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魔女と悪魔と普通の少女と  作者: 10月猫っこ
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 午後の授業は、長くもあり短くもあり、といった感覚で流れていった。

 ほとんど集中も出来ずに、午後に行われた二限分の授業のノートは真っ白と言ってもよい程に悲惨なものであり、雫は頭を痛めつつも首を傾げる友人達にノートを借りる羽目となった。

 気怠い動作で鞄に教科書類をしまい込み、雫は黒板の上の時計に目をやる。

 すでにホームルームは終了しており、放課後特有の喧噪が教室内に満ちあふれている。常ならば、その中のどれかに自分も混じっているのだろうが、今日はそういうわけにはいかなかった。

 食堂には、行きたくない。

 正直な感想はそれにつきる。けれど、それでも約束した以上守らなければ、一応自分は彼女よりも年長者なのだし、それを無下にすることは不義理になるのだから、そんな事態は避けなければならないのだ、と雫は自身に何度も言い聞かせてみる。が、理性とは反対に感情が会いたくないと、激しく心の内側で暴れ回っている。

 しくしくと昼過ぎから痛む胃の辺りを押さえつけ、雫は重たい腰を上げて溜息を吐き出した。

 とりあえず食堂に行かなければ、中等部の授業はもう終わっている時刻のために鏑木優誠はそこに威圧感をたたえて待ち続けているだろう。

 ほんの少しの間しか対峙と会話をしていないというのに、何故か脳裏にはっきりと不機嫌を前面に押し出した少女の姿がリアルに想像できてしまう。

 深々とした溜息を吐き出し、雫は不審げな友人達の視線を交わして教室を出る。

 昇降口に向かう生徒達とは正反対に、人気の無い方向へと歩きながら雫は優誠とどう話し合ったものかと考えを巡らせた。

 正直に話したところで、それをきちんと受け止めてくれるものだろうか。

 そう考えた途端、再び溜息が出てしまう。

 普通の人間ならば、胡散臭い眼で見られるか、馬鹿馬鹿しいと笑って一蹴するかのどちらかだ。とはいえ、友人達の反応を見ていた限りでは、鏑木優誠という人物は『普通』というカテゴリーに収まりきれない性格をしているように思え、どのような反応をするかが全く持って分からないのだから、不安材料は増えていくばかりだ。

 校舎から伸びる短い廊下を渡れば、三階建ての食堂の二階部分に入る。広々としたフロアーの前方には厨房が、後方にはいくつもの自販機が並んでおり、自販機の前で数人の生徒が笑いながらそれぞれの飲み物を買う姿が見えた。

 くるりと中を見回した限りでは中等部の制服は見えず、何となく雫は一階へと続く階段を下りる。勘が働いた、といえば聞こえはいいが、どちらかというと階下から冷気のようなものが漂っていたため、そこに優誠がいるという確信めいたものが芽生えのだ。深呼吸を何度か繰り返した後、ゆっくりと雫は一つ一つの階段を踏みしめていく。

 果たして、目的の人物は窓側の席に陣取り、小難しげな顔で大判の書籍に目を落としていた。

 読んでいる物以外にも何冊かの本が積み上げられており、どうやら待ちぼうけにさせてい待ったのが分かってしまう。そんな本の近くには、何本かの空になった缶やペットボトルが置かれ、どれだけの間優誠を待たせてしまったのだろうかと、些かばかりの罪悪感が雫の心に浮かぶ。そんな雫に気がついたのだろう。ちらりと優誠が顔を上げて本をぱたりと閉じると、隣に置いてあった本の山にドサンという音を立ててそれを重ねあげた。

「あの、待たせて、ごめんなさい」

「お気なさらず」

 ぺこんと頭を下げた雫に対し、ぶっきらぼうに応じた優誠が目線で目の前の席を示す。そこに腰を落とした雫が、自分達以外いないフロアーに何となく居心地の悪さを感じつつも、ふと違和感を感じ取り再度フロアー内を見つめ直した。

 違和感の正体は、すぐに理解してしまう。

 多いのだ。自分にしか見えないはずの異形のものが。

 思わず眉をひそめた雫に、優誠がゆっくりと眼鏡を外してコトンと音を立ててテーブルの上にそれを置く。

 ふわふわとナメクジのように胴体を蠢かせ、雫達の目の前を翼らしきものが生えた何かが横切ろうとする。が、それよりも早く、優誠が無造作にその胴体を掴みあげ、雫の目の前にずいっとそれを差し出した。

 まさか、と言う思いで目の前を見つめていれば、優誠はゆっくりと口を開いた。

「見えるんですね?」

 質問と言うよりも確認に近い言葉に、雫は驚きを隠せぬままにこくこくと頷く。

 途端、優誠の頭がテーブルの上に勢いよく落ち、ゴンという鈍い音が上がった。

 聞いているだけで痛そうな音だが、伏せられた優誠から呪いのような不気味な小声がぼそぼそと漏れ出ているのを聞いてしまい、心配の声をかけることが出来ず雫には黙ったままその様子を見守った。

 やがて、ゆっくりとした動作で頭だけを上げ、優誠は今だに自分が異形を握っていることに気がついたのか、それを嫌々ながらといった動作で手を離すと雫をじとりと見上げて渋々といった口調で話しかける。

「いつ頃から見えてました」

「えっと、小さい頃から。気がついたら、もう見えてたんだけど」

 じっと何かを探るように雫の胸、と言うよりも心臓の辺りを優誠が眼を細めて見つめた後、ふむ、と小さく頷いた。

 どうやら自分だけ納得したような優誠の行動に、雫は僅かに顔を顰めて背を伸ばすと説明してもらう為に口を開きかけるが、それよりも先に優誠が結論だけを口にする。

「倉さんの言うとおり、ほっとけば誕生日に死にますね」

「え?」

「倉さんがこっちに回すって事は、そうとう厄介なことなんですよ。

 まぁねぇ。それでこっちは倉さんに借り作ってるんで、どうでもいいんですけど。

 っと、それはさておき、あーっと」

 そういえば、優誠の名前は知っているが、自分の名を告げていなかったことを、今更ながら雫は思い出した。

 少しばつが悪い思いを感じながら、雫は改めて自分の名とクラスをつげる。

「高坂雫よ。高等部二年五組にいるわ」

「んじゃ、改めまして、鏑木優誠です」

 よっこいしょ、と言う声とともに身体を起こし、優誠は困ったような仕草で前髪を掴みあげると、雫の視線を真っ直ぐに受け止めるように背筋を伸ばした。

 ただそれだけの事だが、優誠から威圧感が漂う。

 思わず喉を上下させ、雫は再び眼鏡をかけた優誠の顔を見つめながら、年下とは思えない少女が口を開くのを待った。

 カチカチ、と、壁際の時計の音がやけに響く中、優誠は天井に視線を巡らせた後、すっぱりと唇を開いた。

「呪い、って信じますか?」

「呪い?」

「はい」

 突如とんでもないことを言われるが、至って真剣な優誠の表情は、問いかけを馬鹿にしているわけでも、ましてや雫を試しているというわけでもない。だからこそ、雫は小首を傾げたまま優誠の言葉を頭の中で反芻する。

 呪い、と言われた所で、自分は誰かにそこまで恨まれるようなことをしただろうか、と考える。が、そこまでのことをした記憶はないという結論に至るのは数秒のことだ。とはいえ、そこに宿る禍々しい響きは気分のよいものではなく、自分が呪われているなどと言われるのは心外と言ってもよい。それでも、信じるかどうかと聞かれれば、いるはずの無いものが視える雫にとって、頷ける代物である事は間違いない。

 幾分か迷いながらも、雫は小さく頷き優誠の質問に肯定の意を示した。

「信じる、けど……」

「なら話しは早いです。

 呪われてます、高坂先輩」

 雫の躊躇いがちの声を聞いた後、優誠はあっさりとそう断言するのだが、まるで明日の天気を話かのような口調をとっており、耳を傾けていなければ聞き流してしまいそうなそうなほど簡潔すぎるものだ。だが、雫本人にしてみれば、優誠から言われた内容はとんでもないものであり、身体を硬直させて目の前の少女をまじまじと眺めるには十分な効果を持っているのは、当たり前のことであっただろう。

 何故自分が、と言うよりも、その意味を理解することが出来ない。そんな事よりも、非常識すぎることを、こうも簡単に口にするその神経が信じられない。

 おもわず、ふざけるな、と怒鳴りつけようとするのだが、それよりもいち早く優誠が説明するように口を開く。

「今の高坂先輩には関係ない呪いですよ。

 ただ、ばっちりくっきり魂に契約印がつけられてますからね-。っつぅても、それは前の魂の時についたものでしょうし」

 僅かに眉をひそめながら、優誠はうーん、と小さなうなり声を上げつつ、少しばかり値踏みするようにまるで猫のように眼を細めた。

 年相応とは言えない光がその瞳の奥に宿るのを感じ、雫はいつの間にか渇いた口の中を潤すようにゴクリとつばを飲み込む。

 ここで選択肢を間違えれば、まず間違いなく、自分は彼女の宣言道理の結末を迎えるだろう。

 誰かから呪われ、そして死を約束されている。現代文明、というよりも、現実的に考えれば、馬鹿馬鹿しいと相手を笑い飛ばす事の出来る内容だが、それが出来ないのは優誠の言葉に奇妙なほどの信憑性がありすぎるからだ。

 だが、それ以上に理解に苦しむのは、優誠が口にした言葉の数々だ。

 なんでもないことのように発せられた『魂』という単語。

 まして、自分が交わしたはずのない『契約』と言う行為。

 お伽噺の世界にでも迷い込んだのではないか、と疑いたくなるような言葉の数々は、どうやら目の前に居座る少女にとっては日常のことのようであり、それはいつも隣に居座っている類いの話しなのだろう。

 だが、自分は別だ。

 引きつりそうになる唇を必死に押し殺し、雫はようやくのように声を押し出した。

「あの、前の魂って」

「あー、つまりは、前世ってやつですね」

 パタパタと片手を振りながら、これまたあっけらかんとした答えを返した後、優誠は訝しげに雫を見やる。

 余りにも突拍子のない話しを次々とされたために、頭の中で情報がうまく整理できずにいる雫の表情を確認してだろう、優誠は天井を見上げた後軽く息を吐き出して再び口を開いた。

「輪廻転生、って言葉ぐらいは聞いたことありますよね」

「え?」

 余りなじみのない言葉に、雫が顔にハテナマークを描き優誠を見つめる。

 どうやって説明したものかと、優誠が少しばかり考え込んだ後、鞄からノートと筆記用具を取り出し白紙のページを開いて雫の前に差し出した。

「これが、今の魂としますね」

 そう言って、くるりと右端に円を描く。そしてその対角線上に、同様の円を描き矢印を二本でそれらを結びつける。

 一方には前世、と書き込み、もう一方には今生、と書き込んだ後、とんとん、とシャープペンの芯をノートに叩きつけた。

「どんな存在でもそうですけど、魂ってのは一つの形をそのまま持ち越してる、って考えてください。

 例えば、前世は動物でも今生は人間、今生は人間でも来世で羽虫や動物になる可能性もあり、って事もあるんですけど、まぁ今はそれは置いておいて、どんな姿形をとっていても、その人物や物体を形作っている核はずっと引き継がれていくんです」

「はぁ」

 余りにも小難しい話しに、雫は反芻することすら出来ずに優誠の言葉を右から左に聞き流していく。

 無論、優誠もそれを承知しているのだろうが、一応はそれを踏まえていてもらわなければ困る、と視線だけで語りかけ、今度は噛んで含めるようにゆっくりと説明を開始した。

「前世で結ばれた契約が完了されていない場合、それは今生に持ち越されることは、珍しくも無いんですよ。

 魂にそれが刻まれている以上、それは契約が履行されない限りは消えることがないんです。今の高坂先輩がこれに当たります」

 ピッと丸と丸を引き結んだ線を見下ろしている雫を、優誠はコトンと首を傾けて見つめてきくる。

 可愛らしい優誠の仕草だが、そんな事を考える余裕すらもなく、理解不能の次元に到達してしまった話しに、雫はぼんやりとどうしたものかと他人事のような感想を抱きつつ、ノートに書かれた二つの丸を見つめ続けた。

「えーっと……つまり?」

 結局の所まるっきり分からずにそう問いかければ、優誠はうーんとうなり声を上げて机に突っ伏す。

 まぁ、そうだよねぇ、普通、等という小声がぶつぶつと聞こえた後、勢いよく顔を上げて、優誠は完結に話しを切り上げた。

「死にたくなければ、あたしの言うとおりにしていただければ幸いという事です」

「はぁ」

 間の抜けた答えを返し、雫はノートと優誠の顔を交互に眺めていると、このままではラチがあかないと思ったのだろう。溜息を一つついた優誠が、ふと何かを思いついたように今度は雫の顔を見つめた。

 何故か、その顔を見た途端にイヤな予感が駆け巡る。

 そんな雫の心境など全く考えてもいない優誠が、無駄に爽やかな笑顔で雫へと矢継ぎ早な言葉を放ちまくった。

「高坂先輩、部活入ってます?」

「え?ううん」

「なら、今はフリーですよね」

「そ、そうなるけど」

「そんでもって、あたしのこと、知らなかったんですよね」

 どうにも鬼気迫る迫力で食いつくように問われてしまい、雫はコクコクと上下に頷いてみせると、小さくガッツポーズをとった優誠が勢いよく立ち上がる。

 何事かと思うまもなく、雫の腕が力強く握られる。

「さぁ先輩!行きましょう!」

「え?」

「あっと、その前に、これに名前書いてください」

 そう言って素早く鞄から一枚の紙を取り出した優誠が、にっこりと胡散臭いまでの笑顔を向けてそれを雫の前に置いた。

 何だろう、と確認しかけた雫に、優誠が上機嫌な口調で切り出す。

「これがあたしとの契約、と思ってくださって結構です」

「え?」

「これに名前を書いてくだされば、先輩の身の安全を保証します、って事です」

「はぁ……」

 身の安全の保証、と言われれば、名前を書かざる得ない。

 なにせ、先程まで物騒きわまりないことばかりを言われ、更には難解すぎる説明を受けたばかりだ。とりあえず、優誠の力量がどれほどかは分からないまでも、自分を守ってくれるという保証なのだから、この場合は背に腹はかえられないとしかいいようがない。

 一番下に自分の名前を書く欄を示され、雫はそこに自分の名を書き記す。

 それを見届け、素早く紙を引き寄せた優誠が、にやり、と口の端に笑みを刻んだ。

 悪巧みを考えていることが一目瞭然なそれを見て、雫が慌てて説明を求めるべく口を開こうとする。が、それよりも早く優誠が口を開いた。

「下校口で待っててください!速攻で迎えに行きますから!」

「え?え?」

「ふふふふふふ……ふはははははは!これでこっちのもんだぁ!

 見てろよ総合生徒会ぃ!」

 背後に炎でも見えそうなほどのテンションで叫ぶ優誠へとついて行けず、雫はガタガタと目の前で自分の荷物を鞄に詰め込む少女の姿をぽかんと眺めていた。

 何が起きているのか全く分からないまでも、先程の予感は的中してしまった事だけは分かる。この場から逃げ出すべきかどうか迷うが、どうにもそれは無理な雰囲気に飲まれてしまった雫を急かすように、グリンと優誠が視線を自分へと向けた。

「行きますよ!先輩!」

 有無を言わさぬ強い眼光に押されるようにして、雫もまた自分の荷物を整えると立ち上がる。

 イヤだ、という事も今なら言えた、と後に後悔する事になるのだが、その時は兎にも角にも雫には選択肢は残されておらず、引きずられるようにして食堂を後にする。

 先輩と言うことを差し引き、同性だという事を考えても、優誠は丁寧すぎるほどの案内で雫を下駄箱に連れていく。

「それじゃぁ、外で待っててくださいね!」

 今にも小躍りしそうな足取りでその場から去って行く優誠の背中を見つめ、雫はのろのろとした動作で足を動かし靴を取り出した。

 視界の端ではちょろちょろと異形のものが蠢いているが、そんな事よりもどうにも先程の雄叫びの方が背筋に冷たいものが流れ落ちて仕方が無い。カモネギ、と言う言葉が頭をかすめるが、まさかと笑って否定したい気分の方が大きい。

 そんな気持ちを持ちつつ表に出れば、ダッシュでこちらに向かってくる優誠の姿が眼に入った。

 瞬間、あぁ、自分はまずいことに首を突っ込んだ、という直感に襲われる。

 満面の笑みを浮かべて雫の手首を掴んだ優誠に、雫は恐る恐る問いかけてみた。

「あの、どこに行くの?」

「行けば分かります」

 答える気はさらさら無いとはっきり分かる態度に、雫は内心で溜息を漏らす。そんな雫をつれて、ずんずんと優誠は先だって歩を進める。

 中等部へ向かうのかと思いきや、中途で道を曲がって心持ち弾んだようなステップで優誠が進む先を思い浮かべ、雫は小首を傾げてしまう。

 確かこの先には、中等部と高等部共同のクラブ棟が並んでいたはずだ。文科系だけではなく体育系の部活動は、大抵そこを拠点に活動しているんだよ、と友人達から聞いてはいるが、実際にそこに訪れるのは、実は雫にとって初めての出来事だ。

 白を基調にした建物群は、きちんと並べられてまるでアパートか団地のような印象を与えるが、よく見ればそれぞれの大きさはまるで違っており、建物壁面にはこったアルファベットの印字が貼られている。

 どうやらそれでどこの部活動が所属しているのかを表しているらしく、初めてここに訪れた者でもどこそこの何階、と指示されればそれだけで何とかたどり着けるだろう。

 だが、ずかずかと先を行く少女からは、どの棟へ向かうとは一言も説明されておらず、このまま手を離されたら自分が迷うのは確実なために、雫は気づかれないように溜息を漏らす。

 はたしてどこまで行くのやら、と思案に暮れていれば、一番奥に設置され、なおかつ巨大な建物へと優誠は真っ直ぐに向かっていた。

「ここ?」

 目的の場所なのかどうかを聞いてみれば、胡散臭いまでの爽やかさを伴った笑顔が、雫へと向けられて大きな頷きを見せる。

 今やべったりと背筋に張り付くイヤな予感は、現実になりそうだと確信を持ってしまった雫を伴い、優誠は慣れた動作で靴を脱いで並べられているスリッパへと足をつっこむ。同じように爪先を来客用、と書かれたスリッパに入れた雫が、優誠に続いて階段を上って廊下を進んでいくと、すぐさま目的の部屋へとたどり着いたらしい優誠がバタンと大きな音を立てて扉を開いた。

「皆のもの!喜べ!マネージャーを連れてきたぞ!」

 その言葉に、優誠以外の全員の動きが止まる。

 寝耳に水な話しの展開に、思わず固まってしまった雫だが、恐々と優誠を見下ろした後室内へと視線を向ける。

 そこには、何十台ものパソコンにそこから放たれる機械音。そして、見渡せば男ばかりというむさ苦しい空気に支配された、高等部の情報処理室よりも巨大なそれだ。

 つかの間しん、と静けさが内部を満たすが、その次の瞬間おぉぉ、と言う歓声が沸き上がった。ぐ、っと握り拳を入口で作り、中へと入り込んだ優誠が、大仰な動作で雫を指し示す。

「全ての条件を満たしている高等部の方だ!これなら文句は出ない!」

「おま……どうやって見つけた」

「企業秘密に決まってんでしょ」

 ふふんと笑いながら答える優誠の姿を、もはや呆然と眺めるしかない雫の側に、苦笑を浮かべながら男子生徒の一人が近づいてくる。

 ひらひらと目の前で手を振られ、ようやく我に返った雫の様子に、彼は何かを察したのか申し訳なさそうな笑みを浮かべ中へ入るよう手招いた。

「どうも、うちの後輩が面倒をかけたみたいですまないね」

 そう言いながら、一番手前のコンピュータの椅子を勧め、雫にコーヒーは飲めるかと問いかけてくる。

 雫が小さく頷いてみせると、彼は少し待ってるよう言い置いて、扉のすぐ近く、電気が消された奥の部屋へと引っ込んだ。

 何とはなしに居心地の悪さを感じながらも、背後で異様な盛り上がりを見せている会話に耳を傾ければ、優誠の高らかな勝利宣言が聞こえてくる。

「これで今期の予算ゲットだ!ざまぁみやがれ総合生徒会の連中め!」

「てか、本気で連中あきらめると思うか?」

「全部の条件クリアしてんだから、認めざる得ないでしょうが。これでぐだぐだ言うんなら、連中の底の浅さが知れるってもんよ」

「しっかしまぁ、お前くらいだろうな。総合生徒会と全面戦争して勝つなんて」

「勝負事で、あたしが負けるとでもおもってんの?」

「いいや」

 揃って答えが聞こえたところで、先程の男子生徒が使い捨てのカップと自分用らしいマグカップを持って、疲れたような笑みを浮かべて戻ってきた。

 雫の前へとカップを置き、その隣の席に腰を下ろすと、彼はいささか迷いながら雫へと話しを切り出す。

「えっと、優誠のことも、この部活のことも、知らなかったんだよね?」

「はい」

「そっか……」

 雫の答えの真偽を確かめるよう、真っ直ぐな程に瞳を見据えたが彼だが、思い出したように背後で騒ぎを起こしている生徒達に視線を向け、がくりと肩を落とした。

 同じように視線をそちらに移動させた雫だが、直ぐさまぐるりと首を元に戻して深呼吸をする。見てはいけないもの、というものは、この世の中には様々あるが、今背後で行われていることもその一つといえるだろう。

 何が起きたかはこのさい省くとして、そういえばと思いだしたように雫は目の前の少年に問いかける。

「あの、すいません、出来れば事情の方を」

「あ、あぁ、そうだよね。どうせ優誠のことだから、何も言わずにここまで引っ張ってきたんだろうし……。

 まずは、自己紹介が先だね。俺は情報処理部部長、高等部二年の飯山(いいやま)賢三(けんぞう)。よろしく」

「あっと、高等部二年の高坂雫です」

 お互いにぺこりと頭を下げ合った後、どこから説明したものかと飯山は頭を悩ませたらしく、うなり声を上げて腕を組み合わせた。

 やがて、どこから説明しても同じだと理解したのか、飯山は小さく息を吸い込んで雫に視線を転じると、重い口を開くべく唇を動かそうとするが、すさまじい盛り上がりを見せている背後にぎりりと奥歯をかみしめ、がたりと椅子から勢いよく立ち上がった。

「おめぇらうるせぇんだよ!いい加減に作業に戻りやがれ!」

「えー!せっかくあたしが引き抜いてきたマネージャーに文句あんの―?」

「それ以前の問題だって言ってんだ!ここが俺ら以外使って無くとも、これ以上の騒ぎは御免被るんだよ!俺は!」

「いいじゃん。怒られんの飯山さんかあたしだけだしー」

「よくねぇ!」

 アッケラカンとして言い切られた飯山の米神に青筋が浮かび上がるが、余りのことにきょとんとしてしまった雫の姿を見たのか、慌てて飯山は表情を変えると、今度は静かな口調で言い聞かせる。

「とにかく、作業に戻れ。いいな」

「へーい」

 やる気の全くない優誠の声に飯山の口の端が引きつるのを見ながら、雫は何ともいえない同情心にかられてしまう。

 後輩だというのに、ここまでいいように扱われているのは、このやりとりで嫌という程に分かってしまう。他の人間よりも、苦労は倍以上であろう立場は、決して飯山自身が自分からやりたいと言い出したわけではない事もだ。

 今にもマグカップの取っ手を割りそうなほどに握りしめ、飯山ゆっくりとその中身を飲み干すと、作りすぎてぎこちない笑みを雫へと向けた。

「すいません、やかましくて」

「いえ」

「あっと、状況の説明だったね」

 先程よりも静かになった室内で、飯山は思案げな顔で一度天井を見上げ、もう一度確認するように雫に尋ねた。

「本当に、何も知らないんだよね?」

「はい」

「そっか。なら、この部のことから話さないと分からないか。

 その、ね、まずこの情報処理部は、全ての、まぁ……文化部系だけじゃなくて、体育会系含めた部活動の中で、一番予算を食う部活動なんだ」

「……はっ?」

 重々しい飯山の言葉に、数瞬ほど雫の反応が遅れる。

 文化系の部活で一番、と言うのならばまだ分かる。だが、体育系を含めた、と言う言葉は、余りにも納得がいかない。予算を使う部活動から連想されるのは、まず野球部やサッカー部など、遠征や大会などに出る部活動、と言うのが雫の中で考えられるものだ。

 その考えを読み取ったのか、飯山は苦笑で話しを始める。

「見ての通り、ここの機材だけなら問題はないんだけどね。この建物全体の機材を含めると、かなりの予算になるんだよ」

「えっと……この建物って」

「ほんとに、何も知らないんだね」

 苦笑は、どちらかと言えば雫にではなく、自分自身に向けてのものらしく、飯山は目の前のモニターへと身体を向け、流れるような動きでキーボードの操作を始めた。

 しばらく後、ようやく目当てのデータを見つけたのか、キッと椅子の場所を移し、雫へこちらに来るよう手招くと、モニターに指を当てて再度説明を開始した。

「これが、建物内部構造。

 一階と二階は一般生徒にも開放している、いわゆる誰にでもパソコンが使える部屋。でも、三階から上はちょっと違ってくる。ここ三階は、情報処理部員しか使えない部屋。四階は、部員の中でも口の堅い連中しか入れない場所。五階はそいつらや大学関係者、後は限られた職員のみが使用可能。

 そして」

 ポン、と、飯山の指が一階から下、何もない部分を叩きつける。

 ハテナマークを顔に書く雫に向けて、今までとは違い、飯山は真剣な表情と幾分か身体を落とし声を潜めた。

「この下には、本当に限られた人間だけしか、入る事が出来ない場所なんだ」

「飯山さんは、知らないんですか?」

「一応部長といわれているけど、俺は優誠ほどのプログラマーじゃないし、あくまでもこの部の顔役として、ここに所属しているだけだからね。

 この下に何があるのかまでは、ここにいる人間じゃ、優誠ぐらいしか知らないんだ」

 肩を竦めてそう言い切った飯山の顔を、雫はまじまじと見つめた後に、ちらりと背後の部員達を見やる。

 ざっと見たところ、二十名ほどは居るだろうか。男子部員ばかりの中、たった一人の女生徒と言うだけでも異彩を放っているのに、この中で最も優れた腕を持つ人間だということが、雫にとっては信じられない出来事だ。

 本当に、と顔に書いていたのだろう。飯山は乾いた笑いで、力なく頷いてみせる。

「まぁ、そこら辺は適当に流しておいていいよ。

 じゃあ、本題の方に入ろうか。さっきも言ったけど、この部が一番予算を食うんで、中等部と高等部の予算だけじゃ足りなくてね。総合生徒会の方からも予算を出してもらってるんだ。けどまぁ、ぶっちゃけ金額が金額だからね、向こうも我慢の限界に達したらしくて……」

 はぁ、と溜息を付いて、飯山が優誠の方にちらりと視線を向け、再度重苦しい吐息を付いた。

 なにやら不穏な空気を感じつつも、その先を視線だけで促せば、飯山は遠くに視線を向けて話を続ける。

「あのバカが総合生徒会とガチでバトルって、条件出されたんだよ」

「……へ?」

 言われたことが分からず、雫の口から間の抜けた声が上がる。

 遠い目をしてしまった飯山の態度も気になるのだが、先程の『ガチバトル』と言う単語が気になり、雫は恐る恐る言葉をつなげた。

「条件って、あの、マネージャーがどうこうって言ってましたけど」

「そう。この部のことを何も知らない、無関係な生徒が、マネージャーになれば、予算の費用を言い値で出すって」

 そんな視線のままに、指を折り曲げつつ一つ一つを丁寧に話す飯島の顔には、その時のことを思い出したのか、疲労が滲み始めている。

 唖然としてそれを聞いていたが、なぜか、その場面が鮮明に雫の頭の中に浮かんでしまう。

 あの口だけでなく行動力もある優誠が、そうそう簡単に引くとは思えない。結果、そこまでの条件を出させ、あげく自分を引っ張り込んだとしたのなら、これはもう手ぐすねを引いて待ち構えていたのではないかと疑いたくもなるのだが。

 雫と飯坂、二人同時に吐息をつき、どちらからとも無く小さな笑みをこぼすと、そのまま視線を優誠へと向けた。

 それに気づいたのか、画面を眺めていた優誠が顔を上げて胡乱げに二人を見やる。

「なんか?」

「これから総合生徒会に行ってくる。

 お前は、絶対に、付いてくるな」

「へいへい」

 どうでも良さそうに返事をしながらも、その顔には勝利の笑みを浮かべている優誠の姿に、思わずと言ったように飯島がこめかみを押さえつけ、何とも言いがたい表情で後輩を見遣った。

 周囲の人間といえば、何とも同情的な視線で飯山と雫を見つめている。どうやら、総合生徒会の前に行く飯山が、彼等にどう言われるのかを悟っているのだろう。優誠に悟られぬように、口ぱくでエールを送っているのが雫の瞳に映った。

「それじゃぁ」

「ちょいまち。飯山さん、これ渡すの忘れてた」

 言葉を放ちつつ立ち上がった飯山に、優誠が思い出したように鞄から一枚の紙を出す。

 渋々優誠へと近づいた飯山が、ひったくるようにそれを奪い取ると、不備が無い事を確認するように紙面に目を走らせた。

 それは、先程優誠が取引だと言って名前を書かせた書面だ。内容まできちんと確認していない雫としては、ただ名前を書かされただけの紙面でしかないが、飯山にしてみればそれは貴重な提出書類の一つの為に、真剣な眼差しになるしかない。ざっと書かれている文字を追いかけた後、雫の名前の欄を何とも言えない表情で見た後に大きな溜息を吐き出した。

「高坂さん、行こうか」

「あ、はい」

 哀愁が漂う飯山の背中について行きながら、雫は再度昇降口まで戻り外へと出る。

 梅雨の合間の青空を見上げつつ、ふと疑問に思ったことを雫は飯山に尋ねた。

「あの、鏑木さん、って、どういう娘なんですか?」

「鏑木さんじゃなくて、優誠でいいよ。みんなそう呼んでるから。

 そうだなぁ……あいつは、一言で言うと、トラブル吸引体質、だよ」

「は?」

 天才、や、眉目秀麗、等という言葉が返ってくると思いきや、正反対どころか意味不明の言葉が返され、雫は素っ頓狂な声を上げる。

 それに苦笑をこぼした飯山が、ちらりと雫へと視線を向けた。

 どうやら、その手の質問には慣れているのだろう。考え込むそぶりもなく、飯山はのんびりとした口調で雫へと答えを返した。

「まぁ、そのまんまの意味だよ。あいつは、どこに行ってもトラブルばっかり起こしてさ。その割には、人に好かれやすいんだよなー、不思議なことに」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ。で、ぶっちゃけて言うと、敵も多いけど、味方の方が数多い。そこいらの男子よりも、ぶっちぎりで人気がある。何故かは知らんが、やたらと人脈があって、その関係者からはえらく信用されてる」

「なんですか、それ」

 まだまだ続けられそうな飯山の言葉の数々に、雫は思わず突っ込みを入れてしまう。

 まか不思議を通り越し、もはや訳の分からない素性の中学生に対しては、どう言ってしまっていいのかが全く分からない。

 不躾なまでの視線を飯山の背中に送りつけ、雫は眉間にしわを寄せる。

 そんな態度に気を悪くした風もなく、飯山は軽く肩を竦めて見せた。

「あんまり考え込まない方がいいと思うよ。

 うちの部員も、あいつに対しては一目置いてるしね。信用と信頼の厚さと実績は、そりゃもう掛け値無しとしか言えないし、なんだかんだいって面倒見のいいやつだから、あいつを嫌ってる人間は不思議といないし」

「はぁ」

 間の抜けた答えを返しつつ、先程の飯山の言葉を頭の中で反芻する。

 人脈がある、や、人気がある、というのは、朝方に見た友人達の反応でも分かる。加えて、先程の部室内で見た部員達の態度からも、信用されているだろう事は目に見えて理解できる。

 だが、一介の中学生が、そこまでのことが出来るのだろうか、という不安と疑問が払拭されたわけではない。それに、あの不遜な態度では、敵を作っても仕方の無いとしかいえないものがあり、それが雫にとって良かったのか悪かったのかが、今だに分からないでいるのだ。

 判断を、本気で間違えたのかも知れない。

 そんな事を考えていた雫の足を止めたのは、飯山の一言だ。

「さて、ついたんだけど」

「え?あ、はい」

 古めかしく分厚い扉が見えた所で立ち止まった飯山は、雫に真剣な顔を向けて諸注意を口にした。

「誰に紹介されたかは言ってもいいけど、それ以外はあんまり口を開かない方がいいと思うよ」

「どうしてですか?」

「ここの連中としては、絶対に無理だと思った条件をこっちに突きつけてきたからね。なんせ、部活に入っている人間には箝口令敷いて、この件を口にすればその部の活動を一年近くさせない、と大声で言いふらしてたんだ。まぁ、部活に入ってない人間でこの件を知っているのはそんなにいないはずだし、だからこそ大見得切ってそんな事を言ったんだろうけど」

「何ですか、それ」

 思わず呆気にとられてしまった雫が、余りにも無茶苦茶な言葉の数々に思わず目を見開いてそう呟いてしまった。

 そんな雫の様子に、飯山はほろ苦い笑みを口の端に刻みつけると、落ち着かせるように柔らかな声で雫に話しかけた。

「色々理解できないことが多いだろうけど、たぶん、連中と話しをすると気を悪くするとだろうから、あんまり気にしない方がいいよ」

 そう言い切った飯山から、雫は視線を転じて目の前の建物を見上げる。

 ここが総合生徒会本部か、と雫は少しばかり感慨深げなな感情に浸ってしまう。無論それは仕方の無い事と言えるだろう。この場所は学園内でもっとも有名でありながらも、よほどのことが無い限りは一般の生徒は近寄る切っ掛けもなく、名前とともに何となくしか実感のわかない場所なのだ。

 どっしりとした貫禄感のある二階建ての建物は、学園の全てを掌握しているものだからだろうか。建物の周りはそこそこに人の出入りが見受けられ、その種類は小等部から大学までというばらばらの人種が行き交っており、その名の通り『総合』と言うに相応しいものだ。

 それらを見つめ、まさか自分がこのような場違いな場所に来るとは思わなかった、というのが雫の感想が浮かんでしまう。そんな雫をよそに、飯山は大きく息を吸い込むと、さぁ、行こうか、と少々緊張したように様子で歩き出した。

 重厚な造りの扉をくぐり抜ければ、思った以上に広いフロアーとまるで役場のように様々な窓口と待合用の長いすが置かれている。そしてその中央奥には緻密な細工を施された階段が上へ向かって伸びており、始めて来た人間を萎縮させるには十分すぎる造りをしていた。

 内部の様子にあっけにとられてしまった雫の様子を見つつ、飯山は手招きで雫を階段へと誘いながら二階へと昇っていく。慌ててその後を追いかけながらも、雫はちらりと一階の様子が気になりそこに視線を落としてみれば、制服姿や私服姿の学生達が忙しそうに動き回っている。

 生徒以外に姿が見えない事に疑問を抱いた雫に向けて、飯山が思い出したように説明を口にした。

「ここは、学生以外立ち入らないからね。先生方や常駐勤務のおじさんやおばちゃんなんかはいないんだ」

「じゃぁ、あくまでもここは学生主体で回してる、って事ですか?」

「そうなるね。ここは、籐華学園の学園主導権を全て握っている場所だよ。だからって訳でも無いんだろうけど、高等部に大学、大学院の籐華学園の卒業生や他校の生徒は絶対に立ち入り禁止になっているんだ」

「でも、学生だけでそんな事したら反発とか出ないんですか?」

「反発は何時もあるけど、そこら辺は各生徒会や委員会と連携して事を治めてるよ」

「……なんだか面倒くさいですね」

 雫の感想に、おかしそうに飯山は口元に笑みを刻んだ。

 それに気付かず、雫はふと疑問に思ったことを口にする。

「高等部や中等部が授業中の時はどうなっているんですか?午前や試験前なんかは出られないと思うんですけど」

「それなら簡単だよ。午前中なんかは大学部の生徒がローテーションで回してるし、大学が試験期間に入ったら高等部の生徒を筆頭にして活動しているからね。

 で、話しは変わるんだけど、こうやって放課後は立候補した高等部の生徒も混じってるから、全学園生徒間のもめ事の解決や、そこら中にある部活動のいろんな申請なんかは、ここで受理する事になってるんだ。

 もちろん、ここで認証印をもらわない限りは、部活にしろ他の活動にしろしろ、支障を来すようになるね」

「そう……なんですか」

「うん。それに、ここだけの話し、総合生徒会本部で仕事してるって事は、かなーり実力あってラッキーな連中だけなんだよ。毎年一回、必ずここでの作業をする人材を募集しているけど、その選考に入る人間は激戦で勝ち残った人間で、更にそこから条件をピックアップして人数を絞り込むんだ。まぁそれが、受験の倍率か、って突っ込みが入るくらい厳しいからね。で、それに受かった人間が、ここで働いてるんだ。

 まぁ各学年が違っても、メインの人材は中等部以上になるわけ。それに、ここで働いてればそれなりのバイト代が出るし、もしも何かの切っ掛けで他の学園に移ったとか、大学部の就活なんかではここで働いていたこと言えば、処理能力の高さを買ってくれるし、ある程度優遇された環境にいることになるんだよ」

「なんて言うか……その、すごい、ですね」

 間抜けな声音だと自分でも分かるが、そうとしか言えない雫は再び一階を見遣った。

 ちょこまかとあちこちの席に回っては、自分の持つ資料だけでは無く他の人間の書類を集めている者。真剣な顔でパソコンの画面と横に置かれているファイルの中の書類を見つめている者。談笑をしつつ所定の窓口に案内する者。怒鳴り合う者に真摯な態度で説明している者。

 本当にどこかの役所のような雰囲気にのまれながらも二階に上がれば、そこは一転して静かな空気に満ちた、これまた別の意味で居心地の悪い場所が広がっていた。

 背筋を伸ばさなければならないような気分を味わいながら、黙り込んだまま飯山の後を雫は追いかける。どこへ、と問うまでも無く、目的の場所は雫にもすぐに分かった。

 やけに厳格かつ重そうなドアは、二階の奥で目的のない者をはじき飛ばすような空気を放っている。ドアの上には年季の入った標識がかけられており、これまた力強い文字でその部屋の名を記していた。

 それを目にした途端、雫は本当に自分がこんな場所にいていいのかという疑問が生まれるが、扉の前で飯山が立ち止まって扉を忌々しげに眺めるのが視界に入り、なるべく縮こまるように肩を寄せた。飯山の背後で音を立てないよう気をつけつる雫に気付いた様子も無く、飯山は溜息を一つ付いて扉を力強く二回ノックする。

「すんません。情報処理部の者です」

 その声に対して、入りたまえ、とどこか苛立たしげな声が帰ってくる。その調子に、再び深い吐息をついて、飯山がドアノブを回した。

 中の様子が見えた瞬間、う、と小さく雫は小さな声を上げてしまっていた。

 それはそうだろう。

 なにせ、中等部や高等部の制服の中にあって、窓を背にやたらと圧迫感のある巨大なデスクに座る大学部の生徒が、苦虫を噛み潰したような顔で二人を出迎えたのだから。

「……で、何のようだ。飯山部長」

「あー、条件を満たしたマネージャーが見つかりまして」

「それが、彼女か」

 簡潔な問いかけに、これまた簡単に飯山は返事を戻す。

 飯山の背後で小さくなっている雫を眺め、態とらしい動作で青年はデスクの上に腕を組んでそこにあごを乗せる。窓を背景にしているために表情までは掴めないが、少なくともこの中で一番機嫌の悪い空気を放っている彼の前には、黒い三角錐に白い文字で本部長と書かれていた。

「君、学年と名前は?」

「えっと、高等部二年の高坂雫です」

 何とかそれを押し出した後、雫は戦々恐々と相手の出方を見つめてしまう。そんな中、長く深い溜息を付きつつ本部長は自分の右手側に視線を向けた。

 ちらりと雫もまたそちらを見れば、庶務、と言う腕章をつけた女生徒が、カタカタと目の前のパソコンに何かを入力する。しばらく後に、彼女は本部長の機嫌を伺いながら、小さく声をあげた。

「部や同好会の履歴を調べましたが、どこにも名前がありません、片桐先輩」

「そうか」

 組んでいた腕を解き、側にあったシャープペンシルを手にすると、その先をコツコツと神経質そうに机に叩きつけながら片桐は飯山を見上げた後に、雫へと目線を戻して忌々しげな溜息を吐き出す。

 その態度に苦笑しつつ、飯山は片桐の機嫌に構う事なく、ぺらりと一枚の紙を差し出した。

「これが、彼女の入部届です。

 質問があれば、聞きますが」

 胸ポケットの中に突っ込んでいたわりには、丁寧にたたまれた紙をぺらりと広げて、飯山はぐっと片桐の前にそれを差し出す。

 憎々しげにそれを眺めつつ、不備のないことを確かめた後、片桐がじろりと二人を睨み付けた。

「高坂さんと言ったね。誰からこのことを聞いたんだい?」

 突如自分へと向けられた疑問、と言うよりも、詰問に近い口調に、雫は一瞬飯山の顔へと不安な表情を向ける。

 そんな雫を安心させるように、飯山は僅かに表情を和らげて先を促した。

「あの、高等部の倉田さんです」

 その言葉に、ぺきん、と硬質な音を立てて片桐のシャープペンの芯が折れた。

 見れば、両口の端を引きつらせ、片桐はうめくような声を立ててながら、手が真っ白になるほど力強くシャープペンを握りしめている。

 何かまずいことを口にしたのか、と慌てる雫をよそに、片桐は盛大な呻り声を上げ始めた。

 そんな雫の手の甲を、見えないように飯山に軽く叩きつける。僅かに視線をそちらに向ければ、飯山は疲れたように眉尻を下げつつも、軽く頭を横に振って見せた。

 なんだか、諦めろ、と言われたような気がしたのは、この場合間違いないだろう。今だに唸り続ける片桐に、雫はおずおずと声をかける。

「あの、何か、まずかったでしょうか?」

「倉田から、何も聞かされなかったのか」

「あの倉田が、何か言うと思いますか?」

 雫の言葉よりも前に、幾分か同情を込めた言葉を飯山が放つ。

 それもそうだ、という空気が室内に流れれば、片桐の顔に更なる悔しさが滲む。

 どうやら、倉田さえと言う人物は、雫が思っていた以上に実権を握っているらしい。それは、高等部に留まらずこの総合生徒会でも同じようだ。

 なんだか、今日だけでとんでもない人間二人と顔見知りになったらしいと感じながら、雫は嫌な沈黙に支配された室内の中で、居心地悪げに身を動かした。

 やがて、片桐が疲れたような溜息を吐き出すと、先程よりも眼光を鋭くして飯山を見つめ、吐き捨てるように言葉を口にした。

「分かった。条件を満たした以上、こちらは何もいう事はない」

 ほっとしたように飯山が肩を降ろし、そして同情を含んだ視線で片桐を眺める。

 それに気を害したのか。片桐はちっと短く舌を打ち付け、視線をあらぬ方向へと向けた。

 そんな片桐の態度を苦笑で眺めていたが、言わなければならないことだけを端的に飯山は口にする。

「じゃぁ、すいませんが、部費の件はそのうち概算予算として提出しますから、それはそれでお願いします。

 あとは、まぁ……」

 そこまで言った後、すぐに飯山は言葉を濁してしまい、言外に優誠のことをちらつかせる。それに気がついたらしく、片桐は奥歯を強く噛みしめた後に再び、あんのくそガキ、と小さな声で悪態を吐き出した。

 その言葉を聞かぬふりをし、会計席にいた生徒が飯山に向けて尋ねてくる。

「前に提出された予算は、少し度を過ぎているので、学校側にも掛け合って欲しいんですけど」

「あぁ、それは分かってます。まぁ、出せる範囲までの金額を教えていただければ有り難いんですが」

「おい。この学園の予算枠を超えるような額を要求するつもりか」

「それはまぁ、優誠次第と言ったところと言うべきでしょうかね」

 その名前を出された途端、片桐の眉間に深くしわが刻まれ、室内に響き渡るような舌打ちを漏らした。

 うわぁ、と心の中で声を漏らし、引きつりそうになる口の端を必死にこらえながら、雫は片桐を無視して話しをする飯山の背中を眺める。

 優誠に感化されているのか。飯山もなかなかに神経が図太いらしい。

 というよりも、優誠と行動を共にするうちに神経が図太くならざる得なくなったのか。どちらにしろ、ここでなかったことにします、と言った方がよかったのでは無いか、という一抹の不安を押し殺し、雫はただ黙って飯山の背中を眺めつつ、本当に小さな小さな溜息を吐き出した。

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