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第四話 彼女の友達を描く理由

 男と女が食事もせずに食卓で向かい合っていると、別れ話でもしているかのように見える。

「だから、ごめんって言ったろう。一昨日は昔の友達と会ってたんだ。たまたま夏期講習に来ていて、それで帰りが遅くなった。でも誘ったのは向こうだよ」

「それで一枚も描けなかったんだ」

 ミッチは明らかに不機嫌だ。

「夏期講習の最終日で疲れがピークだったんだよ」

「午前中だけなのに?」

「珍しく予習と復習もしたし、久しぶりに集中したから疲れたの」

「机の上にあった本、あれは何? 三日前にはなかったよね?」

「あれは夏期講習が終わったら読もうと思って……」

「そうだよね? 買ったばかりの本を読みたかったんでしょう? それで絵を描かなかったんじゃないの? それなのになんで正直に言わないの?」

 僕は一体、何を責められているのだろう? 分からなくなってしまった。

「いや、だから、その、本を読みたいから描かなかったって言ったら、傷つくと思うし、疲れていたのも事実だから、正直じゃなかったかもしれないけど、嘘ではないんだ」

「疲れたって言えば許してくれるって思ってそうだね」

「いや、そんなこと思ってないよ」

「仕事をするようになったら『忙しい』とか『大変なんだ』とかも口癖に加わるんだよ」

 一週間前は幸せな結婚生活のように思えたのに、どうしてこうなった?

「勉強が大事なのは分かるよ。でもベロに首輪をつけて、散歩は私に任せきりっていうのはないよ。それでケンジ君の方は微笑んでいる私の顔を一枚描くだけなんだから勝手だよね。それってつまり『女は黙ってニコニコしてろ』って思ってるってことでしょう? 違う?」

 僕たちはまだ結婚できる年齢ではないので、あくまで結婚の真似事をしているにすぎないのだが、ママゴトにしてはハードすぎるプレイだ。飛び出す絵本は素晴らしいがケンカまでリアルである必要はない。

「黙っているっていうことは、そう思ってるっていうことだね」

「いや、それは違う。ほら、こうしてミッチが怒っているっていうことは、ちゃんとそういう顔も描いたってことだろう?」

 それを聞いてミッチが微かに頷いた。違う時は「違う」とはっきり言った方がいいようだ。説明を必要とするが、それをしないと肯定したと見なされることがある。ただし否定しても事態が好転するとは限らない模様だ。

「ねぇ、私たちこれから上手くやっていけると思う?」

 大人の女性を真似ているようだが、その背伸びをしている感じも愛おしい。

「大丈夫だよ」

 女の子にそう言われたら、男はそう強がるしかないではないか。

「なにがどう大丈夫なの?」

 雰囲気に流されないところが頭の働く女性の特徴だ。

「これから毎日ちゃんと描こうと思うんだ」

 ミッチはかなり不安げ、というより信用していない感じの表情だ。

 僕としては、もう許してほしかった。

 ミッチが腕を組んで真っ直ぐ見つめる。

「考えてみてほしいんだけど、好きで描いているうちはいいんだよ。何を描いても自由だし、描かないことだって自由なんだもん。『楽しいから明日も描こう』と思って眠るよね? それで翌日になって『やっぱりやめた』って言っても、まったく問題ないの。誰からも責められないし、本人も気に病む必要はない。でも私と約束するとなると話は別だよ。それはどういうことかというと、マンガ家としてプロデビューするみたいなもんなんだよ。一度プロデビューしちゃうと、趣味で描いていた時の言い訳が一切通じなくなるんだよ? 分かる? さっきみたいに『読みたい本があるから描かなかった』は通用しないし、みんな疲れているんだから『疲れた』は禁句になるし、忙しいから手抜きになったなんて論外だよ。今のケンジ君だと読者が離れてから気がついて反省するパターンだね。でも反省しても自分を甘やかすんだよ。『忙しかった』とか、『他にやらないといけないことがあった』とか、あげくの果てには『いや、あれは別に手抜きというわけではない』なんて自分まで誤魔化そうとしちゃうの」

 そこでミッチはテーブルに顔を伏せてしまった。

「でもね、気がついた時には遅いんだよ。その時には私はもういなくなっているかもしれないの。毎日描き続けることは大変かもしれないけど、共に生きていくということはそういうことなんだ」

 そこでミッチはとうとう泣き出してしまった。それを見ても僕は声を掛けてあげることができなかった。慰めるための言葉もなければ行動もできない男だ。それでも心に誓うことはできる。僕は決めた。これから毎日ミッチを描く。

 それはミッチのためというより僕自身のためだ。まずは自分に誓ってみようと思った。それが出来たら改めてミッチに誓えばいいのだ。しかし言いたいことを言い合うというのも悪くない経験だ。漠然としていた違和感も今は全て自分の身勝手が蒔いた種だということが分かった。

 ミッチの言っていたことは正しいと思う。夏期講習の間は面倒を避けるために笑顔のミッチしか描かなかった。それでミッチとの幸せな結婚生活を夢見ていたのだから自分勝手にも程がある。でもそれを自覚できただけでもケンカした甲斐があるというものだ。

 それから一緒にベロの散歩に行って、帰ってきてからランチの支度をした。料理を作ったのは僕でミッチには出来上がりまで見ないようにお願いした。特に変わった調理法というわけではないが母さんのオムライスを再現しようと思ったのだ。

 薄味のチキンライスに、ほとんど火を通さない溶き卵をかけて、その周りにビーフシチューを流し込む。そうすると卵かけごはんと同じような食感になり、トロトロを更に超え、トロットロッの生の美味しさを味わうことができるのだ。

 食事を終えた後はミルクティーを飲みながら他愛のない話をした。ミッチが友達のことを聞きたいと言ったので、元ちゃんの話をすることにした。話しながら思い出すこともあり、懐かしさでいっぱいになった。

 それからミッチも友達が欲しいと言い出して、僕もマンガを描くなら色んなキャラクターを描き分けなければいけないと思い、新キャラの創作に取り掛かった。といっても簡単に描けるほど甘くはなかった。ゼロから人ひとりを生み出さなければならないので大変だ。

 まずは名前だけど、ちょうど目の前にチョコレートがあったので「チョコ」と名付けることにした。名前が決まれば見た目もイメージしやすい。夏真っ盛りなので日焼けした女の子というのはどうだろう? チョコという名前にもぴったりだ。

 髪の毛の色は茶髪でもいいけど、とりあえず黒のロングにして、明日改めて本人から希望を聞いてみることにした。サブキャラなので髪を染めたいと言うなら止めはしない。服装も悩むが夏なのでシンプルにTシャツとジーンズで問題ないはずだ。

 性格が見えないので表情は色々と描いておく必要がある。見た目はギャル系だけど十五歳の女の子だしビッチにはならないはずだ。せいぜい校則違反を咎められて舌を出すくらいだろう。ミッチと同じように具現化するか分からないが、それも含めて明日が楽しみである。


 翌朝、目覚まし時計の音で起きた。チョコは起こしてくれるタイプのキャラではないので想定内といえるだろう。しかし廊下に出ると、すぐに不測の事態が起こっていることが分かった。なぜならチョコが着ているはずのTシャツとジーズが床に脱ぎ散らかしてあったからだ。

 嫌な予感は的中し、リビングに行くと下着姿のチョコがソファで仰向けになりマンガを読んでいたのだった。無防備な格好を見られているにも拘わらず、露出した肌を隠そうともしなかった。

「服は?」

 叫ばずにはいられなかった。

「白Tにジーンズとかダッセ」

 チョコは僕の方を見ようともしていない。そばにはミッチもいるが、床に寝そべりチョコと同じようにマンガを読んでいた。僕がリビングに入って来たというのに挨拶をしようともしなかった。それでも服を着ているのでチョコよりはマシに思えた。

 とりあえずチョコに着せる服が必要だ。いくら僕が描いたキャラクターとはいえ下着姿はまずい。下はジーンズをショートパンツにすればいい。裁断しただけでは裾がほつれるのでミシンで縫う必要がある。今回は手作業だが、明日は絵を描く時に予め仕上げておけばいいだろう。

 ビーズやスパンコールを付けてあげると喜ぶかもしれない。ついでに絵柄も加えると可愛くなりそうだ。上は僕が持っているTシャツを着せるわけにもいかないので、今日のところはYシャツを羽織ってもらうしかない。明日はチョコに合った服をコーデする必要がありそうだ。

 リビングの隣の母さんの部屋にミシンがある。裁ちバサミもあるし糸もある。母さんが手芸をしている姿をずっと横で見てきたので出来ないことは何もなかった。ショートパンツが出来上がるとチョコの下着姿を見ないように話し掛けた。

「これ作ったから、とりあえず穿いてほしい。上はYシャツしかないからガマンして」

「このシャツ、使い古しじゃん」

 文句を言われたのでダメかと思ったが、ちゃんと着てくれたのでホッとすることができた。

「ねぇ、お腹空いた。なんかないの?」

 チョコをワガママそうに描いたのは僕だが、ワガママな言動ばかりだとは思わなかった。

「あるけど、トーストでいい?」

「ヤダ。ソーメンがいい」

「素麺はあるけど、お湯を沸かさないといけないよ?」

「沸かせばイイじゃんっ」

 チョコは僕に作ってもらおうとしているのに強気だった。

 睨みつつ、頬を膨らませ、怒っているようにも見える。

 どうしてそんな態度を取れるのかは謎である。

「じゃあ作るから、待ってて」

「早くね」

 そう言うと、チョコはソファの上でゴロンとなり再びマンガを読み始めた。

「分かった」

 素麺を美味しく作るコツはゆで時間を正確に計測し、氷の入ったキンキンの冷水でキュッと麺を強く締めてあげることだ。麺つゆの濃さは好みだけど、薬味はおろしショウガ以上に合うものはない。スタンダードになるということはそれなりの理由があるということだ。

「ヤバい」

「夏は素麺に限るね」

 チョコもミッチも美味しそうに食べてくれている。

「ねぇ、今度さ、流しソーメンしない?」

 チョコの提案だ。

「いいね。前からやってみたいと思ってたんだ」

 ミッチが話に乗っかった。

「ちっちゃいのじゃなくて、ウォータースライダーみたいなのがいいな」

「うんうん、勢いがあって箸で掴めるかどうか分かんないヤツね」

「鳥ダンゴとか、カリカリ梅も流そうよ」

「それ、サイコ―」

 二人で勝手に盛り上がっている。

「ごめん、水を差すようで悪いけど、うちに流し素麺の機械なんてないんだ。僕もやってみたいけど、うちでは出来ないよ」

「なきゃ、描けばイイじゃんっ」

 またしてもチョコが頬を膨らませる。

「そうだよ、すぐサボろうとするんだよね」

 なんだか今日のミッチはやけに冷たい。

「ホント、それ」

 チョコが同調した。

「洋服も描くのもテキトーなんだよね。髪の色も重いしさ、これじゃ外を歩けないよ」

「そうだけど、あんまりうるさく言うと小さくされちゃうよ」

「え? どういうこと?」

 ミッチがヒソヒソ声になる。

「だから前にあったんだって。身体を小さく描かれてさ、ポケットに入れられちゃうんだよ」

 チョコも小声でリアクションする。

「え? なにそれ、怖いんだけど」

「怖いよ。だって落ちそうになって死ぬところだったもん」

「ムリムリ、絶対ムリ」

「あれは、ないと思った」

「っていうか、小さくしたいっていう発想自体がムリなんだけど」

 二人は僕に聞かれないように話していたが、全部聞こえていた。それでも聞こえない振りをして素麺をすするしかなかった。すする時にわざと音を立てて雑音を作ったくらいだ。僕は学校でもこんな風にクラスメイトから陰口を言われているのだろうか?


※    ※     ※


 あれは僕が中学校に上がったばかりの頃だ。

 放課後、忘れ物を取りに戻った教室で僕の話をしていたので、中へ入ることができなかった。

 掃除当番のクラスメイトが何人かいたけど、入学したばかりで名前は覚えていない。

「男子って中学生になっても親と一緒に買い物行くの?」

「質問の意味が分かんないんだけど」

「いや、昨日、成瀬君がお母さんと一緒に買い物をしてて」

「それがなに?」

「ウチお兄ちゃんがいるんだけど、家族と一緒に行動するのをすごく嫌がるんだよね」

「ウチもそうだよ。小五の弟がいるけど誘ってもついてこないよ」

「あっ、やっぱり?」

「成瀬君って一人っ子なんじゃない? それだと抵抗ないかも」

「関係ないよ。俺も一人だけど親と買い物なんて行かないし」

「じゃあ、やっぱりマザコンか」

「見た目が、っぽいもんね」

「そうそう。一緒に買い物に行くのはいいけど常にベタベタしてる感じがちょっとね」

「人前でそれだとヤバいかもな」

「だよね、ウチのお兄ちゃんが同じことしてたら吐くもん」

「ああ、でもウチの弟君には見習ってほしいかも」

「エェッ? 常にお母さんが一番なんだよ?」

「だってウチの弟ホント部屋に籠りっ放しなんだもん」

「それも怖いね。どっちがマシなんだろう?」

「そりゃ、ひと目も気にせずママンに甘えるような男よりはマシだろう」

「やっぱりそうか」

「俺は道で母親とすれ違っても他人の振りするから」

「それはそれでヒドくない?」

「いや、誰も見てなかったらそんなことしないけど、人前ならそんなもんだって」

「男子なら仕方ないかもね」

「まぁ、成瀬も見た目が子供っぽいからな」

「うん、お母さんに甘えてても納得しちゃうかも」

「子供っぽい人って成長が遅そうでいいよね。人よりも若く見える」

「これ、中一の会話か?」

「なに言ってんの? ウチら来年が人生のピークだよ」

「ついていけねぇ」

 音を立てないように、僕は校舎を出た。

 聞かなかったことにするのは簡単だ。

 特に傷つくようなことではない。

 それでも後悔しているのは、それから僕は母さんと買い物に行くのを止めたからだ。

 鈍感なクセに、ひと目が怖いほど気になるタイプだ。

 自分では気がつかないのに人から指摘された途端に恥ずかしさと怖さに飲まれてしまう。

 普通じゃないという目で見られる怖さに耐えられないのだ。

 それが大切な母さんのことでも、ひと目を優先してしまった。

 今さらながら後悔するのは恐怖に克てなかったからだろう。

 身体が丈夫ではない母さんのために荷物を持ってあげたかっただけだ。

 突然倒れてしまわないように、そばにいてあげたかった。

 いつでも救急車を呼べるように目を離さなかった。

 それだけなのに噂話を聞いただけで怖くなってしまった。

 僕は母さんとの買い物を止めるべきではなかった。

 これは一生後悔するだろう。

 いや、むしろ死ぬまで後悔すればいいんだ。


※    ※     ※


 そんなことを、三人分の洗い物をしながら思い出していた。その後は明日に備えて午後からミッチとチョコの絵を描こうと思ったが、庭にいるベロがよく吠えるので、ミッチにエサをあげたか先に尋ねることにした。

「え? あげてないよ。っていうことは、ベロは朝から何も食べてないっていうこと? なにしてんの? 散歩にも行ってないっていうことだよね? 昨日お世話をするって約束したのに、どうしてちゃんと約束を守ってくれないの?」

 ミッチが理解できないっていう顔をしている。僕もそんな約束をした覚えはないので同じような顔をしていることだろう。それでもここ数日はベロの世話をミッチに任せきりだったなので、今日のところは僕がベロの世話をすることにした。

 しかし朝からミシンをかけ、三人分の食事を作り、ベロにエサをやって、これから三十分は散歩させなければいけない。なんだろう? このハードスケジュールは。確かにミッチの方からベロを飼いたいと言ってきたわけではない。

 でも動物が好きなのは僕ではなくミッチの方だ。二、三日サボったからといって非難されることでもないだろう。いっそのこと今日を限りにベロを描かない、と思ったが、目を合わせるたびにシッポを振る姿を見て、描かないことなんて出来ないと思い直すのだった。

 マンガに出てくる犬でも一度描いてしまうと愛着が湧くものだ。描かないなら描かないなりの理由が必要だし、突然消えたらミッチにも影響が出る。軽い気持ちでベロを描いてしまったことは反省すべきだが、ベロそのものは悪くないので明日以降も描き続けるしかない。


 翌朝、外国人に叩き起こされた。チョコが僕の部屋で母さんのCDを聴いている。縦ノリでお尻を揺らしているが、揺れているのは僕がショートパンツに刺繍した青紫色のバラだ。真っ赤なバラにしなかったのは、肩出しのトップスをピンクにしたからだ。

 髪の色はハニーブラウンだと明るすぎるので、オレンジブラウンで肌の色に馴染む感じにした。それがとても似合っていて早く夏の太陽の陽射しの下に連れて行きたいと思った。きっとスポットライトを浴びたように眩しく見えることだろう。

「モーニン!」

 チョコが朝からすこぶる機嫌がいい。その姿を見られただけで、昨日がんばって絵を描いて良かったと思うことができた。ところが、リビングにいるミッチは不機嫌だった。こちらから「おはよう」と言っても挨拶が返ってこない。

 ミッチもヘッドホンで音楽を聴いているが、さすがに僕の声は聞こえているはずだ。それでも返事をしないのだから意図的に無視しているということである。目を閉じて僕の方を見ようともしないのでベロを散歩させることにした。

 家を出て一人になりたい時にピッタリの理由だ。世の中の男性愛犬家の何割かは、家を空ける理由として確信犯的に犬を飼っているのではないかと思った。しかしベロの散歩から戻ってもミッチは不機嫌なままだった。

「どうかしたの? 具合が悪い? なんか気に障ることでも言ったっけ?」

 どう尋ねてもミッチは口を開かなかった。

 それでも口を尖らせているので機嫌が悪いことは伝えようとしている。

「チョコちゃんとケンカでもしたの?」

「してないよ」

 やっと口を開いてくれたが、それだけではヒントにならない。

 向かい合うとケンカになりそうなので、まずはミッチの隣に座ることにした。

「また、僕が悪いことをした?」

「……」

 否定せずに黙っているということは、またしても僕が原因ということだ。

「いくら僕が絵を描いているからって、言葉にしてくれないと分からないからね」

「……」

 それでも答えてくれないということは、自分の口では言いづらいことなのかもしれない。

「今日はさ、朝からチョコちゃんの機嫌が良くて、僕も上手く描けたことに自信が持てたんだ。それなのに今度はミッチが怒ってるからさ」

「怒ってないよ」

 と、ミッチが怒りながら言った。

「でも不機嫌なのは確かだよね?」

「だって……」

「だって、なに?」

 そこでミッチはまたしても黙ったが、その言葉や口調から拗ねていることが分かった。

「心配しなくても、ミッチが僕のマンガのヒロインなのは変わらないよ。チョコちゃんはただの友達なんだ。もっと正確に言うとミッチの友達だろう? 同じだけ一緒にいてもチョコちゃんがヒロインになることはない」

 ミッチはイライラしながら、「もう、だから違うって。そういうんじゃないの。どうして私だけ、このところずっと同じ服なの? チョコちゃんはカワイイ刺繍が入ったパンツを穿いてるのに、私なんか無地アンド無地だよ」

「だってチョコちゃんは気に入らないと脱いじゃうから」

「だったら私も脱げばいいんだ?」

 そう言って、タンクトップを脱ぎ掛けたが、隣にいたので素早く止めることができた。

「わかった。明日もっと可愛らしい洋服を描くよ」

「明日じゃなくて今日じゃない?」

 どうして女の子はこういう時でも冷静に訂正できるのだろう?

「そう、今日。うん、今日中に描く。約束する」

 そう言うと、嘘みたいにニコニコし出した。これは絶対に破れない約束なので、食事の用意よりも先にミッチの絵を描くことにした。ここ数日は自分がマンガ家になりたいのかファッションデザイナーになりたいのか分からない時がある。

 それでもマンガ家になるには、女の子の洋服にも関心を持たなければならないことなので疑問を持たないようにしている。洋服だけではなく小物やアクセサリーにも気を配らなければならない。そうすることでキャラクターも嬉しそうな顔になるわけだ。

 ミッチもオフショルダーにしようと思う。でもシックなデザインでは大人すぎるのでフリルのついたワンピースがいいだろう。色はパステルカラーが似合うので水色を着てほしい。少し余所行きを意識してドレッシーなワンピにすれば喜んでくれるはずだ。

 ついでにチョコの絵も描いておいた。刺繍が入ったショートパンツは変わらないが、上はヘソが見えるクロップ丈のトップスに変更した。色は黒で、タイトなデザインで、ボディラインがキレイに見えるようにした。

 絵を描き上げたら休む間もなく食事の準備だ。作ってくれているかもしれないと期待したが、そんなことを口にしたらまたケンカになる。ミッチが卵焼きを焼いてくれたのが、遠い遠い昔のことのように感じられた。

 それでもこの日はサプライズがあったので何もしていない方が好都合だった。二人は気づいていないが庭に流し素麺を用意したのだ。昨日二時間掛けて描き上げた力作である。まさかマシーンまで具現化するとは思わなかったが、これで念願の流し素麺ができるわけだ。

「なにこれ?」

「すごくない?」

「天才だよ?」

「神だ」

 二人に褒められると気分がいい。

 早速、三メートル上から素麺を流してみる。

 それをすくおうと、二人がキャッキャッし、それを見て僕はニンマリとする。

 しかし、それも五分ともたなかった。

「もう、飽きたかな」

「うん、もういいや」

「次は普通に食べたい」

「そうだね、結局、普通が一番いいんだよね」

 そう言うと、二人はリビングに戻ってしまった。二人とも僕のために素麺を流そうともしなかった。誰が用意して誰が流してやったと思っているのだろう? 器が小さいかもしれないが、この生活は耐えられないと思った。


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