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KISSは拳に  作者: 純一郎
8/12

KISSは拳に⑧

「三沢さん。リベンジを果たしましたね」

「いや。完全にリベンジしたと思っていない。危ない試合だった」

「そうじゃ。しょっぱい試合だった」

会見場でも渋川は機嫌が悪かった。綺麗にグランドで勝つ練習をしていたのに、それを発揮できなかった事が納得いかないのだ。

しかもその怒りは、三沢に向けたものではなかった。トレーナーとして、柔術家への対策の不備と試合前の時間の使い方をしっかりと計画できなかった自分への怒りだった。

「これで、次の試合が見えましたね」

 記者の一人が言った。

「次の試合の前に一から練習し直しじゃ」

 渋川はそう言い残すと会見場を出ていってしまった。するとそれと同時に鶴田が場内に入ってきた。

「次の試合か」

「そうです。やはり、三沢さんの目標は現ミドル級チャンピオンの青木悟だと思いますが、次が前哨戦になるわけですよね?」

「それはイベントプロデユーサーに聞けよ」

 青木悟とは三沢が移籍した団体の不動の日本人チャンピオンだ。すると、プロデユーサーの谷山がマイクを持った。

「そうなると思います。次の試合に勝てば大晦日に青木悟と三沢真也の試合が見れるでしょう」

 フラッシュが更に激しく光った。すると眩しい閃光の中で鶴田が手を上げた。

「今日の試合は負けてもおかしくない試合でした。現時点で最強のチャンピオンに勝てると思ってるのですか?」

 相変わらずの厳しい質問に場内が騒然となったが、三沢は表情を変えなかった。

「次の試合で、あんたが納得する様な試合を必ずする。それよりも、あんたは俺との約束を憶えているか?」

 鶴田の表情がいっそう厳しくなる。三沢は悪戯な笑みを浮かべる。

「何の約束でしょうか?」

「俺が今日グランドで勝ったら、デートするって約束」

 会見場に記者達の笑いが響いた。鶴田の顔が恥ずかしさで赤く染められてゆく。

「私はそんな約束をした覚えはないです」

「いやいや、隣の記者は承諾しているぞ?な?」

 前に一緒にジムに訪れたベテラン記者を睨むと記者はおびえながら何度も頷いた。

「デートなんてしません」

 鶴田は凛とした表情を作ってきっぱりと言う。そこが三沢にとってはたまらない。

「いや、する。承諾しないと、この会見を終わらせない。全員帰さない」

 渋川がいない事で三沢はかなり大胆になっていた。いや、必死だったのだ。この契機を逃したら鶴田は二度と自分に取材に来ないと思った。会場内にいた記者達が一斉に鶴田を伺った。三沢の本気を感じたのだ。会見場から帰れないなんて前代未聞だ。すると鶴田が大きな溜息をついて言った。

「わかりました。でもデートはしません。密着取材です。あくまで仕事です。それでいいですか?」

「よし、決まりだ!いつにするか?」

はやる三沢にイベントプロデユーサーが耳打ちをする。

「君。さすがにそれはここではまずい」

「そうですね。じゃ、後で会社に連絡する。約束だぞ」

 記者達はホッとしながら苦笑いを浮かべた。

 次の日の新聞の見出しは、「三沢、公開で記者を口説く」と試合内容よりも大きく報じられた。渋川のカミナリが落ちたのは言うまでもない。


 サンチェスとの試合の翌日、三沢はいつもの通り吉原の「雅」に向かった。相手は気に入りの沙耶だ。

「真ちゃん。また勝ったの?すごーい」

柔らかい沙耶の身体がくっついてくる。欲求ははち切れんばかりだった。しかし、どうもいつもと身体の感じが違った。いや、違うのは心の中身だ。

「よう。沙耶。早く服を脱がしてくれ」

 身体を洗われている間に、すでに三沢のモノは起立していた。しかし何か、妙な背徳心が拭えない。

「もう。すごい溜めてたんでしょ。嬉しい。いっぱい出してあげる」

マットに寝かされていつものサービスを受ける。相変わらず沙耶のテクニックは夢の様な時間を運んで来る。三沢はやがて快感に身を委ねて瞼を閉じた。すると、暗闇にあのまっすぐな瞳が浮かんだ。

 女記者の鶴田だ。一瞬で三沢のモノがしぼみかけた。しかし、沙耶の技術がそれを許さない。頭が何かを拒否しているのだが、身体は快楽を求めている。

 沙耶がゆっくりと、三沢のモノを埋没させてゆく。

「夢心地にしたあげる」

「頼むよ」

 沙耶が身体を揺らす。三沢は沙耶の中で果てそうになっては起立しを繰り返した。

「真ちゃん凄い!」

 沙耶の身体を弄りながらも、三沢の頭の中には鶴田の顔があった。下半身が火照っているのに頭は違う場所にいて違う女を抱いていた。商売女しか相手にした事のない三沢は女に惚れた事がない。わけのわからない状況の中で戸惑いが駆け廻っていた。

「いやん。イク」

 沙耶の絶頂の声と共に三沢は射精した。

 しかしそこに残ったのは、欲求を放出した事による解放感でも、女をイカせたという満足感でもなかった。初めて素人の女に惚れた彼は一般の男と同様に他の女を抱く事に罪を見出していた。心には、妙な虚しさがあった。

「やだ。もう帰っちゃうの?今日はもう一回いいよ」

 甘える沙耶の声を背中のマリアに聞かせながら、三沢は素早く服を着た。

「またな」 

 店の階段を足早に登りながら携帯を取り出す。

(今日俺が会いたかったのは沙耶ではない)

 朝起きてから鶴田の顔が頭から離れなかったのに、何故ここに来てしまったのだ。引き締まった身体には後悔が廻っていた。焦る様に鶴田の勤める出版社に電話をかけた。三回目の呼び出し音で電話に出たのは鶴田の上司の記者だった。

「あ、鶴田ですね。すいません。今外出中なんです。すぐに折り返させますから」

「わかった。待っている」

 電話を切ると携帯をしまわずに手に掴んだまま歩いた。まだ電話を切って数分しか経っていないのに、携帯を何回も覗いてしまう。落ち着かなかった。試合前でもこんなにそわそわした事などはない。

 電話はなかなかかかってこなかった。たまりかねた三沢は衝動的にタクシーをひろった。女を待つのに慣れていない三沢にできる事は一つだった。運転手に行き先を告げる。やがて、鶴田の働く出版社の前にタクシーが止まった。それと同時に三沢の携帯が鳴った。

「よう。俺だ」

 平静を装った口調がわざとらしく響くと自分でも苦笑してしまった。

「わかります。私が電話をかけたんですから」

「俺の電話への折り返しだ」

「どっちでもいいです。それで、密着取材の件ですがいつがいいんですか?」

 鶴田の口調には棘があった。心底嫌そうなのが感じ取れた。しかし三沢は怯まずに言った。

「今からだ」

「はい?」

「もうあんたの勤め先の前にいるよ」

「何言ってるんですか。今からなんて無理ですよ」

「上司に言え。許可は取れる。じゃあ待ってる」

 三沢は強引に言うと電話を切った。十分後、不機嫌そうな鶴田が会社から出てきた。

「遅かったな」

「何言ってるんですか。急に来て。まったく、格闘家はみんな勝手なんだから」

「なんだ?俺以外の格闘家を知ってるのか?」

「いえ別に。で、どこに行くんですか?練習ですか?」

「おいおい。俺は取材と思ってないぜ。練習なんかするかよ。昨日試合も終わったばっかだ」

言いながら、三沢は鶴田をどこに連れてゆこうか考えていなかった事に気付いた。しばらく頭を巡らせるが、なかなか案が浮かばない。考えてみれば、女と街を歩いた事などなかった。

しばらく無言の時が過ぎた。やがて、三沢が何かを思いついたかの様に口を開いた。

「あんた、普段どこ行ってるんだ?」

「はい?」

「あんたがいつも行ってるとこに行こう」

「なんで私が行くところなんか・・・」

「いいからいいから」

三沢はすぐにまたタクシーを拾うと、鶴田を半ば強引に引き込んだ。

「どこに行く?」

「ホント、勝手ですね」


 雑多な三軒茶屋の中にある小さなカフェの二階に入った。日本家屋をリノベーションしたカフェ内には飴色の家具に身体が埋没し過ぎるソファが置いてあった。ジムと試合とソープランドしか行かない生活を送っている三沢には居心地が悪い空間だった。

「あんたいつもここで何してるんだ?」

 店内で無地のTシャツ一枚でいる客は三沢だけだった。客の誰もあが小綺麗な格好でくつろいでいる。

「本読んだりですよ」

「何の本だ?」

「格闘家の本も読みますし、ミステリーとかも」

「ミステリー・・・」

「三沢さんは本読まないんですか?」

「読まないな」

 まともな本など、教科書以来一冊も読んでいない。いや、教科書すらも。

 「じゃあ、普段は何をやってるんですか?試合の後とかの楽しみはなんですか?」

 不意に自分の身体が石鹸臭くないか気になってしまった。さすがに風俗に行くなどと言っていいはずがないことはわかった。

「まあ、風呂に入る事かな」

「お風呂?意外ですね」

「そうか?」

 またタクシーに乗る前と同様の無言の時が流れた。三沢は自分の身体が強張っているのを感じていた。四角いリングで強面の相手を前にしてもここまで身体が硬直した事はなかった。どうも調子がでない。

「あんた、なんで格闘雑誌の記者なんてやってんだ?」

 どうにか絞り出した話題は、三沢が鶴田に対して抱いていた純粋な疑問だった。今でも格闘技はその八割以上が男性ファンだ。殴られ蹴られの世界に仕事であっても関わりたいと思う女は皆無と言えた。

「格闘技が好きなのか?」

 鶴田は手元のカフェラテをいつまでもスプーンでかきまわしていた。三沢はヤキモキしてまた聞いた。

「好きじゃないのか?」

 すると、鶴田の指が止まった。その爪には風俗嬢のような装飾はなかった。しかし、か弱く美しいと思った。

「好きでも、嫌いでもありません」

「じゃあなんで?」

 すると、鶴田が不快な表情を浮かべて言った。

「父が格闘家だったんです」

「オヤジさんが・・・」

 その途端に、三沢の中に閃きが生まれた。彼女の名字をジムで初めて聞いた時、聞き覚えがあると思った。

「あんたのオヤジってまさか?」

 すると、鶴田がその真っすぐな瞳で三沢を見つめた。

「そうです。鶴田孝典です」

「なるほど・・・」

 鶴田孝典は日本の総合格闘技の先駆者だった。プロレス人気が衰退し、リアルファイトに世間が注目をし始めた時「プロレスラー最強」を公言し、それを証明する為に日本人として初めて総合の試合を戦った男だ。

 しかし一戦目の勝利の後、二戦目の試合中にテンプルへの打撃で失神しそのまま帰らぬ人となった。

 プロレスラーの強さを証明しようとしたこと。そしてリングの上で命を落とした事も拍車をかけ今では伝説の格闘家と言われていた。三沢は面識がなかったが、自分と同じ道を歩み、総合格闘技のパイオニアとして活躍した鶴田を尊敬していた。

「なるほど、それなら話はわかるな」

 三沢は鶴田の父の顔を思い浮かべた。しかし、記憶にある鶴田の外人選手の凶器攻撃でへ込んだ額やレスラーらしく張った大胸筋を思い浮かべると、目の前にいる華奢で色の白い、知的な雰囲気のある彼女とは似ても似つかないと思った。

「あなたも、父を伝説の格闘家だと思っていますか?」

 鶴田が強い眼差しで問いかけてきた。その瞳にはどこか父に対する嫌悪が感じられた。

「ああ。特に俺はプロレス上がりであんたのオヤジさんがスターだった時は練習生だった。だから、雲の上の存在だった」

 すると鶴田がコーヒーを飲み干し、その苦味を表情に表した。

「あの人は強くなんかなかった。とても弱い人だった。総合へ転身してたった二戦しかしてないけど、試合前日には必ず母に泣いて怖いと縋っていた。そこまでして怖いなら何故戦うのか。私には理解できない。私達を残して死んでまで。私は知りたいの、あなた達が戦う理由を。だから格闘雑誌の記者になったんです」

「戦う理由か」

 考えた事もなかった。三沢にとって戦いは常にそこにあるものであり、生業であり、趣味であり、楽しみであり、全てだった。そこに疑問を投げかける余地すらなかった。。

(俺にとっての格闘技。戦う理由・・・)

 難しい表情で琥珀色のコーヒーをしばらく見つめた。すると、鶴田が突然噴き出した。

「何だ?何が可笑しい?」

「だって、勉強嫌いな子供の様な顔してるんだもの」

 三沢は鶴田の笑顔こそ子供のようだと思った。弾けるように、口を抑えて笑う姿は無邪気で可憐だった。

「考えろって言ったのはどっちだ」

 憎まれ口を叩きながら、三沢はこの笑顔を自分のものにしたいと思った。鶴田は三沢を見ながらしばらく笑いを止めなかった。それならば、質問に対する答えはいつまでも出さないでいようと決めた。

「会社に戻ります」

 真面目な顔に戻ってそう言った鶴田を止める術は三沢にはなかった。鶴田を留めるための口実が見つからなかった。

しかし、過ごした時間に満足感はあった。たった1時間の中で大した会話をしたわけではなかったが、選手と記者と言う事務的な関係が少し緩和されたような気がした。

「電話番号を教えてくれ」

 大通りまで歩く途中、三沢は携帯を取り出し言った。鶴田が警戒心を強めたのがわかると、慌てて三沢は言葉を足した。

「大丈夫だ。電話はかけない。緊急時だけだ」

 自分でもバカな事を言っていると思った。緊急時とは何なのだと。すると、鶴田が自分の携帯を取り出した。

「おもしろい人ね。男の人はみんな、今度かけるよとか、遊ぼうとか、気楽な用事でかける事を前提に聞いてくるのに」 

「次はいつ会える?」

 鶴田がタクシーに乗る間際に焦るように言った。すると、鶴田はカフェに入る前の厳しい表情を浮かべて言った。

「そうね。次の試合に勝って生きていたら」

 三沢はその言葉を自分への叱咤だと、そして期待だと受け止めた。

 三沢は次の試合も勝つと決意した。戦いの翌日にして、珍しく試合への渇望が高まっていた。


「おう。もう練習しとるのか。珍しいのお」

 渋川はジムに入ってくるなりサンドバック打ちをする三沢にワザとらしく言った。

「もう一週間経ってるよ」

 三沢は汗の飛沫を散らしながら拳を止めなかった。渋川がそのサンドバックを支えた。

「あの女か?」

「何が?」

 三沢は恍ける。

「アホか。お前は。記者会見で女を誘って言い逃れなどできるか!」

 流石に拳を止めた三沢の頭を渋川が平手で叩いた。

「イテっ」

「まったく調子にのりおって。そんな事だと次の試合は殺されるぞ。この前の試合もなあ・・・」

 「次の相手が決まったのか?」

 渋川の長くなりそうな説教を遮って三沢が聞いた。

「ああ。決まった。人殺し。アメリカUSCのチャンプ。エメリア・メルコフだ」

 その名前を聞いた瞬間に三沢は運命を感じた。メルコフは他ならぬ、鶴田の父親を殺した選手だった。

「本当ですか?」

「そうだ。まあ、人殺しなんて異名があるがあの拳は殺そうとして撃ったものではない。あの日の相手の体調もあっただろうしな。それに、当人にしてみれば悲劇だ。殺されるより、殺してしまった方が辛い。恐れる事はない。しかし、メルコフはそれを乗り越えてきている。強いぞ」

 渋川の話は半分しか三沢に入っていなかった。惚れた女の父親を殺した相手と戦うなんて、あまりにでき過ぎた話だと思った。しかし、身体がたぎってくるのがわかる。それは、単に仇をとれば鶴田を射止める事ができるかもしれないという安易な考えに絆されたからではなかった。

 リング上で人を殺した事のある人間を相手にするのは熊に挑む心境に近い。有り余る野性。一線を越えてしまった凶暴性。人を超えた相手と勝負する事への好奇心と勝利への欲が彼の闘志を掻き立てていた。

「おい。ビビったか?相手を聞いて」

 手を止めてサンドバックを見つめる三沢の頬を渋川が叩いた。

「燃えてきたんだよ」

 一瞬生まれた鶴田への運命はすでに消えていた。そこにあったのは、高い二つの山と山の間に張られたロープを渡る時の様な絶望的な緊張感と、その先に見える勝利の快感だけだった。

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