なぜ?
何でしょうかね。
昔からそうなのです。
こちらは極力避けようとしている時に限って、相手から近づいてきたり、偶然遭遇してしまうこと、皆さんも経験があるのではないでしょうか。
その日は、ジョナサンが所属する倶楽部、「剣術倶楽部」が放課後、他校との練習試合があるので、見に来て欲しいということでした。ララック子爵令嬢の攻略対象の殿方もいますし、学園にはあまり近づきたくないのが本音です。それでも婚約者という立場から、行かないわけにはいきません。
そこで練習試合が行われる競技場へ向け、渡り廊下を歩いていたところ。
「ひぃぃぃぃぃぃ」「うわぁぁぁぁ」「ぎゃーっ」
なんだか叫び声が聞こえてきてしまったのです。
はぁ。
こういうのを聞いちゃうと、放ってはおけないでしょう。
正太郎……ここではない世界で生きている私の息子の、子供の頃を思い出してしまいます。あの子は子供の頃、ちびっ子だったため、近所のガキ大将に、よくいじめられていたのです。あんなにちっちゃい体をしていたのに、泣く時はとんでもない大声を出すものだから……。「どうしたのーっ!」って、引き戸を勢いよくガラガラッと開けて、サンダルひっかけ、何度も飛び出していった記憶があります。
「リリーさん」
「はい、お嬢様」
「誰でもいいですからね、大人を呼んできてくださいますか?」
「かしこまりました、奥様……失礼いたしました。お嬢様」
侍女のリリーさんが、渡り廊下を早歩きで進んで行きました。
不思議なことに、リリーさんは時々、私のことを「奥様」と呼ぶのです。ミーチェの母親は、絵に描いたような公爵夫人。つまりは完璧な貴婦人なのです。とてもお上品で、夫がいない時は、女主として、ビシッとされています。見た目は親子ですからね。似てはいますけど、こちらは十代。ミーチェの母親は三十代後半。どうして間違われるのでしょうか。
まさか皺ができていたりするのかしら? まさか違うわよねぇ?
そんなことを私は思いながら、制服のアイボリーのロングスカートを翻し、渡り廊下を出て、中庭を歩き出します。声はこの中庭の先、校舎裏から聞こえていました。
左手にコスモスの花壇、右手に校舎。突き当りを右に曲がると。
あああ、なんてことでしょうか。
黒髪をオールバックにして、白シャツに紺のズボンの制服を着たポマードが、三人の殿方と、大乱闘しています。
ここでヒロインの攻略対象に会ってしまうなんて! 触らぬ神に祟りなしですが、ここまで来ては引き下がれません。リリーさんに大人を呼ぶように、頼んでしまいましたし。
仕方ないですから、仁王立ちして、深呼吸を一つして、お腹に力を込めます。
「お・や・め・な・さ・い!」
ガキ大将も、多くの動物も、この大声で、ひるみます。本能的に、大声には、反応するようになっているのでしょうね。全員が動きを止めました。
「何をなさっているのですか。ここは学校ですよ。喧嘩をする場所ではありませんよ」
「なんだお前、女学校の生徒が、なんでここにいるんだよ」
ポマードが、汚い口の利き方をしたので、つかつかと彼の方へ歩み寄ります。
パンッ。
お尻を一発叩き「レディに対して、なんて言葉遣いをされているのですか!」と指摘すると、ポマードは口をポカンと開け、固まっています。
それを見た三人の殿方が爆笑したので、三人にも一発ずつお尻を叩き、静かにさせました。
昔の欧羅巴と同じで、この世界の貴族は、躾でお尻を叩いたり、手をつねったりすることがあります。それが100%正しいかと申しますと、難しい問題です。昭和を駆け抜けた私の若い頃は、それが許容されていたのですから。でも時代は変わりました。私が亡くなった時代では、お尻を叩くなんて、ダメなのでしょうね。
生前の世界ではダメなことでも、この世界で許されていることは、いろいろとあります。男尊女卑の考えも含めて。
さて。
今はその件よりも、この状況を把握する必要があります。
「なぜ喧嘩をされていたのですか?」
「そ、それはポマードの野郎が」
ギロッと睨むと、茶色の髪の殿方は、ビクッと体を震わせます。口の利き方は悪いのですが、みんなまだ子供。結局はこちらが大人の睨みをきかせると、たじろいでくれます。
「ポマードと、意見の相違があったのです」
言葉を改め、茶色の髪の殿方が、弁明を始めました。
「相違、とは何でしょうか?」
「そ、それは、その……僕らとしては、落ちていたので、ゴミだと思い……」
「嘘つけ。お前ら、シャールの教科書を、ゴミ箱に捨てたんだろう、嫌がらせで! シャールがおとなしいからって、これまでだって足をかけて転ばせたり、羽根ペンを隠したり。全部バレているんだよ!」
あらまあ! ポマードは、弱い者いじめかカツアゲでもしているのかと思ったら。どうやらそうではないようです。
「そこの三人のご令息の皆さん。どうしてそんなことを、シャールという方に、するのかしら?」
「それは……」
三人はお互いの顔を見合わせ、赤髪の殿方が、代表して答えると決めたようです。恐る恐るという顔で私を見て、話しだしました。