合言葉
「表の出口の鍵が閉まり、でも裏口の鍵は開いている。そして店員の姿がない。客観的にその状況を想像すると、泥棒が入った直後のように思えてしまいます。それに閉じ込められたと思ったら、まずは二階のカフェの方に行きませんか? それとも二階にカフェがあることを、ご存知なかったですか? あの本屋はいつも二階のカフェで焼いているスコーンやパンケーキのおかげで、甘い匂いが漂っていると思うのですが」
確かに甘い香りが漂い、二階へ続く階段があり、その手前にはカフェを案内する看板も置かれていました。一階に店員はいません。でも表のドアの鍵がかけられているのです。そうなったら裏口を目指すより、二階に店員がいないか、確認するだろうと、隊員は考えました。
王都警備隊のこの隊員は、着任して間もない、ポマードと同じ下っ端でした。ですが王都育ちであり、この本屋のことも昔から知っていたのです。
ゆえにタイドの完璧すぎる回答に違和感を覚え、この質問をするに至ったのでしたが……。
タイドとしては、こんな風に言われることは想定外。思いっきり動揺し「急いでいますので」と、犯行現場から早く立ち去りたい心理に突き動かされます。対して隊員は冷静なので、タイドのこの急に慌てた様子に不信感を覚え、「申し訳ないのですが、そうはいきません」となったのです。
そうしていると店主を抱え、血相を変えたエドマンドが今度は裏口から出てきました。すぐに隊員の隊服に気づき「王都警備隊の方ですよね! 大変です。この店の店主の胸に、短剣が刺さっており、倒れていました。息はまだあります。この辺りに診療所はありませんか!?」となったのです。
この瞬間。
隊員は笛を鳴らします。
これは火事や事件を知らせる音で、それはよく通る大きな音です。
裏路地とはいえ、人通りはゼロではなく、近くの金物屋のいかつい職人も出てきました。
こうなるともう、タイドは逃げられません。
エドマンドは街の人の案内ですぐに診療所に向かいます。隊員はタイドを拘束、さらに街の人が王都警備隊の屯所へ向かい、応援が到着。
一時、この場は野次馬も来て、大騒ぎになりました。
タイドは一番近い王都警備隊の屯所に連行され、まずそこで尋問を受けます。その際中にも店主を診療所の医師に任せたエドマンドが屯所を訪れ、本屋の店主テトから聞いたことを隊員に伝えました。
「短剣で店主を刺したその女性は、作家のタイド・ティント・メーです」
◇
ソラリスが、自身の書いた物語を入れた封筒を、あの本屋の店主テトに渡した時。
合言葉としてこう言うように伝えていたのです。
「タイド・ティント・メーと名乗る女性がカウンターに来たら、『あなたの処女作とされる「悪事と報い」を執筆したのは誰ですか?』と尋ねてください。そこで『ソラリス・ママレード』と答えたら、この封筒を渡してください」
この時、本屋の店主テトは「まさか」と思っていました。
まさか、そんなと。
『悪事と報い』と言えば、タイド・ティント・メーのデビュー作です。
善人を救うため、悪魔に心を売った青年の物語で、以後のタイドの作品の原点と言われています。タイドは聖獣と悪魔の戦い、凶暴化した動物との人間の死闘など、ダイナミックな物語で知られますが、その根底に描かれているのは、「善悪とは何であるか」というテーマです。その出発点がこの『悪事と報い』でした。
まさかそれを執筆したのはタイド・ティント・メーではなかったのか。この目の前にいるソラリスだったのか。店主テトは、衝撃を受けます。
私だってこの話を聞いた時は、シャールと顔を見合わせ、言葉が出ませんでした。しかも衝撃はさらに続きます。
店主テトは、まさに『悪事と報い』を地で行くような行動をとってしまうのです。