根っこの部分は
「シェリーヌ公爵令嬢。わたしには前世の記憶があります。日本人で名前は、里見 健です。健という名前は、西洋かぶれの父親がわたしにつけました。父親は海外で飲食店を経営していたんです。終戦で日本へ引き上げてきましたが、欧米文化への憧れは強かったようで……。みんなが着物を着ているのに、わたしだけ洋装。まだ小学生だったわたしは周囲から浮いてしまい、苦労しましたよ」
「さ、里見健……って、まあ、なんで、どうして! ぼ、坊ちゃんじゃないですか!」
坊ちゃん!
前世での話です。都会から転校してきた男の子がいて。
彼だけは髪が長くて、紺色のズボンに白のハイソックスに革靴を履いていたから「坊ちゃん」と呼ばれていました。
他の男子とはちょっと違うので、女の子たちはみんな緊張していたんです。
何よりまだみんな着物を着ていたから。洋装の男の子ってだけで、近づきがたいとなってしまい……。私は昔から物怖じしない性格でしたからね。平気で坊ちゃんに声をかけて……。
坊ちゃんとは何度か町の本屋まで、バスに乗って行ったことがあります。普段は、駄菓子屋さんで小学生向けの雑誌を買っていました。ですが駄菓子屋にはない文庫本を買う時は、町まで行く必要があって……。そう、洋書を私に薦めてくれたのも坊ちゃんでした。
一人洋装で、洋書も知っていて、髪も長く、鼻水を垂らすことなく、頭も良かったのに。
栗のイガの剥き方を知らなかったんですね。いきなりイガを掴んで「痛いっ!」となって……。
「静江さん、思い出してくれているんですね。わたしのことを」
久々に呼ばれた前世の名前に、涙が出そうになります。でもどうして坊ちゃんがここに? まさか……。
そこで紅茶が届き、会話はしばし中断します。さらに店内に甘い香りが漂い始めていることに気が付きます。すっかり話に夢中になり、それ以外のことに気が向いていなかったようです。
改めて坊ちゃんを見て……いえ、彼はセシリオ。ただ、何でしょう。私は坊ちゃんの小学生時代しか知りません。彼が成長した姿が分からないので、大きくなったら、銀色の瞳にアイスブルーの髪になっていたとしても……違和感がないといいますか。
だって当時から坊ちゃんは、周りにいた男子とは違っていましたから。それに最近の若い子は髪の色も様々。瞳の色も……なんとかレンズがあるんですよね。目に入れるレンズが。正太郎と孫が「眼鏡で我慢しろ。大学生になってからだ」となんとかレンズにするか眼鏡にするかで言い争いをしていた記憶があります。
紅茶を一口飲むと、セシリオ……いえ、もう坊ちゃんと認識してしまいましたから、坊ちゃんとしか呼べなくなりました。その坊ちゃんが、話を再開させます。
「わたしは中学生になる直前に、転校したでしょう。父親と一緒に、英国に渡ったんです。その頃は、国際郵便なんて簡単にできるものではなかった。それでも何度か手紙のやりとりをしましたよね」
そうなのです。あの時はもう大変でした。アルファベット? 英語? でしたからね。それでも必死に、近所の頭がいいと言われた高校生に協力してもらい、確かに坊ちゃんに何度か手紙を送りました。
「でも父親は英国内でもあちこちに引っ越したので……。いつしか静江さんとも音信不通になってしまいました。その後はずっと。英国で育ち、そして……結婚もしました。娘と息子、一人ずつ恵まれ、孫も。ですがガンが発見されて。最期にどうしても日本で過ごしたいと、わたしは単身、日本に渡りました。既に妻は他界していたので」
まあ、そうだったのですね。でも……そうです。私にも私の人生があったように。坊ちゃんは坊ちゃんの人生があったわけです。でもまさか英国で! 奥様は英国人の方だったのですかねぇ。
でも、そうですか。ガン。最期を日本で過ごしたい……。どんなに長く英国で暮らしても、坊ちゃんの根っこの部分は日本にあったのでしょうね。