さく頷いた。


「正論です」


「ユリウス!?」


 アルベルトは裏切られたような顔で側近を見た。

 ユリウスは表情を変えない。


「殿下。ここは正直にお話しされた方がよろしいかと」


「なぜだ!」


「王城の兵力が、すでに正座しております」


「……」


「次はおそらく、殿下です」


 アルベルトは震えた。


 マリベルは微笑んでいる。

 とても、美しく。


「殿下」


「は、はい」


「リリアーヌ男爵令嬢が、お嬢様に虐げられたと訴えたのですね?」


「そ、そうだ」


「具体的には?」


「睨まれたと」


「お嬢様は目つきが涼やかでいらっしゃいます。見惚れたの間違いでは?」


「知らん!」


「他には?」


「挨拶を無視されたと」


「その日は?」


「昨日だ」


「昨日、お嬢様は公爵家の温室で一日中読書をされておりました」


「なぜ分かる!」


「私がお茶をお淹れしておりましたので」


「くっ」


「他には?」


「ドレスに紅茶をかけられたと」


「お嬢様は紅茶をかけるくらいなら、まず相手の品性に静かに失望なさいます」


「それはそれで怖いな!」


「褒め言葉として承ります」


 マリベルは鉄扇を閉じた。

 その音に、アルベルトがびくりと肩を揺らす。


「つまり、殿下は証拠も確認せず、相手の言葉だけを信じ、お嬢様を公衆の面前で断罪しようとなさった」


「……」


「王太子ともあろう御方が」


「……」


「涙を証拠と勘違いなさった」


「……」


「まあ」


 マリベルは口元に手を添えた。


「赤子でございますか?」


「赤子!?」


「失礼いたしました。大変純粋でいらっしゃる」


「意味が同じだ!」


 ユリウスが横から言った。


「いえ、赤子の方がまだ確認を取ります」


「ユリウス!?」


「失礼いたしました。言い過ぎました」


「そうだろう!」


「赤子に」


「私にではないのか!?」


 マリベルはにっこり微笑んだ。


「殿下」


「な、何だ」


「正座を」


「嫌だ!」


「正座を」


「私は王太子だ!」


「正座を」


「……はい」


 アルベルトは、机の前に正座した。

 ユリウスはそれを見て、静かに書類へ何かを書き込んだ。


「何を書いている!」


「本日の記録です。王太子殿下、侍女に論破され正座、と」


「消せ!」


「公文書ではありません。個人的な覚書です」


「なお悪い!」


 そのとき、廊下の向こうが少し騒がしくなった。

 マリベルの耳がぴくりと動く。

 続いて、扉の外から老執事の声がした。


「失礼いたします。公爵令嬢エレノア様がお見えです」


「お嬢様!?」


 マリベルは、本日初めて動揺した。


 扉が開く。


 そこに立っていたのは、公爵令嬢エレノアだった。

 淡い青のドレスをまとい、背筋を伸ばし、静かな表情をしている。

 だが、その目には、わずかな不安があった。


 マリベルは鉄扇を背後に隠した。

 隠しきれていなかった。


「マリベル」


「はい、お嬢様」


「これは何?」


 エレノアは室内を見た。


 机の前で正座する王太子。

 横で記録を取る側近。

 鉄扇を背中に隠そうとしている侍女。

 窓の外には、正座する兵たちの列。


「お話を伺っておりました」


「また?」


「はい」


「王城で?」


「はい」


「殿下を正座させて?」


「結果的に」


 エレノアは片手で額を押さえた。


「帰ったらお説教です」


「はい」


「長いお説教です」


「はい」


「今回は王城なので、前回より長いです」


「はい」


「反省している?」


「お嬢様を守りに来たことについては、反省いたしかねます」


「マリベル」


「ですが、爆裂玉でエプロンの皺が伸びた点については、少々得をした気がしております」


「そこではありません」


 エレノアは深く息を吐いた。

 そして、正座しているアルベルトへ向き直る。


「アルベルト殿下」


「エ、エレノア嬢……」


「私がリリアーヌ様を虐げたというお話について、直接お伺いしてもよろしいでしょうか」


 アルベルトは、先ほどまでの勢いを完全に失っていた。

 正座したまま、視線を泳がせる。


「その……リリアーヌが泣いていて……」


「はい」


「君に睨まれたと」


「睨んだ覚えはありません」


「……はい」


「昨日、私が挨拶を無視したとも聞きましたが?」


「……はい」


「昨日、私は公爵家におりました」


「……はい」


「紅茶をかけられたとも?」


「……はい」


「私は、紅茶を粗末にする趣味はありません」


 マリベルが深く頷いた。


「お嬢様は紅茶にも礼儀を尽くされる御方ですので」


「マリベル」


「失礼いたしました」


 エレノアは静かにアルベルトを見た。


「殿下、私は自分が間違えたときは謝罪いたします。身分が上だからといって、誰かを傷つけてよいとは思っておりません」


「……」


「ですが、していないことを認めることはできません」


 その声は大きくなかった。

 けれど、執務室にまっすぐ響いた。


「もし私に罪があるとお考えなら、証拠をお示しください。証人をお呼びください。事実を確認してください」


 アルベルトはうつむいた。


「……すまなかった」


 小さな声だった。

 だが、確かにそう言った。

 エレノアは目を伏せる。


「謝罪は、私だけでなく、リリアーヌ様にもなさってください」


「リリアーヌに?」


「はい。彼女が嘘をついたのなら、その理由を確認すべきです。誰かに言わされた可能性もあります。泣いていたなら、なおさらです」


 ユリウスが少しだけ目を見開いた。

 マリベルも、胸の前で手を握る。


 お嬢様。

 なんとお優しい。

 そして、なんと強い。


 マリベルは今すぐ王城の床にひれ伏したくなった。


 だが耐えた。


 侍女なので。


 アルベルトは苦い顔で頷いた。


「分かった。正式に調査する。君を断罪する話は取りやめる。公爵家にも謝罪する」


「ありがとうございます」


 エレノアは丁寧に頭を下げた。


 マリベルは鉄扇を握ったまま、にっこり微笑む。


「殿下」


「何だ」


「もし次に、証拠もなくお嬢様を断罪しようとなさった場合」


「場合?」


「次は、城ごと正座させます」


「城ごと!?」


「マリベル」


「冗談でございます、お嬢様」


 エレノアは疑わしげにマリベルを見た。


 マリベルは完璧な笑顔で返す。


 侍女なので。



 ***



 その日の夕方。

 王城には、新たな通達が出された。


 一つ。

 噂のみを根拠に貴族令嬢を断罪してはならない。


 一つ。

 涙は証拠ではない。


 一つ。

 公爵令嬢エレノアに関する案件は、必ず事実確認を行うこと。


 そして、誰が書き足したのか分からない、小さな一文が最後に添えられていた。


『なお、公爵家侍女マリベルを怒らせてはならない』


 ユリウスはその通達を見て、しばらく考えた。


 削除しようか。


 いや。

 残そう。

 王国の安全保障上、必要な注意書きである。



 ***



 一方、公爵家へ戻ったマリベルは、エレノアから宣告通り長い説教を受けていた。


「マリベル。王城で暴れてはいけません」


「はい」


「兵士の方々を正座させてもいけません」


「はい」


「殿下を正座させてもいけません」


「はい」


「爆裂玉をアイロン代わりにしてもいけません」


「はい」


「分かった?」


「はい、お嬢様」


「本当に?」


「お嬢様を断罪しようとする者が現れない限りは」


「マリベル」


「善処いたします」


「絶対しない顔ね」


 エレノアは呆れたようにため息をついた。

 けれど、その口元は少しだけ緩んでいた。


 マリベルは胸の奥が温かくなる。


 お嬢様が笑っている。

 ならば、今日の戦も勝利である。



 ***



 翌朝。

 公爵家に、王城から正式な謝罪状が届いた。

 差出人はアルベルト王太子殿下。

 内容は、公爵令嬢エレノアへの謝罪と、事実確認不足への反省。


 そして、別紙としてもう一枚。


 王城兵士訓練計画。


 講師欄には、こう書かれていた。


『公爵家侍女マリベル殿』


 エレノアが紅茶を吹きそうになった。


「またあなたなの!?」


「光栄でございます」


「受けないでね!」


「ですが、お嬢様。王城の皆様は正座の姿勢に少々難がございました」


「そこを鍛えなくていいの!」


 マリベルは真剣な顔で答えた。


「正座は心を映します」


「騎士にも兵士にも必要ないわ!」


「反省には必要でございます」


「何を教えるつもりなの?」


「礼儀作法と危機管理でございます」


「危機とは?」


「お嬢様を泣かせることです」


 エレノアは額を押さえた。

 老執事はそっと視線を逸らした。

 公爵は静かに頷いた。


「必要な講義かもしれんな」


「お父様まで!?」


 その日から王都では、また新しい噂が流れ始めた。


 公爵令嬢エレノアを断罪しようとすると、侍女が来る。

 弓も効かない。

 雷鳴銃も効かない。

 爆裂玉は、エプロンの皺を伸ばすだけ。


 その名は、マリベル。


 職業は、侍女。

 ただの侍女である。

 本人も、周囲も、そう言い張っている。


 武器は忠誠心。

 防具はエプロン。

 必殺技は、完璧な礼儀作法。


 そして今日も、公爵家のどこかで彼女の声が響く。


「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」


 屋敷中の使用人が、一斉に手を止めた。

 老執事は何も聞かず、ただ静かに頷く。


「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」


 公爵家の者たちは、もう誰も理由を尋ねない。


 お嬢様が呼ばれた。


 ならば、戦である。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


お嬢様第一侍女マリベルのお話は、他にもあります。

気に入っていただけましたら、前作「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」もぜひ読んでみてくださいね。


また、次作の

「お嬢様が聖女様に濡れ衣を着せられたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」もよろしくお願いします!


今度の相手は聖女様。

舞台は大神殿です。


面白かった、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマーク・評価・いいね・感想などで応援していただけると嬉しいです。


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― 新着の感想 ―
こっちが第二段でしたか。遡りながら読んでいくとこういう弊害がありますね~。 侍女一人に対してこの行動。過剰防衛にも成らない?!これは、この国の兵の練度が低いせいなのか?お嬢様への愛が強いせいなのか?…
シリーズ全部正座で拝読させていただきました。 マリベルさんがずっと脳内でドラマ探偵が早すぎるの橋田(水野美紀さん)で再生されていて…とてもテンポが良く、お嬢様と侍女との関係性というか掛け合いがコミカル…
リリアーヌの男爵家はどうなるんだろうか? 王族への嘘、公爵家への侮辱 断罪は未遂に終わりましたから、莫大な賠償金を納める…かな? 男爵家の資産で払えるんだろうか?
感想一覧
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