人気(ひとけ)のない裏庭で
きっかけは……。ジョナサンでした。
婚約者ですから、毎日の登校は彼と一緒です。そこでジョナサンが、こんなことを口にしたのです。
「ミーチェは、なんだか顔が丸くなりましたね」
これは偉大な映画監督であり、お笑い芸人である、あのマルチタレントのように。
ハリセンで、この金髪碧眼の王子様の頭を、はたきたくなってしまいました。
まったく、レディ相手に何を言うのですか!と。
ただ……思い当たる節はあります。最近、やたらほっぺの内側のお肉を噛むんだもの。これは太った証拠では?
この世界にやってきて、入れ歯が不要となって、胃もたれもしないでしょう。それに毎食テーブルには、ご馳走が並びます。お茶と食後には、甘いスイーツもたっぷり。そうなったら食べますよね。残すのはもったいないと思いますから。
こちらの世界にやってくる前は、歩いてモンスターを捕まえるゲームもやっていました。私の入居していた老人ホームにね、そのゲームのスポットみたいなものがありましたので。
でもあれはチームカラーが分かれていたから、入居者同士で、ちょっとした喧嘩にもなっていました。
ともかくそのゲームもありましたから、お散歩もよくしていました。でもそんなゲームもないでしょう、この世界は。乙女ゲーム、っていうのにね。ここでゲームと言えば、チェス。
チェスは覚えましたけど、勝てません。ミーチェの父親や兄と対戦しても、歯が立ちませんでした。
それはいいとしてね。とにかく、この世界に来てから、沢山食べています。でもね、運動はしていません。そうなりますと、必然的に太りますよね。
ただ、こちらの世界に来る前は……最期の三か月は、食欲なんてなかったですから。再び食べ物を美味しいと感じ、何の制約もなく、食べられるとなって、つい食べ過ぎてしまいました。
……どれもこれも苦しい言い訳ですね。事実は一つ。婚約者から、太ったことを遠回しに指摘されるという由々しき事態になっていました。ただ、鏡をみる限り、そこまで、そこまでではないわよね……?と思ってしまいます。が!
運動を始めることにしました。放課後に。女学校の、人気のない裏庭で。
元の世界の老人ホームでは、毎朝、近くの公園へ移動し、ラジオ体操をしていました。第二まできっちり。ひとまずそれを、鼻歌まじりでやることにしました。
「ご令嬢、その運動は何ですか?」
突然、空から声が聞こえてきました。もうリリーさんと二人で、腰が抜けそうになりました。この世界、もしかして宇宙人もいるのかしら!って震えましたよ。恐る恐るリリーさんと二人で、空を見上げます。……UFOは見えません。
怖いですね。幻聴でも聞こえたのでしょうか。
そう思いました。そこへ再び声が聞こえたのです!
「ここです、ここですよ、ご令嬢!」
再びの声に驚きつつも、どこからその声がするのでしょうか。空からではありません。でも上の方から聞こえました。
「あらまあ!」
女学校の敷地をぐるりと囲む高い塀を見て、その塀の向こう側の、塀より高い木の天辺を見ると……。衝撃的ですよ、そこにエドマンド・トリーリがいるではないですか!
「リリーさん、あそこに人がいますよ」
「えええ、お嬢様、どういうことでしょうか!?」
どうしちゃったのかしら? なんで木の天辺に、ヒロインの攻略対象がいるのかしら?
私の孫は、サプライズ好きですね。
「きゃあああ」
「リリーさん、どうしましたか!?」
「飛び降りました!」
「えええええ!」
リリーさんの言葉に木の方を見ると、天辺にエドマンドの姿はありません。でも塀の上に、エドマンドがいるではないですか! 木の天辺から、エドマンドは高い塀に、乗り移っていたのです! それでその塀から、するするっと降りてきました。これはあれ、あれよ、あれ。
ほら、あれ! えーと……。
歳をとると、テレビ番組の名前が、なかなか出てこないのよ。もう、本当に困っちゃうわねぇ。
あらやだ。私、今は十六歳よ。
ともかく年末にね、放送している番組。一般人からスポーツ選手まで、障害物にチャレンジして、ファイナルステージを目指すあの番組。あー、もどかしくなってしまいます。若返って十代なのに、ここではない世界のことを思い出そうとすると、なかなか出てきません。
ともかく言えるのは、まるで忍者よ、忍者!
私のところまでやってきたエドマンドは、白シャツに革のズボンに……足は裸足。初冬の寒い季節です。エドマンドは寒くないのでしょうか!? それにやはり、シャツのボタンが開いているのですが……。腕のシャツも、めくりあげています。
「風邪を引くわよ」とそのボタンをとめ、袖をおろしたくなっていました。
でも今はそれよりも……。