崩れる日常と新たな誓い 下
「【召喚:翔火】」
秋波の手元に火が宿る。
小さく揺れるそれに、彼女は息を吹きかけた。風に押され、炎は空へと飛び立っていく。
バン、バン。
青空に咲く一輪の花を、満足そうに見送る。
「秋波!」
身軽に現れた星が、ハツラツと秋波に微笑みかける。
秋波の記憶ではここは屋上だったはずなのだが、そこにさらりと外壁から上っているのはどういう仕組みなのかと一瞬疑問を浮かべた。
けれど、忘れることにした。今更にも程がある。
「星ちゃん、私花火が好きだったみたい」
秋波はまるで他人事のように口にする。
けれど、彼女からすればそれは本当に他人事なのだ。誰かに自分の好みを合わせて、他人の傍で生きていた彼女にとって、心に芽生えている衝動全てが他人のもののように思えてならなかった。
「綺麗だからかな、皆んな好きだからかな」
次々に花火を飛ばし、人形を翻弄しながらも秋波は語る。理由も、所以もわからない「好き」が心を渦巻いている。
「私、わかんないや。でも好きなんだ」
「そっか」
秋波自身も幼稚だと思う程真っすぐな吐露を受け止めて、星は小さく笑った。
七色の花火の光に当てられて、星が着ている純白のドレスが次々に表情を変えている。それも、秋波は好きだった。
「なら、それでいいんじゃないかな?」
秋波の隣に立つ。
秋波より少し身長が小さく、目線を合わせようと少し背伸びをしながら星が続けて話し出した。
「私も、何となく今までやってきて、何となくここに立ってる」
「……そう、なんだ」
秋波からすれば意外だった。
彼女から見た「宵乃星」は、時々悩むことは在れどつくて、芯の通った女の子だった。それが、自分と同じ感情を持っていることが、少し不思議だ。
「うん。ただ漠然とあこがれて、走って……。でも、ようやく今、それでよかったって思えるようになったんだ」
花火の方を向いて、少し眩しそうに星が眼を細める。
「理由がとか、そう言うのじゃない。そこにたどり着くまでに何があって、誰が居たのか。私が、どう成長できたのか。好きな場所に向かうその過程が、価値になったんじゃないかなって」
わかりづらいよね、と気恥ずかしそうに笑った。
「ううん、ありがと。話してくれて」
しかし、それをきっぱりとした口調で秋波が否定する。
確かに星の言葉は抽象的で、ざっくりとしていた。
それでも、ここまで胸にすっと収まったのは、彼女の人柄を、戦いを見守っていたからだろう。
頼りがいがあって、大きく見える星ちゃんの背中。私はそればっかり見ていたんだ。
その後ろに、どれだけ長い道があったのか気にもしないで。彼女はこんなにも、何処までも遠い道のりを歩いてきたというのに。
目じりに涙が溜まるのが分かった。
自分でも気づいていなかった星への感情が胸中でのたうち回り、大声を上げている。
それを抑え込んで、必死に笑顔を作って見せた。
「ねぇ、星ちゃん」
「うん」
「好きだよ」
花火にそう言うように。青空にそう思うかの如く。
さぞ当たり前のように、愛の言葉を叫ぶ。花火の音で、この言葉が掻き消されませんように。
「ん」
星が腕を振り上げ、軽く腕を振る。
そして、屋上から飛び降りて行った。
素っ気無く見えるその対応に、彼女なりの誠意を感じて秋波はより一層笑みを深める。
「行ってらっしゃい」
花火を、また空に放つ。
思い出を空に、花として咲かすのだ。
だからこそ、楽しい記憶に塗れた夏祭りは花火で締めくくられる。その過去を忘れないように、火を放つ。
「……そっか。だから私」
楽しい記憶が、そこに在ったと示す物。それこそ、花火なのだ。
自分が、何故花火を打ち上げているのか、花火が好きなのかに合点がいった。
星と過ごした日々がこんなにも美しかったと、世界に見せつけてやりたかったんだ。
◆
「良かったんですか?返事」
「来たなら言ってよ、シリカ。びっくりする」
首にぶら下げたネックレスから唐突に声が響く。
「あの子の好意は本物ですよ」
きょろきょろと未だ花火に釘付けになっている人形に接近しながら、彼女の声を聞く。
それは、正直耳が痛い話だった。
「わかってるよ。でも、受け取れない」
「自分を偽っているから?」
「それもある。けどそれ以上に、違うと思うんだよ。何もかも」
星と空という乖離した一つの人間、そのどちらに秋波が好意を向けてくれたのかは、結局わからない。
しかし、それは順当なものとは言い難かったのだけは確かだ。
「命を救って救われて。そんなこと、普通じゃないでしょ?」
「……その通りです」
「責めたかったわけじゃないんだけどなぁ」
しゅんとした声色のシリカさんを宥めながら、結論を口にする。
「もう一回友達としてやり直すよ。そんで、もう一回さっきの言葉を言ってくれるなら、ちゃんと受け取る」
「律儀、ですね」
「お褒めに預かり光栄、かなっと!」
そんな会話をしていると、人形の懐にたどり着く。
呆けているこいつ相手なら、やりようはいくらでもある。
「輝來!華火花にバフ集中できる!?」
「できるけど、スタラじゃなくていいの!?」
「大丈夫!」
それだけ伝え、「竜昇」で跳ぶ。
はるか上空、全てを見下ろせるそこからは、丸い花火もまた見え方が違っていた。
どん、どんと炸裂する轟音に背中を押されるように、地面へと落下していく。
「さぁ、終わらせるか」
手始めに、刀に魔力を全て注ぎ込む。
黒から白へと変色したその刃は、いずれ金属光沢ともまた違う輝きを纏いだす。
白く、ただ荘厳に。
次に掛けられるスキルを、全て自分の身に注ぎ込んでいく。
「私も、手伝いましょうか」
『スキル発動 「翼の無い鳥」
「開闢転輪」 』
シリカの手助けによって本来HPが削られなければ発動しないスキルすらも発動し、全身が淡いエフェクトに包まれる。
「これで、十分!」
人形に目掛け、落ちる。
落下によって耳元で風が唸る。
周囲の音が、消え去っていく。視界の中には、遅まきにこちらの存在に気が付いた人形の姿しかない。けれど、今更だ。
こいつの動きのスピードでは、迎撃は間に合わない。
大上段に刀を持ち上げる。狙うは顔、叩き斬る!
「潰、れろ!!」
刃が残した白い軌跡は、彼女を彗星のように見せる。
そして、彗星と人形が、交差する。
「っ!!」
ガキン!と堅い金属音、遅れてやってきたのは体を突き抜けるような痺れ。
硬すぎる材質の反動が、体の奥底まで響いている。その痛みに流される儘、俺は地面へと落ちた。
「ぐっ、あ」
着地は出来ず、地面に横転。
「動けねぇな」
全身が痛い。
それは、無理な着地だけのものではないだろう。
ここまでの戦いの疲労や苦痛が、今になってどっと襲ってきている。
人形がそれを見逃すわけもなく、こちらを恨めしそうに見つめながら顔の色を変え始める。
赤、青、黄と絶え間なく色を変えながら、魔力のチャージを開始する。もう、出し惜しみする気は無いらしい。
それでも、焦りはなかった。
俺の渾身の一撃は、全く無駄ではない。
今だ変色を繰り返す人形の頭部は俺の攻撃によって大きくへこみ、傷が刻み込まれている。
もう、体力がさほど残っているようには見受けられなかった。
「良いのかよ。俺ばっか見てて」
どぽん、と音を立てて、人形の影から何かが現れる。
紅の髪と瞳。
刃渡り数十センチメートルほどの短剣を携えて、暗殺者の少女は舞う。
「やれ、華火花」
「【属性付与:蝕闇】」
血液の短剣に、闇が纏わりつく。
そして流れるように跳躍し、横なぎにナイフを振るった。
自分の魔法と、輝來のバフ、そして、秋波の花火に彩られたその一撃は。
「ふっ!」
何物にも防げない。
人形の胴体が、ズレる。
綺麗な断面から上半身が滑り落ち、校庭に向かって落下した。
「……勝ったか」
周囲から魔物が現れる気配は、もはやない。
俺たちは、守り切ったらしい。
「成長したね、スタラ」
勝利の溜息を一つつくと、同じく達成感で頬を赤く染める華火花が近寄ってくる。
いまいち要領を得ないその言葉に、思わず首を傾げる。
「私に頼ってくれた」
「あー、成程」
彼女にしては珍しく、にっこりと微笑んだその顔。
なし崩し的に頼らざるおえなかったとき以外、彼女に何かを望んだことはなかったのかもしれない。でも、今回はそれから脱却した。
「何で嬉しそうなの?」
ふと、そうやって質問する。
そうすると、一瞬の思考も挟まずに華火花が応えた。
「やっと対等になれた気がしたから、かな」
「……ふふ、ごめん」
「いいよ。また、頼ってね」
おかしくなって、二人で笑った。
青空は、消え入るように澄み渡っている。