閑話小噺 -兄と妹-
本作品をお読みくださりありがとうございます。
本エピソードは本編の流れと直接関係がないため、とばしていただいたほうが混乱なく読めるかもしれません。
気づいたときには天井を仰いでいた。
遅れてやってくる背中の痛みに投げ飛ばされたのだとようやく理解する。
ある程度予想はしていたがまさかここまで実力差があるとは。あらゆる面で天賦の才をもつのはこれまで何度も見てきたことであったが、まさか11歳になったばかりの妹に手も足も出ないとは。
「さすがだね、ハハハ...」
相変わらず表情を変えずに差し伸べられた手を苦笑しながらとる。
僕が立ち上がったのを見ると彼女は手を離し背を向けた。汗の1滴もかかず、まるでなにごともなかったかのように訓練室を出て行く彼女に僕は声をかけられなかった。
わかっていたのだ。妹は特別だ。幼い頃から妹はなににおいても僕より優れていたし、それが当然であった。彼女はあまりにも当たり前に天才で、すべてをもっていた。もはや妬みなどする気する起こらないほどに
妹は母に似ている。
息子として愛してくれるが、母の笑った顔はあまり見たことがない。彼女にとって1番の優先事項は常に人類の利益であった。家族への愛はあるのだろうが、天秤にかけたとき人類全体のためなら家族すら切り捨てるのだろうと思わせるような人だ。
徹底した合理主義が根底にあるのだ、母も妹も。
すべては人類のため。
おぼえている限り物心ついてはじめに父に言われた言葉だった。
父のことを尊敬している。軍部に身を置き人類のために働く姿はずっと僕の憧れであった。
母のことを愛している。血のつながらない僕のことも実の息子の様に愛してくれる。
妹のことを誇りに思う。幼い頃から非凡な才を発揮し何人もの命を救っている。
僕も彼らの、ウル家の一員であることが密かな矜恃であった。
物心ついた頃には僕は周りと違った。特別なのだと言われた。
僕の身体には神跡神経というものが移植されているのだと、異能持ちの最高傑作なのだと。
期待されるのはうれしかった。期待に応えるために努力も惜しまなかった。
窮屈な実験室に何日も閉じ込められても、痛い検査も、ハードな身体訓練も。これが誰かの助けになるのならと、誰かの大切な人を救えるのならと思えば耐えられた。
家にはあまり帰れなかったが帰ったときには必ず家族で食卓を囲んだ。家族らしい団らんと呼べるものはたまのこの時間だけだったがそれでも充分に幸せであった。
いつも厳しい表情の父もどこか近寄りがたい母もこの時間だけは雰囲気がすこし和らいでいる気がした。今頑張っていることやできるようになったことを話すと2人とも自分のことのように喜んで聞いてくれた。父に頭をなでられたり母に抱きしめられたりしたのは僕の大事な思い出だ。
妹はまさに神童というものだった。彼女が生まれた時僕がこの子を守らないとなどと思ったものだが、彼女は幼い頃から庇護を必要としなかった。
生まれて間もなく言葉を発し、文字を理解した。僕がまだ多くの時間を研究室と訓練室で過ごしていた頃に彼女は新たな武器の機構を考案した。多くの学問的発見を続け齢1桁にして人類史に名を残す天才たちと並んだ。
妹は神跡への適合度が低く移植はできなかった。それでも神跡者たちと同等以上の身体能力をもち、できないことを探すほうが困難なほどに優れていた。
妹と比較されてもかまわなかった。親の七光りと言われてもかまわなかった。
優れた妹は僕の誇りでもあったし、人類のために奔走する父も母も僕の自慢の愛する家族だった。
彼らと同じになれなくても、僕は僕なりに人のためにできることをしたいと思っていた。
幼少期のほとんどを研究室と訓練室で過ごした。いつか戦場に出てこの戦いを終わらせるのだと。もう誰も理不尽に死ぬことのない世をつくるのだと。
随一の異能者として期待を背負い、15歳にして小隊の指揮権を得た。
...神徒からの防衛戦で生き残ったのは部隊の半分もいなかった。隊員たちはは幼少の頃から支え合い、励まし合って地獄のような訓練を共にした仲間だった。ある意味では本当の家族よりも酸いも甘いも分け合った仲間だった。
皆僕に背中を任せて戦場に出たのだ。僕のせいで皆は死んだ。僕が殺した。
身体能力に優れた神跡者たちがまるで虫けらのように死んでいった。強力な異能者たちも神徒たちの扱う異能に比べれば明らかに劣っていた。足下にも及ばなかった。
僕たちは見誤っていた。神徒の力を手に入れたと思い上がっていた。
神跡者の戦場への初投入で手に入ったのは惨敗という結果だけだった。
僕たちの部隊は解体された。指揮権も失った。
それでも僕にはそれ以上の処分はなかった。父と母の地位によるものだろうと考えるのはあまりにもたやすかった。
結局親の七光りだったじゃないか。なにも間違っていなかった。僕には過ぎた立ち位置だったのだ。
あれから家には帰れていない。父や母に失望されたことを確認するのが怖かった。特に母は昔から失敗に対して恐ろしく冷酷であった。僕と話すときも成功体験や記録の向上の話を聞くのを好んだ。弱音を吐いても嫌そうな反応こそしなかったが明らかに興味のないような態度だった。
だから、研究所の居住スペースに妹が訪ねてきたときは驚いた。彼女も母と同じように今の僕に積極的に関わってくることはないだろうと思っていたからだ。
開口一番手合わせをしたいと言ったのにはずいぶんと急だなとは思ったものの、彼女からなにかを頼まれることはけっして多くなく頼み事をされたという事実がうれしかった。
...その結果があれではおそらく彼女も僕に失望したことだろう。
今までひたすら訓練を積んできた僕を、ほとんど訓練したことのない彼女が容易に下したのだ。
それとも彼女からすれば皆等しく劣っているのだろうか。
...こんなこと思ってはいけない。皆自分にできることを精一杯頑張っているのだ。それは彼女もだ。彼女の才能だけを見て努力を見ないのは失礼だ。
僕は皆の役に立ちたかったのに、困っている人を助けられるようになりたかったのに...どれだけ後悔しても死んだ隊員たちは戻ってこない。僕たちが守れなかった民間人も生き返らない。
残ったのは愛する家族からの失望と、周囲の落胆だけだった。
宿舎のベッドに横たわって目を閉じても浮かんでくるのはあの戦場と皆の死に際の姿だ。下のベッドからはもうあの小さないびきが聞こえない。夜中にたたき起こされてなんだなんだと思えば一緒にカップ麺を食わないかなどとほざいたあの馬鹿者にはもう二度と会えないのだ。
彼は僕を離脱させるために囮になって死んだのだ。最も優れた異能者が僕だというふざけた理由で彼は死んだ。
...なにが俺が死んでもおまえの中で生きられるだよ.........
そんなのってないだろう...僕のためになんか死ぬなよ.....僕はおまえに生きててほしかったよ
今だけは自分の異能が憎くてたまらない。上層部はこの異能のためにもたいした罰を与えなかったのだろう。
有事の際には僕を逃がすために囮になるようにと命令があったのだと。むざむざと敗走したあとに聞いたことだ。他人の異能を使えるという”特別”な異能。こんなものせいで皆は死んだのか...こんなものに皆の命ほどの価値があるものか...
僕がいなければまだ生きられた奴らもいただろうに...
あいつらは死ぬ間際も僕に恨み言1つ言わなかった。それがつらいのだ...どうせなら恨んでくれた方が楽だった。おまえのせいだと罵ってくれたらよかったのに...
こんなことを思ってみんなの気持ちを汚す自分が嫌いだ。みんながつないでくれたこの命を捨てたいと思っている自分が嫌いだ。
おまえが死ぬべきだったんだ。みんなじゃない、おまえが死ねばよかったんだ............
まぶたの裏に彼らが浮かぶ。だれも僕を責めない。ただ彼らの死に様だけが思い浮かぶのだ。
耐えきれなくなり1人になった部屋から出ても変わらず人気は感じられない。ほとんど皆死んでしまった。運良く生き残ったものも別の部隊に行ったか、他の場所に行ったかだ。
研究員たちもこの時間はいない。
あらためて全て失ったのだと実感する。みんなの期待も大切な仲間も。
宿舎の裏にみんなの墓をつくった。
遺体は回収されなかった。できる状況でもなかった。
そもそも人類単位で死んでいるのだ。1人1人の墓をたてるほどの余裕があるわけもない。ましてや犬死にした失敗作たちの墓などだれがつくるというのだろうか。
素手で土を盛っただけの小さな墓だ。命をかけた戦士たちの墓にしてはあまりにも粗末だ。
それでも彼らの生きた証を残したかったのだ。自己満足かもしれない。けれど彼らのためにできることをしたかったのだ。
この場所は思い出が詰まった大事な場所だ。あるとき同部屋の馬鹿者が全員を起こしてまわったのだ。みんなが眠い目をこすりながら文句を言っているとあろうことか、今からバーベキューをするのだと!連日の訓練で疲れていたが、あのときはみんな彼の空気にあてられて変になっていたのだろう。文句を言いながらも食材を持ち合い夜通し語り合ったものだ。みんなでわいわいやったことなどあれが最初で最後だった。
次の日の訓練は散々だったがあれも今となってはいい思い出だ...
目頭があつくなり涙が頬をつたったのがわかった。もう永遠に戻らないのだ、あのころは。
「ごめん...みんな、ごめんっ....!ぼくのせいでっ...!」
どれだけ叫んでも戻ってこないのだ。遺体すら入っていない盛り土にすがることほど滑稽なものはない。それでもこの悲しみは身にとどめておくには大きすぎた。
僕の心の内を表すようにポツポツと雨が降り始めても、その場所を動けなかった。
どうせどこにも居場所などないのだ。もう消えてなくなってしまいたい
...ざっざっと土を踏む音がきこえた。
まだ残っていた研究員でもいたのだろうか。人類の希望になると期待してくれた彼らにこんな情けない姿を見せるのは申し訳なく思うが、それも今更だろう...これ以上失う期待などありはしないのだ。
......足音は徐々に近づきやがて僕の隣で止まった。それと同時に雨に打たれる感覚もなくなった。親切なだれかが傘を分けてくれたのだろうか...顔をあげると予想もしていない人だった..
「風邪をひいてしまうわ、兄さん」
なんでここにいるのか、さきほど帰ったのではなかったのか、疑問はいくつもあるがとっさに言葉が出ずに彼女を見上げていると、彼女は相変わらずのなにを考えているかわからない無表情だった。
「あの作戦の失敗は兄さんだけのせいではないわ。人類が神徒を甘く見ていた、それがすべてよ」
彼女は表情を変えずに淡々と言った。
「部下に慕われていたのね。あれほどどうしようもないセカンドプランを文句も言わず実行するだなんて」
「......彼らは部下じゃないよ..友達だ...」
ようやく出た言葉はいささか本題からずれたようなものだった。
「そう...」
そう言ったきり黙ってしまった。
「...どうしてここに?」
沈黙に耐えきれず口を開いた。彼女はしばらく言葉を選んでいるようだったが、ほどなくして言った。
「......兄さんが落ち込んでいたから励ましたかったのだけど、励まし方がわからないわ...」
相変わらず表情の動きは少ないが、よく見れば若干眉が下がっている。
彼女のこのような表情はみたことがなく思わず見入ってしまった。
「...そんなに見られると困るわ」
「ごめん..」
思い返せば彼女とまともに会話をしたことはほとんどなかった。
彼女の外側だけを見て彼女は自分などとは違うやつだと勝手に決めてしまっていた。彼女のことを知ろうとすらしていなかった。愛する家族だなどと耳障りのいい言葉だけ並べて、自分が傷つかないように彼女との間に線を引いていたのだ。自分がずいぶんと卑怯でしょうもないやつに思えた。
「私は兄さんが好きよ。だれにでも優しい兄さんが好きよ。コスト度外視の努力ができるところも....私は人と仲良くすることがわからないから...」
今まで自分に興味などないのだろうと思っていた妹から直球で好意を伝えられると驚いてしまうのも致し方ないだろう。
僕がなにも言わないのを見て彼女はやや考え込むような様子であったが、ゆっくりと話しだした。
「...兄さんが自分を責める気持ちも理解できるわ。けど生き残ったなら止まるわけにはいかない..兄さんはお友達から託されたのでしょう?...期待を裏切ってしまうのが怖いなら、周りなんてみなくていいの。兄さんがやりたいことはなに?」
「僕は......わからないよ、怖いんだ...僕のせいでだれかが死ぬのが、大切な人が死ぬのが怖い..」
「...私は世界を変えたいの。人類のための地上奪還。私にはそれができるし、それが私の役割だと思っているわ。」
たしかに彼女ならばできるかもしれない。彼女ができるといえばなんとなくほんとうにできそうな気がしてくるから不思議だ。
「神跡者たちの部隊。申し訳ないけれどあれは部隊としては3流以下よ。個々の能力がいくら優れていても連携という点において全く考慮されていなかった。あれだけの雑兵たちに個々の判断を任せすぎていたわ。部隊としてなんとか体裁を保てていたのは兄さんがいたからよ。兄さんの人望と適材適所の指示、それがなければあのプロジェクトそのものが空中分解していたはずよ」
「..買いかぶりすぎだよ」
さすがにここまであからさまに持ち上げられると気まずさが勝つ。
「私はあのプロジェクトには反対だったわ。軍部には根拠を示した抗議文を送った。けれど間抜けな上層部は表面上しか見ずにかたくなに進めたわ。兄さんも後学のために読んでおくといいわ」
とにかく、と彼女は続けた。
「兄さんの優しさで救われる人がいるということよ。周囲に目を向けるのが怖いなら今はそれでもいいの。兄さん自身が自分に期待することはなにか考えてほしいの。今すぐは思い浮かばなくてももし夢をみつけたら大切にしてほしいの」
...僕が彼女から目を背けていた間も彼女は僕を見てくれていたようだ。やっぱりまだ、どうしたらいいのかわからないけど、もう少しだけ僕にできることがあるかもしれない。
表情をあまり動かさないながらも、幾分かの熱を感じさせる話しぶりの彼女のおかげでなんとなくそう思えた。
雨脚はすでに弱い。もうしばらくの間にも雲の隙間から星が見えるかもしれない。
「...そういえば手合わせはどんな目的があったのか聞いてもいい?」
「落ち込んだときには体を動かすといいのよ」
ここまで読んでくださってありがとうございました




