命と同じぐらい大切な
「タイド女史と故ソラリス未亡人の関係を踏まえると、本屋の店主に物語を預けたことも、特に変ではないのかもしれませんね。故ソラリス未亡人は、タイド女史からしたら古参のファンであり、特別なのですよね。その故ソラリス未亡人から、合言葉を伝え、本屋で受け取って欲しいものがあると言われたら……タイド女史としては『行ってみようかしら』と思えたのでは? ……もしかするとまさに今日、受け取りに行ったのではないでしょうか?」
私の話を聞いたジョン・ハーパーは、同意を示してくれました。
「そうだと思います。きっと故ソラリス未亡人から届いた手紙を見て、本当はすぐにでも本屋に行きたかった……はずです。ですが実はここ一ヵ月、タイドは大変だったのですよ」
再来月、タイドは新作を出す予定でした。先月、書き上げた原稿を出版社に持ち込むはずだったのですが……。タイドの住んでいた家に泥棒が入り、金品を奪われた上に、書き上げた原稿も盗まれたというのです。
作家にとって、命と同じぐらい大切な原稿を盗むなんて。
犯人は押し入った家の住人が、タイドであると分かっていたのでしょうか?
ちなみに当該の新作は、上中下と三冊の販売を予定していました。今回盗まれたのは下巻。上巻と中巻は、既に編集部に納品されていました。そこで急遽、上下巻で出版することになり、その編集作業に追われているそうです。タイドによると、頭の中に物語は残っていたものの、細部は忘れています。そこで担当の編集と共に、なんとか書き終えたとのこと。
「三日前に、ようやく印刷所に原稿を持ち込むことができたと聞いています。この後、引っ越しも予定しているそうです。今もまだ、落ち着かないのではないですかね」
ちなみに盗まれた原稿らしき束は、燃やされた状態で、近くのごみ捨て場で発見されました。犯人が使用したと思われる焼け残った手袋の破片、煤にまみれたバールなども、見つかったそうなのですが……。目撃者もいなく、タイドが留守の時の犯行ということもあり、犯人の目星は全く立っていません。
タイドが暮らしているエリアは、平民でも裕福な者が多く住み、彼らは自警団を作り、定期的に見回りもしているそうです。その自警団でさえ、そんな事件が起きていたことを知らず、このまま未解決事件になりそうでした。
ソラリスも強盗説が浮上していましたが、怖いですね。前世もここも、平民では警備の兵士なんて雇えません。せいぜいドーベルマンのような犬を飼うぐらいでしょうか。
何はともあれ、タイドはトラブルに見舞われ、なかなか本屋に足を運べなかったのではと推測できます。そして今日、本屋にやってきて……。
そこで気がつきます。
せっかくあの本屋まで出向いたのです。タイドは二階のカフェで、紅茶の一杯でも飲んでいたのかもしれません。なぜなら私とぶつかりそうになったタイドは、二階に続く階段から降りてきたところでした。そうなるとこれは……間違いなさそうです。
本当はその後、ソラリスからの物語を受け取り、帰るつもりだったのではないでしょうか? それなのに私達がサインをお願いしたせいで、即席サイン会をやる羽目になり……。
これは申し訳ないことをしました。
でもきっと、私達を見送った後、店に戻り、その原稿は受け取ったことでしょう。
こうして王都中央郵便局まで出向き、分かったこと。
それはタイドとソラリスが、実は接点があったということです。ですがそれはあくまで作家と一人のファンに過ぎず、ソラリスの殺害事件との関係は……。
「ないと思います」とシャール。ところが、ポマードは違いました。