十六話 反撃は嵐の如く①
通常、地下迷宮には様々な罠がしかけられている。
それは、エリザベートの地下迷宮も同じことだった。
いや、それ以上に凶悪で悪趣味で下劣なものだと言えるだろう。
落とし穴や迫り来る壁、突如飛んでくる無数の矢に閉じ込められた部屋に充満していく毒煙等。
しかし、そういった物理的な仕掛けはまだいい方だろう。魔術的な罠であれば、炎が飛んできたり、氷漬けにされたり、目に見えないかまいたちが襲ってきたりなど当たり前。中には動きを封じたり、呪いをかけたり、見たくない幻覚を見せて心を壊したり、身体だけではなく、精神までも殺しにかかってくる。
実際、地下迷宮にはいくつもの屍が転がっていた。その数は十や二十などではない。五十、百……下手をすれば、それ以上かもしれない。
その死体の有様は、それこそ様々だ。矢や剣が突き刺さって死んでいる者もあれば、首に手をあてながら死んでいる者もあった。しかし、それはまだ形があるだけマシかもしれない。大半のものは骨ごとばらばらにされており、人間だったのかすらも怪しいものばかりだ。
それでも、傍にあるカビが生えた装飾品や錆び付いた武器が、それが人間だったのだと教えている。
加えて、魔物の数も尋常ではない。
骨のみで形成された騎士『スカルナイト』。猛毒を持つ巨大な蜂『キラービー』。目を持たないが嗅覚のみで獲物を喰らう蜥蜴『ヘルリザード』。洞窟内の闇夜を駆け抜ける蝙蝠『デスバット』など、数え上げるだけでもキリがない。
それらは全て獰猛であり、主以外の人間を容赦なく殺すように命令されている。加えて、地下迷宮はエリザベートの領域であるため、魔術的な強化付与をされており、通常の魔物よりも脅威である。何の装備もない人間が相手なら、数秒と持たないだろう。いいや、魔術を心得ている者、武術に優れている者でも、ここでは三十分も持たない。いくつもの死体、そしてそれらが所持していたであろう武器が全てを物語っている。
無数の物理的、魔術的罠に複数の凶悪な魔物。一度入ったら二度と出てこれない、という迷宮の恐ろしさを体現している。いいや、もっと言えばここは殺戮場。まさに人間の墓場、というに相応しい場所と言えるだろう。そして、人が死ねば死ぬほど、ここの守りは強くなる。肉は魔物の餌となり、血と魂はエリザベートに捧げられ、彼女の力の糧となる。
人の血と骸で出来上がった地下にできた最悪の根城。それが、この地下迷宮だ。
そんな地獄を。
そんな墓場を。
そんな魔境を。
ゲオルは隅から隅まで、徹底的に、完膚無きまでにぶち壊していく。
「ふんっ」
落とし穴を察知するのは当然のことで、迫り来る壁は壁ごと拳で破壊し、飛んでくる矢に関しては流れるように受け止める。部屋に閉じ込められようが、関係なく毒煙が充満する前に扉を破壊していった。それだけではない。仕掛けがあるであろう場所は、一つ残らず潰していく。
そして、魔術的攻撃に関しては。
「【邪魔だ】」
この一言で、全てが消し飛んでいった。
放たれる火の玉も、鋭い氷柱も、見えないはずのかまいたちも、行動を不能にするはずの呪いも、心が壊れるはずの幻覚も、何もかも全てこの一言で無に帰った。
これは簡易的な対魔術用魔術。言葉一つで魔術を無効にし、消し去る魔術だ。ゲオルも魔術師だ。魔術に対する手段くらい、用意はしてある。
とはいえ、これはあくまで魔術を消すモノ。物理的な攻撃は消すことができない。故に、物理的なものに対しては物理的な攻撃……つまりは、拳や蹴りで対処するしかない。そして、その中でも厄介なのが、魔物の群れ。いくらゲオルが素手でも強いといえど、手間がかかるのは必然。そして、今の彼らにとって、そんな余計なことをしていられる時間はない。
だから。
「【爆ぜろ】」
言葉と同時、ゲオルの目前にいた二十体を超える魔物が一斉に爆発した。正確には、魔物達の周りに、ではなく、魔物の内側から、だ。この魔術は空間を爆発させるものではなく、目の前にいる標的を内側から爆発させるというもの。故に、爆発を喰らって生き残ることはまず不可能。効率的に殺すことができる魔術である。魔術師相手や魔力に対抗できる能力を持っている者に対しては効果がないが、強化されているとはいえ、ゲオルにとって、ここの魔物は雑魚に過ぎず、故にこの程度の魔術でも倒せるというわけだ。
もっと威力を出すことも可能だが、あまり出しすぎるとその分、ジグルの残り時間が減ってしまう。効率的な使用をしなければならない状況にゲオルはいるのだ。それを考えて、回数も決めている。
こうして物理的、魔術的にもゲオルは圧倒しており、魔物というより、この迷宮そのものを攻撃しているに近い状態であった。
とはいえ、だ。
それは、ゲオルからこそできる芸当であり、普通の人間である者からしてみれば、それは嵐のような有様であった。
「……なんすか、アレ……」
目の前で起こる、あまりにも不可解な現象に、ロイドは思わず、そんな言葉を口にした。
彼とヘルは、ゲオルが撃ち漏らした魔物を倒していっている。しかし、ゲオルがあまりにも的確に相手を殺していっているため、その数はかなり少ない。
先程口にした言葉。しかし、それはロイドだけが思っていることではなく、隣にいるヘルも同様なことを思っていた。
「え、いや、え、マジなんなの、マジなんなの!? 床とか壁とか天井とかに仕掛けられた罠全部ぶっ壊して、魔法陣とかも破壊して、魔術そのものも言葉一つで消して、これまた言葉一つで魔物を一掃って……あんなの、人間業じゃねぇだろ。魔術師の知識があるとかそういう次元じゃないだろ!?」
「わたくしも大概、人間離れしている自負がありましたが、未だあの領域には達していませんね……精進不足ですわ」
「いや、領域も何も、あれ人間が到達しちゃいけないでしょ、色んな意味でダメでしょ!! あんなの嵐とかそういう災害的なナニかでしょ!!」
ロイドの言葉は、何も大袈裟なものではなかった。魔術が使える今のゲオルは、嵐や地震といった、自然災害と同じ被害を与えている。とはいいつつも、こちらがその被害を被らないよう配慮しているところもあるが、やりすぎ感が半端ない魔術がいつこちらに回ってきてもおかしくはなかった。
しかし、物理的、魔術的な罠を徹底的に破壊し、尚且つ強化された魔物を倒してしまっていることには、驚嘆せざるを得ない。
そして同時に。
「それでも、頼もしいことには変わりないですわ」
ヘルの言葉に、ロイドはやれやれと言った具合に答える。
「全く……それを言われるとなーんも言えなくなりますよ。つか、あの人っていつもこんな感じなんすか?」
「さぁ? わたくし、まだ旅を初めて間もない身ですので、何とも言えませんわ。ただ……」
「ただ?」
「今回の彼は、本気も本気、ということだけは確実ですわね」
エレナを助ける……今のゲオルはそのために行動しているとヘルもロイドも理解しているし、エリザベートとの因縁も聞いた。だから、彼が張り切るというか、本気なのは重々承知していた。
しかし、それがここまでだと、流石に笑うしかないだろう。
同時にロイドは思う。
もしも、あの人と早く会っていれば。
そして、一緒にこの地下迷宮に来ていれば。
自分の仲間は死なずに済んだのではないだろうか。
そんな、どうしようもない、本当に意味のない妄想をしている中、ゲオルの爆発魔術がまた、炸裂するのだった。
*
魔物を倒し続け、奥へと突き進むと、とある広い空間にたどり着いた。
壁や天井には絵柄が入っており、通路も複数ある。その数およそ五十。
「さて……どれが次への通路でしょうか」
「一つずつしらみ潰し、というわけにはいかないっすよね」
「当然だ。探索魔術でどれか見極める……が、その前に相手をしなければならない者がいるようだ」
ゲオルの言葉に、ヘルとロイドは身構えた。
と、同時。
「おや、ここまで人が来るとは珍しいこともあるものだ」
ふと、声がしたかと思うと、目の前の通路から人影が出て来た。
……いいや、人影、というのは訂正しなければならないか。何故なら、その男の身体は骨のみであった。しかし、『スカルナイト』とは明らかに違う。その上位種、と言うべきか。
ローブに身を包み、指には全て、指輪をつけていた。それだけではない。首輪も複数胸にかけており、左手には黄金の装飾がなされた杖があった。
「自己紹介が遅れた。私の名前はレイモンド。この部屋の守護をしている者だ」
この部屋を守護している者……つまりは、門番のようなもの、というわけだ。
「ここに人間が来るのは実に久しぶりだ。どうやら少々実力はあるようだ」
しかし。
「残念だが、その健闘もここまでだ、何故なら……」
言いながら、レイモンドは指を鳴らす。
するとどこからか、複数の足音が聞こえてきた。いいや、複数、などという表現は間違いだ。何十……何百という足音は、地響きとなりながら、どんどん近づいてきている。
そして、気付く。
五十もある全ての通路の向こう側から、スカルナイトが次々と部屋の中に入っていき、ゲオル達を取り囲む。
その数、およそ百五十。
「君たちには今からこのスカルナイト達と相手をしてもらう。その戦う姿を見ながら、私は酒でも飲ませてもらおう。ああ、安心したまえ。ここにいるスカルナイトを倒しても、奥から次々と出てくるから」
「へぇ。そりゃありがたいね、くそったれ」
悪態をつくロイド。
しかし、レイモンドはそんなものどうでもいいと言わんばかりに言葉を続ける。
「君らは我らが主の地下迷宮に足を踏み入れた。それだけでも万死に値する。故に楽には殺さん。弱りきったところを何度も何度も何度も嬲ってやろう。もう殺してくれと叫ぶまで何度も何度も何度もな」
その声音には確かな殺意と憎悪があった。
「さぁ。構えるがいい―――蹂躙の始まりだ」
言うと同時、スカルナイトが一斉に動き出した。その手には剣が、槍が、盾が、弓が、斧が、あらゆる武器があり、その全てがゲオル達に向けられている。
無数の殺意、無数の敵意。それらは即ち、絶体絶命。
けれども、だ。
それらが一斉に刃を向けてきた時、ゲオルが取った行動は至って単純だった。
「【灰は灰に 塵は塵に 死者は虚無へと還り給え】」
刹那。
その言葉と同時に、スカルナイト達は一斉に動きを止めた。
百五十もいるそれらは、ゲオルの魔術にはまったのだ。そして、指鳴りと同時に骨が砂となっていく。抵抗することも、暴れることもなく、ただ呆然としたまま彼らの身体は朽ちていった。
そして、部屋中が砂まみれになった時、レイモンドは思わず言葉を漏らず。
「な、に……?」
「貴様、先程から何を言っている?」
呆気にとられているレイモンドに対し、ゲオルは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに冷たい怒りの言葉をぶつける。
「嬲るだと? 殺すだと? 万死に値するだと? ほざくな、傀儡が。あの女に従っているだけの木偶にワレの相手が務まるとでも思っているのか?」
「くっ……調子に乗るなっ!! 来るがいい、次の者達!!」
言うと、その言葉通り、通路の向こう側から再びスカルナイトの軍勢がやってきた。
しかし。
その軍勢は、部屋に一歩入ると同時に、次々と砂となって消えていく。
「なんだと……!?」
「気づかんのか、阿呆が。この部屋は今、ワレの結界に包まれている。スカルナイトのような死者の魂で形成されている存在を一つ残さず消し去る結界にな。まぁ、貴様には魔力の耐性があるようだが、それでも能力は大幅に下がっているはずだ」
「くっ……!?」
苦虫を噛み潰したような顔になるレイモンド。
彼は今、ようやく理解したのだ。
自分が今、追い詰めているのではなく、追い込まれているということに。
「貴様に恨みはない。が、あの女の傀儡だというのなら、やることは一つだ」
拳を鳴らし、そして告げる。
「さっさとかかってこい。その骨、一本残らず、消し炭にしてやろう」
そんな死刑宣告を言い放ったのだった。




