えええええっ
ビシャッとジュースを顔から被っていました。
「シェリーヌ公爵令嬢!」
驚いたセシリオがすぐにハンカチを取り出し、顔のジュースを拭いてくださります。クランベリージュースのいい香りがしますが……。
水色のグラデーションの素敵なドレスは台無しです。せっかくオーダーメイドしたのですが、仕方ありませんね。
「まあ、申し訳ございません! わたくし、手が滑ってしまったのね!」
「いいえ、仕方ないですから。お気になさらないでください。むしろほら、ここにジュースがこぼれています。アップルトン侯爵令嬢のドレスも汚れてしまいますよ。お気遣いなく、広間にお戻りください」
「シェリーヌ公爵令嬢、着替えのドレスはお持ちですか?」
セシリオが私とアップルトン侯爵令嬢の間に割って入るようにして、声をかけました。
「はい。馬車に予備のドレスを積んでいます」
イブニングドレスは繊細ですからね。ビリッと破れたり、刺繍がほつれたり、飾りが取れてしまうなんてよくあります。そのため、針子さんも待機していますが、予備のドレスを持参することが令嬢の嗜みの一つだったりするのです。
「ではわたしの護衛騎士に取りに行かせましょう。そしてわたしが滞在している部屋にご案内します。すぐに入浴の準備を整えさせますから」
「「えええええっ」」
私とアップルトン侯爵令嬢が、同時に叫んでいます。
友好国の皇太子ですから、宮殿に部屋を用意いただいているのでしょう。
その部屋に私を案内いただけるなんて!
こういった舞踏会では、VIPの皆様のために控え室が用意されているはずです。そこで着替えさせていただくだけで、十分なんですよ。
「セシリオ皇太子様、着替えができれば十分ですから。私は控え室へ行きますので」
「そうですわ! 皇太子様のお部屋に女性を連れ込むなんて、変な噂も立ってしまいますわ!」
私とアップルトン侯爵令嬢が被せるようにそう言うと、セシリオは……。
「シェリーヌ公爵令嬢、顔だけではなく、髪にもジュースがかかっているのです。美しいブロンドがクランベリーの果汁でべとべとなんですよ。どうか、わたしの部屋で入浴なさってください」
真摯にそう言った後、セシリオは少し冷めた表情でアップルトン侯爵令嬢に告げました。
「わたしの部屋にシェリーヌ公爵令嬢がいらっしゃる。それを知るのはここにいる者たちだけです」
今、この軽食部屋にいるのは、セシリオ、アップルトン侯爵令嬢、私、そしてセシリオの護衛騎士たちだけです。
「もし変な噂が立つのであれば、それはアップルトン侯爵令嬢、あなたを疑うことになります。……そんなこと、されませんよね? わたしの名誉を傷つけたくないのなら」
これにはアップルトン侯爵令嬢は「うっ」と短く唸り、そして「も、勿論です。一切、口外しません」と答えるしかありません。これを聞いたセシリオは護衛騎士を呼び、予備のドレスを取りに行くこと、先に部屋へ向かい、入浴の準備をするよう、指示を出しました。
「ではシェリーヌ公爵令嬢、参りましょう」
もうここまでされてしまうと従うしかないですよね。
「ご両親といらしていますよね?」
「はい」
「ではそちらにも伝えておきましょう」
さらに護衛騎士に指示を出し、五人いた護衛騎士のうち三人が、私のために動いてくださっていることになります。これにはもう、申し訳ない気持ちでいっぱいです。本来、セシリオの護衛として動くための騎士なのに!
セシリオにエスコートされ、歩き出すと、アップルトン侯爵令嬢の悔しそうな目と目が合いました。これは本当に困ってしまいます。ですが私は好んでセシリオの部屋に行くわけではないのです。ここはただお辞儀をするしかありません。
軽食部屋を出ると、セシリオは宮殿内の廊下を通らず、なんと庭園に出たのです。
なぜ、と一瞬思いましたが、すぐに理解しました。
人目を避けるためですね。
皇太子という立場ですから。変な噂が立つと困ります。さらに庭園を通ることで、私のみっともない姿をさらさないで済みますからね。この配慮には感謝しかないわけです。
しかし夜の庭園とは。
普段、夜に庭園を散歩することなんてありませんからね。なんだか不思議です。
「!」
ふわりと甘い香りを感じますが、自分が被ってしまったクランベリージュースの香りのような気もします。