電子の海に剣戟を響かせろ
行き先を失った右手を首からぶら下がった宝石を弄ぶのに使い、小さく息を吐き出しながら真っ白な世界を見渡す。
ここは対戦前の待機所……っていっても真っ白な空間があるだけだ。
ちょっと試してみたが広さに限りは無いようなので動きの確認なんかをするのには最適だろう。
『対戦を開始します』
『「スタラ・シルリリア」VS「ニドヅケ」』
「……来た」
いつもの軽やかなシステム通知音とは違い、ゴングのような音が響き渡る。
準備は終わってる。軽い柔軟をしながら、せめて少しでも緊張を忘れられるように努める。
電子世界で柔軟したとて何の意味も無いように見えるが、精神を平静にさせたり自分の調子を確かめたりする程度はできる。
確認した感じは……調子も心境も悪くはない。これならまぁ、大丈夫だろう。
「好きにやろう」
勿論勝ちたい気持ちはあるが、楽しむのを止めてまで勝利に固執するつもりもあんまりない。
大前提としてこの大会を楽しんで、その次に二人の最強に逢いに行く。その位の心意気で行こう。
『3』
『2』
『1……』
カウントが終わる次の瞬間、倒れ込むように、沈み込むように、ゆったりと意識が暗転し、純白の世界は俺の視界から消えて行った。
◇
吹き付ける爽やかな風を妙に蒸し暑く感じるのは、緊張からだったのだろうか。
「なるほど、なぁ」
月光武闘会にはある特徴があるとは聞いていた物の、実物……つまりは、頭上に広がる限りない満天の星空を見てみれば、予想よりもずっと美しいものだった。
L2FOのゲーム内に時間経過は無く、現実がどんな時間帯でもずっと真昼間である。だからこそ、他のゲームならありふれたこんな景色が特別に感じるのだろう。
文明の発達した現代では殆ど見られないだろう何にも遮られない星空、眼をくらますような月光に、思わずため息を吐いた。
確かに綺麗な景色ではあるものの、嫌な事を思い出したから。
「初心者って噂は本当だったんだな」
唐突に背後から響いた男性の声に、弾かれるように振り返る。視線の先に居たのは、武器を構えることも無く無防備にこちらを眺めている茶髪の男性だった。
ファンタジーな衣装、それも近接職が着るものであろうゴツゴツとした装備を身に纏っているにもかかわらず、全体的な印象がひょろっとしている人だった。
よく言えば飄々としていて、悪く言えばチャラめというか……話口調も含めて、あんまりVRでは見ないタイプだった。
ただ俺がやっているゲームジャンルとこういう人がいるゲームジャンルが被ってなかっただけの気もするが。
「……何時の間に?」
「そこまで無防備に空を見られちゃ、なぁ」
ぼーっと空を見ていた所為で迫ってくる敵に気づいていなかったと。
相手がこの人じゃなかったらワンチャン超無様に初撃入れられてたな?よし、今日は運がいいみたいだ。
次からは反省することにしよう。
「まぁ物珍しいよな。このゲームの星空」
彼は飛んでいく何かを視線で追いかけるように星空をぐるりと見渡した後、再度俺へと視線を落とす。
「そう、ですね」
「……雑談したいわけでもないよな。やろうか」
居心地悪そうにそう呟く彼に、俺の警戒心が伝わってしまったかな、と申し訳なさを感じる。
何故か彼は頬を紅く染めているし、結構緊張しやすい人なのかもしれない。
「あの、見逃してくれたお礼に一つだけ。良いですか?」
「うん?」
「今からするのは八つ当たりなので、貴方に怒ってるわけじゃないってのは、信じてください」
言葉と、息に込めた雑念を吐き出しながら歪んだ刀身を持った刀を抜き放つ。
星空と満月の光を受けて、妖しくも美しく倣華は輝いた。
「何が何だかわからないが、わかったよ」
相手が取り出したのは背中に掛けてあった二つの刃。同じ色、同じ形で形成されたそれは倣華と反対に、洗練された武具の美麗さを存分に放っていた。
「それじゃ、いざ尋常に……」
膝を曲げ、全身を屈める。
厚底のブーツに近いような靴が地面を踏みしめ、蹴ったのと同時に、「千里一歩」を発動させる。縮地の進化系であり高速移動系のスキルであるそれはその名の通り
千里を一歩で駆け抜ける
「速っ!?」
このままじゃ止まれないので、踏み出した足とは逆の脚に「摺り足」を付加。
短距離を一瞬で駆け抜けるこのスキルは、実は特殊な性能を持っている。
「千里一歩」の慣性を脚で消そうと思って反対の脚を出せば、普通は乱回転して酷いことになる、というか何回もなった。
道場の畳に何回自分の体をこすりつけたのかはわからないが、そのおかげで得られたのが「摺り足」での慣性キャンセルだ。
相手から見れば、爆速で迫ってきたうえに目の前で止まるわけだ。早々反応できるものじゃない。
「風雨両断」
振り上げた刀は大上段、放たれるのは雨風切り裂く高速の振り下ろし。
一歩小さな踏み込みをするとともに、斬撃を放った……ものの帰ってきたのは、人を斬ったにしては余りにも軽い手応え。
「あそこから躱すかぁ」
「はは、正直、奇跡だよ」
胸から鮮血を噴き出しながらも、男は失笑する。
狙いは外れてない、ってことは半歩後ろに下がられたかな。このゲームだとこんな攻めがありふれてるから反応されたのかそれともこの人の反射神経が良いのか……ま、どっちでも変わらないか。
「ちょっと……舐めてたみたいだな」
傷口を隠すように右手で持った剣の側面を胸に押し当て、彼は表情から笑みを消す。
ゆったりと歩き始めた彼は先程よりも隙が無く、半端な攻撃は通用しないと思わせる様な威圧感を纏っていた。
「じゃ、全力で行くぞ」
「どうぞ」
眼を見開いて、刀を中段へと引き寄せる。カウンターに意識を集中させろ。
相手の歩みは遅い、いつ来る。
一歩、違う。
二歩、まだ。
三歩、いや。
「今」
「雷弾」を刀に纏わせるのと同時、重心を僅かに後ろに下げる。
双剣の厄介なところは勿論その手数ではあるが、もう一つ、片方を守ればもう片方が刺さるという攻勢に入った瞬間の強烈さも挙げられる。
攻撃の途中のどちらかを弾いても被弾する。なら、とれる手段は単純だ。
「!?」
「かかった」
二つの剣が描く線のど真ん中、つまりは俺の体すれすれで防御すればどっちも弾ける。
雷のようなエフェクトが閃き、残ったのは刀を振り上げた俺と、隙を晒した相手のみ。
「旋風のご馳走だ、よっ!」
防御によって捻じれた姿勢を戻す勢いを利用し、体を一定速度で回転させることを条件に発動する攻撃スキル「旋風」を起動させる。
旋る風の力を籠めた俺の蹴りには、大量のノックバックが含まれている。
「ぐっ……でも、離していいの」
「良い、そこがいい」
相手が何か質問しようとしたのを言葉で遮る。
要するに、もう一度間合いを離して戦況をリセットしていいのかという事なのだろう。けど、其れには大きな誤解が隠れている。
先ず、間合いを離して戦況がリセットされるのは、相手も俺も近接を主としていて攻撃が届かなくなるから……そう、彼は思っているんだろう。
けれど、俺が今みたいに刀を鞘に仕舞っていて、月光と血の里の加護が俺に付いている以上
「そこ、私の間合い」
朱い三日月が輝く。
◆
それは、鮮烈だった。
月光武闘会第一回戦、今までなら何事も起こらずに終わってきたその事象は、今回だけは観客全員を釘付けにするようなインパクトを持っていた。
『え、何あれ、わかる?きゅう姉』
『正直、私も何もわかってない』
基本的にこの生配信は、AIによって映像が選ばれる。盛り上がるシーンだとか、熱い試合だとか。
このゲームの手で作られたということで異常な精度を誇るそのAI、それが殆どフル尺でスタラの試合を放映したということは、それが今一番観客が盛り上がるだろうとAIが判断したということに他ならない。
放送席の二人が配信者らしいことも何も言えないまま、その試合は終了した。
「がはっ」
「対戦、ありがとうございました」
男が倒れ伏す姿に添えられたのは簡潔な感謝。
少女の姿には見合わない程堂に入ったその刀捌きは異様でありながらも、何故か人間の目を惹きつける魅力を纏っていた。
スタラ・シルリリア……いいや、もう少し先の未来で「銀色の鳥」と呼ばれることになるその少女は、いまここに電子の海へと名を轟かせた。