掴んだ平穏と、過去の清算
「【召喚:虚私】」
秋波がそう唱えると、彼女そっくりの姿の虚栄が現れる。
それらはとことこと走り出し、未だ固まっている人たちのケアと、誘導を始めていた。
そんな光景を、俺は遠くから眺めていた。
「あれも因子共鳴なの?」
「いいえ、この場のMR権限を全て譲渡しただけにすぎません」
横にふわりと出現したシリカが、そう説明する。
ならあれは特殊能力でも何でもなく、現代の技術と秋波の精神から作られたものということになる。
「正直苦し紛れだったんですが……私が思うより、ぴったりだったようです」
「秋波は才能の塊だからなぁ。自覚ないけど」
夜の街に溶け込んだことも、魔物狩りについてこられたことも、さっきのMRの活用も。
やらなければいけない状況に追い込まれた時、彼女はその悉くに適応してきた。
秋波自身は「それしかない」なんて宣うけれど、それができる人間がどれほどいるのか俺にはわからない。
それから、少しの沈黙を挟んで。
重たい鉄扉を開くみたいに、本当ならあまり口に出したくない言葉を紡いだ。
「被害は?」
「……」
シリカは一瞬言い淀むが、それから淡々と今回の魔物の襲撃によって与えられた損傷を口にしていく。壊された施設、怪我を負った人々、そして
──亡くなった人も。
「うん、わかった。有難う」
ぐ、と唾を飲み込んで、そんな風にシリカをねぎらう。
魔物狩りをしていた時は、守れなかった人の事を考えるのを止めていた。
自分の心を守るために、その事実から逃れるために。けれど、それはもうやめにした。
自責でも自嘲でもなくて、事実として抱えて行かなければならないから。
苦しそうにこちらを見つめるシリカに、小さく笑いかける。
「大丈夫。大丈夫だから」
積み重なってしまった死体の山。
それは、重りではない。
悼まなければいけない。弔わなければいけない。でも、立ち止まってはいけない。
立ち止まってしまったら、もっと被害が出る。
それに、ふさぎ込んでしまえば、いつか心の痛みも薄れてしまう。だから、前向きに向き合うことにした。
自分と、その罪の全てに。
「強く、なったんですね」
「してもらったんだと思うよ。勿論、シリカにもね」
「!」
彼女は水色の瞳を僅かに見開いて、その後、僅かに口角を上げた。
「ありがとう。空君」
「こちらこそ、シリカ」
二人、よく似た顔で互いの名前を呼び合って。
別々の心を、空色の目に写しあった。
◆
舞台は変わり、屋上。
一旦バラバラになっていた全員がここに集結していた。面識のあるもの、ないものも多種多様だが、胸に抱く感情は皆一緒で。
「「「「「疲れた……」」」」」
全員、色々なところを駆け巡った一日だったのだ。
思い思いにぐたりと床に倒れ込んで、大きく息を吐いた。けれど、その顔全部に達成感が滲んでいたのは言うまでもないことだろう。
華火花と輝來は互いにしなだれかかり。
秋波は俺の横でちょこんと腰かけ。
少し離れた場所で、シリカが遠くを見つめている。
穏やかな時間だった。
疲労も相まって眠気が襲い来るような、そんな空気。季節柄暖かくも冷たくもない風が、ゆったりと頬を撫でる。銀色の髪が、ゆっくりと流れた。
「スタラは『因子共鳴』切れないの~?」
「私も、気になってた」
いつもより心なしか間延びした口調で二人が問う。
そう言えば、華火花と輝來の服はいつの間にか制服のそれへと移り変わっている。
見た目こそこのアクセサリーの影響で変化なく見えるが、服装からして二人の「因子共鳴」は最早効果を失っているのだろう。
「彼女のは特別製ですからね。意識を失いでもしない限り切れることはありませんよ」
「へ~~、自分からは解かないの?」
「それは、ちょっとね」
あはは、と愛想笑いしつつ受け流す。
流石に彼女たちの前で因子共鳴を解除するわけにはいかない。
現実で喋ってるのに性別偽ってました~、なんてネカマどころの話ではない。どんな反応をされるかわかったもんじゃ……
「どうしたの、めっちゃ苦い顔して」
「何でもない」
ぷい、と受け流しておく。
「……あ、パトカーめっちゃ来た」
「一応通報しといたからね」
高く唸る鉄の塊が、忙しなく学校に乗り込んでくる。
そこから降りてくる警察官たちの表情には焦りと、何より困惑がにじみ出ていた。確かに、魔物が現れたとも言われれば仕方のない事だろう。
「どう片づけるの?」
「協力者曰くテロということにするらしいです」
「何かかっこいいね~。裏の組織だ」
「あながち的外れではないかも知れませんね」
柔和に笑うシリカの後ろにどれほどの権力が潜んでいるのかと感情が底冷えするのを感じながら、人々が救助されていくのを眺めていた。
その中には、安堵の息を吐きながら歩いていく友人もいて。
思わず、大きく息を吐き出して脱力した。
良かったと、心の底から感じた。
「終わった、のかな」
「うん。きっとね」
「ここまで大きい動きがあれば、魔物も一定期間は何もできない筈です」
少し強張った口調で問う秋波に、出来るだけ優しい声色で返答した。
これからまた魔物と戦うことがあったとしても、一旦小休止といって過言ではないだろう。
「そっか」
流し目で学校を眺める秋波の目には、明らかに今までとは違う光が宿っていた。その様子で大体の事情を察しつつも、彼女に質問する。
「秋波は、これからどうするの?」
「学校いこっかなって、思ってる」
「……うん」
大丈夫?と聞こうとして、やめた。きっと野暮だ。
「辛くなったらまたやめるかもしれないけど、頑張れる気がする」
「私達もできるだけ手伝うよ~?」
「ん、購買ダッシュなら任せてほしい。負ける気がしない」
「そのためにスキルとか使わないよね!?」
「え、駄目?」
「駄目に決まってるでしょ」
輝來と華火花が飛ばす冗談に秋波が大きく口をあけて笑う。
どこか秋波を縛っていた鎖のようなものが千切れた、そんな風に見えた。子供の成長を見守る親のような心持で、いつの間にか俺も微笑んでいた。
「スタラはこの高校じゃない、んだよね」
「校舎で見た事ないし、近所の別のとこ?」
「まぁ、そんなとこ」
「ふ~ん、一緒に登校したかったな~」
そ、そうだね~、なんて呟きつつ、流れてくる汗をぬぐう。輝來に関しては妙に勘が鋭いので口を滑らせると厄介なことになりそうだった。
「スタラはどうするの?L2FO戻ってくる?」
「考え中、かな」
魔物狩りも落ち着いてL2FOのモチベーションというか意欲も高い状態なので、本腰入れてあのゲームに向き合うというのも一つの手だ。
けれど、それを前にして引っかかるのは、やはり親父の事だった。
「漸く親父に向き合えたからさ。ちょっと休むかも」
あの人に抱いてたあこがれに、ようやく折り合いがついた。
俺の心の支柱で、過去に俺を繋ぎ止め続ける枷でもあったそれを直ぐに手放してしまうのはどうにも気が引ける。
「墓参りとか、したいな」
穏やかな風に、故郷の景色を重ねる。
そう言えば、長い間帰っていなかった。
「「「「……」」」」
「あ、ごめん。こんな空気にさせるつもりじゃなかったんだけど」
じっ、と俯く四人に、思わず手振りで意思を伝える。満足感のまま終わらせたかったのに俺の所為でしんみりさせちゃうのは違
「私も行っていい、かな」
「え?」
少しおどおどとしながら秋波が手を上げる。
「私も」
「勿論私も~」
輝來と華火花もゆっくり手を上げ、奥の方で控えめにシリカさんも立候補している。貴女は言わなくてもアクセサリーの中にいるから離れられないですよ??
「いや、そんなに面白いものじゃ……」
「ううん。ちゃんと伝えないとなって思ったの。有難うって」
真っすぐに俺を見つめながら秋波が言ったのは、予想外の理由だった。
「私は、いや、多分三花ちゃんと星羅さんも、星ちゃんに救われたの。だから、ありがとうって」
この子を育ててくれてありがとう。
この子を、ここまで連れて来てくれてありがとう。
「そう、言いたいんだ。届かなくてもさ」
「……」
胸の奥で、心臓が跳ねた。
今日の戦いを乗り越えてなければ正面から受け止められなかったであろうその言葉を、ゆっくりと嚥下する。喉を通って、体が温まるような気がした。
「じゃあ、いこっか。みんなで」
「うん。いつにする?」
そんなこんな、取り留めのない会話を続けながら。
日々は続く。繋がりは、終わることなく紡がれる。こんな平穏がいつまでも続くように──
「この日で良いかな、スタラ」
「うん、それで……」
ぱた、とスタラが唐突に地面に伏せる。
「え!?」
疲労からだったのだろう。
咄嗟に駆け寄った秋波が脈を確かめ、呼吸を確認すれば、穏やかな寝息が聞こえてきた。人形のような精微な顔が、瞼を閉じながら小さく揺れている。
普通なら、何ら問題ない。
気絶するほどの疲労というのは心配にはなるが、あれほどの戦いを乗り越えれば仕方のない事だろう。
けれど、問題があるとするならば、彼女が「スタラ・シルリリア」で在ると同時に
「宵乃空」で在ることだ。
「不味っ!?」
シリカが慌てだしたときには時すでに遅し。
流麗な白髪が縮小し、切り揃えられた黒髪へと変色する。少女のような小さい体躯が変貌し、健全な高校生男子のそれになる。
「因子共鳴」が、効力を失ったのだ。
「え、空……君?」
華火花の間の抜けた声が、青空に痛い程反響した。
平穏は、まだ訪れない。