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KISSは拳に  作者: 純一郎
3/12

KISSは拳に③

 三沢が格闘技の世界に入ったのは18歳の時だ。

 高校時代はレスリング部に所属をしていたが、名が売れる程有名な選手ではなかった。練習を休んだ事もなく、競技自体にも愛着を持っていたが、彼はどうしても勝つ事ができなかった。

 指導者が悪いのかもしれないと思った事もあった。普通の高校のレスリング部には元メダリストなどがコーチに来てくれる事もなく、ただの体育教師に教えられていた。

 しかし、考えてみれば有望な選手は中学から目をつけられて、当たり前の様に推薦で進学する。三沢も中学からレスリングをやっていたが、どこにも声をかけられる事はなかった。その事実に行き当たると、自分にはレスリングの才能はないと気付いた。

 卒業間際にどこの大学からも声がかからなかった事で彼の中のレスリングへの情熱も薄れた。レスリング選手の最高峰はオリンピックだ。その為には競技が盛んな大学に入るしかない。つまり、彼のレスリング選手としての夢は閉ざされたに等しかった

 進学が就職かを迷っている時、恩師にプロレスはどうかと薦められた。その時に子供の頃、夕方のテレビ放送で見ていたプロレスに憧れを持っていたのを思い出した。

 最強を謳いながらプロレスラーが腰に巻きつけるチャンピオンベルトに誰もが憧れをもった時代だった。三沢も例に漏れず、子供の頃は砂場で同級生を相手にプロレス技を極め最強という言葉に夢を描いた。

 レスリングに出会ってからしばらくはその気持ちは忘れていたが、三沢は沸々と何かが沸き上がるのを感じた。競技が上手くなる事だけを追い続けた数年間。気付けば、純粋な強さへの憧れを忘れていたのではないか。加えて、レスリングからプロレスへの入門は総合格闘技という言葉すらなかった当時は格闘技界の既定路線でもあった。

 普通の大学に行ったところで、部活に入らなければ遊んで過ごす事はわかっていた。就職しても、つまらない生活が待っているだろう。三沢はすぐにプロレス団体への入門を決意した。ここから彼の格闘技人生が始まった。

 当時のプロレス界には二つの代表的な団体があった。日本プロレスとプロレス全日。他にも数団体あったが、テレビで放映されていたのはこの二つだけだった。三沢は迷うことなく日本プロレスの門を叩いた。理由は単純だった。子供の頃、夕方に見ていたテレビ中継が日本プロレスのものだったからだ。

入団試験は簡単にパスできた。たいした経歴はなかったが、レスリング経験者である事が有利に働いたのは確かだった。

 その時の合格者は五人。しかし、三カ月経つと残っていたのは三沢ただ一人だった。

リングの掃除。先輩の衣服の洗濯。過酷なトレーニング。華やかな舞台だけを想像していた者、もしくは運動能力だけに異常な自信があった者はプロ育成のシゴキに耐えられなかった。

 しかし、三沢は耐えた。いや、耐えるしかなかった。自分にはこれしかないという思い込みが彼の弱気を飲み込んだ。何かにのめり込むと周りが見えなくなる性分も功をそうした。

「なんだ。お前が残ったのか」

 しかし一年経って、驚きと落胆の表情を浮かべながら団体の代表はそう言った。入団当初から三沢は期待をされていなかった。レスリングの経歴もいまいちで、ルックスがそれほどよかったわけではない。辞めた者のほとんどがレスリングや他のスポーツで輝かしい実績を持っているか、顔が良かった。

「オス!」

「そうか。まあいい。もしかしたらお前はついてるかもしれない。同期がいないって事は、売り出されるのはお前だけだからな」

「オス!」

「運も実力だ。よし。20歳まで耐えろ。そしたら売り出す。それまでに身体を作れ。お前は細すぎる」

「オス」

 三沢はこの時、自分の華々しいプロレスラーデビューを夢描いた。

しかし、ここからが三沢にとっての地獄だった。先輩の世話焼きや厳しいトレーニングには慣れた。元々が体育会系の出身だ。先輩の好き嫌いを憶え、トレーニングの要領も抑えればどうって事はない。

彼にとって一番苦しかったのは身体を大きくする事だった。身長180センチにして、体重は60キロ。レスリングのおかげで無駄な脂肪はなかったが、プロレスラーとしては細すぎた。そして元来彼は太りにくい体質だった。

 プロレスに欠かせないのは、筋肉とそれを覆う脂肪だ。身体を大きくし、様々な投げ技を吸収するクッションを作らなくては試合に耐えられない。その身体こそがプロレスラーの下地になる。

 しかし三沢は厳しいトレーニングを重ねる程、筋肉ばかりが付き、締まってしまうのだ。その改善のためにロードワークなどの有酸素運動は控えた。力士の様に一日六食取り、プロテインを飲んだ。団体に許可を取り、食べた後は昼寝もとった。

 そのおかげでどうにか身体は大きくなったが、それでもヘビー級に参戦できる程にはならなかった。結局三沢真也は、ジュニアヘビー級としてのデビューを余儀なくされた。

 しかしデビューすると、三沢の人気はすぐに出た。顔がいいわけでもなかった。ジュニアの選手らしく空中殺法を得意とするわけでもない。ただ、彼には華があった。三沢がリングにあがると、メインの試合でもないのに誰もが目を惹かれるのだ。

 小さな身体から繰り出される単純な技が大きく見え、戦況が悪くなると応援せずにはいられない。少し生意気な口調もウケた。

 団体の幹部は、意外な逸材の登場に喜び勇んだ。坊主頭で先輩の世話焼きをする姿からスターの素質を見抜いていた者などいなかった。それだけに彼の登場は業界でも話題になった。同期がいないのも功を奏し、団体の大きな後押しも受けると彼はすぐにジュニアの看板選手になった。

 弛まぬ努力と、表舞台に立てたという自信が身に着くと不思議と眠っていた運動能力も覚醒し、繰り出す技の一つ一つが一級品と化した。「最強、最高」のコールを始めたのはこの頃の事だ。

 必殺技と同じ様に、試合後のスター選手は必ず自分なりのコールを持っていた。考えたあげく、三沢は自分の持つ概念の頂点である「最強」と言う言葉と、「最高」という言葉を叫ぶ事にした。単純ではあったが、客は毎回の様に熱狂して叫んだ。

 ジュニアヘビーではあったが、子供の頃に夢見たチャンピオンベルトを腰に巻き、本当の最強になる日が訪れる事を当時の彼が疑うことはなかった。

 しかしおりしも、それはプロレス人気に陰りが見え始めた頃の事だった。ショーの要素を多分に含んだプロレスは低迷し、リアルファイトを信条とする総合格闘技が人気を博し始めたのだ。

応援していたファンが離れてゆく背中を見るのは悲しかった。「最強、最高」コールを叫ぶ声も次第に小さくなっていた。

 三沢の団体のテレビ放映は打ち切られ、幹部の揉め事もあり団体は解散してした。その時三沢23歳。ジュニアヘビー級のタイトルマッチ一カ月前の事だった。

 三沢は途方に暮れた。夢描いた場所まであと一歩のところで、今度は自分のせいや才能の無さではない理由で道を閉ざされた。若い彼にとって、この挫折は深い傷を残した。格闘家として信じていたものを否定され、職まで失ったのだから当然だ。

 そんな時に、今のトレーナーのジェイク渋川に出会った。

「兄ちゃん。なんかスポーツやってたのか?」

近くの公園でランニングをしている時の事だった。悶々とした状況を打破する方法を、競技一辺倒だった三沢は身体を動かす事以外知らなかった。どんなに一日を自堕落に過ごしても、毎日のランニングを欠かした事はなかった。

「プロレスと、レスリングをね」

 妙な爺さんだと思った。真っ白な髪に皺の多い顔。おそらく60代だと思ったが、背筋が妙に伸びていて、筋肉が張っているのがジャージの上からでもわかった。

「ほう。レスリングが。じゃあわしと相撲をしないか?」

 突拍子もない発言に三沢は鼻で笑った。

「爺さん。何言ってんだ。俺は元プロレスラーでレスリングもやってたんだ。素人は相手にできねーよ」

「ほう。誰が素人だと言ったか?それとも、負けるのが怖いか?プロレスラー三沢真也」

「なんだ爺さん。俺を知ってるのか?だったら余計やめた方がいいってわかるだろ?」

「勘違いするな。わしはお前のファンじゃない。安心しろ。ただの相撲だ。お前の苦手なリアルファイトじゃない」

リアルファイトに押されて職を失った三沢の頭に血が昇った。プロレスラー最強。この頃では誰もがその言葉を戯言だと思っていた。三沢はそれがどうしようもなく許せなかった。

「怪我しても知らねーぞ」

 子供達を退かして、砂場をリングに見立てた。

「いつでもいいぞ」

 渋川は特に構える事もなく、自然体で立っていた。三沢はプロレスの試合の様に、手を翳して力勝負を誘い相手を挑発した。すると、渋川は手を翳さず、脇の締まった右のストレートを放ち、三沢の鼻を折った。

「アホか。手を出さんとは言っていない」

「ジジイ。パンチかよ。相撲じゃなくて喧嘩でいいんだな」

「ああ。いいとも」

 三沢は怒り狂い渋川に本気のタックルをかました。タックルは成功し、軽い渋川の身体を簡単に倒した。すると、電光の速さで下から足が伸び、腕を取られ、首が動かなくなった。

「三角締め」

 渋川の細い足が頸動脈を締め付けてゆく。三沢は苦しさに耐えながら渋川を腕ごと持ち上げた。しかし砂に叩きつける前に渋川は足を離し、今度は後ろにまわり込みチョークスリーパーを極めてきた。

「総合は咄嗟の判断力が必要だ。予定調和ではない」

 耳元でプロレスを否定され腹が立ったが、息ができない。身体の力が失われてゆく。すると渋川が腕を緩めた。そして今度は流れる様に足をかけられ倒され、マウントポジションを取られた。腕の上に膝を押し付けられ、防御すらできない体勢に追い込まれた。

「これでお前は打つ術なし。打撃を顔にくらって終わりだ」

 齢60歳を超えるであろう爺さんに完全な敗北をきした三沢だったが不思議と悔しくはなかった。

また出会えたと思ったのだ。自分を捧げる事のできる道。総合格闘技。それは、今までの自分の道を否定した根源であったが、三沢は元来持つ爽やかさと勝者への尊敬の念を後押しにし、負け犬根性を消し去った。

 そして子供の頃と同じ砂場で出会った新しい最強の価値観は、三沢の男としての本能を刺激した。

「教えてください」

 マウントポジションをとられたまま、三沢は言った。いつもの生意気な口調はない。懇願に近い口調で。

「最初からそのつもりでお前に会いに来た。お前の華と丁度いいくらいの才能と、練習好きなところに目をつけてな。これがMMA。総合格闘技だ」

 砂のリングが新しいリングになるまでには、そう時間は掛からなかった。

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