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 学校に行ってからなのだけれど、事情説明のために最初は職員室に行って、担任の先生と一緒に教室に入ることになっていた。

 学校に着くまで、学校について下駄箱で靴を履き替えるとき、ずっと変な目で見られていないかとドキドキしながら歩いていたのだけれど、案外誰も気が付かない。

 ドキドキ損ではあったけれど、考えてみれば学校の生徒全員を覚えている人など、学校中を探してもいないだろう。


 せいぜい同じ学年までだと考えると、知らない女生徒がいたところで、別の学年の人かと納得して終わりだ。

 制服だってちゃんと着ているのだから。


 途中で親友を見かけたけれど、ちらりとこちらを見られただけでスルーされた。

 いつも声をかけてくれる親友がこちらに気が付かないのは、何だか学校で透明人間になったような感じがしてちょっと楽しい。


 普段はあまり近寄らない職員室に着くと、トクトクトクと少し鼓動が大きくなってきた。

 ここに入ってしまえば、僕は透明人間ではなくて、女の子になった僕として紹介されることになる。

 それはやっぱり緊張する。


 今朝すれ違った親友がどんな反応をするのだろうかとか、改めてクラスになじめるだろうかとか。

 もしかしたら虐められるのではないか、そんな不安が溢れてくる。


 一度深呼吸をして職員室に入ろうと思ったら、職員室の扉がガラッと音を立てて開いた。

 向こうから現れたのはノートを沢山持った女子生徒。

 長い黒髪は優等生のような印象を与えるのに、その瞳はどこか悪戯っぽい。


 見間違えるはずがない、先輩が急に現れた。


 僕を見るなり、今まで見たことがない輝くような笑顔で先輩が会釈をする。

 僕が今までに一度見たことがないその笑顔は、女の子を相手にしているからの物なのだろうか。

 それは……なんだかとても羨ましい。


 そして見たことがない表情に驚いて、あまり変に息を止めてしまったせいか、むせてしまった。

 慌ててノートを置いてすぐに近づいてきた先輩が「大丈夫かい?」と心配するように背中を撫でてくれたけれど、そんなボディタッチに僕はどきりとしてしまう。


 先ほどまでとは違う意味で、心臓がどきどきしている。


「は、はい。ありがとうございました。僕は用事があるので失礼します。先輩」


 早口で言って頭を下げると、逃げるように職員室に入った。





 職員室で担任の先生と会った時、40代の眼鏡の先生は「やっぱり夢じゃなかったんだな」とどこか遠い目をしていた。

 こちらとしてもなんだか申し訳なく、だけれどどうしようもないので苦笑いを浮かべていると、他の先生たちの視線が集まっていることに気が付いた。


 簡単に言えば、あの生徒が例の生徒ですよ。ということらしい。

 ちょっと虐めかなと思いそうになったけれど、考えてみれば僕が男子から女子になった生徒だと先生達に正しく理解されていた方が便利だ。

 先生たちとしても、問題があるというか、厄介な生徒を前もって頭に入れていた方がお互いに妙な行き違いがなくて済むのだろう。


「ホームルームの時に連れて行って、紹介するが心の準備は大丈夫か?」

「緊張します」

「だろうなぁ……まあ、困ったことがあれば言ってくれればいい。

 男に言いにくいなら、女性の先生でも構わない」

「分かりました。ありがとうございます」


 先生は最後に、誰が悪いわけでもなく当事者である僕が一番大変そうだからと、言ってくれた。

 だけれど、悪いと言えばたぶん悪魔を名乗った女性が悪いと思う。

 言って信じてくれる人はいないと思うけれど。


 そしているうちに予鈴が鳴って、僕は先生と一緒に教室に向かうことになった。





 教室で先生に事情を説明されたクラスメイト達は、なんだかとてもソワソワしていた。

 質問攻めにでもあうかと思ったけれど、転校生でもあるまいし、友達でもないのに話を聞くのは気が引けたりするのだろうか。

 だから良く絡む唯一の友人ともいえる親友が代表してやってきたのだろうけれど。


 やってきた背が高くなってしまった親友は、僕に近づくと耳打ちをする。


「お前が美術部に入った理由は?」

「先輩と一緒に居られるから」

「お前が美術部で書き上げた絵の枚数は?」

「4枚」


 まるでwebサイトのパスワード代わりの「あなたの秘密」がごときやり取りを終えて、親友がこちらに手を向けてくる。

 握手ということなのだろう。

 躊躇いなく手を掴んだのだけれど、なんだか前した時よりも大きくてごつごつしている気がする。


「間違いないな、親友」

「それはなにより。親友」


 でもこの気安いやり取りは安心する。

 すぐに握手する手を離した親友が、しげしげと僕の顔を見た。


「本当に女の子になったんだな」

「昨日朝起きた時にこうなっててね。昨日はその対処でいろいろ回ってたよ」

「男に戻れるのか?」

「戻り方は分からないかなー」


 周りに聞こえるように、少し声量は大きめで話す。

 それから1人目が話しかけたせいか、転校生みたいに囲まれた。

 今まで話したことがない人も話しかけてきたけれど、今日の放課後になるころには、いつも通り親友が話しかけてくるくらいになった。


 男が女になった。そんな異常事態は、緩やかにクラスに馴染んでいった。

 そのことに僕は心の中でホッとしていた。





 放課後。美術室に向かう。

 毎日毎日通い歩いていた道なのだけれど、今日は何だかいつもと違う気分。

 いや今日の朝の登校中も新鮮だったし、もっと言えばトイレとかお風呂とか、新鮮味しかなかったけれど。

 その事を話すだけで昼休みがつぶれてしまうかもしれないけれど。でも、美術室に向かうこの道は、女の子になって行ってきた中でも、最も特別なのだ。


 今朝の不意打ちとは違う。僕が今の姿になった意味がこの先にある。


 渡り廊下を行くとき、風が吹いてスカートを揺らす。

 風が足に当たる。

 髪が揺れる。女の子になったんだなと、実感する。


 隣の校舎に移って、階段を上がる。

 傾いて橙に染まり始めた日の光が廊下に照り付ける。

 特別棟の一番奥。シンナーの香りがツンとくる教室の扉を開けた。


 中には清楚を具現したような女性がいた。

 長い黒い髪。優しげな瞳。小さい鼻に、桜色の唇。白い肌。


 だけれど僕は、その瞳の向こうに悪戯っぽい色を隠しているのを知っている。

 長い髪を振り乱して、小さい鼻を目いっぱい広げて、口を大きく開いて話すことがあることを知っている。

 僕がそんな彼女に惹かれているのを、僕は知っている。


 美術室の扉が開いた音に気が付いたのか、彼女が――椅子に座ってキャンバスに向かっていた先輩が、目を輝かせて立ち上がった。

 それから「よく来たね後輩君。実は今日はだね……」と言いながら、こちらを見た。

 楽しそうに話そうとしていた先輩は、僕と目があった瞬間フリーズする。


 それから小さく「君は……」とつぶやいた。

 先輩の顔が驚きに染まっていく。


「やぁ。いきなり申し訳なかったね。今朝会ったんだけど覚えているかい?」


 最終的に先輩の表情は喜色に固定され、仕切りなおすように話しかけてきた。

 こんな表情。今まで見たことなかった。

 喜んでいる姿は見たことがあったけれど、どこか照れたような、それでいて嬉しさを前面に出したような今の表情は初めて見る。


 そのことにモヤモヤしつつも、初めて見る先輩の一側面に僕はまた先輩を好きになった。

 またこの顔を見たい。


「先輩。何かしこまっているんですか? 僕ですよ。たった2人だけの美術部なのに、忘れるなんてひどいですね」

「……まさか、後輩君かい? いやいやいやいや。それはないだろう」


 先輩の目が飛び出そうなくらいに開かれる。

 そのまま上から、下から、舐めるようにボクを観察し始めた。


「私の知っている後輩君は、もっと身長が高いよ」

「見ての通り、朝起きたら女の子になっていたんですよ。昨日休んでいたのは、手続きとか何とかあったからです」

「……」

「あの……先輩?」


 先輩が真面目な顔をして、僕を見ている。

 それこそ、僕の声が聞こえていないほど。


「私の好きなタイプはどんな子だい?」

「守ってあげたくなるような、先輩を慕う後輩タイプの女の子ですよね」

「うん。後輩君に間違いはないみたいだね。

 かわいい声はしているけれど、話し方はそのままだ」

「えっと、先輩は……変に思いませんか?」


 うんうんと頷く先輩を見ていると、急に不安になった。

 先輩は女の子が好き。だから僕は女の子になりたかった。

 だけれど、元が男の見た目女の子を果たして女の子だと認めてくれるのだろうか。

 もしかしたら、気持ち悪く思われるかもしれない。


 情けなくも、震えた声の僕の言葉に、先輩はにやりと笑った。

 矢印のような尻尾と小さな黒い羽根を幻視してしまいそうな、お手本のような悪戯っぽい笑みだ。


「実はね、後輩君。私は今日、恋をしたんだよ」

「そう……なんですね」

「その話を君にしようと思っていたんだ」


 それが美術室に入った時のあの反応だったのか。

 先輩に好きな人が出来たということは、僕が女の子になったのも意味がなかったということか。

 何だか少し悲しくなってきた。すぐに涙が出そうになるこの体は、女の子になったゆえんだろうか。それとも男だったとしてもこうなのだろうか。


「……でも、その前にそうだね。後輩君に聞いておきたいことがあるんだ」

「何ですか? 何でもは答えませんよ?」


 努めて明るく。いつもの調子を意識して、先輩の言葉に返す。


「後輩君は男の子に戻れるのかい? 戻りたいのかい?」


 今となっては戻りたいという気持ちの方に揺れている。

 だけれど戻るには僕の想いが通じた上で、先輩とキスをしないといけない。

 そんなこと出来ようはずもない。


 だって先輩にはすでに想い人がいるのだから。

 男に戻る条件を満たすことはできない。


「戻れない……です」

「今のままでいるのはそんなに嫌かな?」

「分かりません。まだ状況が呑み込めていませんから」

「それはそうだね。少し配慮に欠けていた。ちょっと浮かれすぎているみたいだ」


 先輩が浮かれる? なんで?

 顔を上げて先輩を見ると、確かにニマニマと変な顔をしている。


「話を戻そう。君に話そうと思っていた話だ」


 先輩が恋をしたという話。知らない誰かに先輩が向ける好意を聞かないといけない時間。

 なんだかとても、胸がチクチクする。


「私は今朝、その子に出会った。

 場所は職員室を出たところ。私を見たその子は急にむせたんだ。

 心配だったから近づいたんだけれど、私の理想にドンピシャだったんだよ!」


 先輩のテンションがガン上がりしている。

 そのことにちょっと気を取られていてすぐには出てこなかったけれど、先輩の言っている()()()と言うのには思い当たる節がある。

 今朝先輩と職員室前で会って、盛大にむせた人。どう考えても僕じゃないだろうか?

 まさか先輩も1日に2度もあんな状況には陥らないだろうし。


 でもどうして、僕の容姿が先輩の好みにドンピシャなのだろうか?

 たまたま?


「それがそう、後輩君。君だ。私は君に恋をしたんだ。

 だから後輩君。君が男に戻るつもりがないのであれば、付き合ってほしい。

 戻りたいというのであれば、その手伝いをしようじゃないか!」


 先輩が僕に欲しかった言葉をくれる。

 だけれど、それで気が付いてしまった。

 僕を女の子にした悪魔が望んでいたのは、僕のもやもやとした気持ち。暗い気持ち。

 女の子になったのにそのチャンスが無いだけではなくて、加えて先輩から好かれる容姿にしたということだ。


 何て質の悪い悪魔なのだろう。

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