切なる願い
タイドにもし「失明するその時までに書けた分でいいから。お願い、書き続けて」と頼まれた場合、「書き途中のものでもいいの?」と問い返してしまうと、ソラリスは自覚していました。さらに「途中でも構わないから、失明するまで書いて」とタイドに頼まれれば、「分かったわ」とソラリスは返事をしてしまう――自分の弱さを理解していました。
そこでまさに獅子の子落としのように、ソラリスはタイドを突き放すことにしたのです。もう嫌われても構わないと決意し、原稿を渡さないという暴挙に出たのですが……。
それでも。
それでもどうしても下巻の原稿が必要だと言われた時のために。
ソラリスは、下巻の原稿を用意していたのです。それは思いがけない場所から発見されました。
オウムの鳥籠は、底にニュースペーパーを敷いていました。糞などの処理をしやすくするためです。毎日交換が必要なため、ニュースペーパーは紙袋に入れ、ストックされていました。そこにこっそり隠すように、例の新刊の下巻の原稿が入っていたのを、まさに今朝、ヘッドバトラーが発見していたのです。
ソラリスはこの下巻の原稿を、タイドがどのような言動をとったら渡すつもりだったのでしょうか。それはもはや分かりません。ですがそれを渡す前に、タイドにより、彼女は命を落としてしまいました。
『楽園喪失』の最後には、ゼロから物語を生み出すための、ソラリスなりのアドバイスも書かれていました。タイドになんとか自力で物語を作る力を身に着けて欲しいという、切なる願いが綴られていたのです。
「すべてを知ったデンジャーはどんな態度なのですか? ソラリスが失明のリスクを抱えていたこと。それに『楽園喪失』はまだ読んでいないのですよね? 読みたいと、本人は言っているのですか?」
私が尋ねると、ポマードは腕組みをして大きく息を吐きます。
「読むことをすすめたら『読むつもりはない』と断固拒否だった。理由は、こんな状況で読んだところで、何の役にも立たないから……ということだったが、別の隊員が『獄中で書いた手記は、売れるらしいぞ。出版社が本にしてくれる』と嘘か本当か分からないことを吹聴したら、目つきが変わっていたな。もしかしたら急に『読む』と言い出すかもしれない」
「失明の件については?」
シャールがさらに尋ねると、ポマードは「うーん」と、口をへの字にしています。そして先ほどより盛大なため息をついて答えました。
「そこでようやくだよ。嫌がらせや意地悪で原稿を渡せないと言ったのではなく、自身が失明したら、もう原稿を書けなくなるから、『原稿を渡せない』と切り出したと知った瞬間。ようやく自分がとんでもないことをしたと気づいたんだな。初めて涙を見せたよ。根っこまで悪魔かと思ったけど、人間の部分が残っていたんだな」