崩れる日常と新たな誓い 中
大理石の巨人。
便宜上人形と呼ぶそれは、鈍重である。
その巨体と素材故の重量からか一つ一つの動作に溜めがあり、その行動を感じ取ることは容易だ。
戦い慣れていない人間でも恐らく察知できるほどには。
けれど、厄介。
何故か?単純に、デカすぎる。
「やっば」
人形の平手が振り下ろされる。
それが頭上に来た瞬間、光が消える。
余りの大きさに日光が隠され、影ができたのだと気づいたのはスキルが発動した後。
「海天一歩……っ!」
一歩が、引き延ばされる。
前までは荒れ狂う馬のように感じられたこのスキルも、今なら便利な移動手段に他ならない。それによって攻撃をよけられたのは喜ばしいこと……とも言い難かった。
「スキル無しじゃキツイか」
スタラの身体能力なら、あの平手は理論上絶対に躱せる。
けれど、それは机の上で語られた空想に過ぎず、それが瓦解する瞬間は絶対に訪れる。その時に、スキルを切らなければならない。
仮にそれが何回も続けば?
「言うまでもない」
走りながら思考を加速させていく。
こういう性質の相手にどう対処するか、というのはゲーマーとして幾度も考える羽目になることだ。そして、一番最初に出てくるのは地形の利用である。
現在俺が居るのは校庭。
祭りのために用意された屋台は魔物の行進によって破壊され、踏みつぶされ、無残な姿となっている。最早木屑とも呼べない程の破片が足元に散らかっていた。
片付けめんど……じゃなくて。
ここに、一切の遮蔽はない。
地形としては最悪と言っていいのだが、ここから離れられない理由もまたある。
「『暗打』」
「【フォース】」
人形の攻撃が校舎の方に向かうが、それを二つの攻撃が迎え撃つ。
一つは、影から現れた華火花の打撃。
一つは、輝來が放った結界と見まがうような半円型の力の波動。
確か輝來の魔法はL2FOでは初心者用の魔法だったはずだが、人形の攻撃を捌けるほどとなっているのは彼女の育成の賜物といえるだろう。
「ヘイトこっち向いた」
「了解!」
次は俺が駆けだし、人形に攻撃を放つ。
校庭から離れられない理由。
それは、やはり周りを巻き込まないことにある。
民間人もそうだが、地形が崩れすぎれば復興にも時間がかかる。先を考えれば、他の場所に誘導はできない。
つまり、地形を使おうとすれば周りを守れず、その逆もしかり。千日手に近い状況にあった。
「朱月」
朱い三日月を放ち、人形の注意を惹く。
火力が足りずに朱月は人形の肌に弾かれるが、ヘイトを集めることには成功する。
人形がこちらにゆっくりと振り向き、次は顔面を赤く染める。人形の魔法攻撃。黄色が雷な事は確認している。そこから考えれば──
火!
「竜昇」
雲に届く、とまでは行かないにしろ、学校を見下ろせるぐらいまでには上昇する。
そこから見える景色は、控えめに言って最悪だった。
「うわぁ」
火、火、火。
校庭を埋め尽くした赤い焔が、上空からでもわかる程度には燃え盛っていた。
俺が校庭の方に攻撃を誘導していなかったらどんな惨状が起きていたのは、というのは想像したくもない。
「帝轍薙」
落下ついでに人形の頭に攻撃を叩き込み、着地。
魔法で現れた火は長持ちせず、最早校庭は元のものへと戻っているのだが、足の裏から感じる熱気は生半可なものではない。
「救いがあるとするなら……」
真っ黒な顔面になった人形が俺を睥睨する。
魔法を打った後、人形は一定期間「冷却」を始める。
その期間は人形は魔法を放たず、ちょっと動きが鈍化する、ような気がする。そう信じたい。まぁ少なくとも、ぽこじゃか連発はしてこないということだ。
攪乱の為に人形の周りを時計回りに旋回を始める。そうすると、するりと隣に華火花が現れる。
「随分辛そうだね」
「正直キツイかも」
考えることが多い上、簡単には攻撃が通らない。
相性が悪いといえばそれは正解になってしまう。
「手伝わなくて大丈夫?」
「学校の方に攻撃が行くのは避けたいし、それに」
人形の攻撃が振り下ろされる。
それを「光折」で屈折させ、地面に落下させる。
「もうちょい耐えれば、勝てるよ」
不遜な勝利宣言。
それは虚栄でも見栄でもなく、確信から来るものだった。華火花はそれが納得できないのか、疑問そうに皺を寄せる。
「何かあるの?」
「そろそろ」
その時だった。
「あ、れ」
ドン、ドンと。
腹の底を揺らすような、深い轟音が響く。
つられるように頭上を見上げれば、そこには花が咲いていた。
赤、青、黄色、緑。絶え間なく咲き続けるその花火は、日中、日光射しこむ時間帯であっても尚燦燦と。
一瞬攻撃かと華火花が身構えるが、俺は落ち着いたままそれを見送った。
それが、誰のものなのか知っていたから。
「派手にやるね。秋波」
◆
「こっちです!落ち着いて歩いてください!」
花火が打ちあがるよりも前。
秋波は、必死の避難誘導に励んでいた。
混乱と恐怖で烏合の衆となってしまった一般市民たちに対して声を張り上げ、導いていく。
判断能力を失った彼らが秋波に従っているのは、彼女の才覚なのだろう。
(そろそろ、全員かな)
少なくとも自分が視認した限りでは。
見えていない所でいったい何人犠牲になったのかと考え始めれば、臓腑が凍っていくような悪寒に襲われる。
それを振り払うように、秋波は大きく首を振った。そして、避難させた人々から数歩離れた場所に座り込んだ。
頭が痛い。
喉に走る痺れのような渇きのような感覚が消えない。
それは、久しぶりに誰かを演じたからだろうか。「逃げ道を教えてくれる救世主のような女の子」で在ろうとしたからだろうか。
そんな考えが、秋波の脳裏を駆け巡る。思い出せば、自分はずっとそうだった。
小さい頃から、親の理想であろうとした。
大きくなって、誰かの憧れであろうとした。
そしていつか、歩けなくなった。
誰かを演じるには、私は弱すぎた。
どれだけ器を大きく見せても中身が空っぽなら意味はない。そう思って、不登校になった。そのはずだったのに
「なんも、変わってないな」
本当に中身のある人間になろうとするのなら、演じる必要はなかった。けれど、実際はどうだ。
いつもは宵乃星の傍にいるからと出していた素は、何も言わずに心の奥に沈んでいた。こんなに、惨めな事はあるか。
青空が澄み渡っている。遠くからは、未だに戦闘の音が鳴りやまない。
私は、こんなにも小さいのに。
「秋波さん」
「え?」
鈴のような声が、背後から聞こえる。
周囲は気にしていた筈なのに、近づかれている事すら気づけなかった。弾かれるように秋波が振り向くと、そこには一人の影があった。
「はじめ、まして?」
「いいえ、ずっと貴方の事を見て来ました。一方的にですけどね」
綺麗な女の人、と最初に思い、次に来た情報に秋波の脳がフリーズする。
その女はあんまりにも、星に似ていたのだ。
銀髪碧眼という特徴もさることながら、洞察力に優れた彼女の瞳が、シリカの動作一つ一つに星を重ねてしまう。
「星ちゃんの、お姉さんですか?」
呆けたままに秋波がそんな質問を飛ばすと、シリカは困ったように微笑んだ。
「まぁ、そんな認識で大丈夫です。重要な事ではありませんから」
シリカは秋波の横に腰かけ、一つ息を吐く。
そして、話し出した。
「星から、一つだけ伝言があります」
「伝、言?」
びくりと心臓が跳ねる。
先程まで星に顔負けできないとまで思っていたというのに、名前を出されただけでここまで高揚してしまう自分を恥ずかしく思った。
とはいえ、それはシリカが紡ぐ言葉から耳を塞ぐ理由にはならず、黙って二の句を待った。
「『秋波、自分で会いに行けなくてごめん。言いたいことは次会った時に話すから、短く伝える」
「……」
困ったような表情で笑う顔の友人の姿が、ありありと浮かぶ。
「『全部知ってる。好き勝手やってこい』」
「……!」
翼は、一人のものではなく