十五話 責任と覚悟⑥
目が覚めると、当然の如く、身体が鉛のように重かった
「……、」
想像していた以上の痛みに、しかしゲオルはうめき声をあげない。身体が傷だらけ、などという状態など、今まで何度もあったことなのだから。故にこれくらい我慢できないわけがない、と言わんばかりに上半身をゆっくり起こす。
「ようやくお目覚めかい」
ふと、隣から声がする。
振り向くと、そこにはニヤけた表情をしている魔王が木に寄りかかるように座っていた。
「……ふん。生きていたか」
「はっ、この状況で第一声がそれかよ……見りゃわかんだろ。オタクのおかげでボロボロだ、ロクに立つことすらできねぇ。っつか、死んでるぞ、これ。マジで分身壊すやつがあるかよ。ったく……」
などと軽口を叩くが、しかしその通りだった。
魔王の身体はゲオルと同じく、いいやそれ以上に壊れていた。口から血を垂れ流し、片目は潰れ、右の拳は肉が剥がれて骨が見えており、腹部や脚に関しては皮膚が破裂し、血がダダ漏れである。喋っているのでさえ、奇跡に近い。恐らく分身だからこそ、できる芸当なのだろう。しかし、できることはそれくらい。本人が言うように、立つことはできず、故に喧嘩を続行することは不可能。
しかし、だというのに、目の前の男はどこか楽しげだった。
「お? どうしたよ。顔がなーんか吹っ切れてるぞ」
「喧しい。そちらからふっかけておいて、何だその言い草は。そして何故笑っている? 気色が悪いぞ」
「って、口の悪さは相変わらずってところか。まぁ、オタクがその調子でないと、こっちも調子が狂うからな」
などと言いつつ、魔王は懐から一つの小瓶を取り出し、ゲオルの方へと投げる。受け取り、中身を見てみると透明な液体が入っていた。
「そら。それでも飲んで、さっさと回復しな」
「……何だこれは」
「あぁ? 見て分からねぇのか? エリクサーだとエリクサー。飲んだらたちまち、どんな傷どころか、体の異常なところまで全部回復してくれる最強の薬」
「えり……何だ、それは」
「……あー、そうだったそうだった。知ってるわけないか。今のは失言だ。とっとと忘れてくれ」
言われ、ゲオルはむっとなる。彼はこれでも長年生き続けている魔術師だ。魔術に関する薬なら、かなりの知識はある。そんな彼ですら、魔王が寄越した薬については分からず、エリクサーなどという名前も知らなかった。
「ま、取り敢えずそれ飲んで、さっさと傷治すこった」
「できるわけあるか。大体、貴様の薬など、信用ならん」
「えぇ……いや分かるが、分かるけどよ。そこは貰っとけって。ここまで来てオタク騙して毒殺、なんてしょぼい真似するわけねぇだろ」
その点については確かにそうだ。魔王は常に飄々としていて、何を考えているのか分からない。しかし、不意打ちなどの真似はしたことがなかった。
この状況にしてもそうだ。よくよく考えてみれば、この男ならば、立つことができずとも、指を一度鳴らすだけで、ゲオルを殺すことができたはずなのだ。しかし、結果はこの通り。
だから、信用できる……というわけではない。というか、より一層、ゲオルは眉をひそめた。
「……貴様、一体全体、何がしたいのだ?」
ゲオルが気にしている点はそこだった。
人をおちょくるような態度にのらりくらりとした言葉。意味の分からない単語を口にするかと思えば、時には真剣な怒りをぶつけてくる。はっきり言って意味不明だ。理解が及ばない。この喧嘩にしたってそうだ。ふっかけてきたのは向こうであり、その意味が分からない。もしもこれがゲオルを倒すためならば、どうして殺さなかったのか。そこも理解できない。
だからこその疑問。だからこその質問。
その言葉に、しかし魔王はいつものようにニヤけるのみ。
「そんなもん、オレ様がしたいことに決まってるだろ。前に言ったろ? 実力ある奴とやりあいたいって。だから、オレ様としちゃ、お前さんにこんなところで腐ってもらっちゃ困るんだよ。いつかオレ様のところに来たとき、やり合えなくなるからな」
その言葉は嘘か真か。
表情や口調、仕草から観察するものの、今のゲオルには判断がつかなかった。
「ま、飲まないってのも別にいいけどな。それも選択の一つだ。けどよ、オタクにはこんなところで呑気にしてられる程、時間ねぇんじゃねぇのか?」
言われて、ゲオルは何も言い返せなかった。
ゲオルが自分で治癒することはできる。が、それには大幅な時間がかかる。そんな余裕は、今の彼にはない。一刻も早く、あの女のところへ行かなくてはならないのだから。
などと考えているゲオルを見ながら、魔王は続ける。
「そういうわけで、後は自分で決めてくれ。お前さんのおかげでこっちは分身がボロボロなんでな。修復しなきゃいけねぇんだが……っつか、これ元通りになんのか? もし戻らなかったら弁償しろよ、オタク」
「知るか。消えるのならさっさと消えろ」
「いやいや、ほんと口悪いよな、お前さん。オレ様が言えた義理じゃないが、マジで直した方がいいぞそれ」
全く、とどこか呆れたような口調で言いながら、魔王はゆっくりと立ち上がる。その仕草はぎこちなく、今にも倒れそうであり、もうふらふらである。
けれど、その表情には、一切の曇りはなかった。
「じゃあな、魔術師。喧嘩の続きはまた今度だ。そんときは、白黒はっきりさせようや」
言うと同時、指がなる。
すると魔王の周りに竜巻が起こり一瞬目を離してしまうゲオル。風が止み、視線を戻した時には、既に魔王の姿は無く、残ったのは舞っていた木の葉と地面に残された血だけである。
颯爽と顕れ、突風の如き拳を放ち、竜巻と共に消え去っていく。
正しく嵐のような男に対し、ゲオルは。
「……いいだろう。その時は、今度こそ貴様を倒してやる。そのためにもまず、さっさと厄介事を片付けるとしよう」
そう言って。
飄々とした男から貰った小瓶の蓋を開けたのだった。
*
「―――あら。お帰りなさいませ、ゲオルさん」
火の番をしていたヘルは、帰ってきたゲオルに対し、そんな言葉を呟きながら、ヴェール越しに視線を送った。
「……何だ」
「いえ。何か吹っ切れたような顔をなさってましたから。何かありまして?」
「別段、何もない。少し気晴らしをしたに過ぎん」
ふん、と鼻を鳴らしながら、どこにも傷がないゲオルは焚き火の前へと座り込む。そして、これからの事を考え始める。
これからのこと。つまりは、あの女……エリザベートからエレナを取り戻すということ。
目的ははっきりしており、目的地も分かっている。が、助け出す手段に関しては少々心許ない、というのが現実だろう。魔術が使えるとしても、エリザベートの事だ。必ず厄介な妨害をしてくるに違いない。それは前回のことから考えて当然だろう。
しかし、今回、ゲオルには違う点が一つある。
それは、一人ではないということだ。
「……女」
「?はい。何でしょう」
「貴様は……あの小娘を助けたいと思っているのか?」
唐突なゲオルの問いに、ヘルはすかさず答える。
「当然ですわ。エレナさんは、わたくしにとって大事な旅仲間ですもの。助けるのは当然でございましょう?」
「しかし、そのせいで自分の命が危険になるとしてもか?」
「何を今更。わたくし、これでも結構な修羅場をくぐり抜けてきたのですわよ? それなりの自信はあるのですが……というか、どうしたのです、ゲオルさん。今になってそんな話を……」
「それだけ今回の相手は洒落にならん奴だということだ」
ゲオルは傍にあった木の棒を火にくべながら、続ける。
「今までの情報を整理し、その上で言わせてもらうのなら、今回の相手は十中八九、ワレがかつて殺した女だ。奴は手ごわいというより、タチが悪い。普通の人間など勝てるわけがなく、兵士が千人いても話にならんだろう。そして、それは奴だけではない。恐らく守りも固めているはずだ。それ相応の手勢で来るだろう。故に―――」
「大丈夫ですわ」
と。
ヘルはゲオルの言葉を遮った。
「安心下さいまし。先程も言いましたが、わたくしそれなりに……というか、結構強いのですよ? まぁ無敵というわけではありませんが、それでも足を引っ張るつもりはございませんわ。だから、心配しないでくださいまし」
「し、心配などしておらん。ワレはただ、敵は貴様が想像しているよりも遥かに凶悪な連中だということをだな……」
「だとしても、です。それが仲間を見捨てる理由にはなりませんわ」
ゲオルの言い分にヘルはやはりというか、強い言葉で返す。
「ゲオルさんも知っての通り、わたくしは全てを失いました。家族も許婚も国も名誉も、わたくしという存在そのものも……。もう何ももっておりませんの。だから、せめて友人を無くすことだけはしたくないのですわ」
そう、断言した。
その言葉に迷いは見受けられず、それ故にゲオルはそれ以上何もいうことはなかった。
「ならば、仕方がない。もう止めはせん。だが……いいや、だからこそ、貴様らには話しておかなくてはならんのだろう」
などと言いつつ、一人寝ているロイドの方へと声をかける。
「いい加減起きたらどうだ。寝ながら人の話を聞くなど、礼儀がなっとらんだろうが」
「……気づいてたんすか」
むくり、と上半身を起こし、「いやはや」と口にするロイド。
「知ってたんなら最初から声かけてくれよ。俺、めっちゃ恥ずかしいじゃん」
「喧しい。狸寝入りしている貴様が悪い……とはいえ、まぁいいだろう。起こす手間が省けたのだからな」
言いつつ、ゲオルはふたりに向かって言う。
「ワレらはこれからあの女の元へと殴り込みをかける。が、その上で貴様らには知っておかなければならないことがある。あの女の正体、そして……奴の所業をな」
そして。
ゲオルは語りだした。
自分の過去、かつての出来事、そして……過酷すぎる悲劇の一幕を。




