十三話 責任と覚悟④
何発、殴っただろうか。
何発、殴られただろうか。
拳が飛び交う。常人に当たれば、内蔵からなにまで破裂させ、破壊する一擊をゲオルは放ち、そして放たれていた。
当然手応えはあるし、一方で自分の身体から血飛沫が舞う。
「がはっ、ぁ……!!」
口から血が吐き出される。痛みは無論あるし、先程から少しだるけもあった。
けれど、ゲオルはそれらを一切合切無視をする。
そんなものに構っている暇はない。痛み? だるけ? 知ったことか。それで自分が倒れるわけがないし、倒れるわけにはいかないのだ。
何故なら、目の前の男は、あいも変わらず笑みを浮かべているのだから。
「そら、どうした次いくぞぉ!!」
声を張り上げながら、魔王の拳がゲオルの顔面に直撃。一歩後ろへと後ずさるものの、何とかこらえ、そして今度はゲオルの左拳が炸裂した。
「ふんっ!!」
「ごっ、はぁ……」
もろに胸中に入った。しかし、相手は分身。いくら手応えがあったところで、本体に直接攻撃ができているわけではない。
言ってしまえば、この闘いそのものが無駄なのだ。どれだけ殴っても、意味はない。遊ばれているとさえ思ってしまう。
その最もな理由は、やはり。
「はははっ!! いいねぇいいねぇ!! 最高だなぁオイ!! やっぱ喧嘩はこうでなくっちゃなぁ!!」
崩れた顔面から流れる血。分身とはいえ、どうやら痛みや怪我は身体に出るようであった。殴った場所が痣ができるのは無論、弾け、潰れ、砕ける。故に魔王の口から血が流れ出すのは当然の理だ。
けれど、だ。
その中でも、やはり笑っているのだ。
まるで、この状況が楽しいと言わんばかりに。
いいや、この状況……つまり、喧嘩はこの男にとっては楽しいものなのだろう。理由などない。そういう性分、とでも言うべきか。いつも飄々としているが、けれど今の魔王は、確かに楽しそうなのだ。魔術ではなく素手が本職だというのは、あながち嘘ではないのだろう。
そして何より、そんな男に自分の本気の一擊を入れても、倒せないことが腹立たしい。
無論、今までもゲオルの拳で一撃必殺できない者はいた。世の中で、自分が一番強いと自惚れる程、ゲオルも高慢ではない。
けれど、それでも。
この男を倒せないことが、ぶちのめせないことが、何故だかとてつもなく、苛々して仕方がないのだ。
魔術を使われないから? 明らかに手を抜かれているから? それもあるだろう。だが、それだけはない、と断言できてしまう。
では、何故……。
「―――おいおい、喧嘩の最中に考え事とか、余裕があるな、えぇ!!」
言うと同時、魔王の鉄拳が顔面に直撃する。ゲオルはそれを敢えて避けなかった。いいや、ゲオルだけではない。魔王の方もゲオルの一撃一撃を全く避けることはせず、ただ身体で受けていた。
別段、至近距離だからと言って、避けられないわけではない。確かに逃げられないよう、ナイフでしっかり刺しているが、しかしそれでも拳を一回くらいは回避できる。それはしないのは、両者とも心のどこかで勝手なルールを作っていた。
相手の攻撃を避けたらそいつは負け。回避するということは、その攻撃を自分の身体が耐えられないと認めてしまうことだから。
そんなのは、死んでもごめんだ。
故に両者は一切回避せず、互いの拳を受け続ける。
通常の戦いならば、一定の距離を保つのが常。理由としては、距離を詰めたら相手の間合いにも入ってしまう、というのもあるが、足や身体を休ませるという理由もある。
だが、二人の間に休める距離などなく、そんなことを微塵でも思ってしまったが最後。その者は確実に負ける。
そして、二人の殴り合いには休みがなかったし、そんなつもりはさらさらない。
実力はほぼ互角。体力も同じだろう。
ならば、勝敗を分かつのは、それら以外の要因だ。
「つーかよぉ、お前さんは、いつまで余裕ぶっこつくもりだ、あぁ!?」
「余裕だと? それは貴様だろうがっ。先程の魔術、あれは使いやすいが、それだけの代物。貴様の本気の魔術ではあるまい!!」
「はっ! そりゃこっちを舐めてる相手に本気の魔術使うわけねぇだろうが!! マジな拳使ってやってんだ、ありがたく思えよ!!」
「抜かせ阿呆がっ!!」
そんな言い合いをしながらも、拳が止まらない。
魔王は知らない。ゲオルが魔術を使わない理由を。使えば必ずやってくる『あの男』。邂逅しないために、彼は今まで魔術を使わず、拳一つで多くのことを片付けてきた。
そして、今回もそうだ。
いいや、今回は、何がなんでも拳で何とかしなければならないのだ。
「もしかして、あれか? オタク、魔術師だけど魔術使わないオレ様カッコイイとか、思ってんのか!?」
「戯言もここまでくれば、悲しいなっ!! そんな理由でワレが魔術を使わないと? 舐めているのはどっちだこのたわけ者がっ!!」
「ああそうかいっ。だったら、何で―――」
と、ひと呼吸した後。
「何であの嬢ちゃん助けるために使わなかった!?」
同時、放たれた一撃は、今までのものよりも重く、そして身体全体に痛みが走った。
別段力が変わったわけでもない。姿勢や力の入れ方が変わったわけでもない。
ただ、何故か……その言葉が、ゲオルの何かを揺さぶったのだ。
「お前さん程の実力者だ。魔術使えば、簡単にあの嬢ちゃんを取り戻せただろうがっ。いいや、そもそもあんな奴に逃げられることもなかった。隙を突かれた? 油断してた? だからどうした。隙があって油断してたからって理由になってねぇよ。んなもん、本気出さなかった言い訳にすぎねぇんだよ。少なくとも、魔術師であるお前さんならできただろうが」
何という一方的な言い分だろうか。魔王はゲオルのことについて、何も知らないはずだ。魔術師とは名乗ったが、しかし実力は示していない。だというのに、目の前の男は、魔術を使えばできたはずだと抜かしてくる。
いいや、もっと簡単に言えば、だ。
お前なら、彼女を助けることくらい、簡単だっただろうと。
そう言っているのだ。
「……っ」
過大評価、とは言わない。実際、ゲオルが魔術を使えば、確かに可能だっただろう。それは事実であり、認めざるを得ない。
しかし、だ。
「貴様に……言われる筋合いはないっ!!」
そう。赤の他人、ましてやいずれは倒すべき相手に、そんなことを言われる筋合いはない。
そもそも、この男と自分達は、敵対している。そんな男に、何故助けなかったのか、何故救わなかったのか、などと言われても説得力がない。
そのはずだ。そのはずなのだ。
故に、聞き流せばいい。放っておけばいい。阿呆な男が、何かよく分からないことを口にしているだけ。そういうことにすればいい。
だというのに……何なのだろうか。
この胸の底にある、小さな痛みは。
「筋合いねぇ……確かに、その通りなんだけどなっ!!」
しかし。
「何故だかよぉ……今のお前さんには、言いたくなっちまってなぁ。なんというか、落ち込んでるっていうか、後悔しているっていうか……要するに、見てて腹が立つんだよ。そんな風になるんだったら、最初っから使えばよかっただろうがってな!!」
事情を知らない男は、ずけずけとゲオルの領域に踏み込んでくる。
ならば、理由をいうべきか、と言われれば、それは否だ。『あの男』に追われているから、魔術を使えば見つかると。そんなことを言ったところで通用しないし、聞く耳を持たないだろう。
けれど、しかし、だけれども。
それでも、ゲオルは怒りをぶつけながら、拳を放つ。
「喧しいっ!!」
放った一撃は、今までのものより、少し手応えがあった。
けれど、今のゲオルには、そんなことはどうでもよかった。
「魔術を使えば良かった? 奴を倒せばよかった? そんなことは百も承知だっ!! あの程度の相手、ワレの魔術を使えば造作もなかった!! 倒すことも容易だった!! 故にそうするべきだった!! そんなことは貴様などに言われるまでもなく、とっくの昔に自覚している!!」
言いつつ、再び拳を振り上げる。
そうだ。魔術を使えば、エレナを助けることはできた。絶対とは言わないが、しかし確率はほぼ百に近い。そうしなかったのは、『あの男』が来るから……という理由だけではない。
いいや、そもそも、その程度の問題は、理由にはならない。
ならば、何故魔術を使わなかったのか。
それは……。
「だが、それはできん!! してはならんのだ!! それをすれば最後、ワレはあの小娘の『大事なモノ』を取り上げることとなる!! それは……決して、してはならんことだ!!」
振り下ろされた一撃が、魔王の顔面に直撃する。強烈な一撃は、魔王の動きを止め、その拳が迫ってくることはなかった。
「……それが、オタクが魔術を使わなかった理由だって? 何とも抽象的で、曖昧だな、オイ」
「理解しなくても良い。する必要もない。してもらうつもりもないからな」
「そうかい……だがよぉ、それであの嬢ちゃんが死んじまったら意味ねぇんじゃねぇの?」
「阿呆か。そんなことにはさせん。あれを守るという契約を、ワレはしている。故に、あの小娘が死ぬことはなく、故に何があっても死なせん」
「おうおう、断言かよ。っつか、それだったら、オレ様とこんなことやってる暇あるのかよ」
「貴様にそれを言う資格はないだろうが……それに、ワレがあの小娘が攫われたことに対して、何の対策もしてないとでも思っているのか?」
「……なる程。どうやら無策ってわけでもないらしい」
言いながら、魔王は自らの左手を見ながら、微笑む。
「ま、今のでちょっとだけ納得はできたような気がするわ。お前さんが、自分のために魔術を使わなかったってわけじゃないってのが分かっただけでも収穫はあったって思うべきか」
魔王は、やはりというべきか、飄々とした態度で、そんな事を呟く。
だが、何故だかその表情は、先ほどよりも、どこか晴れやかなものになっていた。
「とはいえ……まぁ、一度始めた喧嘩だ。なら、最後までしないとなぁ?」
「当然だ」
「即答か。オタクももうボロボロだろ? 意識ぶっとんでも知らねぇぞ?」
そう。ゲオルの身体は、既にボロボロ。魔王の分身と同じく、あらゆるところから血が流れ出しており、まともに立っているだけでもおかしな状態だった。視界も朦朧としている。
けれど、それでもゲオルはふん、といつものように鼻をならした。
「安心しろ。その前にその分身を壊せばいいだけの話だろうが」
「そうかい……なら、壊してみろよ、魔術師ッ!!」
刹那。
二人の男の喧嘩が再開された。




