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紅を覆う叢雲 六

 一瞬の意識の暗転が終わり、目が覚める。


 立っているのか、座っているのかさえ不確定なような触覚は、システム的に再現された混乱が齎されていることを何よりも強く示していた。


「……ははっ、嫌な感触」


 頭がぐらぐらと揺れる様な、頭痛とも分類できないような気持の悪さが駆け巡る。


 目を開いてみれば、映る景色にその気持ち悪さが一層増したような気がした。

 何も、何も見えなかったから。


 瞼を開いているのかさえ、自分の体が見えなければわからないだろう。

 只、際限もなく深淵が広がっている。


 黒い、黒い何かだけが視界を覆いつくし、平衡感覚を失わせていた。


「けど、居るんだろ?」


 黒い何か、影のような何かだけがこの空間にはある。

 けれど、俺を覆いつくすように襲い掛かる視線と敵意が、未だガンガンと揺れる脳がそれを警告している。


 見えないとしても、聞こえないとしても、確かにそこには居ることだけは理解できた。


『……』


 その問いかけに答えるように、影が呻いた。

 圧し掛かるような敵意は一瞬が過ぎるごとにその激しさを増し、息を吸うことにすら精神的な重みを感じる。


 何か来る。

 手に力を込めた。


 どぽん、と。

 何処からともなく響いたのは、水音とも物音とも言い切れないような鈍い音。


 それが何によって生まれた音なのかは、聞くまでも無かった。影が、凝縮していっているのだから。


 背景と化すように一面黒で埋めていたその影が、蠢き始める。

 それは流れるように、または闊歩するように、ただ、一点へ向けて進み続ける。その一点とは、俺の正面、つまりは標的の眼前である。


 型に流し込まれた液体のように影が液体と化し、そして個体へと移り変わる。


 起こったことを整理すれば、大量の影が集まって人型の真っ黒な何かに変わり果てたというそれだけではあるのだが、正面でそれが起きてしまえば正気度が削られるような光景だった。


『何故抗ウ』


「おっと、喋れるタイプ?」


 男とも女とも取れない、というか声なのかすら怪しい雑音の言語が響く。


 それは音と言うよりも、脳に無理矢理聞かせてくるような思念に近かった。


『影ハ沈マズ、シカシ月ハ沈ム』


 問いかけでありながらも一切の感情も疑問すらも感じさせないそれが、只管に響く。


『ナラバ抗ウ意味ハ、意義ハナイ』


「……終わったか?」


 襲撃してきた奴とのギャルゲなんてするつもりも無いが、今は機嫌がいいから会話イベント位なら付き合ってやるよ。


 でもデートイベントなら却下で、デートより熱い戦いをする予定なのでね。


「抗う理由なんて、意味だのどうこうで測れるかよ」


 意味がなくたって、意義が無くたって別にいいじゃんか。


 仮に対戦ゲーで暴言飛ばされた時に黙ってボコボコにしたくなるとしたらその理由は簡単なはずだ。


 イラついた、気に障った、逆鱗に触れた、表現は何でもいいとしても、結局は「こいつうぜぇから反撃したろ!」ってことに過ぎない。


 今の俺もそれと一緒だ。

 こっちから何もしてないのに勝手に全面戦争起こしにかかってきたこいつに、一発入れてやりたい。


 後ついでにでかめのクエストのクリア報酬を貰えたら万々歳。そんな動機でしかないのさ。


「でも、理由付けするとするなら……」


 スタラ・シルリリアは侍だ。なら、戦に向かう理由は二文字で表せる。


「仁義、ってだけさ」


 里の為長の為何より友の為!


 ありふれた理由かもしれないが、ありふれてるってことは多用されるぐらい力があるってことだ。今は有難くそれを振り回させてもらう。


『愚カ、ナラバ言葉ヲ交コトモナイ』


「俺もそう思うよ」


 もう会話は十分だ。

 何の因縁もない敵キャラとの会話イベントなんて長い必要もないだろう。


 ここから関係が築かれて行くなら別としても、こいつとの関係はここで終わらせる予定だ。


『……』


「いざ尋常に……!」


 体を沈み込ませる。

 低まった視界、集中によって晴れた視界の中で、真っ暗で顔とも認識することが怪しいほどの相手の表情が、笑みに変化したような気がした。


『???Boss「???」』


 世界を構成するシステムすら「?《ふめい》」と、不可解と喘ぐその相手。相手をはかり知る情報は文字通り影の中、けれど、もう悩むつもりもない。


「縮地」



 ◇



 少し時間は巻き戻り、デミアルトラの内部へと場面は移り変わる。


「だいじょうぶ、かな」


 小さな窓を、その前方に設置された机から飛び込んでしまいそうな程前傾姿勢で覗き込んだナーラが、不安そうに声を零す。


 不遇な境遇であったとしても翳らないその善性は、自分を差別した者たちにさえ向いていた。


「大丈夫だよ」


 それに応えたのは窓の左隣に設置された椅子に座る華火花だった。

 彼女も彼女で珍しく不安で顔を曇らせ、それをごまかすように手の中でナイフを回転させていた。


 奇妙な、重苦しい沈黙が支配した部屋、その中に居るのは二人では無かった。


「……一つ、質問していいか」


 部屋の中に存在する最後の一人。

 最前線プレイヤーであり、対モンスター最強と謳われるタンクでもあるアマント。西洋風の騎士で在る彼が雰囲気にのまれること無く落ち着いた声色で言葉を零した。


「なに?」


 襲撃に備えてドアの横で待機しているアマントと対面に位置する華火花が、護衛される側ということを微塵も感じさせない口調で返す。


「本当にここでよかったのか?」


 彼が問うたのは今自分たちが待機している場所についてだった。

 この部屋が存在するのは外壁の中、兵士が駐屯するための狭い空間であった。


 外壁という一見堅牢そうな場所ではあるモノの、常軌を逸した力を持つ魔物達にとっては石など障害物にならない場合がほとんだ。


「ここでいいし、ここじゃなきゃダメ」


 端的に返答した華火花だったが、納得できないのか未だ視線を向けてくるアマントに億劫そうに一つ溜息を吐き出し、ナイフを腰に掛けたホルダーに納めてから話始める。


「先ず、ここは凄く安全。少なくとも今はね」


「わっ!?」


 がたり、とナーラの乗った机が揺れる。


 どうやら窓の向こうに魔物が現れて驚愕した弾みに体勢を崩したようだった。けれどあっけなく魔物はナーラの眼前で跳ね返り、兵士たちに処理された。


「結界、外壁を覆うみたいに貼ってある」


「……言葉が足りなさすぎるだろう、リーダー」


 安全、と言う言葉の意図を汲み取るのと同時に自分たちの長が何の目的で自分たちと別行動をしているのかの合点がいき、ため息交じりに言葉を零す。


 この規模の結界を貼るには個人のプレイヤー、もしくは殆どのNPCには不可能だ。

 だから大人数で大量の魔力を行使して魔法をしようする必要があるのだ……という説明を一言も自分にしようとしないリーダーに、アマントは諦めたかのように息を吐き出した。


「大変、なんだね」


「あぁ、全く理解できたものじゃない」


 自分たちが輝來の行動を理解できるのは全てが終わった後だ、と同じく振り回される側であるバジに語ったアマントは、自分の言葉により深く納得する。


 戦況が混乱に陥った時でさえ彼女はふと姿を消し、何かしでかしてから帰ってくる。


 それが往々にして正解で在るのが彼女の厄介であるのだが、というのはなんか癪に障ったのでアマントは口にしなかった。


 尊敬はしているがそれはそれである。


「だから、せめて着いていかなきゃいけないんだ」


 一番先を突っ走る彼女の背中を、せめて支えられる程度には様々な意味で強くなければならないと。

 タンク最高峰の彼で足りないのなら誰が追いつけるのだと言外に込めた視線が華火花から注がれるが、アマントが気づいた様子はなかった。


「ね、あれ何?」


 プレイヤー達の会話を特に気に留めた様子もなく、ナーラは無邪気に窓に指をあてる。

 その先には、壁を作るように集まり始めた魔物達があった。立ち上がり、窓の外で起き始めた異変を認識した華火花はドアへと向き直り、口を開いた。


「行くよ」


「何処まで?」


 わかった上で、最終確認だと言わんばかりにアマントは華火花へと質問する。


「勿論、敵陣のど真ん中まで。できる?」


 太陽の昇る方向を答えるように、川が流れていく事実を述べるように平然と無理難題を口にした華火花は、試すように質問する。


 私たちを守り切ることはできるのかと。


 アマントは思考する。

 一人のプレイヤーはレベルも、PSも十分ではある。正面切って戦うステータスはしていないようだが、戦場を走り抜けることに不備はないだろう。


 けれど、問題は少女のNPCだ。戦闘能力はなく、しかしそれでも彼女を最前線へと無傷で送り届けなければいけない。



 無理難題、けれども彼は顔色一つ変えずに、意趣返しだと言わんばかりに平然と答えた。


「余裕だ」

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