十九話 反撃は嵐の如く④
風を切る三本の矢。
それらは全て、ルカードの心臓、額、右肩に向かってブレることなく一直線に飛んでいく。
しかし。
ルカードはそれらを一切避けることなく、ただ受け止めた。
そして、矢が刺さったままの状態で、口を開く。
「それは無駄だと何度試せば分かるのですか?」
「ちっ……!!」
何事もなかったかのように、矢を身体から抜くルカードに対し、ロイドは舌打ちをする。
既に戦いが始まって三十分が経っていたが、ロイドは不利な状況に追い込まれていた。
それも当然というべきだろう。
ロイドの武器は弓。中距離、遠距離からの攻撃手段だ。相手の間合いよりも外から攻撃できるという点からしてみれば、一見有利かもしれない。しかし、それは人間と人間の戦いに置いての話だ。
ルカードは宙に浮かび、高速で移動し、一瞬で間合いを詰め獲物を仕留める。しかも、その拳は人間の内蔵を粉砕するものであり、常人のロイドがまともに一発でも受けてしまえば即死だろう。一方のルカードはというと、無数の矢を腕や胴体はおろか、頭に受けても全く効果がなく、何もなかったかのように治っている。
人間離れした速度と筋力、加えて驚異的な回復力。
これを、ただの弓矢で倒せるわけがなかった。
そして、それはロイドも重々承知している。
だからこその用意もしてきたのだが……。
「そらよっ!!」
声と共に放たれる矢。
今度は右目へ向けて迫るそれを、しかしルカードは手で握り止めた。
そう。握り止めたのだ。今まで避けることすらしなかったというのに、防御の姿勢を取ったのだ。けれどそれは別段、それは右目の負傷を避けてのものではない。
「―――銀、ですか。成程。私の正体を掴んだ、というわけですね」
その言葉には、ある種の落胆がついていた。
「まぁ、それも当然のこと。私と面識があるのなら、その答えに至るのは道理というものでしょう。いくつもヒントはありましたし……確かに、私はヴァンパイア。血を吸収し、血によって力を行使する存在。それ故の弱点をついてきた、というところでしょうが……生憎と、この手の弱点は私には通用しません」
ヴァンパイア。夜を統べる存在とまで言われた血を吸う鬼の魔物。彼らが他の魔物と違う点は多くあるが、やはり一番は不死に近い、という点か。いや、実際は驚異的な回復力なのだが、どんな傷も一瞬にして治癒してしまうので、ほぼ不死に近いのだ。例え首をはねられようとも、死ぬことはない。
しかし、それ故にというべきか、ヴァンパイアには複数の弱点が存在する。太陽の光、銀の武器、流れる水や聖書等々……中には嘘やデタラメも混じっているが、ヴァンパイアの弱点が多くあるのは事実だ。
一説では、ヴァンパイアは生命力が高くなる代償として、多くの弱点ができてしまったとされる。
けれど、その弱みが、ルカードには通じないと言う。
「私はヴァンパイアの中でも上位の存在。人間が我々に通用すると思っている弱点はほぼ効き目はありません。加えて、今はエリザベート様の迷宮の中。あの方の力添えもあるこの場所で、私を殺すことなど、不可能だ」
ルカードの言う通り、ここでの魔物はエリザベートの異界魔術によって強化されている。ただでさえ絶大な治癒能力は向上されており、本当に不死と言っても過言ではない。弓矢しか使えないロイドにとっては、本当に最悪な相手だと言える。
「次は聖水ですか? 聖書ですか? ニンニクを使った煙玉でも出しますか? 使うであれば、どうぞご自由に。まぁ、効果があるかどうかは、言うまでもありませんが」
言われて、ロイドは苦笑する。正直な話、指摘してきた物は全て用意していた。聖水も聖書もニンニクも、だ。ルカードがヴァンパイアであることが分かっていたからこその武器であるが、しかしここにきて、それらが全て無駄であると理解せざるを得なかった。
「全く……こうなることは分かっていたことでしょうに。人間という生き物は、本当に愚鈍でどうしようもない存在だ。無駄な結果だというのに、どうしてそこまで意地汚く努力するのでしょうか」
「ハッ! 悪いな。意地汚いのは性分でね。みっともなくてもあがいていたから、俺はここにいるんだよっ!!」
「確かに。その意見には同意しましょう。生への渇望。それが瀕死の状態でもこの迷宮から生還した要因なのでしょう」
しかし。
「そのような『汚点』を残しておくわけにはいかないのです。この迷宮から脱出できた者がいる……その事実だけでも、度し難いというのに、その者が未だ生きているなど、論外。大体、私と同じ顔をしておきながら、そんな無様な状態になるとは、恥というものが無いのですか?」
「うるせぇ!! 似せたのはそっちだろうが!!」
「ええ。この顔は、我が主が大層気に入ったのでね。だからこそ、許せない。この世の何よりも美しいあの方が好む顔をしている男が、こんな醜態を晒していることが」
言いながら、ルカードは両手を上へ向けながら広げた。余裕綽々な態度。まるで、演説をしているかのような口調で、彼は言葉を続けていく。
「あの方はこの世の至宝。我々にとっては神と言うべき存在なのです。その方が気にいる顔にするのは当然のこと。そして、その顔は一つで十分。特に、貴方のような弱く、使いものにならない者は必要ない」
「……成程。つまり、お前は女に好かれたいがために姿を変えたと。大層な忠誠心だな……いや、依存って言うべきか?」
飄々とした態度で言うロイド。
その言葉にルカードは眉をひそめる。
「小物の言い分とはいえ、聞き捨てなりませんね。私の忠誠を依存などという言葉で汚すなど」
冷たい眼光がロイドに向けられる。ルカードは、本当に彼のことを虫か何かにしか思っているのだろう。事実、ロイドの弓の実力は凄まじいが、その矢も当たったところで意味をなさない。故に敵とすら認識されないのは当然のこと。
そんな存在に、忠誠心を馬鹿にされたことが、ルカードの何かを踏んだのだ。
「小物ねぇ……確かにその通りだ。俺はお前よりも弱い。それは認めてやる。けどな……そんな小物の顔を使ってるお前は何だって話だよ」
「……っ」
ルカードの顔つきがさらに険しくなる。
同時、放たれる殺気も尋常ではない程、大きくなっていった。その全てがロイドに集中しており、普通の人間ならば、それを浴びただけで気を失ってしまう。
だが、ロイドはそんなものなど知るものかと言わんばかりに、笑みを浮かべていた。
「大層な事をべらべら口にしてるが、要するに、お前は自分の顔が俺よりも劣っているって認めてんだからな。弱くて、使えない人間より自分はブサイクだって言ってんだ。どんな演説しても、全く説得力がねぇんだよ」
「貴様……」
「それにな、お前が言うあの方って奴、どう考えてもロクでもねぇ奴だろ? 部下の顔を自分好みに変えて、部下に至宝だの神だの言われてるって……有り得ないだろ。マジで引くっつーの。そのエリザベートってやつ、相当頭がいかれてるらしいな」
言いながら、ロイドは思う。
自分が持ってきた武器は一切通用しない。だとするのなら、最後の手段に出る他はない。
しかし、それを使うのは一度きり。外せば、それでお仕舞いだ。弓の技術において、ロイドは自信があるものの、それを先程の矢のように止められては話にならない。
確実に、絶対に攻撃を与える方法。
そんなものは限られており、尚且つルカードに対しては、手段はさらに少ない。
ならば、その少ない手段に全てを賭けるしかないだろう。
「……人間如きの言葉など、虫の羽音程度のもの。本来なら、聞く耳など持つ必要などありません。が、我が主、エリザベート様の侮辱は許されない。万死に値する」
思った通りの反応。
ルカードの性格は高慢そのもの。自分よりも他は劣っている。特に人間など、虫以下、いやゴミ以下というくらいだ。そんな存在に、自分が崇拝している者を侮辱されれば、必ず怒りを露わにする。そして、怒りというものは、判断力を鈍らせるものだ。
だが、それだけでは足りない。
「虫の羽音ねぇ。言ってくれる。けどよ、お前は今、その虫と同じ顔してんだぜ? それってつまり、自分も虫だって言ってるのと何ら変わりねぇんじゃねぇの?」
「戯言を。今からその虫を排除すればいいだけの話。そうすれば、貴方という存在を抹消し、この顔の汚点も消える。それで全て解決です」
「解決? ハッ、本当にそう思ってんのか?」
「……何?」
意味が分からないと言わんばかりの表情を浮かべるルカード。
それを確認した後、ロイドは不敵な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「確かに、俺を殺せば、晴れてその顔は世界でお前だけのものになる。お前はこれから、その主とやらに褒められいくんだろうよ。お前の顔は美しいとか何とか言われてな。けどな……」
一拍置いて、彼は宣言する。
「お前自身の顔は、一生褒められることはないんだぜ?」
「……っ!?」
ルカードの目が見開いた。同時に、核心をついたという確証を得た。
「お前は俺を殺して、これからもそいつの傍にいるんだろう。その顔で一生ついていくんだろうな。けどよ、どれだけ褒められようが、どれだけおだてられようが、それは俺の顔だ。お前の本当の顔じゃない。つまり、お前は一生、俺よりも自分が劣っていると言われ続けながら、生きていくってことなんだよ。ざまぁみろ」
刹那。
音速の手が、ロイドの胴体を貫いく。
鋭い一擊を喰らいながら、しかしロイドは即死することも気を失うこともせず、ただ両足に力を入れ、踏ん張った。
「ぐ、あっ……」
「もういいです。口を閉じなさい、虫。貴方の言葉は聞いていて吐き気がする。今の一擊で死なないのは、流石というべきですが、それもここまで。心臓を貫いていないとはいえ、その隣を抉りました。これでもう助かることなど有り得ない」
「かっ、は、は……確かに、こりゃダメそうだわな」
ロイドはいくつもの修羅場を超えてきた。その中で、これはもうだめだだという傷を何度も見てきた。そして、この一擊はまさにそれだ。身体にこれだけの穴を開けられれば、誰だって死ぬ。当然の摂理だ。それを曲げられる程の力をロイドは持っていない。即死していないだけ奇跡だろう。
だが。
「さて、念には念をと言います。貴方は虫の息になりながらも、瀕死の状態でここから逃げ残った人間。だから死を確実のものにしなければならない。まぁ、それも首をもげばいいだけの話……」
「……で、……い……」
「? 何か、仰いましたか?」
問いただすルカード。
対してロイドは、口からを血を流しながらも、笑みを浮かべたまま、続けて言い放つ。
「これで……いいって、言ったんだよ。お前の場合、怒らせれば、必ず……至近距離の、攻撃を仕掛けてくると思ったからな……自分の手で潰さないと気がすまない、そういう性格してるからな……」
「だからどうしたと言うのです? こうなる死に方が、貴方の作戦だとでも?」
「ハッ、分かってねぇんだな。……お前が、距離を詰めて攻撃するってことは……こっちの間合いに入ってくれるってことだ。しかも……ご丁寧に胸を貫いてくれてやがる」
つまり。
「この距離なら、外すことはねぇってこった!!」
言い終わると同時、ルカードの背筋に悪寒が走った。
今まで人間に対して、恐怖というものを彼は感じてこなかった。当然だ。人間とは即ち虫。虫に脅威を抱くなど、あるはずがない。鬱陶しいと思えば潰せばいいし、邪魔だと思えば消せばいい。
吹けば消える、蝋燭の火のような存在。それが人間だ。
だというのに。
このとき、ルカードは確かに、目の前にいる男に、今にも死にそうだというのに笑みを浮かべる男に対して、危険だと思ったのだ。
故に距離を取ろうとしたものの、しかし時既に遅し。
ロイドはルカードの腕をがっしりと掴み、そして。
「くたばれ、クソ野郎」
次の瞬間。
ロイドが取り出した『紫色の短剣』がルカードの右目を貫いた刹那、彼の身体に今までに感じたことのない激痛が走ったのだった。




