真紅は語る
少しの照明のみが照らす、仄暗い廊下。
その奥から、華火花さんがこちらに歩いてきていた。深紅の髪が僅かに光を反射し、深淵のような瞳が真っすぐにこちらを見据えている。
「ログアウトしてなくてよかった。ごめん、急に呼び出して」
「いえ、用事も特にないので大丈夫ですよ」
静かな声色に、少しの疑問を抱く。
元々華火花さんはテンションが高い方ではなく、淡々とした口調であるのは今更どうこう思ってはいないのだが……トーンが、語気が、言葉を構成する要素すべてに何処か不安に近いものを感じる。
VRゲームはその性質上、気持ちを隠すことは困難だ。
気を抜けば考えていたことが口に出てしまい、体が考えるより先に動くような事態が発生する。
だから、今の彼女が何か昏いものを抱えているのを隠しきれているのは仕方がないと言えるのかもしれない。
「どうかしました?」
けれど、だからこそ踏み込む。
話したいことがあると決心してくれたのなら、せめて彼女が話しやすい状況にするのが自分なりの礼儀だ。
「……このクエストを受けてくれた以上、隠し事はしたくない」
ゆっくりと、揺るぎない意志を込めて彼女は口を開く。
「だから、貴女にも知って欲しい。私が、このクエストに、この世界に挑む理由を」
深紅の少女は示す。己がこの里を襲う災厄に挑む理由、その全てを。
◇
「着いて来て」と放った華火花さんの背中を追いかけて宿屋を出て、里の中を歩き出す。
入り組んだ里の中を一瞬も迷うことなく、確かな足取りで彼女は進んでいく。
最初は大通りを歩いていた物の、いつしか外灯すら少ない路地裏に入っていた。
「ここ」
ぴたり、と彼女は歩みを止める。
他の建物より少し色彩が暗い材質でできているようで、何処か異質な雰囲気を纏う建物が、何を言う訳もなく静かに俺を見下ろしていた。
「……けど、覚悟してほしい」
「覚悟、ですか?」
「うん」
瞳に宿った決意はそのまま、けれど、表情に少しだけ不安を宿して。
「貴方を逃げれなくしちゃうかもしれない。ゲームは本来、楽しむものでしょ?」
「……」
そうか、やっと気が付いた。
彼女がずっと心配しているのは自分の心境じゃなくて、俺だったんだ。
俺を自分の都合に巻き込むことを、この世界に縛り付けてしまうことをずっと気にかけていた。
静かに華火花さんに目線を合わせる。
「大丈夫ですよ。一度引き受けた事を無下にはしません」
できるだけ事務的に、つらつらと述べる。
感情ではなく、淡々と形式に則って言葉を伝えていく。行動を確約する時にはきっと、約束とかそういう確実なもので伝えた方がいいのだろうと思ったから。
「ありがとう、ほんとに」
微笑んでそう言った彼女に、笑みで返した。
「それじゃ、案内する。おいで」
そう言葉を放ちながら、慣れた動きで彼女は扉に手を掛ける。
がちゃりと控えめな音を立てて開かれたその扉の先に広がっていたのは、一寸先すら見えないような闇だった。
いや、一寸先も見えないというのは少し違った。一切の照明がこの先には無いが、ゲーム的な補正からか大体の輪郭は把握できる、ぐらいの明度だ。
それでも暗くはあるのだけど。
「ここは……言葉を選ばないなら、隔離施設。一部のNPCが軟禁されてる」
彼女は暗闇の中を進みながら、口調は崩さずとも言葉の節々から悔しさがにじみ出るような声で言葉を紡ぐ。
「入るよ」
ふいに立ち止まり、右を向いてから華火花さんはノックする。それが向かう先は俺ではなく、扉の向こうの誰かだった。
「いいよー!」
壁を隔てた先から僅かに響くのは、隔離施設という言葉には見合わない程ハツラツとした幼い少女の声。
っていうか、許可を下したのに向こうから開けなかった?開けるための許可じゃなかったの?
「いらっしゃい!みつかおねえちゃんと……しらないひと!」
灰色の髪を自らの大きな動作で揺らし、小さな体を全力で動かして自己をアピールするその少女は、外見的には吸血鬼には見えなかった。
宿屋に行くまでやここまでの道のりの中で結構な数のNPCを見てきたが、そのどれもが深紅の髪を揺らしており、前歯には八重歯が見えた。
少女の部屋から漏れる僅かな光での確認なので不確かではあるが、今まで見てきた吸血鬼たちとは似て非なるものな気がしてならなかった。
「おねえさんはなんていうの?」
数秒経ってから俺に話が振られていることに気が付く。お姉さん呼びは流石にまだ慣れないな……
「スタラ・シルリリアだよ。スタラって呼んでね」
膝を曲げ、彼女に視線を合わせてから自己紹介する。これが相手と同格に感じさせる幼子との会話テクニック……リアルでは小さい子と話す機会が殆ど無いので付け焼き刃だが。
「あたしはナーラ!」
「よろしくね、ナーラちゃん」
「うん!」
満面の笑みで受け答えた彼女に軽く手を振る。この湿った感じの場所とは真逆の女の子だ、メーターが光属性に振り切れている。
「きょうはどうしたの?」
「ん。この人の紹介と、様子を見に来たの」
「そっか!元気!」
話が早いを越えて会話が圧縮されている。当人が楽しそうだから良いんだけどね?
そんな調子で、静かに質問したり話かける華火花さんに対してその三倍は明るく返答するナーラちゃんの構図が繰り返され……あ、今俺に言ってた?えーっとねぇ
◆
それから数分が経って。
「じゃあね!」
「またね、ナーラちゃん」
「また」
ある程度の会話を終え、華火花さんは振り向きながら扉を閉じる。そして、小さく息を吐き出してから一言。
「めっちゃ可愛いでしょ?」
突拍子もなく、そう質問した。
「そう、ですね。明るくていい子でした」
質問の意図はわからないものの、返答は本心だ。幼さを前面に出した口調や動作ではあったものの、素直で、明朗快活な女の子だった。
「それが、理由」
そうだったのかぁ……ナーラちゃんが可愛いからクエストを頑張ろうとしてたのかぁ。
「ちょっと、補足する。あの子が置かれてる境遇が理由」
俺の考えは大きく外れていたようで、通常の軽い考えに戻りかけていた思考をシリアスに叩き戻す。
「さっき言った通り、あの子は隔離されてる。ナーラだけじゃなくて、色んな人も」
「何で……」
思わず零した疑問に、表情のはっきり見えない筈の暗闇の中でさえわかる程苦悩の空気を纏って答える。
「『魂を喰らう者』と違うから」
吐き捨てるように言い放ったその言葉への追記を、俺が口をはさむ間もなく彼女は述べる。
「私たちは魔物とかのHPを奪って生きてる。けど、あの子たちはMPを消費して生きてるの」
華火花さんがゲーム的な用語で説明したそれは、世界観的に言えば吸血鬼は血で、ナーラちゃんたちは魔力で生命維持をしているという事なのだろう。
「稀に生まれる特殊な体質、それを忌む風習。そんなものの所為で、ナーラたちはここまで追いやられた」
苦虫を噛み潰してまだ足りぬといった具合で表情を曇らせ、彼女はそう呟く。
「あの子たちは空気中からMPを吸収できるの。だから、私達みたいに誰かから奪ってるわけじゃない、優しい子たちなのに」
淡々とした口調が少しずつ崩れていく。話しながら感情がヒートアップしていっているようで、語気が強くなっていく。
「里長もそれを変えたいらしい。それに、このクエストが済めばどうにかできる目途が立つって言ってた」
抗うように、しかし祈りを込めた言葉が紡がれて。
「それが本当なのかは知らない。けど、私にはそれしかない!それで、あの子が報われるならっ……!」
外に繋がる開けられたままの扉から、風が吹き込む。風を受けて、彼女の頬から眩い雫が一滴、零れ落ちた。
VRシステムが一定以上の感情の昂ぶりを受理すると流れる涙、システム的な動作ではあるモノの、その涙に籠っているのは彼女がこのゲームに、あの少女に注ぐ思いそのものだった。
流れたのは、少しの静寂。
彼女は荒ぶる感情を抑え込み、俺は只ひたすらにそれを待っていた。
今言葉を掛けたところで焼け石に水にも満たず、それは彼女のためにならないと
「ごめん、ゲームにこんなに熱く……」
「華火花さん」
──ならないと、想ったはずだった。
何処にモチベーションがあるのかは人それぞれで、それに口ははさみたくないと思っていた。けれど、それを自分で否定してしまうのは、違うんじゃないか。
「自分の気持ちまで否定しないでください。此処でも、それは本物だったんじゃないですか?」
「……っ!」
「私は変わらず、華火花さんに協力します。だから、頑張りましょう?華火花さんの目標のために」
あぁ、言ってよかったのかなと。こんなに短い付き合いなのにここまで踏み込んで良かったのかと。
弱音を吐き続ける心を自分で叩き潰す。間違いでも、ここで逃げたら何もかも違う気がする。それで拒絶されたらもうそれは、全部俺の落ち度だ。謝罪コマンドを連打するしかない。
けれど、それも杞憂だったようで。
「そう……だね。ごめん、有難う。よろしく、スタラ」
晴れやかに笑う彼女の表情に、自己否定が含まれているようには見えなかった。
よっし、綱渡りと言うか自分で綱に飛び込んだけどギリ成功で良いだろう。
NPC相手ではやったことがあったがプレイヤー相手は流石に無かったからな。どうにかなってよか
「やっぱりまだはなしてた!まぜて!」
「防音….…」
意外とこの建物は防音性能が低かったようで、勢いよく開けられた扉からナーラちゃんが出てくる。余韻に浸らしてくれたりは……しないですよねそうですよね。
しっとりとした会話だったはずなのに急に空気がカラっとした。