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紅を覆う叢雲 七

「縮地」


 一歩目、外付けの加速力が己の体を強く押し出し、一気に相手に肉薄する。


 二、三、四歩目、掴み取った推進力を離さないように細かく歩を刻み、相手に刃を突き立てる。


『……』


 けれど、その攻撃は音もなく弾かれる。


 いいや、弾かれるという表現すら正確ではない。


 音もなく一気に膨れ上がったその体が、膨大した影の面積が、突き立てられた刃を受け止めた。


 攻撃の勢いを殺され、この体が吹き飛びながらも視線は真っすぐに相手を見つめる。


 ふと引っかかったのは遠い記憶、スタラではない俺《空》の記憶に突き当たる。


「象の歯磨き粉、だったかなぁ」


 泡が噴き出し、表面積が膨れ上がる。


 過程は全く違う。一方は化学反応による現象。一方はゲーム内で、その上魔力とかいう謎原理物質を使った現象だ。しかし、結果は非常に似通っていた。


 目の前の影の魔物は、人型である。

 けれど本質、実際は今まで相手してきた魔物達のように影で作られたものなのだろう。


 だからこそ、それは容易く形を捨てる。急激に膨らんだ体は、今は最早俺と同じくらいのヒトガタへと戻っていた。


「きーも」


 あーごめん、思わず思わず。


 少しの煽りを込めた言葉ではあったが、虚偽ではない。こう、体の一部がぼんと膨れ上がったのちに戻っていくのはたとえ影であったとしても結構グロい。


 まぁちゃんとした人間でやったら明らかR指定が跳ね上がるのでこれは開発陣からの僅かな慈悲なのかもしれない。


 知らんけども。


 なんてふざけたことを言ってみても、相手は何の反応もしない。


 けどちょっと不機嫌そうに影が揺らいだ……気がする。ただの気のせいの可能性も非常に高くはあるのだが。


「ふぅ」


 息を吐き出す。相手は一歩も動かず、リアクションも見せない。


 それが示すのは恐らくノーダメージであるという事。それ自体は十分予想できていたことだ。


 前提として大型レイドのボスであるわけだし、一人で相手取るような性能はしている筈がない。

 だから、今は収集と予測に時間を使う。


「!」


 地を蹴り、走り出す。


 先程よりも速度は控えめで、相手の視界にも余裕で捉えられているだろう。けれど、それでいい。


 真っすぐに刀を構え、単純な軌道で振り下ろす。幼子でも出来そうな程の幼稚な攻撃を、相手はまた膨らんで受け止めた。


 しかし、俺の体は吹き飛ばない。

 先程は己の体の数倍にも膨れ上がらせたその影を、相手は控えめに増大させたのだ。


 そこから考えられるのは脅威度の判断。今の単調な攻撃には、これくらいの防御で良いだろうという思考。


「じゃあ自動オートじゃないのかな?」


 自分で判断して、自分で防御しているのかと予測を口にする。


 こういうタイプの敵は相手にしたことが無い訳ではない。それは流動的なスライムのようなエネミーで在ったり、生物兵器で在ったりと体を膨らませて攻撃を無かったことにするタイプのボスとの交戦経験はある。


 アイテムを使ってその特性を無効化する、なんてパターンもあったので純粋な交戦回数自体は少なめだけれども。


 そのボスたちの対処方法はタイプによって分かれる。


 先ず自動《オート》。つまり自分の意志で体を変形させるタイプのボスには、単純な力押しが大抵有効である。


 回復、変形が間に合わない程。肉体の許容量を超えるほど。それ程圧倒的なダメージを押し付け、破壊するのが一つ。


 この方法に必要なのは変形すらも超える圧倒的なDPSか、ダメージが蓄積しきって限界を突破するまで戦い続けられる圧倒的な耐久力、持久力。


 どっちもスタラにはない、だからこいつの攻略法がこれだった場合辛い。


 もう一つ、手動マニュアルだった場合。これに打ち勝つのなら──

 まだこっちの方が可能性はある、結局きついのに変わりはないけれど。


「どっちをやるにしても、かな」


 思考を振り切って、言葉を口にする。


 そう、どちらを行うにしても情報が足りない。今俺が行うべきは、只管戦い続け、相手のほころびを、倒される為生まれたからこそあるであろう穴を探し続ける事だけだ。


 相手に攻撃の気配はない。

 今でさえ、俺が攻撃の手を止めて出方を伺っている今でさえ相手は攻撃をしようとしてこない。


 ならば今が好機!存分に情報を集めさせてもらう!



 ◇



「ばかーっ!!」


 思わず阿保みたいな声を上げる。向かった先は相対する敵……ではなく、自分だった。


 攻撃も反撃もしてこないから沢山斬っても大丈夫だろ!と高を括っていた数分前ぐらいの自分を一発殴ってやりたい衝動に駆られる。


 受け流す、跳ぶ、転がる。全身全霊を以って、回避を敢行していく。


 回避が、精一杯だった。


「あっぶなっ!」


 脳裏を走り抜けた予測と()()()()に顔を顰めながら動きを即座に停止すれば、眼前を黒い何かが走り抜ける。


 危ない!あっぶない!多分一発アウトな気がする!一撃喰らったらコンボでKOされる気がする!小技から十割コンボなんて出鱈目すんな!


 見当違いな罵声を脳内で吐き出しながらも、もう一度体を動き出させる。


 ちらりと動かした眼球に映るのは、ヒトガタすら捨て去ったバケモノだった。


 厳密にはヒトガタを捨てたというより、ヒトガタの上から沢山パーツを乗っけた……武器や鎧の代わりに歪な影を纏った騎士ナイトへと、それは変貌していた。


 剣の代わりにうねり、曲がり、伸びる細長い影を振り回し。


 盾の代わりに腕に当たる部分を異常に肥大化させ。鎧の代わりに全身を歪ませた姿は、何にも例えられないような歪であった。


 剣の連撃により窮地に陥った自分の体を俯瞰し、咄嗟に蛙飛を発動する。


 いや、発動させられた。この数分で相手は俺のスキルの殆どを把握し、利用してくる。


 リキャストまでは読み切れていないだろうが、今のように飛び上がった俺を追撃しようと盾のはずだった左腕を振りぬくぐらいには推測されている。


「あがっ!?」


 刀で受け止め、空中で体を逸らしても、勢いを消せないどころか緩ませることすら敵わない。


 俺の体はあっけなく、空中を舞っていく。


 何とか地面に着地し、回転で勢いを殺した相手を騎士は逃さない。


 見ようによっては細剣レイピアにも見える様なその剣を、真っすぐに相手へ突き立てた。


 影の刃を、これまた影の刃が受け止める。


 模倣の力、遍くを模倣すると謳う倣華は、影の刃へと変化し、実体のない影と鍔迫り合いすることを可能とした。


 紡がれるはずのない剣劇、幻影と打ち合うという不可能。


 それを可能にしていた、その刃は、遂に限界を迎えた。


「っ!?」


 思わず瞬歩を発動し、相手との距離を離す。


 俺のスキルを部分的にではあるが誘導さえしてのける騎士と言えども、何故か攻防の最中に発動された移動スキルには対応すら間に合っていなかった。


「時間……か」


 この刀は優秀だ。


 敵のテクスチャを絶ち、ポリゴンを吸う。それによって、模倣すら可能とする。


 けれどこの武器は万能ではない。非常に強力な模倣の力にも、枷が付いている。


 時間制限。

 課された重りを、今まで俺は気にすることが無かった。それは簡単なことで、今までは指をくわえていても相手が大量に向かってくるのでそれを切り伏せるだけで効果時間を延長できたからだ。


 けれど状況は変わった。


 騎士は最初の受けて立つような姿勢を変更し、軽快にも動き回り、俺の攻撃を受け流す。


 与えるダメージは微々たるもの、なので効果時間は減っていく。単純な事だった、だからこそ気づけなかった。


 どうする、と理性が問いかける。どうにもできないと本能が叫ぶ。


 この武器が、この効果があったから今までどうにか持ちこたえていた。


 受け止められない筈の攻撃を受け止め、相手への攻撃は致命傷へと変ずる。そんな対影の魔物最強兵器レベルの武装を使っておいて、どうにか避けるので手一杯だった。


 じゃあ、それが潰えたなら?


「……」


 電脳の汗が、頬を伝っている。

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