獣森戦争 十三
走馬灯、というのに近いのだろうか。
吹き飛んでいく体とは裏腹に、風景が減速していく。少しずつ、しかし明らかに俺を取り囲む世界が遅くなっていく。
最後には、俺の体は空中で静止していた。
(は?)
俺はこの現象を自分が引き起こしたものだと考えていた。
死に近い感覚が訪れることで思考が加速するというのは体験したことのあることだったし、それ自体驚きはなかった。
でも、これは違う。
いくら何でも止まるのは変だ。
(何が起きてる?)
視線を泳がせる。
右の方では輝來がこちらに向かって何かしらを叫んでいるのが見えて、それをカリアさんが抑えている。
それ自体は良い。
左には、誰かが居た。
見たことのないはずの、けれどどこかで逢ったことのあるような、友人ですらあったかのような、不思議な感覚がする姿だった。
銀と空色の混ざった美麗な髪が腰の辺りまで伸びており、晴天のような双眸がこちらを見据えている。人形のように整った顔は、無表情のまま固定されていた。
まるで、スタラ・シルリリアというキャラクターがそのまま成長したような相貌である。それは、ゆっくりと口を開いた。
「負けるのですか?」
挑発にも聞こえる言葉に、少し心が乱れた。
ここまで準備して、無様に一つのミスで死んでいく自分を俯瞰して、自らでも腹が立った。
でも、彼女の顔を直ぐに違うと理解できた。これは、確認だ。
(そうかもな)
「本当?貴女はまだ死なないんでしょう?」
(それでもだよ)
確かに、この茨が俺に致死量のダメージを与えるものであったとしても、俺は死なない。
『夜空の破片』のおかげで、一度だけHP1の状態で生き残ることができる。
(今の俺じゃ、きっと扱いきれない)
「……」
俺には……スタラ・シルリリアには、窮地に陥ることで発動するスキルが三つある。「窮地逆巻」、「武士道」、そして、「翼亡き鳥」だ。
前二つは良いとしても、最後のスキルが余りにもじゃじゃ馬すぎる。
発動すれば回復は一定時間不可能になる上、与えられるバフは強大すぎる。一歩が、一振りが自分の体を壊しかねない。
(手を抜ける相手でもない。だから、きっともう終わりだ)
「本当に、そうなの?」
(え?)
ゆらり、と彼女が迫ってくる。
伸びた手は、真っすぐに俺のアクセサリーへと伸びる。
「ここに、全部は残ってる」
彼女の言葉には、郷愁のような、感慨のような心が込められていた。
「この世界での生き方も、空へと飛ぶその方法も、ここに残った思い出も、全部、全部」
夜空の破片が、光りだす。
星空を包み込んで、それでも抑えきれなかった光を灯としてここに残すような。そんなかすかな光が、彼女が触れたことで発生する。
「それだけじゃない。貴女は知っている筈、どれだけ辛い道のりでも、飛んでいける方法を」
(……知らないよ)
「いいえ。だって、貴女はここに戻ってきた。過去の傷跡がえぐれて、友人を見放しても、まだあこがれは消えなかった」
(……)
黒色の空が見える。
その向こうに、はるか遠くに、親父の姿が見えたような気がした。
そうだったな。
俺は、あんなことがあっても諦められない位馬鹿だった。
「行ってらっしゃい。スタラ」
(ああ。わかってる)
彼女は誰なのか、という疑問は飲み込んだ。それはさほど重要じゃなくて、気にする事でもないと思ったからだ。
このゲームのシステムに刻まれた何かしらで在っても、幻想であっても、もう関係はない。
俺の過去を知って、認めてくれる誰かが居た。
それだけで、肩の荷が下りたような気がする。もう、俺を縛り付ける者はきっとない。
「行くぞ」
◇
世界が、等速へと戻っていく。
体の中を渦巻く力を確かめるように、全身に行きわたらせるように軽くストレッチをする。調子は良好、メンタル面も、今は少し落ち着いている。
なら、あとはテンションが着いてくればいい。
「かかって来いよ、花小僧。お前の全部を」
封印されてから数百年、数千年抱き続けてきたであろう憎悪を。
寝起きでも消し去れないような破壊衝動を。
そして、ボスとして、ゲームのキャラとしての存在を。
焦ったかのように花小僧は右も、左もこちらに向けて攻撃を放つ。地面を蔦が這いずり、空中を茨が制す。
今までならば即死しかねないコンボだ。
でも、あんまりにも、遅い。
「叩き斬る」
轟音と土煙だけをその場に残して、体が消える。
千里を一歩で消す力は、外付けの加速器官を受けて最早その程度では収まり切らなくなった。万里でも、幾らでも突き進む。
「独雷」
金色の雷が相手を穿つ。
僅かに花小僧の体躯が後ろに下がり、反撃の為に両手を突き出す花小僧に、後手から動き出し、先手で技を放つ。
「共雹」
剣先がブレ、輪郭が溶けて消えていく。そして消えた剣先は、雹となって空に浮かび上がる。
エルフのクエストを受注したことによって手に入れたこのスキルは、独雷と同じようにMPを消費して発動するが、その性質は全くの真逆だ。
一点に高威力の攻撃を一度叩き込む独雷に対して、共雹は小さな攻撃を広範囲に、何十回も打ち付ける。
緑色の雹が、次々に花小僧の体を打ち付けていく。技を打とうとした花小僧は次々にダメージを受けて怯む。その隙を狙い、次は刀を鞘に納める。
正直、この状態になったところで俺が花小僧にダメージを与えられる攻撃は少ない。
独雷は属性的に相性が悪いし、共雹に関してはダメージを出すようなスキルじゃない。普通の物理攻撃は言わずもがなだ。
しかし、これだけは、この攻撃だけは。
「朱月」
技名を言い放つが、刀の先から三日月が顔を表すことはない。
それはそうだ。だって、俺に消費できるHPはない。血液が無ければ、血の斬撃は現れない。
だが、システム上は俺は朱月を発動した。なら、二つ目の三日月は、再び輝く月光は、今だ此処に。
手の中に!
もう一度刀を鞘に納め、抜き放つ。
青白い光が、残光となって放たれる。俺の魔力も、ついでにお前の魔力もくれてやる。
「紅・月光!」
残ったMPだけでなく、『夜空の破片』に戦闘前に掠め取った魔力も全て籠める。出し惜しみはしない。
これで、削り取る。
俺の身の丈の数倍にまで膨れ上がった月光の斬撃が、空気を飲み込みながら花小僧に迫る。
防御しようと現れた幾つもの樹木は、遠くから放たれた血液の武具たちによって切り裂かれていく。
「やらせんぞ?子犬!」
「カリアさん!」
最早、防ぐ方法はない。
花小僧の体に触れ、月光はさらに輝きを増す。
喰らいつくすように体積を増やし、飲み込むように前へ前へと進んでいく。
地面すらえぐり取ったことで上がった土煙によって、花小僧の姿は見えなくなった。
「勝……った?」
「……いいや、残念じゃが」
風が吹き、土煙が晴れていく。
その向こうでふらふらと、けれど確かに花小僧は二つの脚で立っていた。
「まじ、か」
「けれど、残り火のようなものじゃ。スタラの全力を叩き込めば、あと一発と言った所じゃろう」
「全、力」
手元に視線を落とすと、そこには変わらないまま花のまとわりついている刀があった。これじゃ、全力も何もない。
なら、輝來に任せるしか……
「そうはいかんようじゃぞ。スタラ」
「え?」
視線を輝來に向けようとしたのに感づいたのか、俺の行動をカリアさんが言葉で遮る。あとついでに蝙蝠を旋回させてヘイトを引き付けている。
利便性の権化か?
「魔法じゃ、あいつの壁を突破するのは難しい。それに……」
「それに?」
「そんな決め方をしても、輝來は納得せんじゃろうな」
「……じゃあ、駄目だ」
輝來が納得できるように、笑ってこのゲームを続けられるように俺はここに居るのだ。
その輝來が満足できないのなら、別の方法を考えるしかない。
「っていってもどうすれば」
「それは、輝來に任せよう」
「【精霊たちよ、わが声に従え】」
一番星の唄が響く。




