◆ 2020(令和2)年6月17日 水曜日 ◆ 幸せの極致
◆ 2020(令和2)年6月17日 水曜日 ◆
今日、僕は結婚する。
妻との出会いは、苦労して入った少しだけ偏差値の高い大学でのことだった。学年が一つ上の妻とは、同じゼミに学び、研究テーマも似通っていたこともあり僕たちは時間を共にすることが多かった。良い年頃の男女だ、そういう仲になるのも自然なことだったと思う。
先輩、もとい妻は頭もスタイルも良くて、確固たる自分を持っている。まるで漫画に出てくるようなデキる女であった。対する僕は、平凡この上ない見た目で凡庸な頭脳、成人男性の平均に沿ったかのような体型をしているのだが、何故だか先輩の目には僕が好ましく映ったそうだ。
辛うじて卒論を書きあげ大学を卒業した僕は、そこそこの会社に就職。そうして、仕事にも慣れてきた社会人4年目、妻からの結婚願望の乗った鋭い視線にも後押しされ、一世一代のプロポーズを敢行し今に至る。
ソロモン・グランディの歌で言えば、結婚は水曜日。一生のうちの前半を終えたところ。あとは、病気になり病気が悪化し、死んで墓に入って一巻の終わり。楽しそうなイベントは、もう何一つ残っていない。でも僕は、それでいいと思っている。ソロモン・グランディよろしく、平凡で穏やかな人生を楽し気に過ごし静かに人生を終えるのだ。
僕達は、結婚式は行わないことにした。それは妻が、激務のあまり結婚式や披露宴に時間を割く余裕が無かったからだ。妻は、平凡な僕とは異なり超有名企業に入社し、僅か5年でその実力を示し、社内に知らぬ人はいないというほどのスーパーOLとなっていた。改めて何で、僕なんかと結婚したんだろうと思うがその心中は妻にしかわかるまい。
そういうわけで、結婚式を行わず近しい親族だけを集めて宴席を設けることになったのだが。ならばせめて良いお店でと、考えを巡らす僕を止めたのは、やはり妻であった。妻は、互いに高貴な家柄というわけでもないのだからお金をかけることもあるまいと言うのだ。まあ、妻からそういう意見がでるのであればと、宴席は僕の実家で執り行うこととなった。僕の実家は、決して裕福というわけでは無いが曾祖父の頃に建てられた古い平屋建てで、和室の襖を外せば、宴席を設けるに十分な広さがある。
男の意地もあり、料理だけは良いものを準備した。加えて妻含め、両家の女性陣が台所に立つことも無いように準備から片づけまでも業者に依頼しておいた。その甲斐もあってか、両家共に酒が進み、和やかに親交を温めることができている。我が父に至っては、義父と与太話に花咲かせ馬鹿笑いをあげている。
一方の母も、久方ぶりの宴席で酒に酔ったのか覚束ない足取りで本棚からラベルに僕の名前が書かれているアルバムを取り出してきて親戚に披露し始めた。後ろからそっと覗き込むと、母が開いたページは七五三の時のものだった。袴姿の僕が、右手に千歳飴を握って左手をピースの形にして突き出している。そして、その隣には幼い妹を抱えた母が寄り添っていた。
この宴席に妹は来ていない。
14歳の春、僕は中学三年生にもなって未だ中二病を脱しきれずにいた。漫画の主人公にあこがれ、ビルの隙間を飛び回り、悪党相手に大立ち回りを演じるといった非現実的な妄想に耽っていたのだ。それは、代わり映えしない日常に飽きていたからなのかもしれない。
僕は、ヒーローに必要なのは特別な力や血統だけないことを知っていた。漫画の主人公という者は、その物語の中で強者ではあるものの、その強さが圧倒的、絶対的であるかと問われれば疑問符がつく。常に敗北と隣り合わせになりながら、数多の格上ヴィランと戦い抜いていく。どうして、そんなことができるのか。それは、彼らの根底に信念、すなわちオリジンがあるからだ。
ピーターパーカーにおけるベンおじさんの教え、エルリック兄弟の人体錬成、フジキドケンジの家族との別離。彼らから、彼らの持つ特異な能力を一つずつ削り取った果てに残るもの。それは、悲しき出来事を経て得た、強い信念。モチベーション。それこそが彼らの原動力なのだ。だからこそ彼らは強く、僕達の目に魅力的に映る。
中学生の僕は、僕自身のオリジンを欲していた。それは中二病というより、モラトリアムに起こるアイデンティティへの渇望に近かったのかもしれない。特別な力がなくとも、何かしらのきっかけさえあれば僕は何者かに成ってこの変わり映えのしない日常から一歩踏み出せる。そうすれば、この退屈な日常が色鮮やかで騒々しく華やか非日常へと置換されるはずだ。オリジンが、僕だけのオリジンさえあれば。
僕の浅はかな願いは、ほどなく叶った。
妹の死だ。
中学校からの帰り道に、転んで車道に入ってしまった妹は車に轢かれ死んでしまった。中学生が交通事故死したなんてことは、全国で見れば数ある事件の一つかもしれない。しかし、僕にとって、僕たち家族にとってのそれは唯一無二の家族を失うという、とてもとても重く悲しい出来事だった。
連絡を受けて病院に駆けつけた時には、もう妹に息は無かった。両親が病院の先生から説明を受けている間、僕と妹は二人きりだった。妹の瞼は閉じられ、一目にはとても死んでいるようには見えない。未だ現実が受け入れられず、妹の顔をほうっと眺めていると妹の鼻から血が流れ出てきた。僕が、あわてて看護師さんに声をかけると「拭ってあげてください」と布巾を渡された。
血はゆっくりと流れ続け、もらった布巾はすぐに真っ赤に染まった。僕は、妹の顔を汚すまいと自分のシャツの袖で血を拭ってあげた。妹の血は、まだほんのりと温かく僕の真っ白なシャツに染み込んでいった。血がとまる気配はなかった。
妹とは、特に仲が良かったわけでは無い。かといって仲が悪かったわけでもない。他の家庭のことは知らないけれど、よくいる普通の兄妹だったはずだ。妹が生まれた時は、僕も幼くよく覚えてはいない。でも、物心がついた頃にはもう妹はいた。旅行や誕生日パーティー、僕の思い出には必ず妹も一緒だった。
ふと、妹とのたくさんの思い出が記憶の片隅から湧き上がってきた。夏の縁日、妹が握っていた綿あめにかじりついて泣かれたことがあった。二人で家で留守番していた夕暮れ、仕込んだイカサマトランプで神経衰弱を挑んだにも関わらずコテンパンに負けたことがあった。テレビゲームで、嘘の攻略方法を妹に吹き込んで、クリアできずに癇癪を起すその姿を笑ったこともあった。
学校の帰り道に、近道に草むらを突っ切って大量のバカを服につけて、二人して母に怒られたのはつい数年前のことだ。僕たちは、二人で一緒に育ってきた。楽しい思い出も、悲しい思い出も全て妹と一緒だった。もし、妹が死ぬ直前に走馬灯を見たのだとすれば、その思い出には僕がいっぱい出てきたことだろう。僕の思い出が、そうであるように。
僕は、いつのまにか声をあげて泣いていた。僕の血に染まったシャツを見てか、慌てた看護師さんが代わりの布巾を持ってきた。それでも、僕の嗚咽と、妹の鼻血と、他愛のない思い出が止まることなく溢れ続けた。
妹の葬式が終わった後、僕は妄想に耽るのをやめた。
非日常を求めれば、それに伴う悲しみが必ずついてくる。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」、あるいは「等価交換」、「インガオホー」というやつだ。平凡な日常には平凡な幸せが満ちているということを思い知った時、僕の中でのヒーローが、漫画の登場人物たちからソロモン・グランディに変わった。
僕は今日、結婚という人生の幸せの極致にたどり着いた。これからは、病気になって死ぬだけの平凡な人生かもしれない。しかし、面白おかしく過ごすのに非日常なんて何一つ必要ない。要は、楽しく過ごす気さえあればどうとでも楽しくなるものなのだ。
妹の生きていたころの写真を見たせいだろうか、僕の胸中に改めて平凡な幸せをつかんで見せるという決意が燃え上がった。なるべく波風を立てずに、争いごとを避け、ごく普通に、物語のモブの一人として平凡で盛り上がりに欠ける人生を楽し気に歌い通してみせる。ソロモン・グランディがそう歌われるように。