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魔女と悪魔と普通の少女と  作者: 10月猫っこ
6/8

 重いと感じる瞼を押し上げると、真っ白な天井が広がっている。

 どこだろう、と考えていると、安堵の溜息が横から聞こえた。

「よかったー。雫、大丈夫?」

「す……ずり?」

 視線をそちらに向けると、心底安心した表情のすずりと目が合う。

 どこだろうと考えれば、特有の消毒液の匂いや静けさを第一に置いた雰囲気に、自分が今どこにいるか分かってしまう。

 硬いベッドの上から起き上がろうとすれば、即座にすずりが座っていた丸椅子から立ち上がり、顔をしかめて雫を上から見下ろした。

「まだ寝てなって。貧血で倒れたんだから」

「え?」

「やっぱり、覚えてないんだ」

 はぁ、と溜息をつかれても、倒れた以上は何も知らないのは当たり前の事だ。困惑を隠せずにいると、閉ざされていたカーテンが開かれる。

 目覚めた雫に向けて、にこりと笑った保険医は、今だ座り続けるすずりに柔らかな声をかけた。

「さぁさぁ、一時間目が始まってるわよ。もう行きなさい」

「あ、はい」

離れずらそうに今だ雫の顔をちらちらと見つめるすずりへと、保険医は苦笑を浮かべてすずりの肩を叩いて席を立つように促す。

 じゃぁ、あとでね、と言い置いて、すずりが保健室から立ち去ると、静けさが室内を満たし、雫の顔色を見つめた保険医が少し心配そうに声をかけた。

「まだ寝てなさい。顔色が悪すぎるわよ」

「あ、はい」

「熱はないし、朝はきちんと食べた?軽い貧血起こしてるわよ」

「えっと、その……すいません」

「謝ることじゃないわよ。とにかく、おとなしくしてること。

 それから、用事があって私は少しこの場を離れるけど、その間にいなくなったりしないでね」

 その言葉に、思わず失笑してしまう。

 そんな雫を見届け、保険医はじゃぁ、寝てなさいね、と再度念を押してカーテンを閉めた。

 急に静かになった事で、身体がずしりと重くなる。

 どうやら、相当酷い貧血らしいと思いながら瞼を閉ざすが、倒れる直前に見た転校生の姿が思い浮かんでしまった。

 あれは、いったい何なのだろう。

 少なくとも、あれは人ではない。

 なぜだかそれだけははっきりと断言できてしまう。

 でも、その存在はいったい何か、と問われてしまうと、雫が言葉に詰まってしまうのも事実だ。

 小さな溜息を吐き出していると、ゆったりとした眠りが身体に落ちてくる。このまま眠ってしまってよいのか、という疑問が浮かんでくるのだが、その考えすらも鬱陶しく思えてしまい、心地よい睡魔に身体を任せる。

 後もう少しで、優しい眠りの国へと入ることが出来るだろう、と意識を手放しかけた時だった。

 がしゃり、と勢いよくカーテンが引かれる音が聞こえ、雫は断片的離れかけていた意識をたぐり寄せるが、何が起きたかを理解するのはかなりの時間を要した。音と同時に慌てて眼を開いてそちらに視線を向ければ、そこにはむすりとした顔付きで学生鞄を後ろ手で持つ後輩の姿があった。

「……は?」

 間の抜けた声にさらに顔面が顰められるが、そんな雫に頓着せず優誠は荒々しい動作で丸椅子に腰掛けた。

 今はまだ、授業中のはずだ。それは間違いない。高等部も中等部も、始業時間は同じなのだからここにいること自体が間違いなはずだ。にもかかわらず、それすらもおくびにかけずにここにいる後輩は、じっとりと雫を眺めていたかと思えば、態とらしいまでの動作で息を吐き出して顔を押さえつける。

「……ったく」

「あの……えっと……授業は?」

「サボりです」

 何でもないことのような答え方に、ずきずきと頭が痛むのは仕方ないだろう。悪びれてているわけでもなく、むしろ堂々としたエスケープを決め込んだ姿に、中等部の教師が泣いている姿が想像できた。

 それでも、ここに居座らせるわけにもいかず、雫は起き上がるとおそるおそる優誠へと声をかける。

「授業、出ないと」

「大丈夫です。これくらいのサボりでどうにかなるほど、あたしの成績は悪くなることはありません」

 いや、そうじゃなくて、と言いたいが、それ以上の言葉は聞く耳持たず、の態度を貫いている優誠に、雫は早々に優誠の行動を改めることに匙を投げ出した。

 それにしても。

 ―なんかしたっけ?

 先程から自分を見つめる優誠の瞳は、鋭く研ぎ澄まされたものだ。

 何かを視ているのは分かる。だが、それはいったい何か、と思う矢先、優誠の掌が雫の額に押しつけられた。

 ふわりと暖かな熱を感じていると、ゆっくりとだが身体が軽くなっていく。

「楽にしてください」

 ぶすりとした声ではあるが、その中には紛れもない優しさが混じっており、何となくくすぐったさを感じて、雫の唇から笑みがこぼれてしまう。それを見てだろう。まったく、と小さな愚痴らしきものを優誠がこぼした。

 しばらくの間風の音しか聞こえない静けさに満ちていたが、それもほっとしたような優誠の吐息によって途切れる。

「はい、終わりです」

「あ、ありがとう」

「しっかし、何だってこんな瘴気に当てられたんですか」

 渋い顔でそう言われ、雫はきょとんと目を見開いて首を傾げた。

 それだけだが、優誠はあぁ、とわずかに唇を尖らせつつ、質問を変えてきた。

「何か、ありました?」

「え?」

「だから、変わったこと、なかったですか?」

「あった、けど?」

 変わったこと、と言われれば、真っ先に思い浮かぶ事柄がある。

 かいつまむ必要もなく、転校生が来た、と告げれば、は?、と言わんばかりに優誠が口をまん丸に開いた。

 言われた意味を反復させていたのだろう、数秒の間を開けて、疑わしげに優誠が雫に尋ねてくる。

「転校生、って、学校取っ替えるあれですか?」

「ほかに転校生の意味があったら教えてほしいんだけど」

「まぁ、そうですねー」

 どうやら、優誠もこの時期とこの学園にと言ったところで単純に驚いたのだろう。ばりばりと乱雑に頭を引っかき回して首を傾げていたが、それでも頭を切り換えたらしく雫に視線を戻した。

 胡乱、と言う言葉がぴったりな顔付きで雫を見つめる優誠が、そいつ、と話しを切り出す。

「高坂先輩には、どう見えました」

「どうって?」

「ぶっちゃけ、イヤな感じがした、とか、胡散臭い、とか。

 とりあえずそんな感じしませんでしたか?」

 直球過ぎる言い回しに、雫は苦い笑みを浮かべてしまう。

 その表情だけで察したのだろう。優誠が軽く額を押さえて長々と溜息を吐き出すと、ふと気がついたように手を差し出した。

「なに?」

「この間渡した、お守り。今持ってます?」

 持っていることを前提にした切り口に、雫は頷きつつ首から提げていたペンダントを取り外し、小さなそれを優誠へと渡す。

 ちゃらりと小さな音を立てながら、優誠がペンダントトップを目の前にかざして、小さく唇を尖らせた。

 その様に同じように視線を向け、雫は僅かに目を見張った。

 鮮やかな深紅だった石の輝きが、どす黒いと言ってよいほどに濁りきり、光を弾くはずの光沢が全く無くなっている。

「……耐えられなかった、か」

 苦々しくそう呟き、優誠は検分するために石を何度もひっくり返し、日の光にかざしては、難しそうに眉をひそめて呻き声を放つ。

 雫もまた同じように石を見つめ、いくつかのことに気がついた。

 色だけでではなく、石にはひび割れが幾つも出来ている。余りの変わり様に、瞬きを繰り返す雫に頓着せず、今にも欠けそうな部分を突きつつながら、優誠は疲れたように溜息を吐き出した。

「新しいの、渡しますわ」

「え?」

「これ、もう使い物にならないんで」

「はぁ」

 そんな雫を横目で見つつ、優誠は自分の左の掌を窓へと向ける。

 刹那、ピッと優誠の掌に何かが走り抜け、その線に沿うようにしてどろりとした血が流れ出した。

「ちょ!」

 慌ててベッドから抜け出そうとした雫だが、目の前で起きている出来事に目を奪われそのままの姿勢で固まった。

 優誠の掌から流れている血は、そのまま下に滴り落ちてシミを作るはずが、何もない空中で受け止められて形を整えていく。凝縮され、先程汚れていた石と同じ形だが、その大きさは若干大きめに作られているティアドロップ型を見ると、優誠は大きく頷いて右手でそれを掴みあげた。

 雫の視線が、優誠の左手に向かう。すでに何の痕も無く、何事もなかったような白い肌と優誠の右手を交互に眺め、雫は意味も無く口を開閉させてしまった。

「はい」

 無理矢理雫の手を取り、その掌に優誠は石を載せてくる。幾分か暖かなそれに、雫は呆けたように開いていた唇を、何度も開閉を繰り替えてしてしまった。

 今まで、不可解なものを見続けてはいた。が、その存在とは別次元で行われた行動は、不可解を通り越して不気味な現象として雫の心に根付く。

「……あなた、なに?」

 今更、だとは思う。

 ただの頭と運動神経がよいが優等生とは思えないが、それでも年相応で、単なる中等部の少女なのだと高を括っていた。

 けれど、それは間違いだ。

 優誠は自分達とは決定的に違う存在なのだ。

 あの転校生と同じなのかと考えるが、それは即座に否定されてしまう。

 目の前の存在は、確かに人間であるのは間違いない。

 だが、人間とは確かに一線を欠く存在。

 それが鏑木優誠という少女だ。

「今聞きます。それ?」

 呆れたように優誠はそう言い、軽く肩をすくめてみせる。

 たったそれだけの仕草だが、この件に関してそれ以上の追求は許さない、と雰囲気が語っているため、雫は諦めたように肩を落とした。

 その代わり、というわけでは無いが、手の中の石をじっと見つめる。

 最初に渡されたものよりも鮮やかな深紅に輝き、瞳を差すように陽光を弾くそれは、まるで全てを燃え尽くすような炎を思わせた。

「……きれい」

 雫の唇から、小さな呟きが漏れる。

 その途端、優誠が微かに破顔したのだが、雫の瞳はじっと紅い同じ名前の石を見つめていた。

 優しい空気が流れる中、先程とは大違いの音量で保健室の扉が開かれた。

「あら」

「ちぃーっす」

 保険医が驚いたように眼を瞬かせれば、優誠は彼女に向け飄々と挨拶を口にしながらぱたぱたと手を上げる。

 呆れと疲れを含んだ溜息をつき、保険医は横開きの扉を閉めると自席に戻るために足を踏み出す。叱るわけでも無く、またか、と言った雰囲気を放つ彼女の態度に、雫は不思議そうに優誠と保険医を交互に見やった。

 それに答えるよう、保険医は溜息交じりに答えを口にした。

「サボりの常習犯よ、その娘。

 サボる時は必ずここに来るのよ、全く」

「まぁいいじゃ無いですか。どうせ病人や怪我人が居なきゃ暇なんですし」

「あなたねぇ……」

 何度も注意したのだろう。もはやかけるべき言葉も無いのか、肩を落として保険医は椅子に座る。

 そんな彼女に、優誠は当然のような顔で言葉をかけた。

「せんせー、お茶飲んでもいいですかー」

「勝手にしなさい」

「んじゃ、先生はコーヒーでいいんですよね」

「お願い」

「で、先輩は何飲みます?」

 その言葉で気がついたのか。保険医はくるりと椅子を回転させ、雫の様子にほっとしたような表情を浮かべた。

 そんな保険医に、雫はバツの悪さを覚えつつ頭を下げる。

 その姿に優誠と保険は顔を見合わせ、同時に笑いをこぼした。

「確か、先輩もコーヒー派でしたよね」

「え、う、うん」

「ではでは、オーダー受けましたんで、勝手に用意しまーす」

 おちゃらけた様子でそう言い、優誠は勝手知ったる、の要領でポットとコーヒーメーカーがある台に向かう。

 鼻歌交じりでいそいそとお茶の準備をする背中を見つめ、ふと何故自分の好みを知っているのだろうと考える。

 そんな思考を巡らせている間に、ひょいっと目の前に紙コップの入ったホルダーが差し出された。

 それを受け取り、薄茶色の液体を一口だけ飲み込む。

 少し冷めたそれが喉を通り抜けると、驚いたように雫は優誠を見つめた。

「部室にあるのと比べると、安物ですけどね」

「悪かったわね、インスタントで」

 少々嫌みを込めた保険医の声を聞きつつ、雫はカップを再度傾ける。

 角砂糖二つに、ミルクも二つ。

 自分がいつも情報処理室で作るコーヒーの味を知っていることが少しこそばゆく、雫は丸椅子に腰掛ける優誠の手元へと視線を向けた。

 コーヒーは苦手だ、飲まない、と公言しているため、優誠のカップには紅茶が入っている。

 床に置いた鞄から文庫本をとりだし、片手でそれを捲りつつ優誠はカップの中身を勢いよく飲み干した。

 その姿は堂に入っており、まるでここにいるのは何時ものことだと言わんばかりだ。

 だがしかし……。

「あの……先生。よく優誠、いえ、鏑木はここに来るんですか?」

 雫の問いかけに、はぁ、と保険医は大きな溜息を吐き出す。

 こめかみを軽く片手で押さえ付け、心底困ったように眉を寄せた保険医は、自分達を無視する優誠に視線を落とし、再度溜息を唇からもらした。

「まったく困ったものよ。中等部の保健室に行けばいいのに、しょっちゅうここをサボりのために利用するのよ。

 鏑木。再来年からどうするつもり。ここは利用出来なくなるんだけど」

「そうしたら、中等部を利用するだけでーす」

 躊躇なくそう言い切られ、雫と保険医は呆れたように優誠を見やる。

 そんな二人の態度など気にもとめず、優誠は文庫から目を離すどころか真剣な表情でそれを読みふけり始めた。

  はぁ、と揃って溜息を吐き出し、保険医は雫に視線を戻す。

「あなたは、もう少し寝てなさい」

「はい」

 素直にその言葉に頷き、雫はもそもそとベッドの中へと戻ると瞼を閉じた。

 ここに運ばれた時よりも楽になったとはいえ、まだ身体は本調子とはいえなかったらしく、すぐに心地よい睡魔が押し寄せてくる。

 それに身を任せ、雫の意識はすとんと闇の中へと落ちていった。



 『彼』は、ひどく上機嫌な心持ちで時を過ごしていた。

 あの日見つけた子供は何事も無く成長し、自分が目の前に現れたことにすぐに気がついた。

 それだけでも、今まで待った甲斐があるというものだ。

 誰にも気取られぬように、低く笑みを漏らす。

 昔つけた『契約』の痕も、出会った頃の輝きも、無事に汚れること無く成長しており、もはや時間が来れば自分のものとなるだけだ。

 だが……。

 あれは、いったい何だったのか。

 『彼』が見つけた時、とっさに守るように張られた力。

 自分の力を半減させ、なおかつそれをはね除けようとした、この世界では滅多に見られない大きな力。

 ただの人間が造ったにしては少々厄介だが、『彼』の力の前ではそれは余り問題にならないものだろう。

 そう考え、『彼』は空席となっている机に視線をちらりと向ける。

 今はまだ何も知らない。

 だからこそ、全てを知った時の絶望はどれほど深いのだろう。

 その時浮かべる表所は、きっと自分を魅了してやまないものとなるのは確実だ。

 『彼』が生きてきた中で、それは今までに無い極上の代物となるであろう感情。

 考えるだけで、顔がにやけてしまいそうになる。

 それを必死に押しとどめる『彼』は、自分の力をはね除けた存在のことを、綺麗に頭の中から消していた。

 その結果が、『彼』にとって思いもかけないことになるとは、その時はまだ知らずに……。



 目を覚ました途端に入ってきたのは、自分の顔をのぞき込む後輩の顔だった。

 寝ぼけた頭で、いったい何故彼女がここに居るのか考え込み、そして堂々と『サボり』と言い切ったことを思い出して、自分がどのような状態に陥っていたかを再度確認した。

 ふと気になって壁に掛かっている時計を見やれば、すでに下校時間に近い時間を針は示している。

「ふえ?」

「よく寝てましたよ」

 驚きの余り声を上げてしまえば、そんな雫に対してずっと側に居たのであろう優誠が、片手に持っている本を畳みながら態とらしい溜息とともにそう告げる。そして、眠っている間に側に寄せたらしい丸椅子の上に、手にしていた文庫本を積み上げた。

 その仕草を視線で追ってしまい、雫は軽く目を見張る。

 そこには、本当にその量を読んでしまったのか、と問いたくなるほど-もはや山と言っても過言では無い-置かれた本の冊数は多かった。加えて、文庫からハードカバーと種類も多いだけではなく、ジャンルも無秩序と言いたくなるほど様々なものがあり、英語などの横文字系も積まれている。

「えーっと」

 思わず突っ込んでしまいそうになるが、それを言ってしまえばお終いになりそうに感じて、雫は出かかった言葉を飲み込んだ。

 小首を傾げて不思議そうに雫を見た優誠だが、不意に難しい顔で雫の瞳に視線を合わせる。

 余りにも真剣な光に、雫は気圧されつつも何とか声を出した。

「な、なに?」

「いえね。このまま正直に家に戻しても大丈夫か、なんて考えてしまいまして」

「へ?」

 素っ頓狂な雫の声に優誠は肩をすくめ、雫の心臓に人差し指を向けた。

 小首をかしげてしまった雫に、優誠は噛んで含めるような口調で話しかける。

「分かってます?狙われてんの」

 言われて、何度か雫は瞬きを繰り返す。

 その様子に頭を抱えると優誠は大きな溜息を吐き出して、どこか可哀想なものを見る視線で雫を見やった。

 思い切り馬鹿にされたように感じたが、それをぐっと我慢して雫は優誠の言葉の続きを待つ。

「言いましたよねー、呪いがかかってるって」

「それは、覚えてるけど」

「覚えてても、実感は持ってなかったでしょう」

 ぐっと言葉に詰まった雫を見て、優誠は溜息を再度こぼした。

 それがクセなのだろうか。乱雑に前髪をかき回しながら、優誠は説明するような口調で語り始める。

「さっき渡したそれ、一応魔除けなんですよ。っつっても、いつも高坂先輩が見てるような低級を近寄らせないだけじゃ無くて、呪いをかけた本人からの直接接触も撥ね除けるように造ってたんですけど、それが見事に砕かれてるんです」

「……えーっと、つまり?」

「あーもー、家に返しても平気かなー、このまま」

 訳の分からない言葉の数々に、盛大な疑問符を頭に飛ばした雫にかまうこと無く、優誠はうーんと頭を抱え込み、やがて嫌々な顔付きで自分の頭上を見上げた。

 それでもしばらくの間沈黙を貫いていたが、やがて諦めたように肩を落として急に声を上げる。

「おい、聞いてんだろ」

『えぇ、もちろん』

『おまえの阿保っぷりが、よーく分かったがな』

 二人しか居ない空間に突如響いた二つの声。それは充分すぎるほど、雫の身体を大仰に跳ね上げさせた。

 一つは、柔らかく丁寧なのだが、悪戯っぽさを多分に表に出しているであろう、若々しい青年の声色。

 もう一つは、男でもあり、女のようでもあり、年老いたような、子供のような、本当に不思議な声音。

 慌てて辺りを見回すが、気配一つも感じられない声の持ち主達に、優誠は苦々しげに口元を歪めて言葉を綴る。

「とりあえず、おまえらがいれば問題は無いだろしなー。

 ってか、問題起こしたらぶっ飛ばす」

『相変わらず、乱暴じゃな』

「うっせっ」

『もしも相手が手を出したらどうします?』

「潰せ」

 優誠がそう簡潔に言い切った途端、同時に二つの溜息が空気を震わせた。

 それを完全に聞き流し、優誠は文句でもあるのかと言わんばかりの表情で天井を見上げる。

 同じように雫も視線を向けるが、そこには清潔感を表す真っ白な天井しか無い。

 何かが居るらしいが、いつものような悪意も感じらる事も無かったため、雫はただただ事の成り行きを見守る。

『あなたらしいと言うか、あなただからと言うべきか』

 嘆息した青年の声に、優誠の口端がぴくぴくと動きだした。

 そんな姿を見てなのか、今度は深く長い二人の溜息が室内に満ちた。

 瞬間、優誠の顔に一瞬怒りがあふれるが、次には爽やかだが青筋を浮かべた笑顔を浮かべる。いつにもましてどす黒いオーラをまき散らすその姿に、雫はベッドの上で少しずつ距離をとりながら、いつでもその場から逃げ出せるように足を縁にかける。

 普段ならばそんな些細な仕草も見逃さぬ優誠だが、今はそれどころでは無いのだろう。殺意を隠すこともなく、優誠は笑顔で空中に問いかけた。

「んで、言い残すことはそれだけか?」

『言い残すも何も……もしあなたが我々をどこかにやった場合、あなたの言ったことが実行されませんが、いいのですか?』

 にこやかな声で言い放たれたそれに、ぷちん、と、雫の耳に何かが切れる音が聞こえた。

 フッと、優誠の唇が弧を描く。

 と、突然空に向かって左手の中指を突き立て、優誠は室内いっぱいに広がる怒声をあげた。

「ざっけろ!てめぇ」

『巫山戯ているつもりは無いんですがねぇ』

 むしろ、本気で言っているんですが、とやれやれといった口調が付け加えられ、ぶるぶると優誠の身体が震える。

 一色触発状態の空気に耐えかね、雫はそれを打ち切るために、なんとかかんとか後輩へと疑問を投げつけた。

「あの、誰と話してるの?」

 もっともな疑問は、今まで怖くて聞けなかったことだ。

 そんな雫の声に、ようやく存在に気がついたというか、今の今まで雫が居たことすら忘れていたのだろう。優誠の視線が雫へと向けられ、やべ、と小さな声が漏れた。

 そこまで存在が希薄になっていたのか、と、嫌みを述べたいのをこらえつつ、雫にしては珍しく唇をへの字に曲げ、優誠に対して不満を表していますと顔に書き、先を促すように眼を細める。

 どう説明しようかと口を開閉させ、優誠はなるべくならば避けたいのだと言いたげに眉尻を下げる。だが、それを許さぬように彼等は雫へと声をかけてきた。

『今は姿を見せることが出来ませんが、一応名だけ告げておきますね。

 私は、エイド、と申します』

『儂は、サライじゃ』

「あ、はじめまして」

『いえいえ。うちの主が、ご迷惑をかけて申し訳ありません』

 主、とはっきりとした言葉に、雫は僅かに首を傾げた。

 主従関係にあるのは一連の流れで分かっているが、どうにも主従というには会話が対等でしか無い。もっとも、優誠の場合は先輩後輩という概念も無いのだから、こういう関係があるのは当たり前なのかもしれないが。

 それにしても、である。

 そっと優誠の顔を盗み見た雫だけに聞こえるように、エイドがくすりと笑いを漏らす。

 むすりとした顔付きで窓の外へと視線を向けていた優誠だが、態とらしい咳払いでその場の空気を変えた。

「とにかく、こいつらが先輩の護衛をしますので、後は煮るなり焼くなり好きにしてください」

『おい』

 優誠のぶっきらぼうな言葉にサライの突っ込みが入るが、それを華麗にスルーして雫へと優誠は言葉をつなげた。

「まぁ、こいつらの実力は保証しますんで、安心してください」

「はぁ」

 自分でも気のない返事だと思いながらも、雫はその言葉にうなずきを返し、小さな息を吐き出した。

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