最初で最後
覆面作家なのに、平気で顔をさらした。
もしかするとタイドはどこかで、自身の終わりに気づいていたのかもしれません。こんな風にファンに囲まれ、サインをせがんでもらえるのは、これが最初で最後であると。自分が咎人であることを、頭の片隅で自覚していたのかもしれません。これは私の想像に過ぎませんがね。
とにもかくにもタイドは、突然やることになったサイン会を、楽しんだようです。そしてポマードが王都警備隊の隊員と知り、興味が湧きました。その興味の起点はこんなところにあります。
タイドは、ソラリスが一命を取り留めたと思っている一方で、背中から刺され、首も斬りつけられているのです。大怪我を負っていることは、この時のタイドでも想像できます。そうなると例え生きていても、大怪我をさせた犯人逮捕に向け、王都警備隊は動いている――そう考えました。
タイドは、自分のところへ王都警備隊の隊員が訪ねてくる可能性はあるのかと、気になりました。どんな捜査をしているのか、知ることができれば。自分のところへ王都警備隊が訪ねてくる可能性を、推測できると思いついたのです。
そこでタイドは「私、普段、クライム・ノベルは書かないけれど、興味がありますの。皆様が捜査する様子、拝見させていただいてもいいかしら? サイン会にも協力しましたし、いいですわよね?」と私達に提案。即席サイン会までしてくれたタイドに対し、「それは困ります」なんて言えるわけはなく。店主に話を聞く場に、タイドも同席したわけです。
この時、本屋の店主テトだけが、全てを知っている状態でした。
彼だけが禁じ手を使い、封筒の中のソラリスの遺作を読み、それが自伝に近い物語であると知っていたのです。タイドとソラリスの歪んだ関係も、分かっていました。
その一方で、覆面作家ゆえに、これまでこの本屋に来て、二階のカフェをタイドが利用していたことにも、テトは気づくことができませんでした。でも今は、はっきりこの女性がタイドであり、エミリー・デンジャーであると分かっています。
表面的には普通にしていましたが、目の前にとんでもない悪魔がいるのです。きっと落ち着かなかったことでしょう……。
それでもこの時点ではまだ、ソラリスを手に掛けたのがタイドだとは、判明していません。むしろタイドこそが、ソラリスを最も手に掛けない人物だろうと、テトは思っていたはずです。
なぜならタイドがタイドとしてこの世界に存在するためには、ソラリスが必要だったからです。ソラリスの原稿が、タイドには必要だと、テトは分かっていました。
それでもタイドの本性を知りながら、あれだけ堂々と話せたテトは、すごいと思います。
そのテトは、ソラリスが殺害された件と預かった封筒の原稿の件は、別々のこと、関連性はないと考えていました。それは繰り返しになりますが、タイドにとってソラリスが、必要な人材だったからです。よって封筒の件を話す必要はないと思いつつも、テトは不安になっていました。
目の前にいるタイドを見ていて悪寒が走ります。何食わぬ顔で自身の話を聞いているタイドの顔に戦慄が走っていました。なぜならソラリスを失ったことへの悲しみが、タイドからは一切感じられなかったからです。
タイドには、触れてはいけない深い闇があるのかもしれないと感じたテトは、封筒の話を私達にしておくことにしました。もしも何かあった時、私達が封筒の件を覚えていてくれれば、それはきっと解決のための糸口になってくれる――そう考えていたのです。
テトがそんな風に思いながら話しているのを聞いていたタイドは、何を思っていたのかというと……。