飛べぬ飛行、人はそれ落下っていうんだよ
この時、つまり落下中の俺は知りえないことだが、華火花さんが気にしなくてもいいと断じたモンスターは二種類居たらしい。一体は脅威に値せず、もう一体は無害であるから、警戒するほどじゃなかった……と聞いたのは、結構あとの事である。
俺を落下させたのは前者の脅威に値しない筈のモンスター『ハイドカメレオン』だった。周囲の環境に溶け込み、不可視に近い攻撃を相手に喰らわせるというモンスターなのだが、如何せん隠密のために性能を削りすぎて攻撃性能が低すぎる、という何というか噛み合いの悪いモンスターだ。
そのモンスターは自分の攻撃力の低さを知っているからこそ仕留められないであろう万全の敵に関しては攻撃をせず、手負いの相手にのみ集団で襲い掛かる。
さて、思い返してみるとしよう。手負い、つまり自分たちでも倒せる相手のみを狙う彼らの眼には「無防備に谷底を覗き込む人間」と言うのはどんな風に映ったのだろうね。まぁ控えめに言ったらカモがネギ背負って通り越して鴨鍋だったんじゃないかなぁ。
◇
落ちる!っていうか落ちてる!
再現された重力は、しかして本物の重力と同じように俺の体を絡めとり、奈落へと運んでいく。遠い、遠い谷底が背後から嗤っているかのように感じて。
瞳に映った紫の光は残酷な程綺麗で、それを見た俺は諦めるように目を瞑り、このまま落ちて……
「たまっ!」
「たまるかよ」という言葉は、背骨を突いた優しめの衝撃で中断される。何だなんだ俺が今からこんな絶望的な状況で頑張ろうと……
後ろを首と視線で確認し、見たことをそのまま連ねるのならばこうなるだろう。
鉱石の塊が空を浮いていて、それの一体と眼が合った。比喩でも、擬人法でも何でもない、事実だ。いや、少し違うかもしれない。耳朶を打つ羽音は、それは浮いているというより羽ばたいているということを表していて。鉱石と表したそれは、よく視れば結晶のように光を反射する《《外殻》》を纏った虫だった。
つまり、今の俺は、鉱石みたいな虫の集団の真上に居る。
「!」
一瞬にも満たぬ、刹那。蟲の集団をかき分けて落下し始める体に無理矢理命令を飛ばし、納刀された刀を逆手で抜き放つ。振り上げたその手を、そのまま下へ振り下ろす!ずぶ、ずぶ、と。あまり聞きたくない音を以って、刀は蟲の二体を突き刺した。少なく感じるかもしれないが、一体一体中々大きいので十分!
体を刃物が突き刺して尚、強靭な生命力は死直通を拒んだらしい。翅を必死に羽ばたかせ、軽量な俺の体からかかる重み、それと引力に反抗してひたすら羽ばたく。それに振りほどかれないよう、俺も俺で必死に両手で刀にしがみついていた。
「頑張って、くれよっ!?」
奈落が、死が刻々と近づき始める。クッソっ!駄目か!確かにこの虫の力は中々で、落下速度を緩めてくれはしたが、羽音が小さくなり始めてる。いつHPが尽きてもおかしくはない。
虫が暴れたことによって、いつの間にか岩壁に近づいてきていて……待て、出来るか!?やる!
細切れの思考がはじき出したのは、一つの答え。まだ、まだ、今!!行動と同時に、突き刺さっていた蟲のHPが付き、はじけ飛んだ音が聞こえてくる。サンキュー蟲君、助かった!まだ助かってないけど!
「踏み込みっ!」
スキル発動後に踏み出した一歩に補正を掛けるそのスキルは、壁に向かって踏み出した足にさえ、その力を授ける。生み出された推進力は一瞬でも重力に抗うが……それは藻掻き、抗っているにすぎず。根本、つまり落ちていることに対しての解決にはなっちゃいない。
日和った!もっと遅く発動するべきだった!下まで後どのくらいだ!?
目算4M程度、着地が上手くいけば耐えられるか?いや、希望的観測だ。第一俺はHPが他より低い!考えろ、落ちる、ぶつかる、ダメージ。そうか、そうか、これから起こるのは衝撃!
左手を開け、インベントリを操作する。もっと早くっ、間に合わせて見せろ!
◇
「一応、成功……かな」
岩にしては柔らかい、というより粘性の高すぎる床に寝転がりながら、ため息を吐き出す。成功にしては恰好つかなすぎるから生存、と言うことにしよう。
俺がしたことは単純。インベントリからスライムの粘液を取り出して、その上に着地した。対衝撃に関しては、これより良いものが思いつかなかった。
どうアイテムが転送されるのかがわからなかった以上賭けでしかなかったのだが……生きてるから良いんだよ。HPマジでミリだけど0じゃなければセーフなんだ。
「おいっ、しょ」
小さい言葉と共に体を跳ね起きさせる。周囲を見渡してみるが……暗い、只管に。上を見れば、遠い、遠い先で赤い何かが揺らいでいるのが視認出来た。あれ、華火花さんの髪の毛?
『華火花 さんからのメッセージです』
疑問に答えたのは、新着メッセージの通知だった。
『生きててよかった。絶対勝てないから頑張って隠れて登って。私も降りてくから』
下に下れば下る程難易度の高いらしいこのダンジョンに於いて俺のいるこの場所は、最高難易度ということになり。今の俺のレベルでは勝てるわけがないから隠密をしろと。うん、あー、手遅れかも。
「ギギギガガギ!!!」
「MYAAAAAAAAAAA!!」
「バババビャア!」
周囲から響き渡る、様々な鳴き声。暗闇で覆い隠された向こう側で、数多の光が鋭く輝いていた。言うまでもなくいっぱい目があるのでは。
そんなに目立った?そりゃこんな着地したら目立つか。
「じゃあね!!」
戦ってられるかこんな数!俺は逃げさしてもらうぜ!おいやめろちょっとその植物と鉱石のハーフみたいな触手を振り回すのは。
「危ないだろ!」
殺しにきてるから危ないも何もないな。HPだけ回復させてもらっても?ダメですか、じゃあさようなら!!失礼しましたーっ!!