獣森戦争 二
走っている内に、場所はいつしかセカンテイルへと移り変わっている。
朗らかで、大らかな雰囲気が流れているその街は、今だけは血と鉄が混ざる混沌とした戦場になろうとしていた。
迫る土煙が、音量を増していく足音が、絶望の気配と共に迫ってくる。
目の前に現れたのはエルフの軍勢であった。
俺の両手はきゅうべさんによって塞がれていて、パーティのメンバーも俺を囮にして先に進んでもらうために別で動いてもらっている。
そのため、この状況は俺一人で……正確にはきゅうべさんと二人で乗り越えなければならない。
でも、不思議と緊張も、不安も無かった。
自然と顔は笑みの表情へと移り変わっている。
「余裕」
足を揃え、ぐっと姿勢を屈める。
それと同時に、足に光が纏わりついた。
「兎跳」
俺に迫る軍勢も、俺を絡めとらんとする重力も全て置きさって。
地面が、はじけ飛んだ。
「派手に飛ぶね」
「まぁ、ねっ!」
数メートル跳んだあと、建物の屋根に着地する。
「ここからの計画は?」
「無いし、要らないかな」
「豪快だね」
傲慢に言い放ったように聞こえるかもしれないが、これは事実で、どちらかと言えば謙遜だ。
本当に何も考えずとも、俺がここを通り抜けるのに苦労する事態は考えられない。
何故か?
簡単な事だ。
ハチの巣が見えているというのに、蜂一匹に対して全力で対処する人間がどこにいる。
企画を知っているならまだしも、この時間に最前線に来るようなプレイヤーがこの配信を見ている訳も無い。
簡単に言えば、殆ど狙われない、と思う。
「揺れますよ」
「はーい」
だからと言って、ずっとここに居座っていればそうとも限らない。
「千里一歩」を起動し、さっさとこの場から離れる。
莫大な加速は、そのまま屋根の上をすべるように駆け抜けていく。
俺を狙っているプレイヤーも見当たらない。このままなら、何か起こらない限りは問題は……
「【氷槍】!」
「やっべ」
進もうとしたその瞬間、下から魔法名を叫ぶ声が聞こえた。
それだけなら、問題は無かった。
見た感じ規模はちいさい魔法のようだし、避けるのは簡単、受けたって大したダメージにはならないだろう。
問題は、それを無茶な体勢で、半端に避けようとしたことだ。
「あ」
落ちる。
目の前に広がるのはもう何か数え切れないぐらいの大群。このまま落ちればもう……もみくちゃにされてリスポーンは確定だろう。
それは、うん。嫌だ。
恐らく数万人が見ている中で、転んで落ちて死にましたなんてことをすれば末代までの恥になってしまう。
そう考えながらも、体は勝手に動いていた。
一度足を曲げて、それに合わせてスキルを連続で三つ発動する。
「跳び八方」、不安定な足場でも狙った方向に、安定して飛べるようにしてくれる力が両足を包み込み、本来ならありえない筈の壁への着地を可能にする。
「摺り足」、着地と同時に体が加速し、空へとはじき出される。
そして最後に「追風」。
ある程度の速度を持った状態でのみ発動できるスキル。その効果は、後付けの加速。
まるで羽ばたいた鳥を押し出す風のように、薄緑色のエフェクトが周囲を渦巻いた。
「っ!!」
壁を蹴って、跳んだ。
対面の建物に向かって放たれた体を何とか制御し、もう一度屋根に着地する。
「……っ、ぶな」
「ねぇ、魅せプするのはありがたいけど、私の事考えてくれない?」
「どんな感じでした?」
「安全バーなしのジェットコースター」
「それただの処刑ですよ」
「だからやめろって言ったのわかんないかな~?」
言い返せなかったので無視した。
それからも数発矢やら魔法やらが飛んできたが、もう二度と同じ間違いはしない。
難なく回避し、俺たちは速攻でセカンテイルを抜けて次の場所へと移動するのであった。
◇
「あ、そろそろ降ろしてもらっていい?」
「ん、良いですけど」
とはいえ、まだ目的地までは距離がある。
まだ歩き始めるには早いと思うが、きゅうべさんの表情を見て両手から彼女を下した。
その顔は決意とも違う、絶対に起こることを確信しているようなものだったから。
「それで、どうかしたんですか?」
「あ、種族違うからか……多分、もうちょいで聞こえると思う」
自分の耳を撫でる動作をしたきゅうべさんにつられ、俺も遠くへ耳を澄ます。
といっても、こんな穏やかな森に響くような音何て……
「「「「「「……!!!!」」」」」」
「え?」
耳朶を打ったのは、空気を震わせるような重低音だった。
意識しなければ聞き取れない、人間の可聴領域ギリなんじゃないのかと思えるほどの低い音。
それは、少しずつ大きくなっていく。そして、俺はようやく気付いた。それが、大量の雄たけびであることに。
高さも、声量も、太さも違うそれら。
絶望的なほどの違いは、混ざりに混ざって一つの爆音として響いている。例えるなら……なんていうかな。
「ライブのコール?」
ライブはライブでも、客の質が高い場合の地下アイドルのライブみたいな、一種の統率が完璧に作られている状態というか。
「お、当たらずも遠からずかもね」
ふと呟いた言葉だったのだが、どうやらきゅうべさんの琴線に触れているようだった。
疑問を抱えたままきゅうべさんを眺めていると、彼女は振り返りざまに微笑んだ。口は笑っているのに目は笑っていない、何処か不気味な笑みだった。
「ちょうどいいから、スタラも慣れたら?」
「慣れ、る?」
何故か、とてつもなく嫌な予感がした。
向かってくる雄たけびは、聞こえる限りそのほとんどが男性の声である。
そして、それが大量。
きゅうべさんは慣れていて、俺が慣れるべき何か。
つまり、「女性アバター」で、「有名人」である俺がするべき何か。
さーっと、血の気が引いていくのを感じた。
「ほら、もうちょいで来るよ?刀抜いたら?」
「いや構えるとかじゃなくて説め」
「「「「きゅうべちゃーん!!!!」」」」
抗議の声は、響いてきた野太い声にかき消された。
木々の隙間から、それらは現れる。幾つか文明を下げたうちわ(投げキッスして!などが書かれている)を持ち、殆ど装備を着ていない状態で現れたプレイヤー達。
ほとんどが男性でありながら時折女性も混じる、何も統一性のないように見えるその集団は、しかし一つ共通点があった。
狂気にも近い火をその眼に宿し、こちらを見ていた。
「スタラ」
「……はい」
「邪魔だったら切り殺していいから」
すっ、と。刀に手を掛けていたのは、意図したものでは無かった。
でも、こうしなければいけないという確信があった。これを排除しなければ、俺の視界から消し去らなければ、何かが蝕まれていくという恐怖があった。
きゅうべさんは静かに俺から離れていく。
そこでようやく、きゅうべさんがお姫様抱っこの状態を解除した理由が理解できた。
俺に近づきたがる層と、きゅうべさんを狙っている層を分断し、せめて負担を軽減するためだったんだと、ようやっと思考が追いついた。
きゅうべさんはこちらを一瞥もせず、言い放った。
「皆に殺されることは、多分ない。でも、うん、言うまでもない?」
「はい」
「よし、生きて目的地で逢おうね」
今生の別れだと言わんばかりに重たい声で、きゅうべさんはそう言った。
俺は、その背中を見送ることしか出来なかった。
「「「「「スタラちゃーん!!!」」」」」
「朱月」
そんなことはどうでもいいんだよ!!斬られたい奴から前に出ろ!!できれば前に出てこずに早急に去って欲しい!!謂れのない好意がいっちばんこわいから!!




