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没落令嬢の雇われ悪女な日々 〜私に「俺をダメ男にしてくれ!」と言った公爵家御曹司様には破滅したい事情があるらしい?〜  作者: 藍野ナナカ
第1部

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41/53

40 牛肉100人分



「君、大丈夫か? 顔色が悪いよ。……もしかして腹を壊したのか?」

「ちょっと! そういうことを具体的に言うのはやめてください!」

「しかしテレンスくんが、君は油分の多い食べ物は苦手だと言っていたから……」

「テレンスも余計なことを! 腹痛でもそれ以外の体調不良でもありません!」

「違うならいいんだ。今は元気になったようだけど、ひどく顔色が悪かったから」


 御曹司の表情は真剣で、本当に心配してくれたのかなと気がついた。

 そういえば、御曹司は体が弱かったと言っていた。だから親身になってくれるのかもしれない。バカ御曹司は、時々とてもいい人に見える。

 …………じゃなくて!


「夜会用の首飾りがとんでもなく高価で、オディーランス公爵家の付け払いにしたと言うのは本当ですか!」


 噛みつくように御曹司に聞く。

 本当は胸ぐらを掴んで叫びたかったけれど、扉の向こうにはご婦人たちがいる。別室に向かったご婦人もいるだろうし、今この瞬間にも戻ってくるかもしれない。

 そう考えるだけの余裕はあった……わけではないけれど、周囲の状況に応じて声を潜めることはできる。

 リリアナが寝た後に、テレンスと喧嘩したこともあったし!


 とにかく、私は小声で、でも精一杯の気迫を込めて返答を迫った。

 なのにバカ御曹司はちょっと驚いた顔をしたものの、細く開いている扉に目を向けて納得したように頷いた。


「知られてしまったんだね。ちょっと場所を移そうか」


 ニコッと笑った御曹司は、私の手を握ってスタスタと歩き出す。

 確かに扉の前で言い争うのは美しい行為ではないし、ご婦人たちを口実に肝心なところで逃げられてしまうかもしれない。だから私は大人しく手を引かれるままに従った。

 お茶会があっている部屋の扉から離れ、見通しのいい廊下の一画でやっと足をとめた御曹司は、私が手を振り払う様を面白そうに見ていた。


「君、けっこう体幹がいいよね。体を鍛えている?」

「私は頭脳労働学生です!」


 そう言い返したけれど、馬車代を倹約して歩いたり、家を掃除をしたり、水汲みをしたり、その辺の貴族令嬢の運動分くらいは体を鍛えているかもしれない。

 一瞬そんなことを考えてしまって、すぐに我に返った。


「そんなことより、あの首飾り――青紫色の宝石がついた首飾りは、とても高かったんですね?」

「んー、そこそこ高かったかな?」

「やっぱりそうだったんだ……すぐにお返しします!」

「まあまあ、落ち着いてよ。それに高いと言っても、常識外れというわけではないから」

「公爵家の常識を持ち出さないでください! 公爵家の執事さんが慌てたんだから、とんでもなく高価なものだったのでしょう!?」

「そこまで高くないよ。俺のじいさんが歌姫に貢いだ宝石に比べればね」

「ひ、比較の対象が間違っている……! 牛肉何人分と例えることはできないでしょう?!」

「できるよ。そうだなぁ、ガロエ山地でのびのびと放牧された赤毛牛の肉の百人分よりちょっと高いくらいかな?」


 ……赤毛牛の肉は、それ自体は特別に高価な食材ではない。

 でも、私は元伯爵令嬢。十三歳まではそれなりの食通たちの中で育っていた。

 だから知っている。北部のガロエ山地でゆったりと育った牛は、食通たちが究極の赤身肉と称賛しているものだ。供給量も少ないから、近年は人気が上がって手に入りにくくなっているはず。

 それを百人分だなんて……いや、待って?

 また言葉に惑わされそうになったけれど、そもそもピッタリ同じとは言っていない。


「……ちょっと高い、というのは誤差は一割以下ですか?」

「んんー、一割よりは大きいかな?」

「五割未満ですか?」

「ははは。これ以上は何を言ってもダメな気がするよ!」


 バカ御曹司は、まぶしいくらいにきれいな笑顔だ。否定も肯定もしない。

 つまり、ちょっとの範囲ではないと白状したようなものだ!


「やっぱりお返しします」

「返品不可だよ、ヴィオラ嬢。いらないなら売っていいから」

「売りに行くのも怖いじゃないですか!」


 私は頭を抱えたかった。

 でもパフデール侯爵夫人がこちらに来るのが見えたから、歯を食いしばってグッと耐えた。

 ちょっと目つきが悪くなって、バカ御曹司を睨んでしまったのは見逃してほしい。


「お二人とも、こんなところで何をなさっているの?」

「何って、必死にヴィオラ嬢を口説いているところですよ。パフデール侯爵夫人」

「でもヴィオラさんは楽しくなさそうよ? 気が乗らない女性を無理に口説こうとしても、印象が悪くなるだけじゃないかしら。仕切り直しにお茶はいかが? 香りのいい茶葉も用意していますわよ。ヴィオラさんも、ね?」

「……はい」


 全然気乗りはしなかったが、侯爵夫人に直々に誘ってもらったからには、断れない。

 そんな私の腕に手をかけた侯爵夫人は、笑顔で部屋へと促す。

 憧れの大人の女性に腕組みしてもらって、抵抗できるわけがない。なんだかふわふわした気分になって、付け払いのことが頭から飛んでいく。

 私はいそいそと並んで歩いてしまった。

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