チェックメイトの一手前
戦いはチェスボードのようなもの、という表現は、大抵の場合間違いである。
それはゲームのように思い通りに戦況が動くわけではないという意味でもあるし、戦士が指示した通りに行動してくれると確定している訳ではないという意味でもある。
しかし、1番大きな理由はそこではない。
大抵の場合、相手がチェスボードを持ち込んできた時点で不利なのだ。
同じ駒が並んで、同じ動きをするチェスと違って、フィールドも、駒の数も相手に選択権がある。
戦いは平等ではない。だから、ゲームではない。
それを踏まえて今の俺の状況を例えるなら、「王手をかけられた状態の盤を渡された」というべきなのだろう。
相手の駒は無数、こちらの駒は女王が一つ。状況は絶望的。
これは、遊戯と言えるのだろうか。
◇
「……は?」
何て言った?黒幕?灰莉が?
いや、筋は通る、が……
いや、違う。
考えるべきはそこじゃないだろ。
なんで、俺が灰莉を尋ねたこのタイミングで俺に打ち明けた?
「いい瞳だ。困惑しながらも、事実に向かって思案している。実に、挑戦向きな性格だ。こんな状況じゃ無ければ遊戯でもしたいところだね」
「……どうも」
「この状況でその返答をできる肝の座り具合も高評価だ。君に免じて、君がするであろう行動を先に潰す」
ぴたり、と灰莉と目が合う。
仄暗く光を灯すその灰色の瞳が、三日月のような形に歪む。
「君の唯一の連絡手段、カリアとの通信は絶った」
「っ!?」
「友人として、近くにいたものとして本当にカリアは厄介だと言える。その実力もだが、特に自由自在な蝙蝠としての性能もだ」
彼の言葉を聞いて思い出したのは、最初に彼と邂逅したときの言葉だった。
『我が友人の盟友』と、あいつは俺を呼んだ。
カリアの友人、そして、カリアの能力を知っている相手ということになる。
「カリアの通信を傍受したり、乗っ取るほどの使い手はうちにはいない。だが、この立地ならば断絶は可能だ。君も、心当たりがあるだろう?ここは入り口が無ければ入れない」
「鳥居、か」
「その通り」
懐月街は、隠し通された街だ。
樹岩の森林の奥地へと進み、鳥居を見つけ、ヒトガタを捧げることによってようやくここへの道が開く。
徹底的にまで秘匿された場所だとは思っていたが、まさか魔術的な干渉まで防ぐとは思っていなかった。
「外側から内側への流れは絶った。内から外は出れるが……許可が無ければ、外への扉すら開かない。君はもう、外に出ることも助けを求めることもできない。王手《チェック》だ」
「……随分と、余裕があるらしいな」
なるほど、言い分は理解した。
灰莉の発言が全て正解ならば、俺に打てる手はなく、詰みへ一直線だ。
しかし、本当に賢い人間ならそれを口にもしない筈だ。理解することで、俺が何か行動を起こすかもしれない。
「そう怖い顔をしないでくれよ。侮りでも、嘲りでもない。君たちは答えに至りかけた。その手腕は、認めるところだろう」
それでも、君たちは失敗した。
そう言葉を結ぶ灰莉の瞳は、意地悪い悪意で染まり切っていた。
「足掻き切った君には知って欲しい。それでも何もできない現状に嘆いたままこの街の滅びを観測して欲しい。それだけなんだ」
「随分趣味が悪い」
「聞き慣れたよ」
「……そう」
ゲーム的に、何の情報も与えずに終わるのは良くないと判断されたのかどうなのかはわからないが、趣味が悪い事は確かだ。
与えられたって、何かができる訳でもない。
「だが、これではまだ私の虚言の可能性が捨て切れない。だから……」
灰莉がぱちんと指を鳴らした。その瞬間
「っ!?」
「時間通りだ。元々はあれで君を呼び寄せる予定だったんだけどね」
爆発音が響き渡った。
大きな窓に映った景色の向こうで、爆炎が行き場を探して揺らめいている。
「筋書きはこうだ。エルフの攻撃によって被害を受けた懐月街は、完全防衛体制を取る。誰も、入れないようにするという政策を取る」
「んな無茶苦茶……」
「出来るんだよ。それぐらい、ここは腐ってる」
「そこまで利用しときながらよく言うな」
「使えるものは使う。君もそうだろう?」
「あんたほどじゃないさ」
薄っぺらい会話を繰り広げながら、バレない程度に視線を動かしつつ思考を回す。
ここで灰莉を切り倒す?確かに、効果的かもしれない。
けど、戦力が不確定な上、勝てたとしても意味があるのかわからない。
ただ獣人を不利にするだけの可能性だってある。
それに、これが一番の理由だが……
灰莉を殺せば、輝來の理想から外れる
「追記しておくが、共鳴者の魂はここに停滞する。死は脱出にはならないだろう」
「随分優しいんだね。無駄死にはしてほしくないのかな?」
「お褒めにあずかるほどじゃない」
魂の停滞。
メタ的に考えるならばきっと、リスポーン位置の固定だろう。
仮にリスポーン地点を外に設定した上でデスしたとしても、懐月街のどこかで目覚めてしまう。
「君に一つ部屋を貸そう。別に外に出たって構わないが……」
「どうせ、監視でもつけてるんだろ」
「その通り。希望を抱くだけ無駄だ」
灰莉はポケットから鍵を取り出し、俺に手渡す。
「対面、3階の角部屋だ。そこが君の鳥籠になる」
「ご丁寧にどうも」
俺は、その影にすら気付かぬまま、首に鎌をかけられた。暗闇を提灯が照らすこの街のどこにも、希望の光は潜んでいなかった。
◇
「はぁ〜〜!!」
ぽふっ、と気の抜ける音と共に、枕が俺を受け止める。そのまま枕に顔を埋め、叫んだ。
「あぁぁ〜〜!!」
叫ぶぐらいしか、できなかった。
何か間違ったとも思えない。
俺たちの行動は決して遅かった訳では無く、バレていた訳でもなかったと思う。
じゃあ何で……何でだ?
落ち着け。
考えろ。
状況を咀嚼しろ。
カリアさんとの連絡はできない。
プレイヤーが懐月街に入ってくることは許可されておらず、俺も懐月街からは出られない。
このままの状況が続くならば、俺が戦争に参加するのは不可能となる。
しかし正直なところ、俺の参加が必要不可欠なのかと言う疑問はある。
だから、俺の戦力云々は一旦置いておく。
一番の問題は、灰莉が権力を持った状態であると言う事だ。
エルフと繋がっているだろう、この街の滅びを願う破滅主義者。
そいつが、生産ラインも軍隊の指示権も全てを握っている。この時点で、獣人の滅びは正直なところ確定事項だ。
戦争が始まった時点で、負けが確定している。
まだ負けじゃ無いが、いずれ詰み《チェックメイト》へ至る最悪の盤面。だからこそ
「チェック……か」
枕にその言葉をぶつけ、顔を上げる。
そこそこ広い、生活感のない部屋。
誰も住んでいないと言うよりも、客室のような感じで誰かが長く居座ることが想定されていない場所なような気がした。
俺の、鳥籠。
何もできない俺を取り囲む、どうにもならない鉄の檻。
椅子に座る。
頭に回っていた血流がすっとおさまって、脳みそが冷えはじめたような気がした。
そうだ、そのまま落ち着け。
何もできないと信じ込むな。
本当に何もないのか、糸口!
真っ暗闇を歩くための、何かしらの手がかりが!
「!」
机の上を見る。何も置いてないように見えたそこには、ペン置きの物陰に隠れるようなカタチで何かが置いてあった。
紫色の宝石のついた、小さな輪っか。
おそらく、指輪であろうもの。
それを見た瞬間に体は勝手に動き出していて、ペンを取る動作に隠れてその指輪を拾っていた。
そして、自分の体の影に隠して左手の人差し指に装着した。
ただの忘れ物、かもしれない。でも、俺の目に入ったそれは──
俺を呼んでいるように見えた。
『生きてる?スタラ・シルリリア。聞こえてたら脳内で返事して』
脳内に、聞き覚えのある声が反響した。
(……まさか、貴女からとは思わなかったよ。お嬢さん)
敵の内偵か、味方の通信か。
どちらにしても、それは俺にとっては奈落に垂らされた蜘蛛の糸だった。




