紅を覆う叢雲 十
場面は切り替わり。
デミアルトラの盤上で広がった戦場は、静寂を帯びていた。
それもそうだろう、最早影の魔物の姿は消えたのだから。あんまりにもあっけなく、それらは形を消した。
誰かが勝鬨を上げようとした、長く続いた戦いも、ようやく終わりを迎えたのだと。
しかしそれも、目の前に現れた半透明の映像によって中断された。
「……なんだ?これ」
「は?ディスプレイ?」
この世界の住人《NPC》は遭遇したことのない未知に対して、思わず疑問を口にする。
対して異邦からの共鳴者は見慣れた、しかしここでは見ることのなかったはずのそれに首を傾げる。
戦線に満ちた熱気は疑問によって失われた……かのように思われた。
「すっげぇ……」
口にしたのは誰だったのだろうか、いつの間にか感嘆の言葉で空間は埋め尽くされていた。
映像で移されていたのは、影の魔物を生み出し続ける泥沼の化け物と、それに相対する四つの影だ。
深紅の少女が舞い踊り、灰色の幼子は祈り、金色の青年が受け止める。そして、白銀の少女は切り結ぶ。
その熱戦を映すには、その半透明の窓はあまりにも小さすぎた。
いつの間にか、戦士たちは食い入るようにその光景を瞳へと移し替えていた。
「スタラだ……」
いつの間にやら伝染したその名前は、いつしか歓声へと変化した。
白銀の侍、叢雲を晴らす英雄であると。
「「「「「「スタラ!!スタラ!!!」」」」」
そうやって、少女を呼ぶ声は里全体へと広がっていく。戦士が、術氏が、幼子が。
自分たちを覆い隠していた影を、不安を払ってくれる一筋の光に縋るように。
はて、「スタラ・シルリリア」の名前は《《何処から》》伝染したのだろう?
彼女の名前を広めれる人間はリスポーン中で在ったり、スタラと共に戦っていたり、謀略を巡らせていたり、前提として鍛冶師で在ったりと、その名を叫べる状況にはないはずである。
民たちは熱狂の渦に飲み込まれていく。体に入っていく熱気が、毒であるとも知らないままに。
◇
「成功、と言っていいじゃろうな」
暗い、昏い部屋。
元から日光射しこまぬ地下の都だとは言うものの、灯りの一つすら光を見せることのないその徹底ぶりは、余りにも異常だった。
その深い影の中で、【魂ヲ喰ラウ者】の長は嗤う。しかし、その笑みにはいつものような余裕は含まれていなかった。
カリアの頬に汗が伝う、カリアの手が微かに震える。
幾多もの術式を展開し維持するのは、流石のカリアとはいえ容易に行使できる力の範囲を超えているようだった。
蝙蝠を操り、情報を手に入れ、それを対面に座る少女に受け渡す。
「大丈夫?カリアさん」
「かか、儂が心配される立場になるとはの」
皮肉っぽく笑うカリアに、対面の少女は無邪気な笑みを返す。
一つの穢れも無いような表情を浮かべる彼女は、しかしこの状況の、民たちが熱気と言う名の毒を盛られた現状の主犯格である。
彼女は輝來、クラン『攻征隊』のリーダーにして、カリアの共犯者である。
「心配することも無い。漸く一区切りつくところじゃ」
カリアの言葉に嘘はなく、彼女の肩に籠っていた力が、吐き出した息と共に抜けていった。
「こっちも終わった~!あとはスタラちゃんに任せるだけ!」
ゲームと言うことである程度緩和されてはいるものの、何回も針に糸を通し続ける様な途方もない集中力を求められる作業を終えた後だというにも関わらず輝來は疲労の一つも表情に見せなかった。
本来二人で行使することが敵わない筈の量の術式を、二人の長は人知れず展開した。
少しの間、頭を休ませるための沈黙が流れた。今も術式は動き続け、映像を流し続けているとはいえ一度展開してしまえば妨害でもされない限り作業が増えることはない。
つまり、この時間だけは慌ただしく動き回っていた二人が休まることができる。
「……まさか、誰かにここが見つかるとは思ってなかったがの」
疲労によって生まれた重苦しい空気を破ったのは、カリアだった。
「上手く隠しすぎー、逆に浮いてる」
普段の輝來からは想像もできないような力の抜けきった声色で放たれた指摘に、カリアは思わず口角を吊り上げる。
彼女は今、とんでもないことをいったというのを自覚しているのだろうか。
普通探知に引っかからなければここではないと諦める。普通NPCがこんなところで作業しているなんて考えない。普通、「何もない」を探すなんて無理難題に挑もうとは思わない。
普通が当てはまらないからこそ、彼女はここに立っているのだが。
「別に、それはいいよ。カリアさんがしようとしてることの方が問題じゃなーい?」
急激な集中によって生まれた熱が急速に冷めて行っているからか、これまたいつもとは違う淡々とした口調で輝來はカリアに質問していく。
「三人を巻き込んでしようとしてることはわかったし、スタラが納得してるっぽいから後押しもする。けど、それならカリアさんでもできたはずだよ」
今している事、そしてこれから起こることは理解できた。けれど、その始まりがわからない。
輝來の中で渦巻く疑問を抽象化するならこうなる。
「スタラを巻き込む理由がわからない。部外者の方が使いやすかったのかもしれないけど、それでもスタラだった訳を聞きたい」
彼女は普段の言動から幼い少女のような心根をしていると思われがちだが、実際のところそれは誤解だ。
その無邪気さはこの世界に対する好奇心と悦楽から来ており、楽しみ続けているからこそ幼く在るのだ。
だからこそ、今のような状況で見られる彼女こそ本性だと言っても虚偽ではない。
不愉快な出来事に対面した彼女、冷静に物事を並べ立て相手に突き付けるその姿こそ、彼女の本懐だ。
「……」
そんな彼女と正面から向き合い、言葉を受け止めたカリアは数秒そのまま静止したのち、おもむろに瞑目した。
「確かに、この里の者では扱いづらかったのは正解じゃ。しかし、誰でも良かったという訳では無かったのじゃ」
「作戦」を実行するにあたって、里の者では上手くいかない。当てはまる条件で絞っていけば、今この里に居る二人にしかこれは当てはまらなかった。
つまり……
「ナーラ達……私とは似て非なる、謂わば『例外』を知りえ、迫害しない。その上で、この里で生まれたわけではない者にしか、この役は務まらなかった」
「それで、当てはまるのがスタラだけだったってこと?」
確かに合点がいく話ではある。例外の話は先程カリアから聞いている。
私たちの情報網に引っかかっていない情報だ。つまり、プレイヤーの中で知れ渡っている訳では無い。
そして、この戦いに参加しているNPCにデミアルトラ以外から来た者はいない。つまり、残るのは一人の少女だけになる。
「いいや、違う」
「え?」
そうやって選ばれたであろう少女に思考を巡らせていた輝來は、唐突に思案の海から引きずり降ろされる。
違う?スタラ以外に当てはまるプレイヤーが居た?じゃあ何故選ばなかった?
加速していく思考は、只カリアの次の言葉を待っていた。
「当てはまるのは、スタラ・シルリリア。そしてもう一人、例外を知り得ながら迫害せず、しかし差別からも守ろうとせず、只傍観し続けた薄情者」
冷酷な無表情を貫き続けていた輝來の眉間に皺が寄る。
カリアが人をこんなに罵倒しているのは初めて見たからだ。
「他の里で生まれ、その里が影に呑まれて尚無様にも生き延び、この里を造った愚か者」
「!?」
輝來は真実に辿り着き、表情を疑問から驚愕に変えた。無意識のうちに、ここを治めているのならここで生まれたのだろうと思っていた。
この世界の常識になじみ切っていないからこそ、【魂ヲ喰ラウ者】、吸血鬼がどれほど長命であるかを理解していなかった。
「儂、カリア・キルミリアスも当てはまる対象じゃ。さて、二つ目の質問に答えようかの」
苦々しげに、苦虫ごと自分の舌さえ噛み千切ったかのような暗い表情で彼女は言葉を零す。
「何故儂がこの作戦を実行しなかったのか?単純じゃ、儂は、カリアは無様にも」
──逃げた。
そう語る口は、自嘲の三日月に歪んでいた。




