最終話 結末を描く理由
それは四年前に僕が受け取るはずだった佳田さんからの手紙だった。元ちゃんを経由した理由は定かではないが、こうして手元に届けば何も問題ない。
四年間も意図的に手紙の存在を隠されたことについては腹立たしいが、それでも寛大な気持ちで許すことができるのは手紙の内容を前向きに捉えることができるからである。
そう、手紙の存在など知らなくても、僕は導かれるように緑ヶ丘公園に向かい、そこで佳田さんと運命的な再会を果たしたというわけだ。
まるでSFマンガのようではないか。タイムマシーンで恋人たちの仲を引き裂こうとするが、そうやっても運命には逆らえず結末を変えることができない。
僕の胸が躍るのは、自分が大好きなSFマンガの主人公になれたような気分になっているからで、そのため元ちゃんにも感謝できているということだろう。
「お―い」
どこからともなく声が聞こえた。
「ケンジ君!」
名前を呼ばれた気がした。
「こっちだよ」
聞き慣れた声だが、小人化している彼女たちが自力で家まで戻って来られるはずがない。
「お兄たん!」
確実にセルナの声だ。
声がする方に振り返る。
そこにいたのは地上を駆ける額の三日月。
あれはまさしくあの時の野良猫だ。
ミッチたち四人が猫の背中の上に乗って、振り落とされないようにしがみついている。
猫は苦しそうな顔をしているが、彼女たちを家の前で下ろすと、その表情からは達成感も見られた。
「みんな、よく帰って来られたね」
「ミカヅキのおかげなんだ」
猫の名前なのだろう、セルナがミカヅキの額をなでている。
それからセルナの要望でミカヅキに水を与えて、すっかり気に入ったのか、セルナもミカヅキのいる庭から離れようとしなかった。
ミッチとチョコとユアの三人はダイングテーブルの上でスイカをかじっている。身体が小さいので三角に切った先端の甘いところだけで口いっぱいにできるのが心底うらやましい。
「いいな、僕も猫の背中に乗ってみたいよ」
「だったら自分を小さく描いてみたら? ああ、でも作者は無理か」
ミッチの言葉にチョコが補足する。
「ビーチが描けるなら巨大化した街も描けるんじゃない? それならウチらのように小人の気分も味わえるかも」
「虫も大きく見えるからオススメしないけど」
どうやらユアは小人化を望んでいないようだ。
「それよりその手紙だけど――」
ミッチが言っているのは佳田さんからの手紙のことだ。
「――結局はケンジ君と佳田さんって両想いだったっていうこと? それを知らずにケンジ君は四年間も過ごしたわけだ」
「まぁ、四年前に元ちゃんからダイレクトに手紙を受け取っていたとしても、それほど今と状況が変わったわけじゃないからいいんだけどね」
「それは違うでしょう」
チョコがスイカの種の上に座って腕を組む。
「だってその間にお母さんが死んでいるんだよ? 佳田さんの気持ちが分かっていたら、彼女の行動に変化があったかもしれないよ。謝って済む問題じゃないよ」
「でも元ちゃんの気持ちも分からなくはないんだ。実際に僕は佳田さんが元ちゃんのことを好きだと思い込んでいて、それで僕の方から距離を置いたわけだから」
「言葉の端々に余裕が感じられる」
ユアによる冷静な分析だ。
「余裕というか、手紙を読む前に明日空港まで佳田さんを見送りに行くって決めていたからね。だから元ちゃんが手紙を届けてこなくても気持ちは変わらない。会ったら電話番号を訊くし、メアドも訊くし、住所も訊いて、次に会う約束もするんだ。今度は僕が会いに行ってもいい」
「なんか別人みたい」
ミッチが感心する。
「これは石川さんのおかげかもしれないな。彼女が言ってたんだ、佳田さんはわざと飛行機のチケットを忘れたんじゃないかってね。それが僕に与えられた唯一のチャンスなんだ」
「石川さんって、ユアのモデルの人だよね?」
チョコが訊ねる。
「うん。モデルというか、名前も同じで容姿もそっくりそのままだよ」
チョコが微笑み、「やっぱり本物は違うね。ユアが気づかないことまで指摘できるんだもん」
ユアも微笑み返し、「仕方ないよ。結局は成瀬君が描いた残念仕様のスペックなんだから」
これには僕も苦笑いを浮かべることしかできなかった。
翌日、いつも通りの朝を迎えた。ミッチが適当に朝食を作って、チョコがソファで音楽を聴いて、隣の部屋ではユアが本を読んでいる。セルナは庭でミカヅキと日向ぼっこだ。
この日は空港に行って佳田さんを見送りに行くという大事な日だ。それでもミッチたちの日常を描けるということは、僕自身がマンガを描く行為を日常にできたからに他ならない。
それができたのも節目でユアにマンガを描く悩みを相談できたからだろう。ミッチやチョコの言葉も参考になったが、河原で相談に乗ってくれたのはユアだけだった。
そこで改めてユアに感謝の言葉を伝えようと思った。家を出るまでは時間があるけど、家を出たらこの日は夜になるまで帰ることができない。消える前に伝えたかった。
場所はもちろん河原だ。小川はこの日も太陽の光で表面がキラキラしている。宝石が散らばっているように見えるが、実際にすくってみるとただの水だった。でも何よりも綺麗だった。
「どうしたの?」
呼び出されたユアが驚いている。
「いや、ちゃんとお礼が言いたくて」
「なんのこと?」
「ほら、色々と相談に乗ってもらって、こうしてマンガを描き続けられているのはユアのおかげだと思ったんだよ」
「え?」
お互いにキョトンとしてしまった。
「ごめん、言ってる意味が本当に分からない」
「だから、ここで色々と話をしたろう?」
ユアが小首を傾げ、「うん? わたし、この河原に来るの初めてだけど」
「うん?」
「河原どころか、家から出たのも昨日が初めてだよ?」
言われてみれば、今日のユアには影がなかった。
※ ※ ※
河原で初めてユアと話した時、影の中にユアの顔があった。
あれはユアではなく、石川さん本人だったということか?
だとしたら僕が悩みを打ち明けていたのは本物の石川さんということになる。
話すのが苦手だと思っていた人に相談していたということか?
彼女はしっかり話を聞いてくれた。
こちらが黙っていても嫌な顔をしなかった。
そんなことがあるだろうか?
でもちゃんと話を聞いて、アドバイスしてくれたというのが現実だ。
それでも信じられることではない。
そもそも石川さんが僕に会いにくる理由は?
確かに思い出してみると、訊きたいことがあると言って忘れたことがあった。
しかしそれだけで何度も来るとは思えない。
石川さんが僕に好意を?
――ありえない。
佳田さんが庭先で見たというユアも、あれは石川さん本人だったのだろう。
でもその後に石川さんと話をして、空港に行くようにアドバイスをくれたではないか。
僕に好意を抱いているなら、そんなことしないはずだ。
――いや、あの時、石川さんは言っていた。
成瀬君って佳田さんのこと好きだよね、だっていつも佳田さんのこと見てるんだもん。
――それってつまり石川さんは、佳田さんを見ている僕をいつも見ていたということだ。
※ ※ ※
「だからなに?」
ミッチを部屋に呼んで説明したが素っ気ない態度で返された。
「いやだから石川さんのことが気になって」
「また繰り返すの? チョコちゃんの時もそうだよね。キャラと向き合うのはいいんだけど、そんなことばっかりしていると傷つける人を増やすだけだよ。ましてや石川さんはマンガじゃないんだし、わたしたちと違ってケンジ君のおもちゃじゃないの」
「おもちゃだなんて、そんな風に思ったことは一度もないよ」
「思ってなくても、第三者にはそう見えるってことでしょ」
ミッチの指摘は手厳しかった。
「言い方が悪かったね。これは現実もマンガも変わらないのかもしれない。つまり作者がマンガの中で人間をおもちゃのように扱う人は、現実でも同じことをしちゃうっていうことかな」
言い方を変えただけで、言っている中身は変わっていない。
「そんな単純なわけないだろう? 世の中にどれだけのマンガがあると思う? 作品によっては虫けらのように人がたくさん死ぬ作品があるじゃないか。そんなマンガを描く作者まで否定するの?」
「それは虫けらのように人が殺された史実があるからでしょう」
「たくさんの美女と恋愛をするのは?」
「願望を作品に昇華させたんだよ」
「だったら僕だって――」
言った瞬間、しまったと思った。
「ねっ、答えは出たでしょう。ケンジ君がそうしたいと思うなら、佳田さんと石川さんの二人と仲良くお付き合いすればいいんだよ」
何を言っても見透かされたように返される。
「悩んだらいけないのかな? 誰もが同じではないと思うよ、でも複数の女の子に対して気持ちが揺れ動くのは仕方ないだろう? そこを否定されたら、生きていたらいけないとさえ思ってしまう。
どれだけ真剣に悩んでも一途じゃなければ軽薄に思われてしまうんだ。でも僕にとって『正直な気持ち』の『正直』とは、そういう悩みも隠さない誠実さだと思っている。だから自分のことを不純だと思いたくない」
ミッチは何も言い返さなかった。何を言っても無駄だと悟ったたかのような感じだ。
今度はリビングでチョコと二人きりになった。
「いいと思うよ」
ミッチと違って寛容だ、というより大きなあくびをしている。
「テキトーだな」
「そりゃそうだよ。そんな急いで結論を出すことじゃないしね。佳田さんだって結論を求めてるわけじゃないでしょう? 石川さんに至っては、好意があるというのはケンジの思い込みの可能性が高いし」
笑うしかなかった。
「自分ではかなりいいこと言ったつもりなんだけど」
チョコの表情は真剣だった。
「ごめん」
「でもそういうことだと思わない? 高一で一生を左右する恋愛の結末を決めるなんて、そっちの方が重そうに見えて嘘くさいよね」
そう言うチョコは軽そうに見えてさらりと重いことを言う。
「昨日まで意識しなかった人を、今日になって突然意識するって変かな?」
「ヘンじゃない」
「それを長年思い続けてきた初恋の人との間で気持ちが揺れ動くのは変?」
「ヘンじゃない」
「いきなり悩むほど好きになるって変だろう?」
「しつこいな、だからヘンじゃないって言ってるでしょう。人生で起こり得ないことは何もないって言ってるでしょう」
どこかで聞いたことがある言葉だと思ったら、これは母さんが最期に言い残した言葉だ。それから「いつもそばにいるからね」と言ってくれた。
それから考え事をするために河原へ戻った。そこには本を読むユアの姿があったが、影がないので石川さんではないことは確かだ。
「しかし不思議だな、石川さんと話をすると緊張するのに、ここでユアだと思って話したらまったく緊張しなかった」
「それをわたしに向かって言うのはどうかと思うけど」
「ごめん。自分では繊細なつもりなのに、時々無神経になってしまう」
「ときどき無神経になる人は、くくりとしては無神経な人に分類されると思う」
ユアの冷静さは相変わらずだ。
「自分はマンガ家に向いていないのかな? 佳田さんと石川さんの間で気持ちが揺らぐのは仕方ないとチョコは言ったけど、ミッチは傷つける人を増やすだけだと言うんだ。
どんな選択を思い描いてもミッチのように拒絶されると結末を想像するのが怖くなる。急いで結論を出すことはないと言っても、避けられる問題ではないだろう?
自分の恋愛すらまともに向き合えない人にマンガを描くことができるだろうか? マンガ家としての資質以前に、資格があるかどうか疑ってしまうんだよ。
現実とフィクションが違うと割り切れる人なら向いているのかもしれないけど、僕はミッチの顔から笑顔を奪いたくないと思ってしまう。
甘っちょろい優しさだと思われても、ミッチを悲しませるような選択はしたくない。例えそれがマンガではなく現実の選択だとしてもね」
「だったらいっそのこと、どちらかを完全にやめてしまえば?」
耳を疑ったが、ユアは真剣そのものだ。
「どちらかって、現実とフィクションを天秤にかけるの?」
「極論を言えばね。だって恋愛もマンガも生きるだけなら必要ないでしょう? そういう選択もできるっていう意味だけど」
「それは本当の極論だね」
「人生にはどうにもならないことがあるんだよ」
これもどこかで聞いたことのある言葉だが、すぐに思い出すことができた。母さんが死んで僕が一人暮らしをする時に父さんとケンカした際に言われた言葉だ。
母さんが死んですぐに家を売るのもどうかということで父さんには納得してもらったが、いま思えば別の意味があったのかもしれない。
父さんは「そのうち分かるときがくる」と言っていたが、それが今なのかどうか分かりかけているような気はする。
「お兄たん!」
セルナが僕の自転車を押して駆けてくる。後ろからミカヅキも付いてきている。たった一日ですっかり飼いならされた顔をしている。
「もうそろそろ行かないとバスに乗り遅れちゃうよ」
駅からバスに乗れば新千歳空港までは一時間も掛からないが、確実に到着するには乗り遅れるわけにはいかなかった。
「もうそんな時間か」
見送りはセルナ一人だった。それでも実習林の林道を妹と二人で歩くというのは、僕の長年の夢でもあった。
「セルナもバスに乗りたいな」
「そのうち乗せてあげるよ」
「ほんと! 昨日の自転車もすごく楽しかったんだ」
自転車くらいでそんな風に思えるセルナがうらやましい。
「探偵ごっこや冒険も楽しかったよ」
人生をそんな風に思えたら飽きないだろう。
「ミカヅキに追い掛けられて泣いてたクセに」
「だって怖かったんだもん」
「そりゃ怖いだろうな」
「でもワクワクしたよ」
その感性もうらやましい。
「それにしても、よく手なずけたね」
「うん。話せば分かるんだよ」
いかにも、というマンガチックな交流だ。
「あっ、笑った」
セルナが頬を膨らませる。
「だって猫は話せないだろう?」
「話せなくたって、気持ちを伝えるんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、思わず天を仰いでしまった。
それこそが結末を描く理由ではないか。
どこかで、人生は終わらないものだと思っていた。
死ぬことは分かっていても、それは「いつか」という漠然としたもの。
でも人生は突然、前触れもなく終わることもあるではないか。
飛行機の離陸時間に合わせて答えを出さなければいけないことに納得がいかなかった。
しかし人生ではその決められた時刻すら訪れずに死ぬことだってある。
それが分かれば、答えは決まったようなものだ。
「セルナ、お留守番頼むな」
「うん」
と言って、手を振る。
「今度はバスを描いて、電車も描くからな。それでみんなで夏祭りに行こう」
「わーい。約束だよ」
「約束する」
もう迷いはなかった。
話したいと思う人は彼女しかいない。
教室では取っ付きにくいと思われている人。
それなのに学級委員長をやらされる。
それを望まれるがまま引き受けてしまう人。
クールなのに話すと早口でまくし立てる。
それでいて話をちゃんと聞いてくれる人。
休みの日には必ず本屋さんで新刊をチェックするほど本が好き。
僕の描いたマンガを最初に見つけた人。
その人はこの日もやはり本屋さんにいた。
「どうしたの? すごい汗」
「石川さんと話したくて、急いできたんだ」
「それ答えになってないから」
「それが唯一の答えだよ」
石川さんが戸惑っている。
「今日って、佳田さんが帰る日じゃなかった?」
「だから石川さんに会いにきたんだ」
「それも意味が分からないから」
「だったら意味が通じるまで話を聞いてほしい」
「いいけど、他のお客さんの迷惑になるから、場所を変えよう」
そこで屋上にある遊技場に向かった。陽射しが強いせいか、日向のベンチだけ空いていて、そこに座ることができた。
「飛行機の時間、大丈夫なの?」
「空港へは行かないよ」
「行かなくていいの? 佳田さんの連絡先知らないんだよね?」
「うん、知らない」
「知らなかったら、連絡できないんじゃない?」
「それでいいんだ」
「連絡できないと、会えなくなるかもしれないんだよ」
「いいんだよ、会わないために行かなかったんだから」
「やっぱり意味が分からないな」
石川さんは僕がまだ佳田さんのことが好きだと思っているようだ。
「前に本屋さんで偶然会った時に、それは偶然じゃないって話をしたのを覚えてる?」
「ああ、うん」
「あれから色々と考えてみたんだけど、これだけ広い世界の中で、幼稚園の頃から一緒の町に住んで暮らせるっていうことは、それだけでやっぱり奇跡だと思うんだ。
その前提条件の上では、いくら生活圏が一緒だろうと、夏休みが重なっていようと、会って話せるというのは奇跡であることに違いはないんだよ」
「偶然じゃなくて奇跡になってるけど」
細かいところを指摘するのが石川さんらしい。
「ほら、そういうところがあるだろう?」
「だって気になるんだもん」
「とにかく、今こうして話しているのは偶然じゃないんだよ」
「そんなことを話しにきたの?」
そこでしばし考える。
好意を伝えようとするが、告白をする雰囲気にならないのが石川さんらしい。
それでも今の僕には「また明日」という選択はなかった。
石川さんの目を見る。
陰影が彼女の目鼻立ちを美しくさせていることが分かった。
石川さんも僕を見つめる。
「僕は石川さんのことが好きだ」
そう言うと、すぐに正面を向いてしまった。
「でも、佳田さんのことが――」
「昨日までは好きだった。でも今日になって石川さんが好きだっていうことに気がついたんだ」
「今日?」
「変かな?」
「ヘンだよ」
「でも好きなんだ」
「それですぐに話そうと思ったの?」
「変かな?」
「ヘンだよ」
「でも今日じゃないといけないと思ったんだ」
「そんなの、理解できるわけないでしょ」
それでも理解してほしい。
「昨日までの僕は佳田さんのことが好きで、マンガを描き始めた理由も彼女をイメージして、マンガというフィクションの中だけでも一緒にいたいと思ったからなんだ。他の登場人物や背景を描くことすら、すべては佳田さんのためだと言ってもいいくらい彼女のことしか考えることができなかった。
でもキャラクター同士の間で問題が起きて、マンガを描くことの難しさを痛感した時、何気ないアドバイスをくれたのが石川さんだったんだよ。それで次の日からとても上手くいって、マンガを描くのが楽しいと思ったんだ。でも入り口に立ったと思ったら、すぐにマンガの奥深さに打ちのめされた。
そこでまたしてもアドバイスをくれたのは石川さんで、マンガを描くことと同じくらい自分と向き合うことの重要さを知ることができたんだ。その直後に佳田さんと再会してさ、彼女の気持ちを知ることもできて、ほんの数時間前まで運命を感じるほどの恋愛をしていると思ってたんだ。
それが今朝になって、僕がマンガを描き続けることができたのは、石川さんが河原で相談に乗ってアドバイスしてくれたおかげだということに気がついて悩んでしまった。色々と考えているうちに、恋愛を取るか、それともマンガを取るか、というところまで悩んでしまって、中途半端な気持ちで空港へ行こうとしていたんだ。
思いとどまることができたのは、気持ちを伝えることが何よりも大切だと気がつくことができたからだと思う。それで恋愛することと、マンガを描くことをイコールで繋げることができた。シンプルに誰かに気持ちを伝えたいと思うことが、これほど大事なことだとは気がつかなかったよ。
どうして石川さんに気持ちを伝えるのが今日じゃなきゃいけないかというと、もしマンガの主人公が佳田さんの後に平気な顔をして石川さんに会うようなら、僕は心底その主人公を嫌いになってしまうからだ。そんな気持ちはマンガだろうと現実だろうと許せないし、大っ嫌いだ。
僕の人生に彩を与えてきたのはマンガだし、きっとこれからも同じように豊かな気持ちにさせてくれるだろう。死ぬまでマンガを描きたいって思ってしまったら、そこに必ずいなくちゃならないのが読者なんだ。それが僕の場合、最初の読者は石川さんであってほしいと思っちゃったんだ。
そういう風に考えるのって、やっぱり変かな?」
「ヘンだよ」
最後もやっぱり石川さんらしい言葉が返ってきた。
初恋の思い出も卵焼きの味も大事なものだ。
これからも共に生きていくだろう、ポケットにつめこんで。




