紅を覆う叢雲 二
デミアルトラ。
堅牢な外壁に囲まれ、出入口が大きな門の一つしかないらしいここはよく言えば守りやすく、悪く言えば逃げづらい。
里の中に侵入されれば全てが終わる、それは、ここに集まった戦士たちの共通認識であるだろう。
門の前にはNPCもプレイヤーも問わずに待機していて、今か今かとその時を待ちわびていた。
装備にも武器にも統一性はなく、けれど皆一様に燃えだしてしまいそうなほどの決意と意欲を放っている。
それもそうだ、NPCからすれば自分たちの里の危機、プレイヤーからすれば拠点の防衛、こんな一大イベント、気合が入らない方が変だといえるだろう。
「スタラちゃん?」
「あ、輝來さん」
「やっぱりそうだ!装備変わってたから気づかなかったよ~」
他と同じように、しかし異なる理由で緊張を心に秘めていた俺の耳朶を、聞き覚えのある声色が打つ。
振り向いてみると、金髪の少女が愛嬌のある微笑みをたたえて俺に話しかけていた。
「二人は?」
前は三人で行動していた攻征隊のメンバーだったが、周囲を見回してみても輝來さん以外の二人は確認できなかった。
「私は後衛だからね~、今日は別行動!」
魔法職である自分は役割が違うのだと語り、視線の先に二人が居るのか輝來さんは一瞬外壁の方に顔を向ける。
「そう、ですか」
普通の会話、けれど結ぼうとした言葉が詰まる、瞳が忙しなく揺れ動く。
覚悟はできているつもりだったが、本番を目の前にすればそんなに人間は都合よくできていていないんだと痛感させられる。
落ち着け。
深く吸い込んだ息を吐き出して、それでも消えること無い不安に内心舌打ちする。
これから起こることを考えるならば、今こんな状態にはなってられない。落ち着け、冷静になるんだ。
「スタラちゃんも二人じゃないんだね」
「私も似たようなものですかね、別行動です」
そう、華火花さんは別行動だ。
彼女は最初こそ戦線には立たないが、この戦いに於いて鬼札となるのは彼女であることは間違いない。
その立場に立たせてしまったのが紛れもなく自分であることにまた、混沌とした情動が心の中を走り抜けていく。
思考が加速し、電脳の汗が首を伝る。
許容量を超える不安は自分を濁らせるのだとはわかっていても、これが自分が選んだ道なんだとしても、こんな道を平気な顔して歩けるわけがない。
だってそれは、それは─
「スタラちゃん。手、震えてるよ?」
「……」
落ち着いた声色で輝來さんは語り掛ける。前と変わらない筈のその声色から、全て見通されているような恐怖を感じた。
「何を隠してるか、なんて聞くつもりなんてないけどさ」
自分に何か隠し事をしている、そのことを確信したうえで、それでもいいと笑って彼女は話し始める。
その瞳の奥に籠った光は、少女の者と言うより人を従える長のそれであって。
「全部抱え込んだら辛いよ、だから」
その表情を真っすぐで、疑いないような信頼を纏った笑顔が、眼を閉じたくなるぐらい眩しかった。
「もっと楽にやろうよ、楽に戦って、楽に守って、楽に考えればいい。これはゲームなんだからさ」
その言葉はゲームを軽視している訳では無いことぐらい、確認する必要も無い程にじみ出ていた。
ゲームを愛していて、このゲームで最前線に至る程の愛を持っている彼女だからこそ、このゲームで辛い思いをして、苦悩してしまうことが耐えられないのだろう。
「それでもだめだったら、バジでも、アマントでも、私にでも任せればいい。別に私は報酬だけ持ってかれても文句は言わないよ、それでスタラちゃんがゲームを続けてくれるなら」
最後にとびっきりの笑顔を見せて、輝來さんは言葉にする。
「だから頑張って!何よりスタラちゃんのために!」
「……!」
思わずこぼれ出た笑みを、掌で包み隠した。何を悩んでいるんだ、目的は最初っから手の中に遭ったって言うのに。
初めから俺の目標は「華火花さんと、ナーラちゃんの為」それとついでに「この世界を楽しむ」ことだ。
それを叶えたいなら怖がっている暇も、悩んでいる暇もあるはずがない。
「ありがとう、御座います」
「うん!」
俺の事情を詮索することなく励ましてくれた輝來さんに感謝を述べる。
「お陰で、決心がつきました」
「うん」
真っすぐにこちらを見て、ただ肯定してくれる輝來さんにまた笑みがこぼれそうになる。
こういう所に人がついてくるんだろうなぁ、と今のやり取りだけで察せた気がした。
一つ息を吸い込んで、思考を落ち着かせる。さっきまでと比べたら比にならない程澄み切った思考の中から言葉を選び取る。
後押ししてもらったんだ、嘘を吐く訳には行かないが、真実を今から話すとそれはそれで面倒なことになりそう……こうするか。
「だから私は楽しんで、全力で輝來さんを裏切ります!」
最高に爽やかな心持で、俺は「裏切ります」と宣言した。
もう迷いも後悔も無い、俺は俺の目的のために、それ以上に俺のためにこの行動を選ぶ。退路何てモンはもともと無いんだ、じゃあせめて笑ってこの道を進んでやろう!
「うん……うん!?ほぇ!?」
あまりに予想外の返答だったのか綺麗な三段活用をした輝來さんを横目で見ながら、思いっきり反対方向に走り出す。
「それじゃ!ほんとに有難う御座いました!」
最後に大きく輝來さんに手を振り、人混みの中に混ざっていく。
「ま、待ってえー!!??」
がやがやとした喧騒の中で輝來さんの声が、妙にはっきりと響き渡っていた。
自分の「裏切り」という言葉に妙に納得がいく。これから俺がすることは輝來さんは勿論、華火花さんを、自分を、ついでにこの世界を裏切り、敵に回しかねない選択だ。
でも、もう覚悟は決まった。
「楽しもう!」
◆
スタラが覚悟を新たに走り出したのとまた別、取り残された輝來はと言えば。
「あんなに爽やかに裏切られたの初めてかもなぁ……」
対人要素が主軸にあるゲームのクランリーダーである以上スパイであるとか裏切りであるとかは日常茶飯事ではあるのだが、流石の輝來でも正面切って裏切る宣言をされたのは初めての体験であった。
「私を裏切るならそれ相応の覚悟があるんだろうし……全部終わった後で聞くかなぁ」
ぶつぶつと呟きながらも彼女の口角は獰猛に吊り上がっていた。
期待に突き動かされる指先でメッセージを打ち込み、クランメンバーの二人に送信する。内容は端的、けれどありえない筈の文面だった。
『スタラちゃんと華火花ちゃんを全力で守って』
「私も、頑張るかな!」
自分に宣戦布告した相手を守護すると告げて置きながら、彼女の顔は驚くほどに晴れやかな表情を見せていた。自分が語ったのだから、自分も楽しまなければ嘘であるとでもいうように。
◆
里の外壁の上、本来そこに立ち入れる役割でない筈のカウボーイは嗤う。その理由は、自分を従えている者からのメールによるものだった。
「戦争中に個人を見つけ出して守れって言うのかぁ?」
なんて無理難題を、と呟きながらもインベントリを操作し、武器を決戦用のものへ交換する。
敵も味方も入り乱れた戦場で何処へ向かうのか、何をするのかもわからない少女たちを見つけ出し、守らなければいけない。
それに加えて、バジトーフの手札には防御系のスキルも、探知系のスキルも無いのだ。
普通のプレイヤーなら無理だと断じるであろうその課題を、それを踏まえたうえでカウボーイは一言だけ放って動き出す。
「余裕だ」
癖の強い攻征隊のメンバーを実質的に纏めている彼は、その立場上まともで、模範的なプレイヤーであると思われがちだ。
けれどゆめゆめ忘れることなかれ、彼はこのゲームに於いてトップクラスのクランに所属している上に、「拘束系最適」と言われるほどの実績を叩きだしたプレイヤーであることを。
◆
またまた異なる場所、デミアルトラの市街地の一角にて、西洋風の鎧を纏った騎士が立ち尽くしていた。
その理由は、自分を従えている者からのメールと、《《もう一つ》》。
「私達を、守って欲しい」
「まもって!」
深紅の髪のプレイヤーと、真っ白な髪を揺らすNPCの少女に対してだった。アマントは数秒の逡巡を経た後、一つの結論を弾き出してから口を開く。
「何処で守ればいい」
彼女たちを守らなければいけない理由はわからない、けれど、それを長が望んだなら、少女たちがそれを望むなら、自分がすることは一つである。護る、それだけだ。
「話が早くて助かる」
それを満足そうに聞いた無表情な少女は、微笑と共にそう呟いた。
「場所は……」
役者は並び立った。黒い影は、月光を覆い隠す。




