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ケイの決めたトレーニングメニューのおかげでここ数日の調子はいい。
だが、やはり万全にはほど遠い。無意識に来月の対抗戦をストレスに感じているのかもしれないと言われた。
そうなのだろうか。ケイが言うのならそうかもしれない。
しかし今のボクにはトレーニング制限の方がつらい。まだ昼過ぎなのに今日のメニューが終わってしまった。
相談したケイに勧められた自己啓発本は正直おもしろくない。自信にあふれたやつの経験談を読んだところで自分の惨めさを再確認させられただけだ。せっかく貸してくれた手前途中までは目を通したがそれきり読む気になれないままだ。
トレーニングルームから自室に向かう。憂鬱な気分のまま歩いていると声をかけられた。
「すみません!シラー選手ですよね。1週間前にお会いしたんですけど、ちょっとお話を聞かせてもらっても大丈夫ですか?」
誰だ?1週間前...記憶を辿ると高そうなスーツを着た男女を思い出した。あのときの人か。
「スポンサーの方だろうか?お世話になっている」
「ああ、いえ。僕はこういう者なのですが」
渡された名刺には警察局の文字があった。たしかなにか事件があったと聞いたがする。その調査だろうか。
「もしお時間あったら何点か質問してもいいですか?」
「かまわない」
予定もなかったため時間を潰せるのはありがたい。男ーーヒラギの言葉にうなずく。
「最近ビッグバン内で起きた失踪事件について調べているのですがなにか知っていることはありませんか?」
「すまない。あまり詳しくないんだ。どんな事件か聞いてもいいだろうか?」
「ビッグバン所属のテオドール選手とメリンダ選手が相次いで失踪した事件なんですがなにか知っていることはありませんか?最近様子がおかしかったとか」
そんなことがあったのか。何も知らなかった。そうか、テオドールの名前が対抗戦から消えていたのはこういうことだったのか。
「メリンダというやつはわからないがテオドールは知っている。だが特別仲がいいというわけではないんだ。話せることがなくてすまない」
「そうですか。それではチーム内で最近なにか気になることがあったとか噂を聞いたとかなんでもいいのですが気になることはありませんでしたか?」
「すまない。あまりチームメンバーと親しくないんだ。話せそうなことはなさそうだ」
ヒラギはすこしがっかりしたように見えた。せっかく声をかけてくれたのに申し訳ない。なにかないかと思い返すと1つ思い当たることがあった。
「噂程度なのだが、チーム内で新人いじめがあるらしい。それでチームを辞めたというやつがいると聞いたことがある。その失踪事件には関係ないかもしれないが、これくらいしか思い浮かばない」
「なるほど。そのやめた選手の名前などはわかりますか?」
「いや、名前まではわからないんだ。」
他にもいくつか聞かれたがボクが答えられるようなことはほとんどなかった。それでも熱心にメモをとっていて申し訳なくなった。
「ありがとうございました。助かりました。忙しいところお手数おかけしました」
「あまり答えられなくてすまない。それに忙しくはないから気にしないでくれ」
「シラー選手は来月の対抗戦に出場されますよね?やっぱり追い込みとかで忙しいんじゃないですか?」
「追い込みはしていないんだ」
「シラー選手ほどになると普段通りって感じですか?ああ、いえこういうときのセオリーとか全然わからないんですけど、テキトー言ってすみません」
トレーニング制限は今かなりのストレスだ。悪気はないのだろうがあまり触れてほしい話題ではない。
「すまない。もういいだろうか。そろそろ部屋に戻りたいのだが」
そう言うとヒラギは申し訳ないと頭を下げてきた。
罪悪感が湧いたがこういうときに余計なことを言えばさらに雰囲気を悪くすることは知っている。
一刻も早く部屋に戻ろうと背を向けたところに声をかけられた。
「忙しいところありがとうございました!なにか思い出したことあったら連絡してくれるとうれしいです!」
礼儀正しいやつだった。悪いことをしてしまった。
だが今は1人になりたかった。自室へと足を急いだ。
部屋に戻っても無性にいらだちがおさまらない。
空っぽな部屋だ。机の上の数枚の写真以外なにもない部屋。その写真もケイと一緒に撮った数枚を除けばボクだけが写ったものばかりだ。試合のハイライトや表彰式の写真なんかをケイはたびたびくれるが本当はこんなものいらない。
だがせっかくケイがくれたものだ。捨てられずなんとなく置きっぱなしだが今ばかりはやけに目につく。
なかでもとりわけ1枚。ボクのタイトル獲得の表彰式の写真。いらいらする。負けたくせになぜそんなにうれしそうにしていられる?
そのまま見ていられず思わず写真を握りつぶした。
息が苦しい。冷や汗が顔を伝うの感じた。目の前が暗い。揺れている、ちがう、ゆれていない、いきがすえない、ちからがはいらない、はきけがする
くるしい
くるしい、くるしい、くるしい、くるしい、くるしい
くるしい、くるしい
いきをすう
いきがすえる
めがみえる
気づいたときには膝をついていた。床には汗のしみが広がっている。
手を開くとぐしゃぐしゃになった写真。
写真を伸ばした。折り目のせいでもう見れたものではない。
引き出しにしまった。
ボクにはなにもない。試合しかない。勝たないと。でもトレーニングはできない。どうすればいい。
ケイに会いたい。迷惑がかかる。見捨てられたら終わりだ。ボクよりも優秀な選手などいくらでもいる。どうすればいい。
ケイと撮った写真が視界に入った。
勝てばいい。勝てばいいだけだ。ボクにはケイがいる。二度と負けない。
ここ数日は調子が回復してきた。ケイのトレーニングメニューのおかげだ。心配する必要はない。
気分転換のためにテレビをつけた。
ちょうど試合の中継がうつった。知らない選手同士の試合だった。見た限り異能者ではない。動きも甘い。
だが試合を楽しんでいるように見えた。観客の声援も大きく、盛り上がっているのが画面越しにでも伝わってきた。
ボクはいつからこうじゃなくなった?いつから試合が苦しくなった?いつから声援が聞こえなくなった?いつから負けることが怖くなった?いつから先が見えなくなった?いつから仲間がいなくなった?いつまで1人で戦わなければいけないんだ?
頭を振って思考を止めた。やはりトレーニングできないと嫌なことばかり考えてしまう。
困ったことがあったら相談しろとケイに言われているがこれ以上迷惑はかけられない。
だがケイ以外に話せる人などいない。
ふとポケットのなかにつっこんだままの名刺を思い出した。
いや、警察官に愚痴を話すわけがない。
自分で思っている以上に追い詰められているようだ。乾いた笑いが出た。
だがしかしヒラギの言っていた事件。少し調べてみてもいいかもしれない。やつもなにかあれば教えてくれと言っていた。どうせ時間を持て余しているのだ。なにかに没頭していれば余計なことを考えなくてすむ。
大きく息を吐く。
汗で張り付いたシャツの感触が気持ち悪い。
シャワーを浴びたい。
ここまで読んでくださってありがとうございました




