二十一話 反撃は嵐の如く⑥
人間という生き物は複雑な造りでできている。
二十を超える内蔵と、二百を超える骨。それらが奇跡的な機能をしているために、人間は生きているのだ。故に、重度の外傷を負ってしまうと死んでしまうのが当然の摂理。
それこそ、胸を腕で貫かれた、など、本来なら即死ものだ。いや、即死しなくても、内蔵破裂や出血多量は免れない。
だからこそ、ロイドの死は絶対なものである。
その、はずだったのだが……。
「……あの、旦那」
「何だ」
「そのぉ……自分で言うのも何なんですけどね……どうして俺、死なないんですか?」
横たわりながら、ヘルに治療を受けているロイドはそんな事を口にしていた。
治療、と言っても今は既に血が止まっており、包帯を巻いているだけに過ぎない。その前に何かしらの薬を塗ったとか、魔術で処置したなどは一切なかったにも関わらず、だ。
その異常性をゲオルやヘルは無論、本人のロイド自身も驚いていた様子だった。
「いや、胸に穴開けられて、即死しなかったのも今考えればおかしいですけど、それ以上にどうして俺、未だに意識があるんすか? 普通なら出血多量でしにますよね?」
「喧しい。ワレに聞くな」
全く、と口にしながもゲオルはロイドに視線を向け、言葉を続ける。
「……貴様、まさか実はあの男の分身やら、本当はヴァンパイアの末裔などというわけではなかろうな」
「生憎と、そんなオチはないっすよ……つか、自分が死んでなくな一番驚いてんの、俺ですからね? 生きている事は嬉しんすけど、あんだけ最高にキメたってのに、これじゃあ超恥ずかしいんですけどっ」
顔を両手で隠すロイドの言葉に、ゲオルは顔を顰める。それは彼が嘘をつているから、ではない。彼の今までの反応、そして口調。それらから分かるように、彼は本当に命を投げ捨てて戦っていた。自分が死ぬ覚悟を持っていたのだ。あれを演技でできるのなら、彼は相当な演者になれるだろう。
だから、ゲオルが考えたのは、もう一つの可能性。
「確認だが、貴様は今までもこんな風に重症を負いながら自然と治癒したことはあったのか?」
「いや、前回ここでやられたのと、今回だけだな。傷はいくつも受けてきたが、それらが自然と治ったことはなかった」
それが真実だとするのなら、彼はこの迷宮の中でのみ、自然治癒が発動している、ということだ。そこから考えて、可能性があるのは一つのみ。
しかし、だとするのなら……。
「ゲオルさん、もしや何かご存知なのでは?」
「……何故そう思う?」
「そういう顔をしてらしたので」
相変わらず、よく見ている。
そういう点では、エレナと同じくらいの察知能力、というべきか。
「……確証はない。が、もしワレが思っている通りだったとしても、そこまで重要なことではないだろう」
そう。今やるべきことは、ロイドの治癒能力の解明ではない。
「どの道、その傷ではまともに動けん。一緒に連れて行くことはできん。女、貴様は一緒にここに残ってやれ。大方の魔物は倒したが、全てではない。恐らく、残党がいくらかいるだろう」
言うと、ゲオルは懐から手袋を取り出し、ヘルに渡す。
「それは以前倒した羊の毛で作った手袋の魔道具だ。それを使って相手を殴れば、電撃を食わすことができる。魔物の中には、体術が効かない奴もいるかもしれないが、これなら通用するだろう」
「……よろしいのですか?」
「無論だ。ワレには魔術が使える。それで十分だ」
「いえ、そういうことではなく……本当にお一人で行かれるおつもりで?」
その言葉に、ゲオルは即答しなかった。
少しの間を空けたのは、この迷宮について、彼にも思うところがあったから。
「……この迷宮の主はワレの知っている奴だ。そして、そいつは過去にワレが殺したはずの女。それが生きていたとなれば、今回の件はワレにも責任がある。その尻拭いをしにいくのに、他人の手を借りるほど、ワレは厚顔ではない」
エリザベート・ベアトリーが存在していることを、ゲオルが看過することはできない。
それは個人的理由もあるが、何より『かつての契約』を成し遂げていなかったとなれば、それを続行する義務が彼にはあった。そして、それに他人を巻き込むなど、あってはならないことだ。
ゲオルの言葉に、ヘルは小さく頷く。短い間柄とはいえ、彼が一度決めたことを曲げないということをよく知っていた。
「……申し訳ございません。今回、わたくし、何もお役に立てなくて……」
「気にする必要はない。それよりも、ワレが戻ってくるまで、生きていろ……まぁ、貴様には心配する必要はないとは思うが」
「まぁ、ひどい言い草ですわ」
ふふ、と言葉を零しつつ、彼女は続けて言う。
「お気を付けて、行ってらっしゃいませ」
「旦那、俺の分まで、ここのボスに一発かましといてくださいよ」
ヘルとロイドに激励を告げられたゲオルは彼らに背を向けながら。
「―――ああ。言われるまでもない」
拳を握り締め、そんな言葉を呟き、進んでいったのだった。
*
最下層は、今まで以上に厳重に守られていた。
特に、魔術的な仕掛けが多くあり、二重、三重の罠がゲオルを襲った。幻術を解いたと思ったら、それすら幻術の中の出来事だった……などという巧妙な手口を、しかしゲオルはそれを上回る魔術で簡単に紐解き、壊していく。
無論、物理的な要素も今までの倍以上の危険が、ゲオルを襲った。今まで以上の数の魔物が牙を向けてきたものの、ゲオルはそれを言葉一つ、拳一つで粉砕していく。
砕け、吹き飛び、徹底的に壊すことをここでも忘れない。手を抜く暇などあるわけがなく、その結果どうなるのかは、言うまでもないのだから。
そして。
三十分もしない内に、ゲオルは一つの扉の前までやってきていた。
中から聞こえるのはパイプオルガンの音色。
「ここか」
と小さく呟いた次の瞬間。
唐突にゲオルの蹴りが炸裂し、部屋の扉が木っ端微塵となる。
中に入ると、やはりと言うべきか、ゲオルの想像通りの光景があった。
奥に置いてあるパイプオルガン。それを演奏する一人の少女の姿。
その姿を、見間違えるわけがない。
「エリザベート・ベアトリー……」
「―――あらあら。思った以上にお早い登場ね」
少女……エリザベートは、扉を蹴破られたことに驚きを示さず、演奏しながら、言葉を続ける。
「相変わらず、乱暴なのね。盗人のくせに厚顔もいいところ」
「そっくり返す。貴様の悪趣味は依然として変わっていないらしい。吐き気がする程にな」
返し刀の言葉にエリザベートは笑みを浮かべた。
「その口調にその態度。やっぱり貴方だったのね。貴方は姿を変えるから、確証がすくなかったのだけれど」
「そういう貴様はあの時と姿が変わっていないな……余程多く、若い女の血を吸収したらしい」
「ええ、おかげさまで。貴方に殺され尽くしたせいで、あの時の身体と同じにするまで、苦労したわ。それがどれ程の物か、語ってあげま……」
刹那。
エリザベートの言葉を遮りながら、ゲオルは己の拳を放っていた。
その一擊により、パイプオルガンは粉々に砕け散り、その破片があたり一面に落ちていく。
だが、それで終わったなどと思うわけもなく。
「御託はいい。さっさと小娘を返せ。そして死ね。貴様がするべきことは、それだけだ」
振り返りながら、そんな事を言い放つ。
「本当に乱暴。そういう人は嫌いよ。ね? 貴女もそう思うでしょう?」
そこには、いつの間にか後ろに回っていたエリザベートと、隣に椅子に縛られているエレナがいた。
口も塞がれ声を出すことのできない彼女は、それでもゲオルが来たことは察しているようで、喋ることが叶わずとも、何かを訴えようとしていた。
「……っ、……っ!!」
「……何となく何を言っているのは分かるが、取り敢えず落ち着け小娘。文句なら、後でいくらでも聞いてやる」
「あらあら、これは奇っ怪なものね。貴方のような野蛮人に、まさかこんな可愛い恋人ができるなんて」
その言葉に、ゲオルの表情はより一層剣呑になる。
「……勘違いするな、ワレとその小娘に、そのような関係はない」
「でも、大事な人なのでしょう? でなきゃ、ここまで取り返しに来ないものね」
殺気を放つゲオルに対し、しかしエリザベートは余裕と言わん態度で応えていく。
「でも良かった。貴方に大切な人がいて。最初はさっさと血を抜いて私のものにしようと思ったのだけれど、貴方の話を聞いてやめたの。そして正解だった。だってそうでしょう? そうしないと貴方から大事な物を目の前で奪うことができないもの」
刹那、悪意しか篭っていない笑みを浮かべるエリザベートにゲオルは睨みをきかせる。
相手は異界魔術が使える程の魔術師であることには変わりない。故に、その言葉一つ、行動一つがきっかけになることがある。それを見逃さないために。
「私はずっと考えてきたわ。私が受けた絶望を返すことを。私から、大事な『あの人』を奪った貴方にね。だから、この娘の存在は僥倖としか思えなかったわ。神が私にくださった贈り物。この娘を使って貴方に罰を与えよってね」
罰と言ったエリザベートに対し、ゲオルは呆れたような口調で言葉を返す。
「ふん。貴様の口からそんな言葉が出るとはな。その資格が貴様にあると、本気で思っているのか?」
「当然でしょう? 貴方はそれだけのことをしたの。だから、今から貴方を嬲り、弱った貴方の前でこの娘の血をもうらわ」
そして。
「その上で私は取り戻すの。私の大事な大事な大事な大事な大事な大事な――――――お兄様を!!」
次回からゲオルとエリザベートの因縁の過去回が始まります。多分二話程です。
よろしくお願いします!!




