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元々僕と先輩は仲の良い先輩後輩だった。
まあ2人しかいない部活なので、仲良くならざるを得なかったと言えるけれど。
そもそも僕が美術部に入ったのは、先輩に一目惚れしてお近づきになりたいという下心だったので、状況としては最高だったと言える。
一目惚れした先輩はどこか憂いた表情で儚げな印象だった。だけれど、入部して先輩の被っていた猫が脱げるにつれて全く印象が変わってしまった。
でもどちらの先輩も好きだなと思ってしまうのは、惚れた弱みというやつだろうか。
先輩のことを知るほどに、最初の印象よりも気安い人だとわかるほどに、惹かれている自分がわかった。
僕の心は決まって機会があれば先輩に告白をしようと、そう思っていたある日、僕は挑む前から終わっていたことを知った。
そう、それは特に何でもない日のいつもの部活の時間。
先輩の何気ない一言から始まった。
「そう言えば後輩君は好きな子とかいないのかい?」
「いますよ」
「女の子?」
「そりゃあ、そうですけど……先輩はどうなんですか?」
変な質問をしてきたなと思ったけれど、さほど気にならずに先輩に尋ね返す。
さすがに「好きな子はいないの?」に対して「先輩ですよ」とは返せなかった。
あとになって思うと、返さなくてよかったのだけれど。
僕の問いかけに先輩はどういうわけか、真面目な顔をした。
「私もいないんだけどね。でも、私は出来たとしても見守るだけにするつもりだよ」
「どうしてですか? 先輩モテそうですけど」
「私はね、どうしても女の子しか好きになれないんだよ」
先輩のカミングアウトに僕はどう反応して良いのかわからなかった。
何せ今の言葉で僕の恋が実らないことは決まったのだから。
「そう……なんですね」
「あれ? 驚かないんだね」
「驚いてますよ」
それ以上にショックなことがあっただけで。
そんな僕とは対照的に、先輩は嬉しそうに僕の手を取った。
「話そうかどうしようかと思ったけど、後輩君に話してよかったよ。
この話をすると、私への見方が変わる人が結構いてね」
「ま、まあ……。そうかもしれませんね」
「でも後輩君はそうではないだろう?」
「それはもちろん」
先輩の恋人になれないという悲しさはあるけれど、先輩が同性愛者だということはそこまで気にしていない。
むしろ今のを聞いて、なぜ自分が男なんだろうかと思ってしまうほどだ。
何と言うか、僕はどうしようもなく先輩が好きらしい。先輩の事ならなんでも受け入れられそうだ。
「後輩君が女の子だったら良かったのに」
「その時はたぶん僕は男が好きになるんじゃないですか?」
「そうだね。でも今は女の子が好きだろう?」
「それはそうですけど……」
「じゃあ、私とかどうだい? これでも見た目は自信があるんだ」
フンすと息を吐いて、先輩が胸を張る。
なかなかなものをお持ちの先輩なので、視線がそちらに行ってしまうのは高校生的に仕方のないことだ。これはエロとかではなくて、本能だ。
それに先輩が魅力的なのは、すでに知っている。
見た目も内面もも、こうしているだけで心臓の音を隠すのに苦心するくらい。
「見ての通り僕は男ですが、良いんですか?」
「そこが困ったところなんだよ。どうにかして、女の子になってくれないかい?」
「はいはい、なれたらなりますよ」
「ははは、約束だよ」
後半は単なる冗談の言い合い。だけれどちょっと触れにくい話題なのでやめて欲しかった。
◇
そうして玉砕したけれど、それならせめて近くに居られればと思い、先輩の側を離れることはなかった。とはいっても、部活の間だけだけれど。
カミングアウト以降、先輩との距離が近づいたのも、嬉しかった。
先輩が恋人を見つける可能性は高くないだろうし、何なら一生このままの関係で居ても良いかなと思えるほどに。
惚れた弱み、惚れた弱み。
僕の方も先輩との会話に慣れてきて、結構深いところまで話を聞くことができるようになった。
「ところで先輩はどんな子がタイプなんですか?」
「私を慕ってくれる後輩タイプだね。
守ってあげたくなるような子とかよくないかい?」
「そうですか。僕は年上の方が好きですから、趣味が違いますね」
「へぇ……意外だねぇ。でも好きな子が被らないというのは良いことだ。
後輩君と喧嘩せずに済むからね」
何か同級生の男友達と話しているような気分にすらなってくる。
先輩の悪いことをしているようなにやけ顔とか、親友のそれにそっくりだ。
「僕が先輩が好きになった子と付き合うってなったら、どうするんです?」
「そりゃあ、決闘を……と言いたいが、法律で禁止されているんだよね」
「聞いたことあります」
「それに仮にそうなったとしても、私は応援するよ。
好きな子が幸せであってくれた方が嬉しいからね。付き合う前なら、私も頑張るけれど」
強がりな笑顔を見せる先輩に、また僕は惹かれていく。なんて切ない顔をするのだろうか。
だけれど好きな人のために自分の身を引けるというのは、やっぱりカッコイイと思う。
それが出来ずに、ぐぢぐぢと先輩に付き添っている僕とは大違いだ。
「これを聞いても良いのか分からないんですが……」
「いいよいいよ。どんどん聞いてくれたまえ」
ドンと胸を叩く先輩は何だか男気にあふれている。
「先輩的には自分のことを男と女どちらだと思っているんですか?」
「うーん……なかなか難しい質問だけど、女だろうね。
これでも美容には気を使っているんだよ」
「それは知ってます。確かに男なら、その辺適当にしそうですね。
スキンケアとかしてるんですか?」
「お、興味あるのかい?」
あ、やらかした。そう思ったけれど、先輩が楽しそうに話してくれるならそれでもいいか。
「興味本位ってやつです」
「よしよし、それじゃあ話してあげよう。
後輩君は何かしているのかい?」
「してないですね。と言うか、そう言うのにお金をかけようと思えないんですよね」
僕の返答に先輩がしみじみと頷く。
「そうかい、そうかい。確かにそうかもしれないね。
それならまず、お金をかけない美容法を……」
それからしばらく、先輩の美容講座が始まった。
◇
先輩の美容法を使って、なんだか肌の調子が良くなってきたかなと実感し始めてきたころ、僕はそれを見つけた。見つけてしまった。
道の端にポツンと佇むキャンプ用のテント。でかでかと掲げられた「あなたの願いを叶えます」という文字。
しかも「あなたの」の後に吹き出しで「どんな」と付け加えられている。
それだと「あなたのどんな願いを叶えます」って日本語が変になるのだけれど。
こんなのは無視しよう、無視。そう思ったのだけれど、何故だかそれに心惹かれた。
物は試しだと思ってしまう。不思議な魔力でもあるのか、目を離せない。
そうして僕は吸い込まれるようにそのテントの中に入っていった。
テントの中は、まぁテントの中って感じだった。
椅子はなく、座布団が2枚敷かれている。
1つはそのまま入り口側。もう1つは奥にあって、その上には女性が座っていた。
いかにも占い師と言わんばかりの怪しげな雰囲気をしている、化粧が濃い女性。その化粧のせいで、何歳のかよくわからない。
「あらあら……ふーん、なかなか面白い子が来たわね」
女性が口紅で赤く染まった唇を釣り上げて興味深そうにこちらを見る。
なんだか蛇に睨まれた蛙のように、ここから動くことができない。
「こ、ここは、何なんですか?」
「看板見たでしょう? ここは何でも願いを叶える場所よ」
「何でもって……」
「何でも、よ。いくつか例外はあるけれど。そうね、あたし達の不利益なる願いは叶えられないわね。
世界が滅亡してほしいとか、自分以外の人類を消してほしいとか」
ちょっと何言っているのかわからなくて、茫然としています。
これをさも当然のように言うのも含めて、言葉が出てこない。
「叶えられるものだけれど、お金が欲しいとかならできるわね。
あとは性別を変えてほしいって言うのも過去にあったらしいわ」
「本当ですか!?」
思わず食いついてしまった。
生簀の魚のように、無警戒に、反射的に。
だから女性の表情の変化を見ていなかった。
「叶えてあげましょうか?」
「お願いします。僕の願いを叶えてください」
「女の子になりたいのよね? わかったわ」
これで本当に女の子になれれば、先輩と付き合うことができるだろうか。
先輩と付き合うために女の子になるというのも、我ながら良くやると思うけれど、この期を逃せば二度と先輩と付き合うなんてできないだろう。
そんな風に夢を膨らませていたら、女性がぱちんと指を鳴らした。
「終わりよ」
「何も変わっていないみたいですけど……」
「変わるのは明日の朝よ。ここで性別が変わっても、家族に説明するのが面倒くさいでしょう?」
言われてみるとそうかもしれない
朝起きてからでも面倒だとは思うけれど、状況的にボクだと信じてもらいやすくなる……と思う。
「それから言い忘れていたけれど、お代は貰うわよ?」
「えっと、いくら払えば……」
「お金は要らない。その代わり想い合った人ととのキスを禁じるわ。
キスをしたら、貴方は男に戻る」
「なんでそんな……」
それはつまり、先輩と付き合えないということではないか。
先輩と恋人になれても、そこから先に進めない。それを耐えられる?
好きになって、付き合えて、それで僕は満足できる? いや求めてしまう。だとしたら初めから付き合えないほうが良い。
それなら性別が変わる意味はない。
怒りなのか、驚きなのか、落胆なのか、よくわからない感情で持って女性を見ると、彼女はものすごくいい笑顔でこちらを見ていた。
「ああ、その表情、最高だわ。思った通り、ここ最近の中でも上質な感情ね」
「……どういうことですか」
「あたしは悪魔だもの。そう言った人間らしい感情を糧に生きているのよ。
ということで、さようなら。人間さん」
女性がそう言うと、僕は道の端っこに立っていた。
テントはどこにもなく、まるで狐につままれた気分だ。
質の悪い悪戯だったのか、あまりにも拗らせすぎて幻覚でも見たのか。
せめて前者がいいなと思いつつも、現実的にあり得ないよなと何だか妙に落ち込んでしまった。