一つだけ、答えがあるならば。
「助けてっ……!!」
血だまりの中で、叫んでいる人がいた。
化け物を目の前にして、縋ることしか出来ないのだろう。
「朱月!」
その人物の頭上を通り抜けるように朱い三日月が走り抜け、その向こうに立っていた怪物の胴体を切り落とす。
一体。
「秋波、避難を」
「わかった!」
後ろで控えていた秋波が一般人を避難させ、離れていく。
最近の秋波は、情報収集だけではなくなっていた。
周囲の見回り、一般人の避難、戦いやすい場所への誘導。
その適応能力の速さは、異常と言っても良かった。そうやって褒めると、「これしかないから」と彼女は少し悲しそうに笑う。
「蜥蜴人か」
刃物を手に持った、二足歩行の爬虫類。
速度も、耐久も。脅威にはなり得ないだろう。
「お願いします!!私の伴侶の……仇を!!」
秋波に避難誘導されていた人物の声が聞こえた。
嗚呼、この血だまりはそういうことなんだと、理解した。その上で、何の感情も無かった。
救えなかった人が、一人増えたんだ。数えるのは、もうやめたけれど。
倒すのは当たり前。
だから、仇も何もない。
俺の姿を見て恐怖しているのか後ずさりする蜥蜴人に、舌打ちする。知能がある。面倒くさい。
(……)
前までの俺だったら、知能を持った生物を殺すことに躊躇があった。
でも、人間ってのは身勝手なものだ。もう、慣れてしまった。
(空、さん)
頭の中で響き続ける、シリカさんが俺を呼ぶ声は、聞こえないふりをした。
◇
それからも、何体も魔物を斃し続けた。
人を助けたこともあった。──助けられない人も、居た。目の前で失った人は居なくとも、その残骸は、その残り香は、確かにそこに在って。
救えなかったんだな、と思う心は、少しずつ遠ざかっていく。
まともな感性が消えていくのが分かった。
魔物を斃すことに不安を感じない。刀を握る手から、感情が消えていく。
命の危機が、遠くに見えた太陽みたいだった。
俺はもう、人間じゃなくなったのかもしれない。
いつもと変わらない教室の中で、そんな事を薄く思っていた。でも、それで誰かを助けられるなら、それでいいと思い続けている俺もいた。
「宵乃君」
「え?」
ふと、隣に座った三花に声を掛けられる。
「大丈夫?」
「……そんな体調悪く見えた?」
心配そうにのぞき込んでくる顔が、そこにはあった。
「夜更かししちゃってさ、気分悪」
「違う、でしょ」
「え?」
首元に、刃物を突き付けるように。
静かに、それでもはっきりと。彼女は、その直感をぶちまけた。
「ただ夜更かししてる感じじゃない……ちょっと前までの、私の友達みたい」
「!」
名前を出さずとも、理解できた。
あの時。月光武闘会の予選に参加していたときの、俺の事を指しているのだと。そこまで、擦り切れていたのか。追い込まれていたのか。
遅れて実感が追いついてくる。
「やっぱり近いから不安?」
学校祭の事だろう。
いつの間にか、学校祭までそう時間はないようだった。あと数日、ほんの数日で、学校祭は始まってしまうらしい。
学校全体に喜色と緊張が入り乱れ始めている中で、不安を感じているのであろう人が居るのも確認できた。俺もその一人だと推測していたのだろう。
「いや、そういうのじゃ……ないんだけど」
「……そっか」
素っ気無く返事をしながら目線を逸らした彼女の様子は、何処か寂しそうに見えた。きっと、気のせいだろうけど。
「何かあったなら言って。私は宵乃君の事、友達だと思ってる」
「……」
返事をしようとして、口を動かして。
でも、喉が渇き切ったかのように言葉を発させてくれなかった。今ここで、全ての事を打ち明かしたらどうなるのだろうか。
この救いようのない憂鬱は、少しは晴れるのだろうか。
でも、それはできないだろ。
秋波を巻き込んで、それに三花まで?驕るなよ。
これは、俺の罪だ。
俺の責務だ。
救えない命を嘆く人間が増えるなんてことは、許しちゃいけないんだから。
◇
「今日は遅かったね。星ちゃん」
「うん、ちょっとね」
外灯の下で、いつものように彼女は嗤った。
人懐っこくて、どこか憂い気で。
その笑顔に、救われてしまっている自分が大嫌いだった。巻き込んだんだぞ。利用してるんだぞ。
お前は、お前は、お前は、お前は……
「ねぇ、秋波」
「うん?」
歩き出そうとした秋波がくるんと回り、俺の眼を見る。
「辛くない?」
咄嗟に出たのは、誰のための質問だったのだろう。
こんな使命に巻き込んだ秋波の事を心配して口にしたのか。それとも、これで辛いと答えてくれれば、俺も逃げれると思ったからなのだろうか。
もう、俺の感情が、自分でも理解できなかった。
でも、辛いと答えてほしい。
それだけは、確かだった。
「いいや、そんなこと無いよ?」
そんな浅ましい願望を、彼女は笑顔と共に撃ち滅ぼす。
「そりゃ、死んじゃう人だっているし……辛いことも、あるけどさ」
秋波は目を閉じ、追憶に思考を浮かべて、苦い顔をする。
俺がたくさん人を救えなかったのだから、隣でそれを見てきた秋波だって、同じ苦しみを覚えたのだろう。
でも、彼女は瞼を上げて、再び笑ってみせた。
「その代わり、色んな人が助かった。殆ど星ちゃんのおかげなんだけどね?」
「……そうかな?」
「うん、それだけは、私が絶対曲げさせない」
彼女は力強く言い切る。
「私の力じゃないけど……感謝されて、嬉しいこともいっぱいある。やっと、人の役に立てたんだって思う」
「……」
秋波は自由でそれでいて、真面目だ。
不登校になっていることに引け目を感じていて、その上で誰かの役に立ちたいと心から祈っている。
どれほど擦り切れていたとしても、それに気づかない程馬鹿では無かった。
「だから、辛くないよ」
スタラの小さな手を、秋波が両手で包む。
暖かい。
「それに、友達と一緒だしね!」
冗談っぽく彼女ははにかんだ。
「そっか……そうなんだ」
否定してほしかったのに。辛いって、縋って欲しかったのに。
彼女が嬉しそうに笑ってくれるのが、何でこんなにも。
「え!星ちゃん!?」
視界がにじむ。何もかも、視えなくなってしまう。
足に力が入らなくなって、体勢が崩れる。
削れていった何かが、開いた穴が。満たされていくような感覚に、体が追いついていなかった。
「どうしたの……!?救急し」
「ありがとう」
震える咽頭が、情けない声を漏らす。
けれど、それを認めるように秋波は黙って手を伸ばした。泣き叫ぶ子供をあやすように、優しく、包み込んだ。
「いつもありがとう。星ちゃん」
「うん……うん……」
一人の少女の泣き声は、夜の街にかき消される。
それを訊くことができたのは秋波と……ただ、もう一人だけが。
◆
「おかしい、おかしいでしょ!」
夜空の破片、その中でシリカは吠える。
「何で、あの子だけがこんなことをっ!!」
秋波を越える程密接に、彼の旅路を隣で眺め続けていたシリカだからこそ、その違和感が醜悪でたまらなかった。
無辜の民を守るために、彼は命を懸け続けて、精神をすり減らして、それでも戦っている。
それが間違っているなんて、冗談でもいえない。
私が、導いた道でもあるのだから。
それでも、辛い過去に無理矢理背を押されて戦い続けるのは、あの年の子に背負わせるには余りにも。
「……これが、貴方の選択だというのなら」
スタラの元へシリカを飛ばさせた、ある男へと言葉を紡ぐ。
彼が良心の呵責に呑まれながらも選んだ道がこれなのだと、言うのなら。
「私も、好き勝手選ばせてもらう!!」
今は時間に猶予がある。
秋波という存在が居たことによって、空には寄りかかれる支柱ができた。でも共依存の果ては、惨い結果しか残らない。
だから、今動かないといけないのだ。私は、無力な、私は!
夜空散りばめられた宝石の中、孤独な戦いが始まった。