これから、進む道。
ず、ずず、ずずず。
いつもは学生で賑わうこのファミレスは、なぜか今日だけ閑散としていて。透明なコップから水を啜る音だけが響いていた。
「……」
対面する星羅、三花、秋波は、ジト目で俺のことを眺める。全員水を飲んでいるように見せかけ、それはただ間を持たせるための時間潰しに過ぎない。
その実、待っているのだ。俺の申し開きを。その惨めな言い訳を。
汗が滴る。
冷や汗が、全身の汗腺を走り抜けているのが伝わってくる。頭がぼんやりとして、意識が遠ざかるのを感じた。
何故、こんなことになったのか。
至極単純、ネカマがバレた。
「スタラ……いや、星くんって呼んだ方がいいかな」
「はい」
「説明を、してくれない?」
「……はい」
乾く唇をドリンクバーで頼んだお茶で潤し、飢える腹を季節限定のメニューで埋めた。
「これなら普通の奴の方がいいなぁ」
「マジ?一口ちょ〜だい」
「うい」
「私も」
緊迫した雰囲気……に見せかけ。
正直なところ肩肘張っていた訳ではない。気にしないでくれ、というのは事前に三人から伝えられていたし、今更態度は変えられないものだ。
それで嫌われてしまったなら、悲しいけれど仕方ない。そんなことを気にするよりもこれまでの嘘を塗りつぶすぐらい、自然体で向き合っていきたい。
穏やかな日差しが差し込むお昼時。御伽話を語るように、思い出しながらも俺の足跡を話し始めた。
「私、そのえるつーえふおーってゲームやってないんだけど……」
「私たちもスタラが秋波といた時の話聞いてないし、お互い様だよ」
「結構面白いと思うよ?できれば一緒にやらない??」
ぐへへ、と宣教者の顔つきになり始めた星羅は一旦置いておいて。
◆
「……って、とこかな。俺が話せるのは」
そこそこ時間をかけ、俺は身の上を話し終えた。L2FOの中の話は主に秋波が食いつき、逆に現実の話では星羅と三花が食いついてきた。
「なんか、本当に忙しかったんだね〜」
「そう思うよ、俺も」
金髪を揺らしながらにへらと笑う星羅に、脱力しながらも返答する。
自分で振り返ってみても、どう乗り越えたのかよくわからないスケジュールだ。
L2FOのイベントに関しては運要素も大きく、本当に奇跡だったとようやく理解したところだ。
「他に訊きたいことはある?」
「ん、私はない」
「私も~」
「……私は、一個だけ」
怖気づいた様子でありながらも、真っすぐと秋波が手を伸ばす。
少し、驚いた。
こういう時に意見を出すようなイメージは無かったし、こんなに不安そうな表情をしているのも、あまり見てこなかった。
「素」というのを、出してくれるようになったのだろうか。
「良いよ」
軽く促すと、髪を左右に揺らし悩んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「嘘、じゃなかったんだよね」
「……」
「言ってくれたこととか、一緒にやったこととか」
彼女の丸い瞳が、不安に揺れる。
縋るように震えたその声色からは、彼女の混沌とした感情が伝わってくるようだった。
彼女と過ごした歳月。
それは「私」であって、「俺」でなかった時間だった。だからこそ、不安なのだろう。
思い出、彼女の中に眠る宵乃星との記憶全てが、虚偽に過ぎなかったのではないかと。
秋波の瞳に俺が映っていた。
真っ黒な目に、真っ黒な髪。スタラとは似ても似つかない、平凡な見た目のソレ。
でも、俺からすればそれも、「スタラ・シルリリア」だと思う。
「本当だよ。それだけは、保証する」
だから、胸を張って答えた。
「秋波と居て楽しかったのも、まぁちょっと辛いこともあったのも、本心から」
「……うん、そっか」
姿形が変わっても、俺が俺でなかったことはない。遍く俺全てが、繋がってここに居るんだから。
「秋波。スタラは嘘吐けるほど器用じゃない」
「絶対ボロでるからね~」
「うるさいうるさい。いいところだったでしょうが」
友人二人から射しこまれた心無い言葉は、聞かなかったことにする。
結構核心ついてるから言い返せないんだよ。
「器用じゃないから、信じてるんだよ」
ふざけに入ろうとした空気を、彼女は優しく壊し始める。
柔らかく目じりを下げ、桜色の唇を僅かに上げて三花が笑った。
「ビックリはしたし、飲み込めないとこもある。秋波みたいに思う気持ちだって、無い訳じゃない。でも、それでもいいって思える」
「私らも元々スタラの顔だけで友達になったわけじゃないしね~」
「……輝來は最初顔じゃぁ」
「しっ!静かに!」
人差し指を顔に添えて必死に口封じをたくらむ星羅を、眼を細めた秋波が眺めていた。次は星羅が冷や汗を流す番だった。
「まぁまぁ、それは良いとして!結局、空が思ってるよりも気にしなくていいってこと!」
「どんな姿でも、スタラはスタラ。感謝も変わんないし、これからも友達でいてほしい」
「そ、っか」
無意識に張っていた緊張の糸が、ほぐれていく。
あんなことを言っておきながら、怖がっていたらしい。彼女たちとの絆が、スタラでなくなった途端に壊れてしまうことを、恐怖していた。
……杞憂だったようだが。
「これからもよろしくね。空」
「うん。みんな」
視線を絡ませて、ようやく本当の姿で彼女たちと向き合った。
スタラよりも大きい手は、どうにも頼りない。
それでも、構わなかった。
◆
ミン、ミンミン。
鬱蒼と茂る森のどこかから聞こえてくる蟲の声で、季節が夏になったかのように錯覚する。
ファミレスでの邂逅から僅か二日後。俺たちは、前に計画していた墓参りへと足を運んでいた。
街から電車で二時間と少し。
田んぼと山が埋め尽くす世界の中に、俺たちは居た。
「結構……遠くから来てたんだね」
「田舎って言っていいよ、秋波」
目新しいのかきょろきょろと周囲を眺める秋波だが、他の二人もそんなものだ。
自然あふれるこの景色は、学校の近くにそびえるビル群とは趣が違いすぎるらしい。
「まぁ、コンプレックスだったのかもなぁ」
他人事のように、自分の心を振り返ってみる。
親父が死んだあと、逃げるように都会に引っ越したのは、田舎への心象もあったのかもしれない。
閉鎖的で排他的なコミュニティは居心地は良かったが、只怖かった。憧れを捨てて、心根から腐っていくような気がして。
「でも良かったじゃん?ここに居たら私達と会えなかったわけで」
「自己肯定感つよ」
「強ければ強い程良いよ」
「そんなこと無いと思うけどなぁ」
だらだらと話しつつ、歩きなれた道を進んでいく。
碌に舗装もされていない小石まみれの道が、ごつごつとした感触を足の裏に返してきた。
手に持ったビニール袋が、はみ出した花を落とさないようにゆらゆらと揺れ動いている。
「着いた。ここだよ」
直方体に削り出された石たちが、見渡す限り立ち並んでいる。夏の夜のような静寂に包まれたここでは、虫の音もどこか遠い。魂と骨が、安らかに埋められている。
ここは、墓場だった。
墓石と墓石の間を歩き、「宵乃家」と書かれたその石の前に立つ。
小さかった。
親父のあの背中を背負うには、その墓石は控えめで。それでも、息を呑んでしまったのは、何故だったのだろうか。
呼吸が浅くなる。
記憶が、巻き戻っていく。
海に落ちたように、一瞬肌が冷たくなった。
超えた気がしても、やっぱり心に残った蟠りが、未だ暴れまわっている。何もできず、熱っぽい空気を吸っていた。その時だった。
「墓参りって合掌から始めるの?」
「掃除じゃなかったかな」
「私柄杓持ってくるね~」
振り向いてみれば、わたわたと忙しなく三人が動き出していた。その表情に手伝わされているとった暗いものはなく、真摯に前を向いている。
「ねぇ、スタラ」
「……」
箒を持ち、軽くごみを払いながら三花が話しかけてくる。
「私達には、スタラがどう思ってるかなんてわかんない」
でも、と言葉を結んで。
「やっぱり、ありがとう」
「……」
静かな風が吹いていた。
首を伝っていた小さな汗の粒も、眼を濡らして、頬に一つの筋を描いていた液体だって拭い去って、ただ吹いている。
懐かしい。
俺は、この中で育ったんだ。
「とってきたよ~!……って、空。大丈夫?」
「……ごめん、柄杓。貰っていいかな」
心配そうに見つめてくる星羅から木の桶と杓を受け取って、灰色の石の前に立つ。
水をかける。
汚れと、幼い憧れと、後悔と。流して、流して。
「なぁ、親父みたいにはなれなかったけどさ」
思わず、口に出していた。
届かなくても、伝えなきゃいけないと思った。
「いい友達は、出来たみたいだわ」
雲の向こう。届かない場所から、剛毅な笑い声が聞こえた気がした。
掃除が終わって、ぱん、と四つ軽い音が響いて。
そうして、俺の……宵乃空の全部と、折り合いをつけた。