十四話 責任と覚悟⑤
※遅れて申し訳ありません!
―――そこは、湖の上だった。
いや、正確には水のたまり場の上、というべきか。空はどこまでも続いており、湖もまたどこまでも続いている。ある種、海と言ってもいいかもしれないが、ここには波も、潮風すら存在しない。
ゲオルは、この場所を知っていた。
けれど、以前の時とは違うものがある。それは、湖からまるで生え出ているような、建物群。小さな小屋や、まるで遺跡のような家々。さらには、そこかしこに剣が湖に突き刺さっている。通常では有り得ない現象だ。けれど、それを言うのなら、ゲオルもまた湖の上で立っている。無論、魔術は使っておらず、ただつっ立っているだけだ。
しかし、ここでなら、何もおかしくはない。ここは、そういう場所なのだから。
「……、」
ゲオルは無言のまま、湖の上を歩き、建物群へと進む。
不規則に並べられている建物は、斜めなものだったり、逆さになっているものまである。どうやって建てられているのか、不思議なものがほとんどだった。
しかし、その中で唯一、まともなものが建物……というより、屋敷があった。
「ここか……」
それは、どこにでもある貴族の屋敷。あまりにも抽象的で具体的ではないが、しかしそう表現するべき程のものだった。広い庭園、その中心にある噴水、そしてそれらを抜けた先にある館。まさに、貴族の屋敷を絵にしたような造りであり、配置だった。しかし、そんな屋敷には衛兵はおろか、執事や給仕の姿も一切ない。
しかし、ゲオルはそれについて指摘することはおろか、おかしいとさえ思わなかった。いいや、逆か。ここに彼の知らない者がいれば、それこそが異常だ。
大きな玄関を開き、中へと入る。そして、やはりというべき光景がそこにはあった。外と同じく絵画やシャンデリア、いくつもの高級な壺などがそこら中に飾られていた。無論、これはかつてゲオルがいた屋敷ではない。けれど、彼はここがどこなのか、誰の屋敷なのかを識っている。故に、自分がどこへ行くべきなのかも把握しているのだ。
階段を上がり、廊下を迷わず進んでいく。いくつもの部屋があるものの、彼はその一つひとつを開くことなく、ただ一番奥の部屋までやってきた。
そして、ゆっくりと部屋の扉を開いた。
中は、質素なものだった。本棚がいくつも並べられているが、しかし珍しいところはそれくらいで、貴族の屋敷の部屋とは思えない程、殺風景だった。別段、汚いというわけではないが、この屋敷からすれば、異質な場所だろう。
そして。
そんな異質な場所には、ゲオルが思っていた通りの青年がベットの上で窓の外をみていた。こちらに気づいた途端、困ったような顔付きになっていた。
「えっと……お久しぶりです……?」
「……何故疑問形なんだ」
「いや、その……こういう時ってどんな反応していいのか、分からなくて……すみません」
青年の謝罪に対し、ゲオルはどこかばつの悪いような顔になりつつ、言葉を返す。
「謝る必要はない。『この姿』で貴様と会うのは初めてなのだからな。加えて『この場所』だ。貴様のその反応こそが、当然のモノなのだろう。まぁ何にせよ、以前より時が経っていることには変わりない。故に、こちらも挨拶するとしよう―――久方振りだな、ジグル・フリドー」
そう。
ゲオルの前にいたのは、数ヶ月前にその身体を喰らい、乗っ取った相手。彼が旅をするきっかけとなった人物。
そして何より……エレナの大切な人間。
ジグル・フリドーであった。
「正直なところ、ワレは驚きを隠せん。あれだけの重症、瀕死の状態で貴様はワレに喰われ、仮死状態となっていた。肉体面についてはある意味回復したと言っていい。だが、貴様の魂は確かに壊れる寸前だった。それが、ワレの『心の中』でここまで治り、意識まで目覚めるとはな……」
最初の頃、ゲオルはエレナに言った。ジグルの魂は仮死状態になり、自分が身体から離れなければ絶対に元には戻らない、と。あれは嘘ではなかった。
あの時点でジグルの魂はボロボロであり、崩れる寸前だったのは確かなのだ。もし、あの時に無理やりその意識を表に出そうものなら、廃人になるのは確定。それほどまでに危ういモノだったのだ。
しかし、結果は目の前の通り。
「自分が治ったのは、ゲオルさんのおかげですよ。ゲオルさんが僕の魂をこうして吸収しないようにしてくれているから、ここまで治ったんですよ」
「ふん。そんな世辞はいらん。ワレがしたのは、貴様の魂を吸収しないようにしていただけだ。それ以外のことは何もしておらんのだからな」
「でも、そのおかげで、僕はこうして今も生きているんです。ありがとうござ……」
「やめろ。ワレは、貴様に礼を言われる筋合いはなく、そして……資格もない」
遮るゲオル。その声音には苛立ちが混ざっていた。しかし、それはジグルに対してではなく、自分自身に対してのもの。
「……エレナのことは、知ってます。ここから見ていましたから」
そう言いながら、ジグルは湖に視線を下ろす。
ここは、ゲオルの心の中。故に、ゲオルが外で何を行っていたのかは、何をしてきたのかは、ここでなら理解することができる。
例えば、タツミユウヤと戦ったこと。
例えば、紫のシュランゲや黒のシャーフを倒したこと。
例えば……目の前でエレナが連れ去られてしまったこと。
ジグルは、今、ゲオルと融合をしている最中のようなもの。だから、ゲオルが見てきたこと、してきたことを見ることができるし、理解することもできるのだ。
「あの小娘のことはワレの不手際だ。弁明するつもりはない……すまなかった」
言いながら、ゲオルは少し、ほんの少しだけだが、頭を下げた。
高慢な性格であり、捻くれ者な彼ではあるが、しかし今回のことは、自分のせいだと実感している。
彼は契約をしている。身体を貰い受ける代わりに、エレナを守ると。その約束を果たせなかったことは、魔術師として、いいや、一人の男として、失格だった。
故に、謝罪は当然のことだったが、しかしジグルはそんな彼に、小さく首を横に振った。
「そんな、謝らないでください。と言うか、頭を下げるのは、僕の方です。あの夜、僕は瀕死の状態で、貴方に大きな責任を押し付けた。自分の大事な人を、他人に任せてしまったんです。それが、あまりにも無責任で、迷惑なことだと、今では理解しています。けど、そんな僕の頼みごとを、貴方はここまでやり通してくれた。それだけでも、感謝しているんです。それに、今回のエレナの事は、僕のせいでもありますから」
「……っ、」
その、最後の言葉に、ゲオルは眼を大きく開いてしまった。
あまりにも不意打ちな、けれど確かな真実を、彼は知っているのだ。
「理解、していたのか」
「はい。まぁ、何となくですけど……ゲオルさんが魔術を使わなかったのは、貴方を追っている人から逃げるためだけじゃない。僕の魂を消さないようにするため、ですよね?」
刹那。
ゲオルは、雷にでも打たれたかのような感覚に襲われた。
誰にも言わなかった事実。絶対にバレないと思っていた真実。しかし、ああそうだ。ここはゲオルの心の中。ならば、彼の身体の仕組みについて、分かっていてもおかしくはない。ましてや、それが今から吸収しようとしていた者なら、尚更だろう。
ゲオルは大きな息を吐いた。それは、もはや観念した、と言わんばかりのものだった。
「……魔術とは、自分の想いを現実にする力。そして、想いとは自分の魂の在り方と直結している。故に、魔術を使えば、どうしても魂の部分も連動することになる。身体と魂が椀と水の関係であるのならば、魔術を使えば、水は自然と暖かくなる。そして、貴様の魂は氷。氷である貴様の魂が溶ける時間は、それだけ速くなる」
ジグルの魂は、今この時にも徐々に吸収されつつある。そして、魔術を使い、魂が活性化すれば、その吸収力はさらに強まるというわけだ。これは、魂の元々の在り方であり、故に魔術とは切っても切り離せないモノ。そして、それはゲオルにすら、どうすることもできない代物だ。
だから、彼は魔術を使わず、素手で戦ってきたのだ。
けれども、だ。ここで一つの疑問が思い浮かぶ。
ならば何故、それを最初からエレナに言わなかったのか。
その理由は至極簡単なものだった。
「旅を始めた当初、ワレは自分の身体を見つけるとは思っていなかった。どうせ探すことなどできない。だから言う必要はない、と。そう、勝手にタカをくくっていた。ワレの身体を盗んだ魔王を前にした時もそうだ。どうせ、自分なら魔術を使わなくても、なんとかなる。そう思っていたのだ」
あまりにも高慢で、傲慢な考え。魔王の言葉は当たっていたのだ。自分ならどうにかできる、魔術など使わずとも、何とでもできる……そんな、どこから出たのか分からない、最低な自信が、どこかにあった。しかし、旅を続けていくうちに、そうも言ってられない状況が続いていた。加えて、エレナにもどうして魔術を使わないのか、疑問を持たれることもあった。
彼女には打ち明けなければならない。いいや、その責任が、自分にはある。
そう決心した矢先、この最悪の状況を作り出してしまったのだ。
「許しを乞うつもりはない。そんなおこがましいことはせん。自分が招いたことは、自分でカタをつける。そして、必ずあの娘を取り戻す」
「できるんですか?」
などと。
ゲオルの言葉に、ジグルは今までにない、強気な言葉を飛ばしてきた。
「何……?」
「今回の敵は、恐らく貴方がかつて葬り去った『彼女』だ。昔の貴方ならいざしらず、今の貴方は魔術が使えない。そんな状態で、『彼女』に勝てるんですか?」
「……貴様があの女について知っていることは別段どうでもいい。ここだからな。ワレの過去を見ても、何らおかしくはない。だが……勝てるのか、だと? そんな心配をされる程、ワレが弱っているとでも思っているのか?」
「はい。思います」
即答だった。
あまりにも速い返しの言葉に、ゲオルは思わず、むっとなった。
「……根拠は何だ」
「簡単です。『彼女』が生きているというのなら、魔術を使っても殺しきれなかった、ということになります。ならば素手で倒せるわけがない。違いますか?」
ジグルの言い分は尤もであった。そして、それはゲオルも危惧していたことである。あの女が相手というのなら、素手で倒せるのだろうか、と。
「ならば、どうしろというのだ? こちらの武器はワレの身体と少しの魔道具だけだというのに」
そう。不安だから、危険だからと言ってもしょうがない状況に自分達はいるのだ。故に、素手でやるしかないのだとゲオルは言い放った。
けれど。
「そんなの簡単ですよ。僕のことを気にせず、魔術を使えばいい」
まるで、あっけからんとジグルはそんなことを提案してきた。
「貴様……」
「恐らく、『彼女』の根城はかつてと同じ様に異界魔術によって構成されている。なら、その中でなら魔術を使っても追っ手には見つからない」
「待て……待てっ。貴様……自分の言っていることが、分かっているのか? そんなことをしたら、貴様の残り時間が減るどころか、下手をすれば、魂が完全に吸収されるかもしれんのだぞ?」
「当たり前じゃないですか。分かった上で言ってるんです」
「いいや、貴様は分かっていない、全く分かっていない!!」
唐突な怒声に今度はジグルが驚く。
当然だ。これだけ高ぶった感情をぶつけてくるなど、今までのゲオルにはなかった。恐らく、今までゲオルに出会ってきた人間が見れば、一同に目を丸くさせるはずだ。
けれど、ゲオルの言葉は止まらない。
いいや、そもそも彼は本当に怒っていた。
ジグルの提案は確かに理にかなっているものだ。ゲオルが魔術を一度使用しても彼の魂は消えないだろう。いいや、それ以前にいくらか余分はあるだろう。自己犠牲の戦法であり、ある種、褒められるべきことなのかもしれない。
けれど、ゲオルはそれは認められなかった。
「貴様、ここにいたのなら、知っているのだろう? 識っているのだろう!? あの小娘が、どれだけ貴様のことを想っているのかを!! どれだけ貴様に会いたがっているのかを!! あの小娘は、自分に力がないことを知っている。死ぬかもしれない状況に何度も遭った。それでも、そうなってでも、自分の愛する人間を乗っ取った、こんなクズな男と今まで旅をし続けてきたのは、何のためか!!」
そんなもの、言うまでもない。
エレナは目の見えない、ただの少女だ。そう、本当にただの少女なのだ。魔術の才能? 気配の察知? だからどうした、それで特別だとでも?
笑わせるな。そんなもの、何の理由にもならない。
エレナという少女は、ただの、そう、眠っている時に好きな人間の名前を呼ぶ、本当にどこにでもいる娘なのだ。
そんなものから、大切な者を取り上げる……いいや、そうならなくても大切な者を助ける時間を短くするなど、ゲオルにはできなかった。
ゲオルは魔術師であり、そしてクズな男だ。人を殺してきたし、はばかれることもしてきた。はっきり言って底辺の人間だ。
けれど、そんな男だからこそ、ただの普通の、全うに生きている人間の邪魔だけは、したくないのだ。
そして、そんなゲオルの言葉を聞いて。
「……ありがとうございます。僕にそんなことを言ってくれる人は、多分貴方だけだ」
でも。
「それでも、魔術を使わなければ『彼女』は倒せないとゲオルさんも理解しているはずだ」
「……、」
そう。それは理解している。いいや、しなければならない。
ジグルの言うとおり、魔術を使っても殺しきれなかった女を魔術なしで倒すなど不可能だろう。ならば、魔術を使うのは当然だ。
その正しき理屈に、その正しき指摘に。
ゲオルは何も言い返せなくなってしまった。
「大丈夫ですよ。僕、こう見えても我慢強い方ですし。ちょっとやそっとで魂が全部無くなることはないですよ」
「……我慢強さは全く関係ないぞ」
「あ……そ、そうですね。すみません……」
苦笑しながら、ジグルは続ける。
「でも、僕も『彼女』には怒っているんです。エレナのこともそうですけど、『彼女』がしたことは……絶対に許されることじゃないです」
その言葉に、ゲオルは全てを察した。
「……なる程。識ったのか、あの女がしでかしたことを」
「はい……正直腸が煮えくり返りました。だから、僕自身、『彼女』は倒さなきゃいけないって思っているんです。そのためなら、僕の魂をちょっとくらい支払うべきだと思ったんです」
腸が煮えくり返る……このジグル・フリドーですら、怒りを感じずにはいられないと言うが、しかしそれもそうだろうとゲオルは思う。あの女がやらかしたことは、それだけに罪は重く、故にこの世に存在していてはならないのだ。
そして、そのためなら目の前の青年は、命を張ると言っている。
その瞳に迷いはなく、不安もなかった。
「決心は変わらん、と」
「はい」
「自分の魂が無くなるかもしれんのに? そのせいで、あの小娘を泣かすことになるかもしれんのだぞ?」
「そうなる前に、『彼女』を倒してくれると信じてます」
その信用は、一体どこから来たものなのか。全くもって話にならない。
だが、しかし、それでも。
彼から感じる真っ直ぐな言葉に、ゲオルは到頭ため息を吐く他なかった。
「……全くもって、強情な奴だ。あの小娘と同じではないか。そして、そんな奴にどんな言葉も通用しないとも理解している。故に……貴様の提案に乗ってやろう。そして、必ずあの小娘を助けてやる」
その言葉に、「ゲオルさん……」と言いつつジグルは頭を下げた。
「すみません。ありがとうざいます」
「ふん。謝罪も礼もいらん。決めたのはワレだ。故に貴様が気にする必要など欠片もない。だが……この件が片付いたら、あの小娘にも全部話す。恐らくとんでもない大目玉を喰らうことになるだろうがな」
「あははは……誠に申し訳ない」
「ふん。まぁこれについては、全面的にワレが悪いのだから、当然のことだが……ワレが謝罪するのは、ワレの分だけだ。貴様の分は、ワレが身体を取り戻した後で、自分で頭を下げろ。貴様も心配をかけたんだからな」
何気ない言葉。しかし、それはゲオルの改めての宣誓のようなものだった。
必ず魔王を倒し、自分の身体を取り戻し、そして彼らを元通りにする、と。
そう、改めて決心したのだった。
「さて……そろそろ、目覚めるとするか。魔王に殴られたせいで、身体はボロボロだがな。しかしまぁ、そのおかげでここに来れたというのもあるが」
そう。そもそも、ゲオルが心の中に意識があるのは、魔王との喧嘩の果てに意識が墜ちたからである。そして、今は外がどうなっているのか、分からない状態だ。
ならば危険ではないのか……と思われるかもしれないが、こうして意識があるということは、魔王が止めをさしていないということ。そもそも、あの男も自分と同じ状態のはず。分身とはいえ、動けなくなっているはずだ。
そして、ゲオルは既に意識を表に出せる程、気力は戻っている。
そんなこんなで、ゲオルは表に戻ろうとした時。
「あっ、戻る前に一ついいですか?」
「? 何だ」
「その……勇者を、タツミユウヤを殴ってくれて、ありがとうございました。こういうのって、あんまり褒められたことじゃないんですけど……あれ、結構スカッとしました」
そう言ってジグルは屈託のない笑顔を見せた。
その言葉に、その表情に、ゲオルは何も言わず、そのまま去っていく。
今の自分にできることは、言葉を返すことではない。彼の大切な者を取り戻すことなのだから。
そうして。
ゲオルは、確固たる決心と共に、表へと戻っていったのだった。




