34 そういうことなら喜んで!
到着した市場では、すでにピーク時間を過ぎていた。
撤収したい農家の店主たちがちょうど投げ売りを始めたばかりのようだ。
頭にスカーフを巻いて、顔を見えにくくして買い物をしたから「庶民出身で、生活費を抑えようと頑張る女子学生」に見えたと思う。
生活費を抑えようと頑張っているのは、その通りではあるけれど。
買い物に熱中しすぎたようで、帰宅は少し遅くなってしまった。でも野菜はしっかりお得に買うことができたと思う。
試験対策プリントの反響もよかったし、明日あたり、どこかのお店でお菓子を買ってもいいかもしれない。有名店は無理でも、ちょっといいケーキを買ってみようかな。
きっとリリアナは喜んでくれる!
――と、楽しく計画を立てながら帰宅したのに。
「やあ、お帰り。いい買い物だったようだね」
出迎えてくれたリリアナと一緒にいたのは、公爵家の御曹司だった。
「……生徒会室で窓口業務をしていた人が、なぜ当然のように我が家にいるんでしょう?」
「担当時間が終わったからだよ。君の帰宅より早く訪問できるとは思わなかったけどね。人気の菓子店ロイゼノのフルーツケーキを持ってきたんだ。リリアナちゃんは君と一緒に食べると待っているから、早くおいでよ」
――ここは御曹司の家ではなく、私の家なんですけど。
ちょっと複雑な気持ちになったものの、リリアナが待っていたのなら急がなければいけない。
荷物を置いて台所へ行くと、リリアナが珍しくソワソワしながら座っていた。目はじっとお皿の上のフルーツケーキを見ている。
うん、これはかわいい。
「お待たせ。いただきましょうか」
「いただきます!」
リリアナはケーキを控えめに小さく切って、パクリと口に入れる。大きな目がさらに大きくなって、キラキラと輝いた。
「すごい……いっぱいフルーツが入っている! レモンの香りもする!」
「杏も入っているらしいよ。俺の分には胡桃がいっぱい入っているな。半分あげよう」
「ありがとう!」
もぐもぐと食べるリリアナが可愛すぎて、ケーキを食べる前なのに私もほんわかとした気分になってしまう。
「とっても美味しいよ! ヴィーお姉様も早く食べてみて!」
「そうね、いただこうかしら」
リリアナが期待するように見上げてくるから、私も一口食べた。
――ん、これは美味しい。
誇張なしにフルーツがゴロゴロと入っている。
「気に入ってくれたかな? ロイゼノはカフェも併設されていて、そっちでは季節のフルーツをそのまま使った限定ケーキがあるんだ」
「リリアナは気に入ったようです」
「んー、リリアナちゃんに喜んでもらえたのは嬉しいけど、君の感想が聞きたいなぁ」
御曹司が何か言っているが、私は気にせずにもう一口食べた。
さすが人気菓子店のロイゼノだ。伝統的なフルーツケーキなのに、具材の大きさは若手パティシエらしい大胆な試みの成果に違いない。
王立学園の女子学生たちの会話の中に頻繁に名前が出ているから、きっと美味しいのだろうなと思っていた。
これは期待以上だ。
満足しながらさらに食べようとして、ふとロイゼノに関しての話を思い出した。カフェは朝から行列ができるはずだし、このフルーツケーキも高価なはず。
……また面倒なことに巻き込まれるかもしれない!?
今さらながら警戒してしまう。御曹司は私の視線に籠るものに気がついたようで、ケーキ以上に甘ったるそうな柔らかな色合いの髪をかきあげながら笑った。
「これは試験が終わったお祝いだよ。そんなに警戒しなくてもいい」
「本当かなぁ……」
「さっきも言ったけど、君のおかげで家の中の雰囲気が『いい』から、そのお礼も兼ねているけどね」
リリアナに聞かせないように気を遣ってくれたのだろうけれど、わざわざ私の耳元に顔を寄せて囁かないでほしい。
ほら、リリアナは何か誤解をしたようで、目を輝かせているじゃない!
胡散臭い顔を押し除けてからケーキを食べていると、御曹司が何かをテーブルに置いた。
少しだけ目を動かすと、美しい封筒に美しい文字が書かれていた。こういう形式の封筒は一つしか考えられない。
「……オディーランス公爵様宛の招待状ですか?」
はるか昔になってしまった幼い頃の記憶の中で、こういう封筒はたくさん見た。ほとんどが父宛のものだったけれど、実際は母ロザリアが目的だったものが多かったと思う。お茶会やら夜会やら何かのサロンや、とにかくこういう美しい封筒が毎日届いていた。
御曹司は満足そうに頷いた。
「実はこれ、俺宛なんだ」
「へー、さすが公爵家の御曹司ですねー」
「全然心がこもっていないよね。君のそういう正直なところは好きだよ」
「どうでもいいですね」
「つれないなぁ。でも中身を知ると、君の目は変わると思う。これはパフデール侯爵夫人主催のお茶会の招待状なんだ」
ふーん、侯爵夫人様ですか。
きっときらびやかなお茶会なのだろうな。正直どうでもいい。
私に必要なものは、ドレスでも華やかなお茶会でもない。日用品と日々の食事で、リリアナとテレンスの将来のために役に立つものが何より一番大切だ。
つまり、私には全く関係が……あっ!
「……お茶会なんて行きませんからね。お茶会には興味がないし、着ていく服もないですから」
「先日のドレスがちょうどいいよ。パフデール侯爵家といえば、貴族の中でも群を抜いて美意識が高い。君たちはぜひ行くべきだ」
「……君たち?」
私が首を傾げると、御曹司はリリアナを見てちょっと眉を下げた。
「ごめんね、リリアナちゃん。君はお留守番なんだ」
そんなことは当然だと思うのに、なぜわざわざリリアナにそんなことを言うのだろう。
もう一度首を傾げた私に、御曹司はニコッと笑った。
「パフデール侯爵の屋敷には、極めて質の高い絵画コレクションがあるんだよ」
「そういえば、父がそんなことを言っていたような……絵画コレクション?」
私はハッと気が付いた。
そうだ。侯爵様のお屋敷には素晴らしい絵画が揃っている。母はそこまで興味を持たなかったけれど、父はいつも絶賛していた。
『そのうち、お前たちも連れて行ってあげよう』
そう語りながら笑っていた顔も思い出した。
父は、私とテレンスを連れて行きたいと言っていた。王国一と言われるコレクションだから。
「絵画は贅沢品だ。それゆえに鑑賞は貴族たちの嗜みであり、芸術を守ることは貴族としての義務でもある。君の父エルバンス伯爵も、芸術家たちを大切にしていたと聞いているよ」
「ええ、そうでした。貴族なら絵画の価値も知っておくべきだとよく言っていました。……つまり、テレンスには必要だわ!」
「そうだろう? だから素晴らしい絵画コレクションを見に、お茶会に行こう。もちろん、テレンス君も一緒にね」
「そう言うことなら喜んで!」
――その日の夜。
眠る直前の寝台の中で「あれ、これでいいんだっけ?」と我に返ってしまった。
またバカ御曹司の口車に乗せられただけのような……?
いや、きっと悪いことではない。テレンスのためだから。
気が付いたら「お茶会用に」と新しい首飾りと耳飾りを押し付けられていたけれど、パフデール侯爵邸を訪問するのだから仕方がない。
リリアナが「それもお姉様に似合いそう!」と喜んでくれたし。
これは経費と考えよう。
たとえそれが、夜会用の候補になっていた首飾りで、宝石が小さいのに「ミゼーラ産牛肉五十人分」とぴったり等しいらしくても、気にしたら負ける。
ドレスアップすると喜んでくれるリリアナと、これから成長するはずのテレンスのために頑張ろう!




