表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

★ 2025(令和7)年10月7日 火曜日 ★ 真の洗礼

★ 2025(令和7)年10月7日 火曜日 ★


 こんなことになろうと誰が想像できただろうか。


 食卓の中央にて、その圧倒的重量感を放っているケンタのパーティーバレル。僕は、バレルの中から無造作にチキンを取り出し食らいついた。手がベタベタになることを厭わず、恐れず、口周りにチキンの衣を纏わせ必死の形相。傍らでは、食欲を解き放ち暴れに暴れている僕を、妻が優しく見守っている。


 妻の手には、ビールで満ち黄金色に輝くピッチャーが握りしめられ僕の目配せに応じてグラスへと注がれる。僕は、油で重たくなった口内にビールを流し込みその浄化を図る。その間、夫婦の間には一言の会話もなく、傍から見れば異様な光景に見えよう。いや、誰がどう見ても異様な光景である。正直なことを言うと、チキンを貪っている僕自身もこの状況に半ばパニックに陥っているのだ。


 これが、とある宗教における「洗礼」の儀式であると言ったら誰が信じようか。


 事の発端に触れる前に、確認をしておきたい。先に述べた通り僕の家は、浄土真宗の本願寺派だ。ただし、僕自身「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える以上のことは知らないし、その念仏だって唱えたのは法事の時ぐらいしかない。これまでの僕は、ごくごく一般的な日本人よろしく、宗教とは程遠い人生を送ってきた。


 僕が洗礼を受けることとなったこの宗教は、秘密の儀礼を旨とするいわゆる「密儀宗教」という類のものであるらしく、世間一般には公にされていないものだ。聞きなれない「密儀宗教」という単語を避けるのであれば、「秘密結社」と言い換えても良いらしい。ショッカーかよ。


 その思想や、宗教的儀礼、果てはその存在すら隠されているというから怪しいことこの上ないのだが、その活動は秘匿性を高めるためか真に密やかなもので過激な「カルト」とは一線を画す。妻の話を聞いた限りでは、極めて小さいコミュニティでのみ信仰されている「氏神」と言い表すのが、耳障りもよく精神衛生的にも良さそうであった。


 妻曰く、この宗教に名前はない。


 そう、妻曰くなのである。この「密儀宗教」の存在を僕に知らしめたのも、僕に入信を勧め説得し、その甲斐あって此度の洗礼の儀式を司祭として執り行っているのも、僅か6日ばかり前に入籍を果たしたばかりの我が妻なのだ。

 

 俗にいう初夜、営みを終えたピロートークのさなか妻は甘く愛おしい声で僕に教えを説きだした。僕は、驚きこそしたものの愛した女の言葉とあればと真剣に耳を右75度まで傾けた。その教えは、「信じれば救われる」というごくありきたりなものであったが、妻が言うにはその「救い」の恩恵は絶対的で、俗的で、更に多大なものらしい。


 宝くじを買えば当たり、恋愛はうまくいき、失せ物は見つかり、仕事も順調に進み、生涯健康で暮らせる。これらすべての恩恵が、念仏を唱える必要も、神に捧げものをする必要もなくただ「神」を信じ感謝するだけで得られるというのだ。加えて、他の宗教と並行して信仰することも構わないというから寛大極まりない。


 詳細を聞けば聞くほど、胡散臭い宗教ではあるものの、改宗をする必要もなくかつその高い秘密主義から僕の改宗が親族に漏れることもあるまい。そして何より、生涯を添い遂げると誓った愛すべき妻の頼みとあっては、僕は快く信徒となることを承諾した。まあ、実生活には何ら害はないだろうという浅い考えもあった。


 問題は、そのあとだ。


 謎の「神」を信仰することを承諾した翌日、何とはなしに買ったスクラッチくじで一等が当たり、学生の折に半ば冗談で買ったベンダー企業の株価が暴騰し、頭を悩ませていた仕事の問題がすべて解決され、溜まり気味だった便がスルスルと流れ落ちた。それが、たった一日のうちに全て起こったのだ。あまりにも幸運な出来事の連続に、僕はむしろ恐ろしくなっていた。


 なぜなら僕は、入信こそ承諾したものの心の底から「神」を信仰していたわけでは無かったからだ。僕の心中にあったのは、妻との関係を良好に保つこととのみであった。そんな僕に、これだけの俗的な恩恵を与えてくれるなんて「神」は寛大すぎる。


 あるいは「神」が寛大では無かったら? 偽りの信仰心を咎められ、僕は「神」に罰せられるのではないか? そんな不安に苛まれ、僕は正直に自身が打算的で浅はかな考えであったことを妻に打ち明けることにした。話を聞いた妻は、僕を咎めるようなことはせずむしろ「私の神はすごいだろう」と言わんばかりに自慢げに鼻を鳴らしてみせた。


 しかしながら、僕の受けた恩恵は妻の感覚からしても過大なものであったらしい。「神様に気に入られたのかも」妻はそう言って洗礼を受けることを勧めてきた。僕はしばしの間、考え承諾した。どのような形であれ、恩恵を受けるばかりではバランスが悪い。恋はフィフティフィフティと誰かが歌ったが、何かを与えられたらそれに報いなければ健全な関係を築くことなどできない。


 僕の決意を見て取った妻は、ベットの下から「聖書」を取り出してきた。その隠し場所に、幾ばくかの疑問を感じたが今は触れるべきことではないだろう。妻は、聖書をパラパラとめくり洗礼のあり方について調べているようだ。僕は、うんうんと唸りながらページをめくる妻の後ろから聖書を覗き込んだ。


 うすい茶色にくすんだページと、旧字体が散見し古い言い回しで書かれた文言が、この宗教の確かな歴史を僕に思わせた。ちょうど妻がページを進めると、左上に「神の御姿」が描かれていた。どうやら、この宗教は偶像崇拝を禁じてはいないらしい。


 神は、ぷくぷくとふくれあがった赤ん坊の姿をしていた。一見ただの肥えた赤ん坊に見えるが、その背に生えたキジによく似たまだらの羽が生えており、彼あるいは彼女が尋常ならざる存在であることを指し示している。ご尊顔に目を移そう。その頬は薄く染まっていて、鼻はぺちゃんこに潰れてしまっている。お肉ではちきれそうなほっぺたのせいだろうか、目は細く開いているようには見えないが、むしろ柔和で全てを慈しんでいるような表情に見えるのは気のせいではなかろう。


 神というよりも天使の姿では思った諸君は、神の額に目を向けて頂きたい。その額に光り輝く星形のほくろ、そしてそこから伸びる一筋の一本毛が、この膨れて羽の生えただけの赤ん坊が只者では無い事を思い知らしめてくれるであろう。何を隠そう愛らしくも少し間の抜けた御姿をもつこのお方こそが、我らが信仰する神その人なのである。


「鶏の肉と、酒をもって神に感謝の意を捧げよ」


 妻が、聖書から導き出した洗礼のやり方は意外なほど容易いものであった。準備を整えるのに、お金も時間もさしてかからないだろう。


 さて、僕が結婚僅かにしてケンタのバレルをビールで胃に流し込むに至った経緯はこれでお判りいただけたことだろう。今日、僕はようやく真にの火曜日「洗礼」を迎えることとなった。そもそもの話がだ、ソロモン・グランディになぞらえるべく、七五三を日本式の洗礼とすることに無理があった。無理やり当てはめたところで、それはただの自己満足であって本当の意味で尊敬するソロモン・グランディをなぞらえているとはとても言えない。


 であれば、この改めて「洗礼」を受けるに至ったことも、ある意味「神」からの恩恵であったのかもしれない。偽物の火曜日を、神がやり直させてくれたのだ。まあ、結婚の水曜日と、洗礼の火曜日がひっくり返ってしまったことに幾ばくかの気持ち悪さを感じるが、それも人生におけるご愛嬌というものであろう。それに、月単位で考えれば水曜日から6日待てば火曜日がやってくるのだから、何ら問題などないではないか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ