● 1995(平成7)年1月16日 月曜日 ● 母の怒りと父の罪
● 1995(平成7)年1月16日 月曜日 ●
「貴方は私が一人で産んだのよ」
ちょっとした宴席で久しぶりに酒に酔った母は、僕が生まれた日のことをそう語った。勘違いされそうだけど、これは決して僕に父親がいないという話では無い。ただ単に、父が出産に立ち会わなかったというだけの話だ。
現に、父は母の隣でイタズラがばれて叱られた子供のようにバツの悪い顔をしている。その様子から父に反省の色を伺うことができないが、母自身も本気で父を責めているわけでは無い。たまに飲んだお酒のせいか、お茶目にも父をいじめたくなっただけのことだろう。
母は、僕の出産に際して車で2時間ほどかかる距離の実家に帰っていた。その日の父は、母が産気づいたとの連絡は受けたものの翌日にも仕事があるからと寝てしまったそうだ。そして、日が変わり朝日が未だ昇らぬ頃に僕は生まれた。その連絡を電話で受けた父は、眠そうで不機嫌な声だったという。
正直なところ、出産に立ち会わないなんて酷い父親だと思う。しかし、それは現代の洗練された、あるいは先鋭化した「あるべき父親像」に照らし合わせればの話で、昭和に育った父の感覚からすれば大したことではないのかもしれない。
現に、ソロモン・グランディの一生にも子供に関するくだりが一切抜け落ちているではないか。木曜、金曜と続けて病気のことを歌うぐらいなら「木曜日に子を授かり」ぐらいあっても良いはずだ。つまり、かつての父親たちにしてみれば、子供というのは母親の問題であって当人には関心のないことだったのかもしれない。
まあ、大学まで行かせてくれた父親のことを悪く言うのも忍びないので、そこは家族を養うために大事な仕事を抱えていたと幾ばくかの擁護をしておきたい。母も、そのことがあるから父をあまり責めてはいないのだろう。
ふと、とある映画のことを思い起こした。その映画の主人公は、得意な数学の公式を使ってヒロインの生年月日から即座にその曜日を当てて見せた。僕は、スマホを取り出しその数式を検索してみる。しかし、その公式が思いのほか面倒くさそうな計算だったので、僕は素直に1995年のカレンダーを調べてみることにした。
1995(平成7)年1月16日 月曜日
僕が生まれたのは、月曜日の未明。ということは、母が産気づいたのは日曜日だったというわけだ。しかし、生まれた曜日のことを考えたところであまり実感がわかない。生まれたばかりの記憶なんてあるはずもないのだから、当然と言えば当然なのだが。それでも何とか当時の様相を、想像してみようと僕はカレンダーをよくよく見なおしてみた。おや? よく見ると1月16日は赤い文字で表記されていた。
「僕が生まれたの祝日じゃん」
口をついて出た言葉に、母の眉がピクリと動き、父がビクッと跳ねた。
父は、地方の銀行員だ。銀行員というものは、公務員よろしく暦通りに休みがやってくる。当然、祝日に出勤することなどありえない。つまり、父は母に翌日も仕事だからと嘘をついて出産に立ち会わなかったということになる。
その理由は、容易に想像できる。父は、どこまでも面倒くさがりで自分勝手な男なのだ。父は、いつまで続くのかもわからない出産に立ち会うことなど面倒この上なく感じたのだろう。
おそらく父の行動は、当時の倫理観からしても到底許されることではないだろう。母の怒りの形相を伺うに、宴席の後で、父はしこたま怒られるだろう。そしてその母の怒りは、僕の誕生日が来るたびに再び燃え上がることだろう。父からすれば、僕の誕生日は母の機嫌が悪くなる忌々しい日として認識されることだろう。まあ、自業自得なので同情の余地はない。
もしかしたら、ソロモン・グランディにも同じようなことがあったのかもしれない。子供の誕生という、生涯の中でも数度しか体験しえない、そして大いに喜ばしい出来事が、歌の中に含まれていないのはやっぱり不自然だ。であれば、それは意図的に省かれているということになる。つまり、我が父と同様に、彼にとっても子供の誕生はやはり苦々しい思い出でであるのではなかろうか。