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第十一話 物語を描く理由

 約束を気にしてか、佳田さんは急いで家を出て行った。僕は黙って玄関先で見送ることしかできなかった。

 リビングに戻るとミッチ、チョコ、ユア、セルナの四人がソファに固まって座っていたが、僕としては一人になりたい気持ちが強く、こちらから話す気にはなれなかった。

 食べかけのトーストは冷めると不味いけど、卵焼きは冷めたら冷めたで味わいが増すというのが救いだろう。

「デートに誘う前に、電話番号かメアドを訊けば良かったのに」

 ミッチの言葉にチョコも頷く。

「順序が逆だよね」

「また会いに来てくれますよ」

 セルナが励まそうとするも、ユアが即座に否定する。

「それはどうかな? スケジュールがいっぱいって感じだけど」

「だから先に電話番号を訊かないとダメだったんだよ」

 ミッチはそう言うが、そんなことは言われるまでもないのだ。

「簡単に言うけど、電話番号を訊くって、どれだけ緊張するか分かってるのか? 僕だって知りたいに決まってるだろう? だから会う約束をすれば、その流れで自然に番号を訊けると思ったんだよ」

「自然ってなに?」

 チョコが腕を組んで続ける。

「不自然じゃいけないの? 今後に及んでまだカッコつけたいんだ? そんなこと考えなくてもね、子供の頃から知っていて、家に勝手に入ってくるような女の子なら、唐突に番号を訊いても教えてくれるよ」

「だったら向こうから教えてくれればいいのに」

「ハア?」

 僕の言葉にミッチが眉間に皺を寄せたが、まるで佳田さん本人が怒っているみたいだ。

「なんでそういう考えになるの? 気兼ねなく教えることと、気安く教えることとは違うんだよ? 彼女はそういう女じゃないでしょう? 

 きっと今ごろ佳田さんは、『なんで電話番号を訊いてくれないんだろう? わたしと連絡したいと思わないのかな?』なんて思ってるかもね」

 ミッチが言うと妙に説得力がある。

「僕だって勇気を振り絞って、ちゃんと意思表示はしたんだ。例え予定があったとしても、断られたらヘコむって分かってほしいよ」

 チョコは僕の言葉に納得がいかないようだ。

「予定があったら誰だって断るでしょう? 特に泊めてもらっている家の人や、その友達との大事な約束なんだから。

 本当にデートがしたいと思うなら、スケジュールが合うまで誘えばいいんだよ。それで断られたなら落ち込んでもいいし、慰めてもあげたのに」

 ミッチも完全同意だ。

「ケンジ君はまだ何もしていない。これでやるだけやったと思うなら、気持ちが浅いよ。そう見えるということは、佳田さんも同じように感じているかもしれないね」

 そこでインターホンが鳴った。

「だれ?」

 ユアの疑問にセルナが答える。

「お姉たんだ!」

 口元に人差し指を当ててから、急いで玄関に向かった。ドアを開けると、セルナの言う通り佳田さんが息を切らして立っていた。

「どうしたの?」

「飛行機のチケット見なかった?」

「見てないけど」

「スマホを探す時カバンをひっくり返したから、ケンジ君の部屋かも」

 言われるままに部屋に入った。入るとすぐに見つけることができた。机の上は僕の描いたマンガの紙が散乱しているので、見落として拾い損ねたのだろう。

「あったよ」

「よかった~」

 チケットを受け取ると、安堵の表情を浮かべた。

「じゃあね、ありがとう」

 そう言うと、借り物の自転車に乗って急いで帰って行ってしまった。その後ろ姿には、後ろ髪を引かれる思いなど微塵も感じさせなかった。

 リビングに戻ると四人が期待を込めた目で僕のことを見ている。返される言葉は予想できるが、ここは正直に話すしかない。

「佳田さんだった」

「うんうん」

 四人が声を揃える。

「忘れ物を取りに戻ってきた」

「それでそれで」

「いや、それだけだけど」

「エエッ?」

 ミッチの反応は明らかに期待外れといった具合だ。

「電話番号は?」

「急いでたみたいで訊けなかった」

「また言い訳? 番号を教える時間なんてそんなに掛からないでしょ」

 チョコは苛立ちを隠さずに続ける。

「これで三度目だよ。チャンスは充分に与えられてると思うけど? しかも反省した顔をして、後悔しているようにも見えた。それでもその直後のチャンスを活かせないんだから、あとは何度チャンスをもらっても結果は同じだろうね」

 ミッチも不満をぶちまける。

「チャンスをことごとくムダにしてしまう主人公だと、見ているこっちもガッカリするんだ。バッドエンドにビビッて何もしない主人公の物語なんて、誰が続きを読みたいと思う? 平坦な人生を丁寧に描いた物語はあっても、そこには必ずドラマがあるんだよ。高校生の日常を描いた物語はあってもいいけど、だったらわたしたちを巻き込んでほしくないんだ」

 ユアが頷く。

「うむ。マンガを現実逃避の道具にはしてほしくないな。百歩譲ってそういう作品があってもいいけど、ミッチが言ったようにわたしたちを描く理由にはならない。もしそういうのがお好みなら、主人公をチヤホヤするだけのキャラクターだけでやればいいと思う。現にセルナのようなカワイイだけのキャラが好きな読者は確実に存在するわけだし」

「それはひどいです。セルナだってちゃんと考えて生きてるもん。みんながいないと寂しくて、元気なんて出ないよ。お兄たんがいて、お姉たんたちが楽しくしているから、セルナも楽しくできるんだよ」

「そうだね、ちょっと言い過ぎた」

 そう言って、ユアがセルナの手を握る。

「ねぇ、なんでわたしたちがイガミ合わないといけないの?」

 チョコが軌道修正するように僕を睨みつける。

「悪いのはそこにいる作者でしょ? ケンジがまとまりのない人生にわたしたちを付き合わせているからムカつくんだよ。こんなヤツに少しでも好意を持った自分がバカだったわ」

 なんという不協和音。

「いやいや、ちょっと待って。僕はまだ高校生だし、自分で人生を動かせる年齢になってないよ。それなのにやたらとエンディングを急かされるからオカシな話になるんだ。もっとゆっくりじっくり考えたっていいじゃないか。どうせ佳田さんには好きな人がいるんだし、電話番号を訊いたところで人生が劇的に変化するとは思えない。彼女とは縁を感じるから、そのうちまた会えるような気はしてるんだ」

「その根拠はなに?」

 ユアによる純粋な疑問だ。

「根拠はないけど」

「だよね、あるわけないよね」

 僕の答えになぜか納得した様子である。女子と話す時によくあるパターンだった。

「そういうところなんだよね」

 ミッチが急激に冷めた口調で続ける。

「高校生だから人生が始まらないなんて嘘だと思う。千差万別とはいえ、ケンジ君の物語はすでに始まっているよ。本人だけが気づいていないんじゃないかな。

 初恋の人との偶然の再会だって、ちゃんと現実の世界には存在するんだもん。どれだけ突発的な出来事でも、人生には起こり得るんだ。

 物語の中で不自然とも思える急展開が起こっても、それが人生でも起こる可能性がある限りは、それに向き合わないといけないと思う。

 それを受け入れた上で逃げるなら、その選択も間違いとは言い切れない。でも物語として受け入れずに逃げるなら、やっぱりわたしたちを巻き込まないでほしい。

 自分が描いたキャラなんだから好きにしたい気持ちがあるかもしれない。こうして話している間もうるさく感じているかもしれないだろうし。

 ケンジ君なら、これからもきっと思うままにマンガを描けると思うよ。わたしたちじゃなくても新しいキャラをたくさん生み出せると思う。

 それで消されたわたしが思うのは、『自分のことを天才だと自認する作者は、自分の世界に引きこもって勝手に孤独に生きれば?』って、それだけかな。

 それを貫けるならすごいと思うし、現実にも存在しているかもしれない。ただし、すべては最期まで貫ければの話だけどね」

 前にも思ったことがあるが、僕にだけやたらとハードルが高くないだろうか?


「ねぇ、夏祭りは?」

「まっ、今日のところは描いただけでも良しとしないと」

「わたしたちは一体、どこへ向かっているのだろうか?」

「セルナ、楽しいよ!」

 翌日、小人化させたミッチたち四人をパーカーのポケットに入れて自転車に乗った。五人乗りができるのはサーカスの団員か僕くらいだろう。

 八月半ばの朝六時は、天気によっては寒く感じる。家庭によってはストーブをつける場合もある。吸い込む空気は、すでに秋の味がした。

「ここ、どこ?」

 住宅地の曲がり角で自転車を停めると、ミッチが訊ねた。

「五軒先に見える真っ白い家があるだろう? あそこが元ちゃんちなんだ」

「え? どういうこと? 元ちゃんって小学校の時の友達だよね?」

 さすがのミッチも僕の行動を理解できないようだ。

「うん。今日の僕たちは偵察部隊だ。みんな心して見張って欲しい」

 ユアがポケットの中で頭を抱える。

「それって、ここで家から出てきた元ちゃんを尾行して、合う約束をしている佳田さんと落ち合うのを監視するってことだよね? それは最早ストーカーなんじゃ……」

「それは違う。絶対に迷惑を掛けないって決めている。だからみんなも見つからないように気をつけるように」

 ミッチとユアは苦笑いを浮かべるが、チョコは嬉しそうだ。

「いいんじゃない? これで何もしないような男なら幻滅してたけど、わたしは嫌いじゃないよ、こういうカッコ悪くて、見苦しいことする人」

「見苦しいは余計だけど……」

「セルナも楽しいよ! 探偵団みたいでしょ」

 それから夏祭りの構想をみんなで練りながら張り込みを続け、二時間経ってからようやく元ちゃんが家から出てきた。

 元ちゃんが自転車で向かった先は美薗公園だった。そこが待ち合わせ場所なら身を隠す場所は熟知している。なんたって子供の頃から何度もかくれんぼをしてきた場所だからだ。

 それでも元ちゃんが腰を落ち着けたのは中央にある砂場の前のベンチで、僕たちのいるトイレの裏からは距離がある。でもここが至近距離の限界だ。

「ここなら大丈夫そうね」

「自転車も隠したから佳田さんに見つかることもないと思うよ」

「待ち合わせの時間は九時ジャストかな」

「お姉たんたち、もっと静かに」

 四人ともすっかり探偵の顔になっていた。不甲斐ない自分のために協力してくれている、その事実だけで涙が出そうになる。

「あれじゃない?」

「挨拶はフツーだね」

「横顔だけだと何とも言えないけど、四年振りの再会には見えないかな」

「それって日頃から連絡を取り合ってるということですか?」

 目の前に現実を突きつけられ、みんなの言葉が頭に入ってこなかった。

「ここにいると何を話しているか聞こえないね」

「近づいてみようか?」

「それだと見つかるんじゃ?」

「セルナたちだけなら見つかりません」

 僕が現実に打ちのめされている間もミッチたちは諦めなかった。僕ができるのは、彼女たちを地上に下ろして送り出すことくらいだ。

「二人が移動したらすぐに追い掛けて」

「ウチらのことは気にしなくてもいいからね」

「ちょっと楽しくなってきたかも」

「お兄たん、ここはセルナたちに任せてください」

「みんな、すまない」

 そう言うと、四人は笑顔で走って行った。

 どうやら四人は元ちゃんたちの背後に回ろうとして迂回路を選択したようだ。作戦を立てたのはユアのようだが、部隊を指揮しているのはチョコだった。

 小人化のせいですぐには目的地に辿り着けない。しんがりのセルナが遅れ始めているのも気になる。でもすぐにミッチが気づいてしんがりを交代する。

 しかし思わぬところで問題が発生してしまった。

 彼女たち四人の行く手を阻んだのは、額に三日月の模様が入った一匹の野良猫だった。

 そこで完全に足が止まってしまった。

 猫もまた、彼女たちに気がついて睨みを利かせる。

 少しでも動けばパンチを繰り出しそうな気がマンマンだ。

 今の彼女たちにとって、猫の爪や肉球はサイの突進と変わらない。

 甘噛みされても命取りだ。

 しばらく逡巡しているが、体感では一秒のようであり、一時間のようにも感じられる。

 見ていることしかできない自分に腹が立って仕方ない。

 やがて、時は来た。

 先に動いたのは猫の方である。

 にじり寄る猫に対し、四人は意を決して四方に散らばったのだった。

 チョコが囮の動きを見せるも猫は見向きもしない。

 猫が追い掛けたのはセルナだった。

 セルナが泣きながら走っている。

 もう見ていられない状況だ。

 しかしセルナの前方に滑り台があったのが幸運だった。

 下り口の隙間に身を隠すことができて事なきを得ることができたわけである。

「ケンジ君、ベンチ!」

 ミッチの掛け声で急いでベンチの方を向いたが、そこに元ちゃんと佳田さんの姿はなかった。

 急いで自転車を取りに行くも、周辺を探しても二人の姿はどこにもなかった。もう少し範囲を拡大して捜してみようと思ったが、それよりセルナの方が心配になった。

 しかし公園に戻るとセルナだけではなく、他の三人の姿も確認できなかった。園内は子供が遊んでいるので、人間に姿を見られて消えてしまったのかもしれない。

「みんな、どこに行った?」

 それでも一応、捜してみる。

「ミッチ、どこにいる?」

「成瀬君?」

 背後からユアの声がしたと思ったら、本物の石川さんだった。

「どうしたの? こんなところで」

「どうしたのって、わたしは新刊のチェックが日課だから、本屋さんに行くところだけど。成瀬君は?」

「ああ、うん――」

「誰か捜してるみたいだけど、みっちって佳田さん?」

 みっちの愛称で共通の知人は佳田さんしかいない。

「そうそう、佳田さんが一昨日から遊びに来てるんだよ」

「はぐれちゃった?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「ケータイは持ってる?」

「佳田さんは持ってるけど、僕は持ってないから」

「ああ」

「持ってても番号知らないし」

 そこで一旦ベンチに腰を下ろした。

「石川さんって、佳田さんと五、六年生の時も一緒のクラスだったよね?」

「うん」

「今日は小学校の同窓会があるみたいだけど、石川さんは行かないの?」

「行かない」

「どうして? みんな来るみたいだよ?」

「呼ばれてないから」

「あっ、ごめん」

 石川さんがクスッと笑う。

「なんで成瀬君が謝るの?」

「いや、悪いこと言ったと思って」

「これはわたしの問題だから、成瀬君が謝ることじゃないよ」

「そうだけど」

 石川さんは他人事のような口ぶりで、

「仕方ないんだよ。わたしは進級したり卒業したりするたびに、クラスメイトとの関係をリセットしちゃうんだもん。それで悩めば改めるんだろうけど、要領よくできてしまうから困らないんだ」

「すごいな」

「べつにすごくないでしょ。悩みがないなんて頭が悪く見える」

「そんな風に見ている人はいないよ」

 石川さんが笑みを漏らす。

「他人がどう見ているかなんて、本人以外には分からないでしょ」

「でも佳田さんは『石川さんと友達になりたかった』って言ったんだ」

 ついムキになってしまった。

 石川さんはどうリアクションしていいのか分からない感じだ。

 少し間があって、ぼそっとつぶやいた。

「成瀬君って、佳田さんのことが好きだよね」

「え?」

 あまり親しくもない石川さんに分かるほど、僕は単純に見えていることか。

「だって、いつも佳田さんのこと見てるんだも。五年生でクラスが替わっても佳田さんのことを見てたよね?」

 今さら照れても仕方ないが、単純で恥ずかしい子供だったのは間違いない。

「でも、佳田さんは僕のことなんか何とも思ってないだろうからね。実は今日も僕じゃなくて、元ちゃんとどこかに行っちゃったんだ」

「うん? 今日は同窓会があるんじゃなかった?」

「いや、その前に会う約束をして、実際に二人で会ってたよ」

 そこで石川さんが深く考え込む。

「それなら別の日に会えばいいのに」

「別の日といっても、明日の午後の便で帰っちゃうからね。いや、昨日ウチに遊びに来たんだけどさ、その時にチケット忘れて帰っちゃったんだ。気がついたからいいものの、気がつかずに明日になってたら、相当慌てただろうね」

「それってどういうこと? 大事な飛行機のチケットを忘れることなんてある?」

 説明が下手なので、そこで一から丁寧に話して聞かせた。話し終えた後、石川さんはしばらく黙ったまま考え込んでしまった。

「どうかした?」

「それって、わざと忘れ物をしたのかも」

「いや、そんなこと――」

「それしか考えられないな」

「なんのために?」

「見送りに来て欲しいからだよ」

 石川さんが鈍感な僕を非難するかのような目で見つめる。

「電話番号を教えないのだってそうだよ。どうして簡単に教えられると思うの? 思いを伝えられなかったり、勇気が出なかったり、緊張してしまったり、うまくいかなくて後悔するのは男の子だけじゃないんだよ? 

 それで頑張ってたくさんキッカケを作ろうとするんだ。でもそのキッカケはキッカケと気づいてもらえず、一人になってから落ち込んでしまうんだよ。

 自分から告白しないのは臆病だからじゃない。自分が好きになった人には、ちゃんと決断してもらいたいから。大人になれないような人なら諦めもつくからね」

 石川さんなりのエールなのだろうか? 佳田さんが僕のことを好きだとはにわかには信じがたいが、見送りに行くというアイデアは僥倖だった。

 最後に別れる前に学園七不思議の話について訊ねられた。

「一緒に夏期講習を受けた子が実際に体験した話なんだけど、その子が白鳥学園のトイレに入るとどこからともなく『道連れにしてやる』って声が聞こえてきたんだって。男の人の低い声で、囁くように聞こえるみたい。成瀬君の学校にそういう噂ない?」

「い、いや、な、ないけど」

 おそらくそれは僕が夏期講習の初日に「ミッチどこにいる?」と言って学校中を捜していたのを、その子がトイレで聞いてしまったのだろう。学園七不思議の真相とはそんなものだ。

 帰り道は一人だった。

 考え事をする時には自転車を手で押して歩く。実習林の歩道は道が二つあってハイカーは車道の端を歩くが、僕は道を外れた小川に沿って歩くことが多い。

 その道は滅多に人とすれ違うことがないのだが、今日は思わぬところで思わぬ人に会った。それは捜しても見つからなかった元ちゃんだった。

「元ちゃん」

 元ちゃんも考え事をしていたのか、僕が声を掛けると驚いた顔をした。

「どうしたの?」

「会わないようにこっちの道を歩いてきたのに逆だったか」

 と言って笑い、下唇を噛んだ。

「僕に用事? それとも佳田さん?」

「いや、どっちでもないよ。用は済んだ。遅れたけど、ちゃんとポストに届けたからな」

 そう言って町の方へ歩き出した。

 言っている意味が分からなかったが、ポストへ届け物が気になったので帰ることにした。

「成瀬!」

 振り返ると、もうすでに大声を出さなければ聞こえない場所に元ちゃんが立っていた。

「やっぱりちゃんと謝るわ! ごめん! ああ、すっきりした! やっぱ悪いことはできないな! じゃあな! また!」

 そう言うと僕の言葉を待たずに帰ってしまった。

その後ろ姿は子供の頃に何度も見たシルエットだ。ただあの頃よりも少しだけ大きい。改めて自分は大人になってしまったんだと思った。

 家に着くと早速ポストの中身を確認した。入っていたのは子供が好きそうなデザインが施された洋封筒だった。

 封は糊付けされて開封されていなかった。それでも途中までめくれていたので、そこに葛藤の跡がうかがえた。

 開封すると四つ折りの薄い緑色の紙が出てきた。広げると元気な子供の字が、紙の上一面に花のように咲いていた。


   ※    ※     ※


 ケンジ君へ

 また、引っ越すことになりました。

 でも、さよならは言いません。

 なぜなら、また会えるからです。

 けれども、すぐではありません。

 かならず、高校生になったらアルバイトをします。

 それでお金をためるので、夏休みに会いましょう。

 約束して行けなかった、緑ヶ丘公園に行きたい。

 でもこの計画は、おばさんに内緒にしてね。

 いきなり会って、驚かせるんだ。

 それまで、身体に気をつけてください。

 わたしも、気をつけます。

 それでは、さようなら。

 あっ、言っちゃった。(わざと)


   ※    ※     ※


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